苛烈な戦闘
もはやバルトは、自分が何階層に居るのかわからなくなっていた。
ただ、深く潜っていることだけはわかる。
知性を持つ人型の魔物が増え、腕力だけでは突破できないことが増えていた。
人型と言っても、言葉を話すわけではない。
伝説では、王都成立以前に魔王という存在が居た時代には人に勝る知性と力を併せ持つ魔物が跋扈していたとの記録が残されているが、ダンジョン内部の人型は言葉を持たず、侵入した冒険者を襲うためだけにその知能を使う。
その人型が、彼の前に立ちはだかっていた。
ハーピィと呼ばれる女性の体に翼とかぎ爪をもつ怪物だった。
ハーピィは言葉を持たない代わりに高い高音で冒険者を惑わす。名前すら知らないバルトはこれまで通り剣一本で相手に向かて突き進む。
だが、正面突破できるほど甘くはなかった。
高速で彼に向ってかぎ爪を繰り出すハーピィの攻撃を剣で受け止めると、相手の表情が変わった。眉間にしわを寄せた魔物は、バルトを警戒に値する相手だと判断したようだった。
ハーピィは距離を取り、作戦を変えた。
大きく息を吸い込み、バルトが相手の出方を伺おうと構えると、ハーピィは周囲を震わす高音発した。
爆音がバルトを襲う。なすすべもなくバルトの鼓膜は破れ、音が脳を揺らす。
ひるんだバルトに容赦のないかぎ爪が振り下ろされる。
バルトは転がりながらかろうじてハーピィの一撃を交わし、立ち上がりながら剣を振る。しかし高速で飛ぶハーピィにその一撃は届かない。
彼の精神に動揺が走る。頭は痛み、回復薬を飲む余裕もない。
「やるじゃないか」
だが彼は、すぐに冷静となり、その場で剣を構えて、目をつぶった。
相手がこちらを狙っていることは間違いない。
ならば――
ハーピィが高音を発しながらバルトを強襲する。
バルトはハーピィが接近する方向を鋭敏な感覚だけでとらえ、かぎ爪の一撃を剣で受け止める。
ガキッ!!
強靭な爪が剣を捉える音がする。
バルトが目を開けた。
キィィィィ!!
ハーピィの高音が近距離でバルトの脳を揺らす。
バルトは耳と目から血を流しながら、ハーピィの足を掴む。
「捕まえた」
バルトは渾身の力でハーピィを地面にたたきつける。その力の大きさから魔物は地面が破壊され、体が埋まる。
次の瞬間、緩んだかぎ爪から剣を引き抜いたバルトは、ハーピィの喉元に剣を突き刺した。
魔物は声もなく力尽き、羽がちり、体が地面に溶けていく。
「はあ!!」
バルトは目をあけ、そして、その場に崩れ落ちた。
袋から回復薬を取り出して、がぶ飲みをする。耳の痛みが薄らぎ、鼓膜が再生していくことがわかる。
袋は当初の膨らんでいた状態から姿を変え、中身の大半が消えてしまっていた。
「今のは危なかった」
頭痛は消えていない。
鼓膜は回復薬により治ったものの、目や耳から流れ落ちた血が、兜のなかを伝っている。
バルトは立ち上がる。
こんなところで立ち止まっている暇はなかった。
彼は瓶を投げ捨てて、再び歩き始めた。
回復薬を飲み、痛みを止め、復活するたびに、痛みは増えている。
それでも、止まることはできなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
次から次へと強力な魔物と戦ったことで、彼の膂力と感覚はさらに強化されていた。
魔物の動きは止まって見え、数回攻撃をかわしただけで、相手の力量と弱点を推し量ることが可能になっていた。
ハーピィのような特殊な攻撃方法以外で、彼は依然として無傷のままだ。
歴史的に見ても、このダンジョンに単独でたどり着けたのは彼をおいて他にはいないが、彼にはそのことについて喜ぶことはもとより、気づくことはなかった。
「なあ、おれはここに来てよかったんだろうか」
バルトは遠くに向かって話しかける。
彼の前には幻覚が浮かんでいる。
若き日のアレスタだった。
「当然だよ。そのために走ってきたのだろう?」
「ああそうさ。おれはお前を倒すために走り続けてきた」
研ぎ澄まされていく頭に反して、彼は精神に異常をきたしていた。
だが、彼を止める者は誰もいない。
止める者がいるとしたら、それはアレスタ本人に相違ないからだ。
「ぼくに会ったらどうするつもりだい?」
「会ったらって、お前はそこに……いや、そうだな。昔話なんていう、普通のやつらがやるようなことはやりたくない。おれはお前との決着をつけたいんだ」
「ってことは戦うってことかい?」
「……どうだろう? 果たしてそんなことに意味があるかどうかわからないが、ほかにどちらが冒険者として上なのか決着をつける方法が思いつかない」
「だったら、戦うしかないかもね」
「そうだな」
バルトは兜の下で笑顔を浮かべる。
「お前が言うんなら望むところだ。しかしおれは強いぞ。お前と違って、仲間なしでダンジョンを登ってる」
「ぼくだって負けないよ。それに、ぼくには仲間がいるからね」
「それはずるい」
「君だってずるをしているじゃないか」
バルトは一人で笑う。
遠くに浮かんでいるアレスタの幻影も笑っていた。
そこに、音もなく壁から染み出してくる暗闇があった。
不定形の魔物、ファントムだ。
「また出たよ。なあ、階層ごとに魔物が強くなるのは良いんだが、そのうえ出現頻度が高いってのはどうにかならんもんかね。めんどくさくてしょうがねえ」
バルトはいかにも面倒くさそうに剣を抜き、襲い掛かる魔物を切り裂く。
