第6話 完璧な作戦——のはず
フランクは王族内で随一のやんちゃ坊主だっただけでなく、長じてからは放蕩癖まで加わった。なかなか手を焼く親族だったが、意外なことに国王と正妃の息子として叩き込まれた礼儀までは失っていない。
持ち前の暑苦しさで大袈裟に再会を喜んでみせた後は、貴賓として弁えた所作でもてなしに応じる。
ずっとあの調子だったら、サフィルも疲れることだろう。酒と食事を前に大人しくなったフランクを見て、ロイは安堵した。
エルデグランツ城は規模に比べて仕える使用人が少ない。ただし、そのぶん全ての分野で腕利きばかり揃えている。もちろん王都の流儀ではなくエルデ城市の伝統を嗜む者を。
先代城主の祖父、否、恐らくそれ以前から続く地方都市の矜持。例え客人が伯父——アルス=ザレラ国王陛下だったとしても、この土地の料理のみがテーブルを彩る。
地方城主としての頑固さを、ロイも正しく受け継いでいた。
王族の例に漏れず美食家なフランクだったが、好き嫌いや王宮風への変な拘泥はなく、港町の魚料理を堪能していた。
もしかしたらこの地の伝統料理を気に入っているから、頻繁に遊びに来るのではないか。ふとそんな推測をしてみたりもする。
ロイには、従兄弟が自分に会うためにわざわざ船に乗ってやって来るとは、到底思えなかった。
何をしに来たのか探るのは、サフィルが同席している間はできない。
当たり障りのない近況報告だけで時間が過ぎていった。
お陰でロイは、親族達がこの婚姻にどういう反応を示したか、手紙だけでは分からなかった本心まで全て知ることとなった。何の役にも立たない情報だが頭の片隅に留めておく。
食べ終えた食器が全て下げられ、テーブルに果実酒だけが残っている状態になると、サフィルが先に部屋に戻ると言って席を立った。
聡明な王太子は気を利かせてくれたのだ。自分がいてはできない話があるだろうと。
「幾らだ?」
サフィルが出て行き、食堂の間の扉が閉じられてから、フランクが遂に本題を切り出した。
「……何が」
「とぼけるなよ。幾ら入るんだ?」
金、を意味する下品なハンドサインに、心底うんざりした。大国の第六王子ともあろう者が、この作戦をそんな低俗な損得勘定で見ているとは。
「半分は取りすぎだな。せいぜい通航料の三割ってとこか? まあ充分ぼろい儲けだなおい。こういう時だけ親父の威光を利用してさ」
「イゼルアから金品は一切貰わない。王子も借りてるだけだし」
フランクの酔眼が、信じられないと言いたげに丸く見開かれた。
ロイは真っ直ぐにその目を見る。逸らした方が負け、の獣の喧嘩の要領で。
だがフランクと視線が合わない。かなり酔っ払っていて、焦点を結んでいない。
運河の国の王太子は酒に強い。意識して飲酒量を抑えていたロイとは違い、サフィルに合わせて呑んでいたフランクは、頭がしっかり回らなくなっている様子。
いきなり直接的に金の話を始めたのも、理性が緩んでいるからだ。
「何考えてんだお前。慈善のつもりか? もしもの時、一体誰がうちの損失を補填するんだ」
「安心しろ。武力衝突なんてことにはならない。これは誰にも負担のかからない解決策なんだ」
錫のグラスを手に取り、果実酒で唇を湿らせる。南方原産の果実の爽やかな香りは、寒く乾燥した内陸からの客人を潤すのに最適だった。
潤されすぎた客人が本心をさらけ出す、という想定外のおまけも付いている。
「負担のかからないって?」
「運河を南に奪われた後のことを考えたら、我々が動くほかない。けれど武力で解決するのは建設的ではない。通航料の上前をはねて運河を防衛するなんて手段は君程度の頭でも思いつくだろうが、それでは根本的な問題が解決しない」
「ほほう。なるほど。俺程度の頭では思いつかない策か。総帥閣下。可愛い妃といちゃいちゃするのが」
第六王子は思ったより鋭かった。
この戦略の最も脆弱な部分を、的確に突いてきた。
ロイはテーブルに両肘をついて、フランクの方へ身を乗り出した。
「夫婦ごっこがしたくてこの作戦を遂行している訳じゃあないんだよ」
