第5話 招かれざる従兄弟

 国王のみ妃を複数持つことが認められているアルス=ザレラは、王族が多い。

 何人いるのかロイ本人も見当がつかないという。結婚祝いの量を思い出せば、従兄弟姉妹だけでも両手両足の指では数えきれないほどだろう。

 その中でフランクは、ロイと一番仲が良いとのこと。


 以前から、報せもなく突然やって来ることがあったという。

 城へ戻り客を迎える支度をしながら、ロイはサフィルに、予めフランクについての予備知識と注意事項を教えてくれた。

 国王の六番目の息子で、王位継承順位は四番目。どうして繰り上がっているのか問えば、彼の五人の兄のうち二人は第二妃の息子だからとの答え。


「そういうのが面倒臭くて、嫌なんだ」


 説明しながらロイはげんなりと溜息を吐いた。

 二番目の妃の息子は当然のように、正妃の産んだ息子より順位が低い。が、国王の弟の長子であるロイよりは高い。そういう、自分ではどうにもならない部分で格付けされることが嫌で仕方がなかった。

 眼を患ったことに引け目を感じ、余計に比べられたくないという意識が強まった。だから、都を離れて祖父母に預けられることに、何の不満もなかった。むしろ自ら望んでこの街へ来た。


 ロイは今、地方城主としての生活に満足しているように見える。残念ながら王都の方が、ロイを放っておいてはくれないようだが。


「すぐ追い返す。あいつが失礼なことを言っても、堪えて欲しい」

「心配するな。私はここに、人質になるつもりで来たんだ。何を言われたとしても、想像していた生活よりずっと良い」

「ずいぶん酷い未来を思い描いていたようだね。大丈夫だよ、君の尊厳は僕が守る」


 エルデグランツ城に来客が告げられた。

 その瞬間の、ロイの表情に、サフィルは息を呑む。


 背筋が寒くなるような、冷酷な表情。

 初対面の時の彼を恐ろしい、底が知れないと思ったが、あれさえ意識して人当たり良く取り繕っていたのだと分かる。

 これが本来のロイの姿なのだろうか。子供っぽくてやんちゃな印象の方が強くなっていたが、本来、自分の婚姻を躊躇いなく戦争の道具にする程度には薄情な奴なのだ。


「あいつ本当に気が利かないから、これから少し、嫌なことを聞かされると思うけど。僕の方を信じて」

「そう心掛ける」


 ただ少なくとも、ロイはサフィルを大切にしてくれている。

 例えそれが、戦略上重要な切り札だからという現実的な理由であったとしても。

 誰一人として味方のいない状況で、サフィルは、ロイを信じる以外の選択肢を持たなかった。


 祖国の平和のため。そして運河の安定のため。


「あいつに心を許してはいけないよ」

「私はお前の妃なんだろう? だったら、自力で引き留めろ」

「酷いことを言う。人としての魅力で僕があいつと勝負できる訳ないじゃないか」


 軽く傷付いたように唇を尖らせる表情は、いつもの、子供っぽいロイだった。


「早く追い返さないと。心配で胸が潰れそうだ」

「嘘だろ?」

「言ったよね、君には嘘をつかないって」


 いつになく賑やかなエルデグランツ城の玄関の間へ、二人はゆったりと会話をしながらおおらかに進む。ロイに急いでいる様子はなかった。

 アルス=ザレラの礼儀では、客人は待たせるものらしい。


「おお! 総帥閣下!」


 吹き抜けになっている玄関の間の大階段に差し掛かった時、その男は声を張り上げた。


「総帥? ……お前が?」

「あー、それについては、後で説明する」


 ロイは真面目な顔で頷き、そして困惑のあまり立ち止まるサフィルを残して階段を下りていく。


「ご無沙汰しております総帥閣下! この第六王子フランク、閣下のご結婚のお祝いを申し上げるべく」

「帰れよ。肩書きに用があるんなら、会う気はない」


 従兄弟が玄関の間の中央で芝居がかった調子で述べる口上を、ロイはにべもなく遮った。


「何だよ相変わらず冷たいなぁロイ。せっかく来てやったのに」


 へらりと相好を崩し、城主の従兄弟は態度を変えた。

 ロイは冷たい姿勢を崩さない。


「来いと言った覚えはないけどな」

