銀の匙

痴🍋れもん

銀の匙

 小学校の近くにただ「おばちゃんの店」とみんなが呼んでいた駄菓子屋があった。学校帰りに友達と寄り道しては、イチゴの匂いする消しゴムやテレにアニメのキャラクターのノートなどを買うついでに100円でもお釣りがもらえる程の駄菓子を買い食いしていた。母は栄養もなく材料に何を使っているかはっきりしない駄菓子を嫌っておやつにクッキーやホットケーキを作ってくれたが、友人たちと一緒にギラギラした色の飴やスナック菓子を買っては隠れて食べていた。それは、ただ甘いだけのお菓子だったが、親に内緒ということも、友達と買い食いをするということも、お菓子の味にわくわくするフレーバーを加えた。 その店は文房具や駄菓子のほかにも、安価な玩具も置いていた。男の子にはビー玉やメンコ、それに当時はやっていた怪獣のおもちゃ、女の子にはプラスティックでできた綺麗な色の髪留めやゴムで繋いだブレスレットなどが人気があった。そして女子の間では仲良しグループで同じアクセサリーをつけるのが流行っていた。萌香も当時いつも一緒にいた二人の友だちと色違いで買ってはお揃いで着けていた。 その日は、三人で髪を伸ばし始めて一番短かった裕ちゃんがやっと括れる長さまで伸びた日で放課後を待ちかねたように三人そろって「おばちゃんの店」に髪を括るゴムを買いに行った。前から三人で決めていたものがあった。透明のプラスティックの中にビーズが入っていて、動くたびにキラキラする飾りのついたゴムで何色かそろっていた。三人でそれぞれいつも買う色も決まっていて萌香はいつもオレンジを買った。だがその日萌香がそのゴムを手に取る少し前にオレンジのゴムが一つ売れた。買ったのは隣のクラスの背の高いちょっと目立つ娘だった。別にそれだけのことだったのだけれど、急にそのオレンジが色褪せたように感じた。


「どうしたの、萌ちゃんそれ赤だよ。」


オレンジ色のゴムの隣にあった赤い色のゴムを手に取った萌香は


「今日はこれがいい。」


風船がしぼむように気持ちが萎えていった。


 その日からその娘が嫌いになった。何故その娘だけ嫌だったんだろう。他の娘が同じものを身に着けても全く気にならなかったのに、その娘だけは嫌だったのだ。そして、たぶん初めて理由もなく人を嫌いになった。嫌いの理由を探すことは自己正当化するためによくするが、その娘とは話したこともなく、同じものを選んだこと以外何も接点がなかった。そう言えばどんな声をしているかも知らない。そして、嫌いな人が出来るとその事が日常に黒い滲みを作った。


 近頃、ふとした時に鬱々として見える娘を案じた母がそれとなく聞くので、そのことを母に言うと母は「仲良くしなさい。」とも言わなければ、友人を嫌う萌香を叱ることもしなかった。ただ、


「全ての人を好きになり、全ての人とうまくやれるという人は嘘つきか、神様しかいないと思うの。だから萌香が誰かを嫌うのは萌香の権利でもあるけれどそれをその相手に知らせる権利は萌香にはないのよ。それは暴力といっしょだから、嫌ってもいいけど心の中で静かに嫌いなさい。」


そう言って萌香を抱きしめると、


「人を嫌う自分を嫌いにならなくてもいいの。」


呟きながら、背中をさすってくれた。


「でもね、萌香、嫌いなものが増えると萌香の世界が狭くなっちゃうから気を付けてね。好きなものが多いほど楽しいじゃない。」


そう言って、母の好きなケビンコスナーが映画の中でしていたように、鼻と鼻をこすり合わせるエスキモーのキスをしてくれた。母は小さなころから萌香がぐずるといつも抱きしめて鼻キスをしてくれた。


 嫌いだという感情はどうして生まれるのだろう。見た瞬間、どうしても受け入れがたいと考えてしまうものがある。ただ大人になった萌香は思う。「嫌い」という感情は心を氷のように凍らせる。でも、それは受け入れるべき感情だった。ただ、そのことに飲み込まれなければそれでいいのだ。そうして過ごしていると「嫌い」はいつの間にか「無関心」に形を変えて消えてなくなる。春の湖の氷のように。


 誕生祝いに祖父母の用意した銀の匙は今も実家のどこかに飾ってある。それは最初に与えられた銀の匙。叱られながら、褒められながら形を変えたいくつもの銀の匙が私を作っていく。多分これからもずっと。


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銀の匙 痴🍋れもん @si-limone

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