黒衣の戦士

 先に異変に気付いたのはテトラだった。


「魔物の反応がない?」


 彼女がいち早く異変を察知していた。


 この先には間違いなく、十一階層へ続く道があるはずだった。


 にもかかわらず、迷宮師としての彼女が持つ知覚技能に凶悪な門番の反応がない。


 門番は階層ごとに設置された特別領域に存在し、入ってしまったら最後、門番を討伐することでしか解放されない上に、外からの干渉を一切受けないようにできている。


 テトラの知識では、この先に門番たる異形、オーガがいるはずであった。


「それってどういうこと? 別のパーティーが先にやっちゃったってこと?」


 ミシャルナが言う。


「いやそれはないだろう。我の先を行くパーティーなどありはしない。迷宮師殿の間違いか、それともなにかよからぬことが起きたのではないか?」


 サイドウが厳しい表情でテトラを見た。


「こんな事今までないよ……でも、オーガはおろか周辺の魔物の反応がほとんど消えてる」


「待て、テトラのおかげでぼくたちはこれまでやってきた。それが間違っていることはないはずだ。サイドウの言う通り、何か異変が起こっているかもしれない。仮に、別のパーティーがいるとすれば、一体ぼくたちのほかに誰がここまで来れるって言うんだ……?」


 アレスタが言う。彼には珍しく困惑の表情が浮かんでいる。


「どうする? いったん休憩所に戻って考えてみる? まあでも、そんなことやってる間に別のパーティーに先を越されても困るけどね」


 ミシャルナは不満気に提案する。


「とにかく先に進むべきだ。異変が起きたにしろ、前に別のパーティーがいるにしろ、どのような事態が起きたのか確かめなければわからん」


 サイドウが続く、しかし、テトラはおびえたような声で、


「あたしは嫌な予感がする。ここはもっと慎重になった方が良いと思う」


 と言った。


 三人がそれぞれの意見を言い、アレスタの決断を待つ。アレスタはしばらく考え込んだ後、


「よし、行ってみよう。ただ、油断はしない。何か異変があれば、すぐに引き返せるよう、準備を整えてから行くんだ。これでどうだい?」


 と仲間に意見を求めた。


「ま、考えても仕方のないことだしね」


「うむ。私もそう思う」


「あんたらがそう言うなら……」


 これで四人の行動が決定した。


 だが、アレスタにも不安はあった。


 ダンジョンは人の想像を超える力によって動いていたが、これまでにその厳密なルールが破られたことはない。魔物の出現方法、討伐時の魔石の発生、消滅までの流れすべてが明確に決まっており、一度たりとも例外はなかった。


 もちろん、下層に行く際に、門番として強力な魔物が現れることも厳密なルールのひとつだった。それが、何らかの理由で上手く作動していない。


 通常ではあり得ない異変が明らかに発生していた。


 だが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。ダンジョンの踏破は、皆の目標であり、彼らの団結にも関わることだったからだ。


 皆の目標はアレスタにとっても悲願だった。


 父の夢の先を見るということのほかに、王都で名誉を受け、自分の名が故郷の村、そしてバルトに届くことを願っていた。彼は村の人間やバルトに自分の力を見せつけたいわけではない。ただ、自分がここにあるということを伝えたかった。


 門番の居る領域に至る巨大な扉の前で、アレスタは立ち止まり、続く三人も止まった。


「サイドウ、防壁を頼む。ミシャルナ、紋章術の準備を」


「おう」


 サイドウが両腕を広げ、拳の鉄塊が現れる。


「ええ」


 ミシャルナの皮膚の紋章が淡く光る。


「テトラは周囲の状況の把握に努めてくれ」


「わかったよ」


 テトラは敵の攻撃に備え、小さな宝石のようなものを握りしめる。


 魔結晶と呼ばれるそれは、魔石を加工した際に発生した端材や削りカスを利用したもので、自身の意志を込めることで特定の現象を発生させることができる宝石となる。


 魔石の結晶化は迷宮師にのみ伝えられている技術であり、ダンジョン探索でなくてはならないものとされている。


 アレスタは大きく息を吸って、通路から慎重に進み出た。


 予想通り、そこにオーガはいなかった。


 代わりに居たのは、黒い鎧に身を包んだ人間だった。その鎧には傷だらけで、複数個所が崩れていた。


「誰だ!!」


 サイドウが問う。


 黒い鎧は返事をしなかった。無言で剣を抜き、四人に向かって歩を進める。


「なによあいつ!!」


「あたしたちとは別にパーティーが? でも一人って……」


 ミシャルナとテトラがうろたえる。


「二人とも落ち着け、こちらに来るぞ!!」


 サイドウが声を上げる。


 鎧は剣を振り上げ、ゆっくりと近づいてくる。その歩き方に、アレスタは違和感を覚えた。この動き、どこかで……


「待て……そんな……まさか」


 アレスタは声を押し殺したように言う。なにか、なにかが心に引っかかっていた。だがその心の動揺はほかの三人には伝わらない。彼の戸惑いはは状況をさらに悪化させた。


「アレスタ! 行くよ!」


 ミシャルナが紋章術により、速攻の炎を巻き起こす。炎の渦が鎧に襲い掛かる。彼女の体に刻まれた紋章なかでも高威力の術だ。だが鎧は静かに立ち止まり、構えると、横なぎに剣を振った。


