第16話 河合さんのお泊まり③

 夜食も食べ終えて僕らはゲームに戻った。

 それはとてもだらしなく寝っ転がりながら、或いはもたれかかりながら。


「まだ出ない〜」


 正直もう眠かった。

 厳選なんて退屈な作業を夜更かししてなんてやるもんじゃないのだ。本来は。

 退屈なうえに眠い、これはまたある種の地獄と言っていい。


 じゃあやるなよと言われるとぐうの音も出ないのだが、それでも僕らはロマンを求めて探し続けるのである。

 がしかし。


「ねむい」


 僕はうつ伏せのまま力なくゲームを辛うじて持っているだけで、枕に顔を埋めた。

 途端に襲い来る睡魔は心地よく意識が泥のように溶けていくのがわかる。


「オタ君っ! 起きて!! 死んじゃうよ?!」

「……雪山じゃないんで、すから」


 椅子に座っていた河合さんが僕の寝ているベッドに乗り込み肩を揺さぶった。

 その揺さぶりも揺籠ゆりかごの如く眠気を加速させるだけだった。


「……河合さんは、元気ですね……」

「オタ君ちょーおねむじゃん!!」


 考えてみれば、僕が力尽きて眠れば間違いが起こって河合さんを襲うような事もないわけで、あくまで河合さんは夜通し追加コンテンツをプレイするためにWiFiを借りに来ているだけだ。


 そこまで付き合う必要だってそもそもないのだ。


「厳選の旅の次に、僕は夢の旅に出るんだ……」

「眠る気満々だし!」


 戯言ざれごともスラスラ出てくるほどの眠気。

 脳みそが動かなくとも口は勝手に喋るのだな。


 ぐったりとしている僕は河合さんに両肩を掴まれて仰向けにさせられた。

 部屋の明かりが眩しい。しかしそれでも眠い。


「起きないとイタズラするよ?!」

「俺のしかばねを、超えて行け……」

「1人で起きとくのは嫌なの!」


 そう言って河合さんはひたすらに僕を揺さぶり「起きてよ〜起きてよ〜」と駄々を捏ねる。

 今の僕にはそれすら子守唄のようだ。


「僕はもう、疲れたよパト○ッシュ……」

「あたしはパト○ッシュでもないから!」


 目を閉じてそんなボケをかましたからか、河合さんが僕の腹部に乗っかってきた。


「ぐはッ」

「起きて!」

「……僕には朝に馬乗りになって起こしに来てくれる可愛い妹なんていないぞ……」

「今夜だから!」


 そんな妹が実在するなら俺は神様だって実在はずである。

 だが目の前で馬乗りになっているのは妹ではなく河合さんである。

 なんだ、神様じゃなくて女神様だったか。


「べつに僕は寝てても、よくないですか? ねむい」


 もしも僕と河合さんが付き合い始めてて、そして今夜が初めてのお泊まりだとかであればを河合さんが期待していたという仮説は成り立つだろう。


 けれどもそれをどこか期待していたのは僕であり、僕だけである。

 だから僕が眠り落ちれば何事もないだろうし、河合さんだって安心して夜更かししてゲームができるだろう。


「1人は寂しいじゃん……」

「……おやすみなさい……」


 期待するな。

 希望を持つな。


 それが唯一僕が平穏に暮らせる方法だ。


 そうして河合さんの声も聞こえなくなった。



 ☆☆☆




「……んん……」


 カーテンの隙間から朝日が僅かに差していた。

 夜更かしをしたせいか、寝起きはずいぶんと不快だった。

 未だ寝ぼけた頭で天井を眺めていた。


「…………ん?」


 なんかベッドが狭いなぁと思って横を見ると河合さんが寝てた。


「………………?!」


 一瞬理解が追いつかなかった。

 なぜ隣に河合さんが寝てる?!

 僕はなんかやらかしたのか?!


