謎の女

 王都に戻ったバルトの行く先は決まっていた。


 冒険者ギルドで仕事の報酬をもらい、向かったのは行きつけの酒場だった。


 仕事終わりの冒険者で賑わう酒場に入ると、バルトはカウンターの端の定位置に座った。


「いつものをくれ」


 店主は無言で頷き、酒を出す。


 余計なことは言わない。バルトがこの酒場に通っている理由の一つだ。


 酒を口に含んで待っていると、野菜の添えられた肉とパンがカウンターに置かれる。仕事終わりにはいつもきまってこのメニューを食べる。


 騒がしい店内で、カウンターの周りだけは静かで、バルトは手際よく肉を口に運び、パンを口に押し込む。


 これがいつもの流れだった。


 ほんのわずかな時間で食べ終えてしまうと、あとは黙って酒を飲む。


 この店に来た当初は、彼に話しかける者もいたが、しばらくすると、そんな奇特な人間もいなくなった。


 酔った冒険者たちが騒ぎ、怒号が飛ぶ、そんな最中でも、バルトは静かに酒を飲んでいる。あまりにひどい喧嘩となれば、彼が止めに入るが、そんなことはめったに起こらない。


 店の常連は、バルトの力を知っているからだ。


 一度彼に力づく手止められて、それ以来、節度を守って暴れている。


 この店にバルトが居着いたもう一つの理由だった。


 今更新しい店で、一からわからせるのが面倒だからだ。


 店主も、長時間カウンターを占拠するが黙って酒を飲み、暴れることもなく、逆に暴れた客を諌めるこの男を良客だと考えていた。


 しかし今日は、いつもと違って、酒のペースが速かった。


 バルトが新しい酒瓶を店主に頼むと、


「何かあったのかい?」


 とだけ言って、バルトが決まって頼む安酒の瓶を差し出した。


「分かるか?」


 バルトが聞き返す。


 寡黙な店主がわざわざ声をかけるということは、よほど落ち込んでいるらしい。


 自嘲気味に笑うバルトに店主は、


「深くは聞かないが、酒はほどほどにしなよ」


 と最低限の忠告をする。


 店主もまた、バルトを刺激したくはなかったのだ。


「ああ、わかったよ」


 バルトは適当に答えた。あくまで自分なりにではあるが、飲むペースを落とした。


 またやってしまった。


 バルトは心の中でつぶやく。


 今日こそは失敗しないように気をつけていた。気の弱いソノアとキャスには自分なりに優しい言葉をかけていたつもりだったし、ケネスとは仕事以外でも話すようにしていた。


 だが、いざ魔物との戦闘が始まると、ついつい厳しい言葉を使ってしまう。命がかかっているから当然のことなのだが、彼の場合はその威容も相まって、仲間を怯えさせてしまう。


 何故毎回このようになってしまうのか。


 彼がパーティーを抜けられたのは、これで四度目だった。


 前の三回も同じ理由で抜けられている。


 今度は自分でもうまくやったつもりで、実際過去のパーティーよりも長続きしていた。


 きっと油断していたのだ。


 この仲間なら、自分についてきてくれるだろうと無理な要求をしてしまった。


 上位の仕事を受けるためには、本人たちの実力も、連携もまだまだ足りない。だから厳しい言葉も使ったし、人一倍動いていた。自分の姿を見てやる気を出してくれると思ったのだ。


 だがそれも、結局うまくいかなかった。


 バルトは反省する。


 彼はこれまで組んできたパーティーで同じ理由で抜けてきた。


 戦いの最中の彼が厳しすぎるからだ。


 これが、バルトに力がなく、口だけであるなら、何度もパーティーを組めることもなかっただろう。


 彼には実力があり、そのうえで仲間に厳しかった。


 仲間の近接職の動きが甘ければ叱責するし、自分に対する回復や補助が遅くなれば、怒号とも呼べる大声で要請する。


 仕事が終わった後にああすればよかったなどという言い方をすることはないが、とにかく仕事中はやたらと張り詰めており、彼の仲間となったからには、依頼を受けて気の抜ける瞬間はほとんどないといってよいほどだった。


 そのあまりの息苦しさに、数週間もすると仲間は彼についていけなくなる。


 この繰り返しだった。


 冒険者が職業として定着して五百年以上が経過している。高い報酬に惹かれて多くの若者が冒険者となることを目指すが、一方で産業として確立されてしまったがために、命の危険の少ない依頼をこなして金を稼ぐ、いわゆる本来の意味での職業的な冒険者も増えていた。


 そのような状況にあり、彼の意識の高さはいささか異常だった。


 もちろん、冒険者のなかには彼のように上へ上へと高みを目指す者もいる。


 だが彼らには、志を一つとする仲間がいた。


 上位の依頼を受けるもので、急造のパーティーなどほとんどいないのだ。上位を目指す冒険者たちは幼いころからの知り合いであったり、あるいは数年かけて互いの意識と連携を高め合うのが普通であった。


 つまり、現在のバルトの状況とはまるで違っていた。


 彼は数年前に王都にやってきて、まだ一度も、ともに上を目指す仲間を見つけられないままでいた。


 これではだめだ。俺は、もっと早く上に上がらなければならない。しかし、三度も失敗した俺についてきてくれる人間など居るのだろうか……


「はあ」


 バルトは深いため息をついた。


「どうしたの? 悩み事?」


 隣から声がして、バルトが目を向けるとそこには黒いローブを着た女が座っていた。野暮ったいローブだが、椅子に座った様子を見ると、その下に体のラインを強調するようなドレスを着ているようだった。


