第17話 蟻と人間様。

 静かな朝だった。

 故に河合さんのその告白は木霊こだまし、僕の中には嫌悪感が広がった。


 夢から冷めていくような急激な現実感。

 反芻はんすうする記憶に恐怖すら抱いている。


「そんなわけないでしょう」


 そんなはずはない。

 河合さんは陽キャで、明るくて可愛いしクラスでも人気者の部類の人種。


 眠ってしまっていた間に家の中に隠しカメラでも仕込まれたか。

 こうやって僕が河合さんから告白されて動揺し舞い上がる姿でも撮って笑い者にでもしようとしているのだろう。


 河合さんが何かを言っているが、今の僕には周りの違和感を確認するので精一杯だった。

 観葉植物の影、棚の上や物と物の隙間、ソファの隙間にボイスレコーダーが仕込まれていないかすら探した。


「なに、してるの?」

「もう晒し者にされるのはごめんだ。河合さんも今すぐ出てってくれ」

「な、なんで……?」

「いいから出てってくれ」


 どこかにあるはずだ。

 そもそも河合さんみたいな人が僕なんかの家に泊まりに来る方がおかしいんだ。

 じゃなきゃおかしい。


 そもそも襲われるリスクだってあるんだ。

 なのにそのリスクがあってもなお泊まりに来るという事は、そうなっても対処できるだけの算段があるからそうしていたはずで。


 となると協力者だってすぐ側にいるか、あるいは家の近くにいるはずだ。


「早く出てってくれよ」

「……あたしはッ」

「いいから出てけ!!」


 河合さんの手を掴んで無理やり家から追い出した。

 鍵を掛けて家中の出入口、及び窓なども全て鍵を閉めた。


 学校でそういうことをされた事はあるが、家の中という自分のテリトリーでされるのは初めてだ。

 自分がいかに迂闊うかつだったかを思い知らされた。


 人を一瞬でも信じた自分が馬鹿だった。

 片想いなんていう夢すら僕は見てはいけないのだ。

 今もこうやって付け込まれているのだから。


「クソが……クソが……クソがっ!!」


 もうこれ以上思い出したくない。

 あいつらはヘラヘラと笑いながらこうやって僕をからかい弄ぶ。

 そうして奴らはその後何事も無かったかのように平然と飯を食って雑談でも始める。


 生きている次元が違うとはよく言うが、実際にそうなのだと思う。

 人が蟻を踏み潰して歩くのに、いちいち可哀想だなんて思わない。むしろ認識すらしない。


 陽キャと陰キャには決定的な差がある。

 陽キャは人間様で、僕のような陰キャは蟻なのだ。

 彼らの歩く道に存在している蟻は踏み潰されても、それで悪いとされるのは僕ら蟻である。


「……見つからない……じゃあどこに……」


 リビングでは見つからなかった。

 じゃあ僕の部屋か?

 河合さんならいくらでも仕掛ける事はできただろう。

 最も僕の部屋に入り浸っていた人物なのだから可能なはずだ。


 そんな事を考え出して部屋に向かおうとして込み上げてくる吐き気に耐えられずトイレで吐いた。

 さっきまで食べていたはずの朝食が異物としてせり上がってきて喉を焼いた。

 目には涙が溜まって吐き出した異物たちでさえ見えない。

 途中からは胃の中も空っぽになって、それでも吐き気は止まらないから胃液だけが口から垂れ流されていく。


 便器を抱え込み、みっともなくひたすらに吐く自分を客観視して虚しくなる。

 惨めだと思う。

 しかしこうするしかないわけで、僕が今縋れるのは哀れにも便器だけだった。


「……ははっ……笑えよクソが……」


 蟻のくせに夢なんて見てしまった僕を笑えよ。

 笑いたかったんだろう。

 惨めにうずくまる僕を見て嘲笑いたかったんだろう。


「……探さなきゃ……」


 胃液で汚れた口元をぬぐってよろめきながらも立ち上がった。

 踏み出す一歩がきつかった。


 夢を見るな。

 希望を持つな。

 期待するな。


 何度も僕はそう自分にいましめてきたはずだった。

 それなのにこうなった。

 こうなる事がわかってた。なのにこうなった。


「……ほんとに、僕は救えない奴だな……」


 学べよ。

 これ以上傷付きたくないからそうしてたのに。

 またこうなっているではないか。


「隠しカメラを仕込むとしたら、どこだ……」


 顎から垂れる拭き損じた胃液が床を汚しているのもどうでもよかった。

 とにかくめぼしい場所を探してひたすら掻き回していく。

 さながら泥棒か空き巣の如く物をなぎ倒して荒らしていく。


 一時いっときの夢を無かった事にしようとするように、河合さんと過ごした時間を忘れたかった。

 騙されていたのだという事実さえ消したかった。


「……ない、はずはない、んだ……」


 疲れきって、部屋に居たくなくて、それでも仕方がないから押し入れで丸まって息を整えた。

 光が怖い。

 明るい所が怖い。


 暗くてじめじめしているところが僕にはお似合いだと思い出した。


 体育座りのまま押し入れの壁にもたれかかって、目を閉じるとそのまま眠ってしまった。

 このまま眠ったまま死ねたらいい。そう願った。


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