終幕

 男――バルトは振り返る。


「これでようやく一対一だ」


 バルトはアレスタを見る。アレスタはすでに立ち上がり、バルトを見据えていた。


「バルトだな。どうしてここにいる」


「ああそうだ。よくわかったな。お前はおれのことなんか忘れていると思ったよ」


「忘れるものか。それどころか、ぼくはずっと君が来るのを待っていた。まさかこんな形で合うことになるとはね。冒険者になることは諦めて、冒険者狩りにでも転職したのかい?」


「いろいろと理由があってな。お前ともう一度戦うためには、こうすることしかできなかった」


 アレスタは悲しげに奥歯をかみしめる。


「できればこんなふうに会いたくはなかった。君には才能があった。何があったか知らないが、ぼくらを襲うような真似をする男じゃなかっただろう。こんなことをしなくったって、冒険者として名を挙げて、仲間と一緒にここに来ることだってできたはずだ。そうすれば、一緒にダンジョンを攻略することだって……」


「おれはお前とは違った。お前のように良い仲間を、おれは見つけることはできなかった」


「だからって、そんな……」


「うるさい!! お前にはおれのことなどわかるものか! おれ一人で戦うことができるなら、どんなにいいと思ったことか! そのために、おれは力を手に入れた」


「ぼくには理解できない。どんなやり方かは知らないが、明らかに無理をしている。ぼくと戦うために、君は一体何を犠牲にしようとしているんだ」


「知ったことか。おれはただ、お前に追いつきたかっただけだ」


「それで、幸せかい?」


「ああ、おれはこのためだけに生きてきた」


「もう、何を言っても無駄なようだね」


「御託を並べるのはたくさんだ。仲間になるためにつまらん言葉で他人を持ち上げるのなんざうんざりなんだ。おれは単純な戦いがしたかった。こんなはずじゃねえ。さあ、昔みたいにやりあおうじゃねえか」


「ぼくからいくよ」


「さあ来い!!」


 バルトは兜の向こうの焼けただれた顔で笑っていた。


 アレスタが走る。通常ではありえない速度の動きに、しかしバルトは動揺しなかった。


 アレスタの神速の剣をバルトは受け止める。


 キィィンと剣のぶつかる激しい音がした。


「テトラが最後にぼくを強化してくれた。君には負けない」


 アレスタが言う。


「そうだと思ったよ。おれはお前の全力と戦いたかった」


 二人の姿が、その場から消えた。


 限界を超えた身体強化を受けたアレスタと、内部から崩壊しながら力を失いつつあるバルトはほぼ互角だった。


 二人は高速でぶつかり合い、距離をとる。そしてまたぶつかり合う。身体強化の効果時間は限られている。厳しい表情のアレスタとは違い、バルトは笑い続けていた。


 凶器に満ちた笑い声をあげながら、バルトの連撃が、アレスタを襲う。


 攻撃はさらに加速する。すでに限界を迎えていてもおかしくないバルトは、さらにその力を速度を上げ続けていた。


 アレスタは、バルトの剣を受け流しながら、冷静にその動きを観察していた。彼もまた、生涯を剣術にささげ、研鑽を続けてきた男だ。力任せの攻撃などでうろたえるわけがない。頭はどこまでも冴え、身体強化の動きにも慣れつつある。あと少し、あと少し耐えることができれば……


