第18話 夏の日。

 人という生き物は最も残酷な生き物だと思う。

 その残酷さを僕も少なからず味わってきた人間だからそう思う。


 人と動物の区切りとは一体なんなのか?

 僕には少なくとも人も動物も変わらないように思う。

 知性と理性という能力を獲得しているだけで、結局何も変わらない。


 人が理性を失って、或いは見失った時、それはもはや獣と大差ない。

 僕のような弱者はいじめようが苦しめようが、もしくはおとしめて嘲笑あざわらおうがそれが許されるとだと彼らは本気で思っている。

 まあ、大半はそんな深い事まで考えなしに痛め付けて楽しく下賎げせんな笑みを浮かべているだけだろうけども。


 人は自分よりも下の人間がいる事に安心したいのだ。

 だから踏み付けて興奮し、自分は他者より上の人間で、存在していていいのだと思いたいのだろう。


「……もう、昼か……」


 暴れて疲れて、それで眠れたのはせいぜい2時間。

 目覚めは最高に悪いと言えるだろう。


 結局なにも見つからなかった。

 あったのは河合さんのわずかな私物だけ。


 証拠らしい証拠は何も無い。

 けれど、疑念と疑惑は晴れたわけではない。

 しかしながら外は晴れている。

 とても皮肉だと思う。


 なんとなく部屋に居たくなくてリビングのソファに座った。

 締め切ったカーテンからでも眩しい光と暑さは鬱陶しいと感じた。


 だが、そのカーテンには影が写っていた。

 空き巣でも侵入しようとしているのだろうか?

 こんな昼間に。それこそ白昼堂々に。

 それとも猫か? いやそれにしてはやや大きい。

 だが大きい猫が庭先の縁側に座っていると考えれば納得出来なくもないような影だった。

 それにしては尻尾も耳もないけれど。


「……まさかな……」


 そんなことはないだろう。

 そうであるはずはないだろう。

 だってそんなことはないと盲目的に思っているのだから。


 だけど、確かめずにはいられなかった。

 心のどこかでそうであってほしいとも思ってしまっている自分がいた。


「…………ッ?! 河合さん?!」


 そこにいたのは河合さんだった。

 ガラス戸にもたれかかり、小さく体育座りをしている河合さんだった。


「か、河合さんッ?! 大丈夫……ですか……?」


 どうしてこんなところにいるのか、理解できなかった。

 動揺して頭が回らなかった。


 やや荒い息をして目を閉じていた河合さんがうっすらと目を開けた。

 額から流れる汗が彼女がどのくらいここにいたのかを物語っていた。

 セミの鳴く夏の日に、僕がしてしまった事を今更ながら察した。


「だ、大丈夫……ですか?」


 なんにも大丈夫なことはない。

 ショコランパジャマは汗ばみ身体に張り付いているほどの汗だった。

 膝を着いてただそれを問うしかできない自分の愚かさと脆さに嫌気が差した。


「……ごめんね……しょーくん……」


 辛そうに肩で息をしつつも河合さんは微笑んで僕にそう言った。

 どうして微笑んだのかわからなかった。

 謝るのは僕の方なのだ。

 河合さんが謝る必要性なんてどこにもなかった。


 河合さんの辛そうな表情に胸が痛かった。

 悪いのは全部僕なのだ。

 それでも、河合さんが僕の事を「しょーくん」と呼んだのがどこか懐かしいとわずかながら思ってしまった。


「た、立てますか?」

「ちょと……しんどい、かな」


 意識はある。

 やり取りも出来ている。

 幸いにもそこまで酷い状態ではないのかもしれない。


「とりあえず中に入って休みましょう」

「う、うん……」


 僕は河合さんを抱きかかえて僕の部屋に入れた。

 リビングでも良かったが、僕の部屋の方が冷房の効きは狭い分早い。

 汗ばむ河合さんの身体はしっとりと柔らかくてやはり熱かった。


「まず水分補給しましょう」

「うん。……ありがと……」


 冷蔵庫から持ってきたスポーツドリンクを河合さんに飲ませた。

 1口1口が辛そうで、それでも少しずつ飲む量は増えてきた。


 どうするのが最善だろうか?

 救急車は呼ぶべきか?

 動揺してしまっている。


「……汗でべとべとだ……あはは」

「笑ってる場合じゃないですよ……とりあえず着替えますか? 河合さんでも着れる服用意しますから」

「うん。……ありがとう。着替えはしたい、かな」


 目に付いた体操着をひとまず用意した。

 体操着なら汗も吸うし通気性も比較的いいだろう。

 河合さんも学校で着慣れている分、幾分かマシかもしれない。


「でも、着替える前に、ちょと体拭きたいな……」

「汗ふきシートなら持ってますから」

「うん。ありがと……」


 汗ふきシートを河合さんに手渡したが、1つ問題があった。

 ショコランパジャマは上下セパレートタイプのパジャマではなく、つなぎ型の一体型タイプのパジャマだった。


 フラついて立ち上がれない河合さんでは汗でぐっしょり濡れたパジャマを脱ぐのは一苦労するだろう。

 一体型のパジャマ故に汗ふきシートでは首元を拭くのが精々だ。


「ちょっと、脱ぐの手伝ってもらって、いいかな?」

「……は、はぃ……」


 機能性よりもデザイン重視のパジャマのため、着づらいし脱ぎづらい。

 胸元までしかないボタンを外した河合さんの谷間があらわになった。

 谷間の隙間には汗が吸い込まれていくように滑り落ちていったのが見えて、直視できなくなって横を向いた。


 緊急事態とはいえ、これは駄目なのではと考えたが、河合さんを助けるために社会的に死ぬならもうそれでもいい気がした。

 そうしてでも死ねれば河合さんに対しての贖罪しょくざいにはなるかもしれない。


「……ねぇ、しょーくん……」

「な、なんですか?」

「あたし、しょーくんになら少しくらい見られても……大丈夫だから」

「い、いや、そういう問題では、ないでしょ……」


 なるべく河合さんを見ないようしながら少しずつパジャマを脱がしていく。

 ピンクの可愛い下着姿の河合さんが視界の隅に写り込んでしまって、その度に動揺した。


 上はどうにか脱ぐことに成功し、下半身の部分を下から少しずつ引っ張って脱がす。

 女の子の着ている服を脱がすという背徳感と、その背徳感を感じてしまっている事に恥じた。


 そうして下着姿となってしまった河合さんは弱々しく僕のベッドに座り直した。


「……今日、勝負下着……なんだよ」

「……そう、なんですか……」


 感想なんてなにも浮かばなかった。

 気の利いた言葉のひとつも出てこなかったし、それを言ってしまった先に万が一でもあるような可能性が怖かった。


「しょーくん」

「は、はい」

「背中、拭いて欲しい……な」


 僕に背中を向けた河合さんの女の子らしいカラダのラインはとても艶めかしかった。


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