「そうかぁ? どう見ても普通に蜜月って感じだったけど」
「本当に愛し合っているように見せる必要がある。何しろ、南部大陸にアルス=ザレラとイゼルアが協力関係にあることを印象付けないといけないからね」
フランクに説明しているのか、自分自身に言い聞かせているのか、分からなかった。
これは、単なる戦略。
運河に元通りの安寧を取り戻す、最も簡単で効果的で被害の少ない作戦。
サフィルが傍にいることも。
二人で食事を摂ることも、手を繋いで街を歩くことも、ささやかな贈り物をすることも、海を眺めながら会話をすることも。
全ては、敵を欺くためにやっている。本当は存在しない二国間の絆を、さも実在するかのように演じているだけ。
「お前がザフィルといちゃいちゃしたかっただけだろ?」
「サフィルだ。名前が言えないのは失礼だぞ」
「ふん。お前は完全にこっちの訛りが身についたな。王都の全部が体から抜けたようだ」
「それの何が悪い」
「悪いなんてもんじゃないぞ。総帥の肩書きを何だと思ってるんだ? 親父も叔父貴もお前を買ってる。お前は、今や王国の頭脳と言ってもいい。なのに地方に引っ込んだまま、アルス=ザレラを利用するだけ利用して、可愛い妃と懇ろな毎日をのうのうと過ごすだけか?」
ロイは乗り出していた体を後ろに引き、椅子にもたれて大きく溜息を吐いた。
誰も彼も、危機を身近に感じていない。
「もう少し真剣に考えてくれないかな。運河の情勢はもう、遠い極西の話じゃないんだ」
「南の主張は通航料の無料化だろ? そっちの方がいいじゃねえか」
「君は浚渫という言葉を知っているか? 航行の安全はイゼルアの民によって保たれている。維持管理に必要な知識も技術も持たない国に取り上げられたなら、運河はあっという間に砂に埋まる」
「そん時ゃそん時だよ。別に通らなくてもやっていけるだろ」
「通らねばやっていけない国がある限り、今まで通りとはいかない」
フランクの楽観論に、ひとつずつ丁寧に反論していく。
と。
次に何を言おうか悩んでいた従兄弟が、ぱっと顔を輝かせた。
「……良いことを思いついた。俺が代わるよ。俺の方が血統がいいし、暇だし、ザフィルは可愛いし。お前も軍の仕事が捗る」
「サフィルだ。名前もちゃんと言えない相手には託せない」
くっ、と、従兄弟が皮肉な笑いを浮かべる。
「むきになっちゃって。相当熱を上げてるなこりゃ」
「それはない」
「どうだか? 作戦って口実で美人の王子を手籠にしたいだけだろ?」
「純然たる作戦だよ」
「じゃあ俺でもいいし」
「いやアルス=ザレラの王族なら誰でも良いという訳ではない。イゼルアと国境を接する街の城主という地政学上の利点があるからこそ僕が自らこの作戦に身を捧げた訳だし」
「めちゃくちゃ早口だな」
揶揄われ、うっかり黙ってしまった。痛いところを突かれたと認めてしまったようなものだ。
「俺がイゼルアに婿に行ってもいいぜ」
「無理だ。あちらでは同性の婚姻が認められていない。逆に王族の権威が失墜し、余計な火種を増やすことになる」
「王女はいないのか?」
「いないし、弟王子はまだ未成年だ」
「うーん……王子を呼ぶのが正解だとしたら……」
「言っておくがサフィルを王都に連れて行くのも無理だからな。遠すぎて、南への牽制にならない。イゼルアの後ろ盾は、有事の際に間に合う位置に、目に見える形で存在しなければならないんだ」
この作戦は細部にわたり論理的に説明できる。
完璧な戦略だった。従兄弟に議論を吹っ掛けられたくらいでは、破綻することはない。
——理論上は。
「聞いてるだけだと完璧なんだけどなー、何だろうな、この作戦、失敗するような気がして仕方がないぜ。しかも内側から崩壊する」
「……根拠は?」
「分かってるはずだ。お前にだって人を愛する心はあるだろう?」
一瞬考えてから、ゆっくりと、ロイは頭を左右に振った。
「無いよ」
そんなものがあったら、こんな作戦を自ら立てたりしない。
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