 恐るべき風圧により炎が掻き消える。


「そんな……」


「うろたえるな!! 私が前に出る!!」


 神の加護を両手に纏い、サイドウが前に進み出る。黒い鎧は剣を鞘に戻し、左右に揺れるように彼に近づく。


「サイドウ! 待て!」


 アレスタの言葉は届かない。


 先に動いたのはサイドウだった。鎧に向かって鉄の拳を放つ。身体強化された彼の動きは、容易に捉えることができないほどの速さであったが、その拳は鎧の男の手のひらで軽く止められた。


「なっ……!」


 鎧は深く腰を落としながら拳を強く握りしめる。


 その動きを、アレスタのパーティーの誰もが認識できなかった。


 拳が、サイドウの顔に叩き込まれる。


「ぐああ!!」


 サイドウの巨体が吹き飛ばされ、壁にたたきつけられる。


「アレスタ!! ミシャルナ! やるしかないよ!!」


 テトラは魔結晶を取り出し、アレスタに向かって投げる。


 魔結晶は、光や煙幕を発生させることで魔物目をくらませることのほかに対象の能力や術式性能を向上させることができる。結晶がアレスタの頭上で砕け、身体強化と同等の効果が与えられた。


 アレスタは戸惑いが抜けきらないまま、剣を抜き黒い鎧に向かって走り出す。


「いったい何者なんだ……」


「なめるんじゃないよ!!」


 アレスタが駈け出すのと同時に、ミシャルナの放った無数の炎の矢が男に殺到する。


 そこで、アレスタはようやく自分を取り戻す。敵はあいつだ。何かの異変を起こしたとしたらやつに違いない。だが、どうして、これほどまでに気が進まないのだろう……


 炎の矢を追うように、強化された身体能力で鎧の男にとびかかる。


「はああ!!」


 鎧の男は、気合を入れると、サイドウを殴った拳を振り上げ、炎の矢を払いのける。


 そして、飛び出してきたアレスタの剣を手で受け止めた。


「お前は!?」


 アレスタに驚愕の表情が浮かぶ。


「やはり邪魔だな」


 鎧からした男の声をアレスタは確かに聞いた。その声は間違いなく聞いたことのあるものだった。鎧の男はアレスタの動揺の隙を見逃さなかった。


 剣を受け止めながら男はアレスタを蹴飛ばした。後方に飛ばされうめくアレスタ。その間に、男はミシャルナへ標的を変えた。


「あんたが何なのか知らないけど、これをくらったら無事で済まないでしょ!!」


 ミシャルナの頭上には、巨大な炎の球が浮かんでいた。


 彼女の後ろでは、テトラが結晶による魔力補助を展開している。ミシャルナの最上級紋章術にテトラの持つ結晶の力を加える。これがアレスタのパーティーの最大火力だった。この組み合わせにより、彼らはこれまでの階層を乗り越えてきた。


「食らいなさいよ!」


 巨大な火球が、黒い鎧に向かって降りてくる。男は避ける気もないのか、その場を動かなかった。


 火球が地面に激突する。


 爆発が巻き起こり、周囲を暴風が襲った。


「なによそれ……」


 ミシャルナのつぶやきが爆発の余波で掻き消える。


 焼け焦げた地面に一人、鎧の男が立っていた。体から煙を上げながら、ゆっくりと動き出す。


「そんな……グリフォンでさえ倒したとっておきなのに!!」


 ミシャルナはその場で固まったように動かず、近づく鎧の男を怯えた目で見つめていた。


「おれはもう全身が痛くて、体がどうなっているかもうわからないんだ」


 鎧の男が身をかがめたと思うと、一瞬でミシャルナの前に現れる。


「いやあああああ!!」


 ミシャルナは叫ぶことしかできなかった。


「すまない。しばらく寝ていてくれ」


 男は背後に回り、首に手をかける。ミシャルナはまもなく失神し、その場に崩れ落ちた。


「さて」


 壁に激突したサイドウも倒れ、残るはテトラとアレスタだけになっていた。だが、このような状況であっても、気丈なテトラは鎧の男をにらみつけ、両手には大量の魔結晶を掴んでいた。


「なるほど。たしかにおれは全力のあいつが見たい」


 鎧の男は頷き、テトラ向かって歩を進める。


「アレスタ! 後は頼んだ!!」


 テトラは叫び、魔結晶を展開する。


 宙に浮いた魔結晶が展開し、アレスタの周囲を舞う。結晶に込められた力がすべて彼に注がれていた。


 役割を終えた結晶は地に落ち、乾いた音を立てた。


 次の瞬間、男の腕がテトラの首に触れ、彼女を気絶させた。

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