 バルトは驚く。酔っているとはいえ、気づかれることなく接近されることなどあるのだろうか。


「なんだあんたは?」


 バルトは女をにらみつける。冒険者として剣に打ち込み、女にあまり興味を示すことがなかった彼でさえ、美しく見える顔立ちをしていた。


「あたし? あたしは占い師のユウカ。ユウちゃんって呼んでね」


「何の用だ」


 バルトは警戒を解かない。彼は長くこの店に通っているが、普段から威圧感を放つ彼に、話しかけるものなど居なかった。ましてや女など、近寄るはずもない。


「見るからに落ち込んでいたから、一つ占ってあげようかと思って」


「知るか、どこかへ行け」


 バルトは言い放ち、酒に戻る。


 これで移動しないならば、脅してでもどかしてやろうと考えていた。だが……


「あなた、パーティーから追い出されたんでしょ」


 バルトは立ち上がり、女に詰め寄る。しかし女は顔色一つ変えず、


「辛いわよね。でもあなたに力がないわけじゃない。逆に強すぎて、周りがついていけないだけなのよね」


「何故わかる?」


「それがあたしの力ってこと。あなたの邪魔をするつもりはないし、お金を貰うつもりもないから、ちょっと話を聞いてもらえない?」


「何故俺なんだ。客はほかにもいるだろう」


「あたしだって相手は選ぶ。必要な人に必要な占いをする。あなたがとても困っているように見えるから、手助けをしたいのよ」


「ふん」


 バルトは椅子にドカッと腰を下ろした。普段であれば、他人の言葉など聞く気もない彼であったが、その日は飲みすぎで、ずいぶんと酔いが回っていた。


「いいだろう。話だけは聞いてやる。つまらんことを言うようなら、ここから力づくで追い出してやる」


「ふふ、素直じゃないのね。あなただって、心のどこかでは助けを求めていたんでしょう」


「黙れ、それ以上俺を馬鹿にするつもりなら……」


 再び立ち上がろうとするバルトに向かって、ユウカは笑って人差し指を口に持って行った。


「まあ落ち着いて、これもまた一つの過程なのよ」


 そして彼女はバルトの肩に触れた。


 不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ彼女の手から、心地よい何かが流れ込み、力が沸き上がるようにも思えた。


「あなたは強くなりたい。上位の依頼を受け、出来るだけ早く名声を得たい。でも、周りからちやほやされることがあなたの目的じゃない。もっと別の、あなたにとって大切な理由がある」


「そうだ。俺は他人の評価など気にしない。だが、他人から評価されなければ、俺の目標は達成できない」


「あなたはある人と対等になりたいと願っている」


「ああそうだ」


 心の奥を探ってくるような女の言葉に、しかし反感が沸くことはなくなった。バルトは自分の心の変化にも気づいていなかった。


「あなたはその人と、ともに歩むこともできた。けれどそうはしなかった」


「あいつとは、相棒ではなく、敵で居たかった。それが対等だということだからだ」


「それは間違っていない。あたし好きよ。そういうの。でも、あなたの思うようにはいかなかった。あなたの求める人はどこまでも先へ行ってしまって、あなたは追いかけるのに必死になって、それで焦って失敗を繰り返している」


「俺はあいつとは違う。あいつのように、できないんだ。あいつの前に立つには……」


 バルトの顔に悲しみの表情が浮かぶ。


 そんな顔を初対面の人間に見せたことはなかった。だが、ユウカを前にすると、その気持ちすら、あっさりと溶けて消えてしまった。


「あなたの目的を叶えるためには、仲間を集める必要があるとあなたは思っている。でも、本当にそうなのかしら?」


「どういうことだ?」


「もしもあなたが、仲間が要らないくらい強かったとしたら、あなたはたった一人で、彼の前に立つことができる」


「出来るわけがない。やつは今、ダンジョンを攻略していると聞いている。やつに勝つには一人では無理だ」


「あたしがあなたに力を与えられるとしたら? ダンジョンでも一人で立ち向かえるような力」


「わからない。あんたはいったい何者なんだ?」


「余計なことは考えないで。あたしがなにかなんてどうだっていいじゃない。あなたが考えるべきことは、力が欲しいのか、欲しくないかってこと」


「俺は……」


「人は時として決断を迫られる時がある。今が正にその時ってわけ。もちろん、力を手に入れたからといって、すべてうまくいくとは限らない。でも、力を手に入れれなかった未来のほうが、ずっとつらいのかもしれない。あなたはいったい、どちらを選ぶのかしら」


 バルトは酒場の天井を見上げ、そこにない、遠くの何かを眺めているかのようだった。


「俺は、力が欲しい」


 バルトはユウカに向かって、ゆっくりと、かみしめるように言った。


「そうだと思ってた。確かにその願いは受け取ったわ。後悔はない?」


「どういうことだ?」


「これからあなたに眠っている力を開く。どうなるかはあなたの才能次第。無理やり開くわけだから当然痛みもある。あなたにその覚悟はある?」


「痛み程度なら受け入れてやるさ。強くなれるのならな」


 ユウカはバルトの目の奥を見つめた。


「ふうん。どうやら本気みたいね。じゃあ、少しだけ時間を頂戴」


 ユウカは優しくバルトの肩に手を置く。


 すると、バルトの体から力が抜けていく。


「おい、お前、俺に何を……」


 そして、バルトはカウンターに突っ伏して、気を失った。


 その物音に周りの人間が目を向けたが、酔いつぶれたようにしか見えなかった。

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