「言われずとも来るのが親友ってもんだろう!」


 焦らすように大階段を下りるロイを、フランクは待ち構えていた。

 満面の笑みで。両腕を広げて。


 階段の途中で止まったまま、手すりに身を預けて、サフィルは興味深く二人の様子を見下ろす。

 同世代の従兄弟の、久しぶりの再会。フランクの方がロイを一方的に抱擁し、ロイはどう見ても嫌がっていた。


 なるほど『人としての魅力』、つまり外見は、フランクの方が上かも知れない。金褐色の髪に縁取られた端正な顔も、がっしりとした鍛えられた体格も。表情や声音、身振りから伝わってくる陽気な人柄も。

 ただ背丈だけはロイの方が勝っている。


「しかしまあ、お前に先を越されるとは思わなかったぜ」

「君は遊びすぎなんだよ。そろそろ一人を選んだらどうだ?」

「馬鹿言え。俺は親父みたいに妃を何人も持てないんだ、慎重に吟味するのは当然だろう」


 ロイが色男の持論に辟易としているのが分かる。

 暑苦しい従兄弟に絡まれ続けるロイが、だんだん可哀想になってきた。


 階段を下り、玄関の間の絨毯を踏む。

 と、聞こえないはずのその足音が届いたかのように、城主の従兄弟は注意をサフィルに向けた。


「……美しい」


 そしてサフィルを見つめ、うっとりと、気持ちの悪いことを言う。


「おい、早く紹介してくれよ」

「するまでもない。知っているだろう。サフィル——僕の妃だ」

「ザフィル!」


 快活な声ではあった。だが砂粒を撫でるような、ざらりとした、とてつもなく不快な音だった。


「初めましてザフィル。ロイに聞いていますかな? 従兄弟のゼークト公フランク、国王陛下の六番目の息子です。どうぞよろしく」


 駆け寄って来たフランクに熱烈に握手された。

 両手で力強く握り激しく振る、だけでは飽きたらず、抱きつかれそうになる。


 身をすくめるサフィルを、ロイがやんわりと、従兄弟の腕から奪い返した。


「サフィルは僕の妃だ。勝手に触れるな」


 いつもロイの傍にいると微かに感じる、爽やかな花の薫りがした。

 背の高い男の胸に抱き寄せられ、首筋に顔を埋めて、一番に意識したのが彼の香気。腰に回された腕でも、頭を撫でて慰めてくれる手でも、拗ねた子供のような不機嫌な声でもなく。


「大体、名前を間違えるなんて失礼にもほどがあるだろ」

「わざとじゃないんだ。こっちの方の発音が難しくて、うまく言えないだけで。気に障ったんなら謝るよ」

「謝って赦されることじゃない。ちゃんと練習しろ」


 サフィルを抱き寄せるロイの腕に、わずかに力がこもった。

 肩に頭を預けたまま、サフィルはその真意を考える。

 アルス=ザレラの発音でサフィルの名を口にしたフランクへの、不満の表現だろうか。

 優しく抱き寄せられ、あやすように髪を撫でられて、混乱する。愛情を偽装する意味が分からない。


「べた惚れだな。ロイ」

「うるさい」

「まあ分からなくもないぜ。そんだけの美人を手元に置けるなら、手を貸してやりたくもなる」


 フランクがにやにや笑っている。

 手を貸す、の言葉で確信した。彼は政略結婚を理解している方の親族。

 だが何か誤解している。まるでこの婚姻が、手段ではなく目的であったかのように。


 そう誘導することが、妃を演じて欲しいという言葉の真意なのだろうか?

 サフィルは腕をロイの背に回した。

 ロイはサフィルを愛しているふりをして、従兄弟までも欺く。サフィルにできるのは、ロイに愛されているふりをすることのみ。


 何も分からない。いつも困惑したまま、指示に従うだけ。

 ロイがサフィルに『べた惚れ』などしていないことは、サフィルは良く理解していた。今の特殊な状況を楽しんでいるに過ぎない。


 必要なのは戦争を回避すること。運河への侵攻を思い留まらせるべく、二国の仲の良さを南部大陸へ向けて訴えている。

 全ては打算であり、感情に起因する行為ではないのだ。


 そしてそれはサフィルも同じであり——

 いつかは終わる。祖国へ帰れる。そう信じている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る