「カアア!!」


 その時予想もしないことが起こった。


 サイドウが叫び声とともにバルトの懐に飛び込み、拳を繰り出した。


 バルトは動じず片手でサイドウをいなし、再び壁へと投げ飛ばしたが、一瞬、彼の動きが止まる。アレスタはその隙を見逃さなかった。彼は深く腰を落とし、剣を切り上げた。


 鎧のわずかな隙間。アレスタの放った剣は、バルトの片腕を断ち切った。


「アレスタ殿!!」


 サイドウは力を使い果たして、その場に崩れ落ちる。


 だが、バルトは止まらなかった。


 切られた腕を逆の手でつかみ、回転しながら、アレスタの体に叩き込んだ。すでに彼の体からは痛みという感覚そのものが消え失せていた。


 アレスタは壁に飛び、サイドウと同じように壁に激突した。


 壁に叩きつけられた二人は動かない。


 ついに戦いは終わった。


「やったあ!! 勝ったぞ!! なあ! 言ったじゃないか! おれが勝つって! どんな仲間が居たって関係ないんだ!」


 バルトは子供のように両手を高らかに上げて喜んだ。


 どういうわけか、彼の眼からは涙が流れていた。


 切られた腕から大量の血を流し、それでも彼は涙を流しながら笑っていた。


 笑い声は長くは続かなかった。


 やがて、バルトはその場に崩れ落ち、仰向けに倒れた。


 その場が静寂に包まれた。


 バルトは特別領域の高い天井を眺めながら、涙を流し、そして、笑っていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 十階層の特別領域に、一人の女性の姿があった。


 ユウカだ。


 酒場でバルトに見せたローブを着た格好とは違い、肩の出た黒いワンピースを着ていた。


 彼女は倒れたアレスタをはじめとする四人に目もくれず、一直線にバルトのもとへ向かう。


 ユウカは倒れたバルトの隣に立つと、身をかがめて、彼の頬を何度か軽く叩いた。


「おーい。生きてる?」


 薄目を開けたバルトの顔には死相が滲んでいた。


「お前は……?」


 かすれた声で聞く。


「あ、生きてた」


「何故……ここに?」


「そんなことどうだっていいじゃない。どう? 楽しかった? あたしとしては、あなたの夢を叶えてあげたつもりだったんだけど」


「ふざけるな……お前は、一体、何なんだ」


 バルトはきれぎれに言葉を続ける。


「うーん。ちょっと説明が難しいのよね。それにあたしは、あいつみたいに名刺を渡したりする趣味はないし。だいたい、あいつは昔のことを引きずり過ぎなのよ。未だにスーツなんて着ちゃってさ。馬鹿みたい」


 言葉の意味が分からず、バルトはただユウカの顔を見ていた。


「そんな話はいいのよ。体の方はどう? 人間に試したのは久しぶりのことで上手くいくか心配だったのよね。まあまあ強化されたみたいだけど、身体強化は負担が大きいから、劣化が気になるところよね」


 ユウカは不満げにため息をついた。


「その様子だと微妙みたいね。ほんとうに成功していたら剣で腕が切れるわけないもの。一度は成功したんだけどあれは魔術だし、身体強化ってのは無理なのかもね」


「お前は……人ではなく、魔物の類か」


 バルトが薄れゆく思考で思い立ったのは、目の前にいる存在が、伝説に残されている人型で知性を持つ魔物であるということだった。


「魔物? あたしが? そんなわけないでしょ。あたしは人間。ねえ、今から多分死んじゃうんだろうしちょっと聞いてくれない?」


 バルトは答えない。血がとめどなく体から流れ、もやは喋ることすら叶わなかった。


「あたしには夢があるのよね。具体的なことはちょっと言えないんだけど、そのためにあんたを強化してあげたのよ。実験としてね。でも実際やってみて正直がっかり。人の身体って思ったより脆いんだなーって思った。効果時間が短いってのもあるけど、精神が不安定になるみたいなのよね。あたしが求めてるものって、メンタルおかしくなってるようなやつじゃないし、別のの方向性で進めるべきかなって……あれ?」


 ユウカはバルトの様子を伺う。手のひらを彼の口元に持っていき、息を確かめる。


「死んじゃったか」


 そう言うとユウカは立ち上がった。


「なーんかもう、人間で実験するの面倒になっちゃったな。人外、魔物……魔物ねえ。この辺りで一度試しておいてもいいかなあ」

 

 ユウカは片足を上げてトン、と床を鳴らすと、足元に移動術式に近い紋様が地面に浮かび上がる。光の円柱が天井まで届いたかと思うと、彼女の姿はそこから消えていた。


 地面の魔術式のようなものも消え、ユウカの存在は、完全にダンジョンから消え失せた。

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