 い、いや待て、冷静になろう。

 そもそもお酒とか飲んで酔っ払って〜みたいなことではないはずだ。

 まずもってお酒なんて飲めないし冷蔵庫にだってない。


 なので僕がうっかり手を出しちゃったってことはないだろう。

 河合さんのショコランパジャマも乱れているわけでないし、河合さんは手にズイッチを手に持ったまま眠っている。


 なのでゲームしてて寝落ちたのだろう。

 よかった。知らないうちにヤってしまったのかと思った。

 知らんうちに童貞卒業とか嫌だからな。


「……それにしても、寝顔可愛いな……」


 こうしてまじまじを見ると、どこか幼げな寝顔だ。

 普段のギャルとしての河合さんとはまた違う感じとでも言うべきか。

 まつ毛も長くて整った顔立ちだと改めてわかる。


「……朝飯でも作るか……」


 このまま河合さんの寝顔を見ていると変な気でも起こしてしまいそうだった。


 だから僕は顔を洗って自分自身をいましめた。


「あー……ねむい」


 顔を洗ってもなお眠い。

 だがあのまま部屋にも居られない。


 僕が平穏に生きていく為には、他人よりも強い自制心が必要だ。

 もしかしたら人はそれを臆病おくびょうだとわらう。


 でも、僕みたいな人間はそうしないと生きてはいけないのだ。

 幸せなんて求めてはいけない。

 そうして初めて人権を得られるのだ。


「とりあえずベーコンと、卵。あとはインスタントの味噌汁と米だな」


 朝は1人で食べる事が多いが、今日は河合さんもいるのでとりあえず2人分。


 米を研いで早炊をセットし、ケトルで湯を沸かしてフライパンを温めながら食材を取り出す。

 河合さんは僕よりも夜更かしをしていただろうから、すぐには起きてこないかもしれないが、ベーコンと目玉焼きなら冷めてても美味しいし大丈夫だろう。


「腹減った」


 ベーコンの焼ける匂いが空きっ腹の朝に響く。

 ベーコンから出る脂でそのまま卵を割って入れて水を少しだけ入れてあとは蓋をして弱火。

 我が家は代々目玉焼きは半熟派である。


「オタ君……おはよ……」

「おはようございます。河合さん」


 相当眠たいらしく未だ目を擦ってよちよち歩きなままリビングに来た河合さん。

 ショコランパジャマもあいまってより幼げに見えて萌えた。可愛いなおい。


「今朝ごはん作ってますから、座って待ってて下さい」

「ん」


 普段は活発な河合さんでも、朝は元々弱いのだろう。

 椅子に座ってうつらうつらしている姿は愛らしい。


「河合さんは紅茶か珈琲、どっちがいいですか?」

「……オタ君と同じのがいい」

「では珈琲ですね」


 珈琲ミルで豆を2人分挽いてセットして電気ケトルのお湯を淹れる。

 本当は電気ケトルではなくて専用のポッドがいいのだが、生憎とうちにはないので仕方がない。

 珈琲を落としている間に珈琲カップを2つ用意して1度カップの中にお湯を入れ、カップが温まったらお湯を捨てて中を拭いて珈琲を注ぐ。


 丁度炊き上がった米をお茶碗に入れて皿にベーコンと目玉焼きを乗せ、あとはマグカップにインスタント味噌汁で完成。


「美味しそー……じゅるり」

「河合さん、よだれ出てますよ」

「食べてもいい?」

「ええ、どうぞ」


 ふたりで手を合わせて頂きますをして朝食。

 ベーコンの塩気が目玉焼きにしっかりと染み込んでいて何も付けなくても美味い。


「美味いっ!」

「ベーコンは誰が調理しても美味いですからね」


 インスタントとはいえ、味噌汁あると落ち着くよな。

 なんかほっとする。

 夏でもやはり味噌汁は外せない。


「なんかさ、こういうのいいよね」

「そうですね」

「憧れてたんだよね。こういう静かな朝ご飯」

「僕はいつもこうですけどね」


 両親はいつも朝遅いし、朝ご飯もだいたい1人だからな。いつも静かだ。


「そうじゃなくて、こうしてふたりで居られる朝がなんか新婚夫婦の朝って感じしない?」

「……よくはわかりませんけど、僕で申し訳ないですね」

「そんなこと、言わないでよ……」


 ご飯を咀嚼していて、不意に河合さんを見ると凄く悲しそうな顔をしていた。

 その表情の意味がわからなかった。


「あたし、オタ君の事……好きだよ」


 静かな朝に、河合さんはそう言った。

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