だが、その攻撃は空を切る。
実態を持たないファントムは、あらゆる物理的な攻撃を無効化する。魔力を付与していない彼の剣では捉えることはできなかった。
「めんどくせえ」
バルトは数歩後ろに下がりながら、剣を振るが、何の手ごたえもなかった。
思考が薄れても、体が勝手に動く。
バルトは袋の中から残り少ない回復薬を取り出し、剣にかけた。
薬に施されている加護が液体が流れ落ちるわずかな時間のみ定着する。
その一瞬を、バルトは逃さなかった。彼の剣先は実体のない魔物を捉え、いくつもの破片に分割される。
「もったいねえなあ」
ファントムが消えていく姿を見ずに、彼は歩き出した。
袋から取り出した加護の施された薬草を口の中に押し込み、歯ですり潰す。
「なあ、薬草ってまずくねえか? 冒険者がこれだけ増えたんだから、もっと飲みやすくするべきだろ」
バルトが言うと、すぐに幻影が遠くに現れる。
「でもなあ、回復薬のように加工する手間をかけていないからこそ安いってのもあるし」
「そりゃあそうか。でも、これしか売ってなかったんだよな」
「君は一度に買いすぎなんだよ」
「ま、そうだよな。一度にあんな量買う客居ないよな」
バルトはたった一人でダンジョン内部を進む。彼の力は限界まで高められ、同時に、精神への負担も限界まで高まっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
さらに先を進むと、次の階層に向かう際には必ず現れる、大きな広間のような空間に出た。
「いよいよ門番か」
もはやそこに何の感情もなかった。
バルトにとっては、アレスタの幻影との会話が途切れるということでしかなかった。
広間の中心に壁から染み出た闇が集まり、巨大な黒い塊となる。
とてつもない大きさの闇が、次第に形を取り始める。
次の瞬間現れたのは、バルトの身長の十倍ほどもあるオーガであった。
大樹のような腕、足を持ち、異形の王とも称されるその姿を前にしても、バルトの態度は変わらなかった。
「毎回この間はなんなんだ。来ると分かってるなら出迎えてくれよ」
などと呟く。
だが軽口をたたく余裕を見せる一方で、彼の表情は苦悶に歪んでいた。
今では体中に痛みが走り、どこが痛いのかすらも特定できない。彼は残り少ない回復薬を口に含み、空に近い袋を放り投げる。
オーガはバルトの姿を見ても動かなかった。
地上にもいる大型の魔物とは何もかもが違う。
周囲を破壊するためだけに存在するような魔物は、地上には存在しえないものだった。これこそが、ダンジョンが有する特殊性を顕著に示すものであった。
バルトが広い空間の中央に立つと、オーガはようやく動き出し、ともに現れた巨大な棍棒を手にした。
「やろうや」
バルトは全身に力を込める。
オーガが巨大な棍棒を振り上げる。常人なら当たればひとたまりもない。だが、バルトは動かなかった。剣を構え、振り下ろされる一撃を待つ。
「オオオオオ!」
オーガの叫びとともに、バルトに拳が振り下ろされる。
その一撃を、バルトは剣一本で受け止めた。
「グオ!?」
オーガの表情に緊張が走る。
人間が自分の攻撃を正面から受け止めるなどありえないことだった。
「なるほど、こんな感じか」
バルトは全身に漲らせ、剣でオーガの拳を弾き返した。
「ガアッ!」
体制を崩すオーガ。
バルトは素早く巨体の足元に潜り込み、横薙ぎで足の腱を狙う。
だが、オーガは恐るべき行動に出た。
体制を崩したかに思われたその体で後方に飛び、手をついてさらに後ろに飛ぶ。
あまりに身軽な行動に驚きながらも、着地の隙を狙おうとするバルト。
だが、ここでもオーガは予想外の行動に出た。
後ろに跳ね、手をついたオーガは、腕の力で高く飛んだ。
空中で体制を変えたオーガは、両足から着地する。
地面が大きく揺れた。
それは並の揺れではなかった。
態勢を崩したのはバルトのほうだった。
走っていた彼は、揺れの影響をもろに受け、減速せざるを得なかった。
そこへ、地面すれすれの拳が、彼を襲った。
「ぐう!!」
壁まで吹き飛び激突するバルト。地面に崩れ落ちて座り込む。内臓からこみ上げるものを感じ、咳き込むと血があふれた。
「これはまずいな」
彼は袋から瓶を取り出す。
残り三本と薬草一束。
これでも足りないかもしれない。
バルトは回復薬のひとつを飲み干し、薬草を口に押し込んだ。
地響きを立てながら、オーガが襲いかかる。
その知性のある表情からは、勝利を確信したおごりが見える。
バルトはまだ地面に座り込んだままだった。
回復薬の効果はいまだ全身に巡ってはいない。痛みも強くなっている。
とてつもない質量が、バルトの居る地面に向かって放たれる。オーガはその巨大な拳をバルトに向かって連続で叩きつける。
土煙が周囲を覆う。
オーガが攻撃をやめ、バルトの様子を伺う。
「ガ……?」
そこにバルトの姿はなかった。
「こっちだ」
バルトはオーガの肩に立っていた。
彼は土煙のなか、脚力だけでオーガの空中に逃れ、高速で地面にたたき込まれる拳を踏み台にしながら、オーガの体を駆け上がったのだ。
バルトは渾身の力で剣を振る。
強靭な首を切り裂かれ、オーガは空間に響く咆哮を最後に、闇となって霧散した。
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