好敵手との出会い

 もともと、バルトは両親とともに王都で暮らしていた。


 裕福な商家の生まれで、幼いころから父の手伝いをしながら家業を継ぐための経営について学んでいた。


 バルトの父であるターレンの仕事は建材を取り扱う商売で、時に遠方まで買い付けに行った。


 王都には貴族が多く、彼の選んだ石材や木材を求める顧客は多かった。父はその身一つで事業を立ち上げたった一代で財を成していた。


 バルトは自分の境遇について、特に不満を漏らすことはなかった。父から与えられた仕事をこなしていれば、口うるさく言われることもなければ、金も十分に与えられた。


 ただ、時折、彼は自分のやっていることがわからなくなることがあった。 


 父は家業を継がせるつもりらしいが、それが本当にやりたいことだろうか……


 普段から感情が読み取れないほど寡黙な彼は、誰から知られることもなく、自分の行く先について悩んでいた。


 そんなバルトにも、やりがいのある仕事というものがあった。


 建材の運搬だ。


 王都に運ばれてくる建材は、ターレンが買い取った敷地に一旦運ばれ、そこから王都の現場に運ばれる。さらに敷地には限りがあるため、一度運び込んだ建材を整理する必要がある。


 バルトは父や従業員から教えられる商売のやり方よりも、現場への運搬や置き場の整理など力仕事に楽しみを見出していた。


 積極的に商品の運搬を手伝い、みるみるたくましくなっていく息子を見てターレンは困惑したものだったが、現場を見るのは大切だからと、特に口を出すこともなかった。


 バルトは満たされていた。


 力仕事をやっている時は、先のことを考えずに済むからだ。


 だが、ある日を境に、彼の境遇は一変する。


 建材運搬中の船が嵐で転覆し、父が帰らぬ人となったのだ。


 ターレンの訃報知ったとき、バルトは何の感情もわかない自分に驚いた。母が泣き崩れているのを見て、大変なことが起こったということだけは理解していた。


 母のクローネは何もできない女だった。


 その腕で一代で財を成した父が、仕事のつてで手に入れた没落貴族の末娘だった。


 家名ばかりがある家に生まれ、甘やかされて育った母にとって、父の死後、店を成り立たせることなどできるわけがなかった。


 店はあっという間に店を任された古株の男、ギャビンに乗っ取られた。母はそのことに全く気付かなかったが、彼の動きは現場に出ているバルトには筒抜けだった。


 バルトは一人で考える。


 もしかしたら、ギャビンはこの事故を予測し、以前より準備を進めていたのではないか。


 だが、そんなことを母に言ったところで、何の意味もないことを、バルトは知っていた。


 やがて、母は家を出なくてはならなくなった。


 そこに至る過程などバルトは知らないし、知りたくもなかった。ただ、彼に分かっているのは、ギャビンはひどく利口で、狡猾な男だということだ。


 バルトはそれをまるで人ごとのように眺めていた。


 彼はいつも、自分の人生をまるで人ごとのように眺める癖があった。それは何かの事件やきっかけがあったからというわけではなく、物心ついたころからすでにそうだった。


 それは、自らの家を失っても変わらなかった。


 誰から何を言われようと、何と思われようとどうでもよかった。従業員から家を乗っ取られた息子と思われようが関係がなかった。


 ただ目の前に自分のやるべきことがあり、しかもそれが頭で考えることではなくて、自分が動けば済むことであればそれだけで十分だった。


 それからのことはまるで、嵐のようにあわただしく過ぎ去っていった。


 母は、わずかなつてを頼って王都を出て、辺境の村に身を寄せた。


 村でクローネに与えられた仕事は、領主の侍女だった。


 クローネは息子のために必死になって働いた。自分を養ってくれる人間はもういないのだという事実が、彼女を強くしたのかもしれない。

 

 幸運なことに領主は温厚で優しかった。与えられる報酬も普通の侍女と変わりなく、多くを望むことはできないが、生活に困ることはなかった。


 クローネが働きに出ている間、バルトは無為な時間を過ごすこととなった。


 父から与えられる仕事はもはやなく、かといって、母を手伝うわけにもいかない。


 彼は暇に飽かせて村中を歩き回った結果、剣術を学ぶ修練所に目を付けた。 


 何か目的があったわけではなかった。ただ、母は自分のことで手いっぱいで、バルトは彼女に迷惑をかけないように、時間をつぶす方法を探しただけのことだった。


 バルトがそのことを告げると、


「大丈夫なの? 怪我なんかしたら……」


 とクローネが心配そうに聞いた。


「俺は体を動かすのが好きなんだ。本当は農業の手伝いでもよかったんだよ」


「でも、それは……」


「わかってる。ここの領主は母さんの遠い親戚だ。いくら遠いって言っても自分の親戚の息子が農作業をしていたら都合が悪いだろう。修練所だったら文句が出ることもないんだ」


「そ、そうね。あなたがそういうのなら……」


「安心してよ。母さんは仕事を頑張っていたらいいんだからさ」


「あなたは本当によくできた子ね」


 そう言った母の眼には涙がたまっていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 翌日、バルトは母に連れられ、村の東に位置する修練所にやってきた。


 歳は十四になったばかり。


 彼は初めてアレスタを見た。


 アレスタは修練所を運営する師範の息子で、その立ち振る舞いは明らかにほかの生徒とは違っていた。


 バルトは彼の姿を追った。


 練習用の木剣を振る彼の動きはなめらかで、手本とするなら彼だろうと確信した。


 手続きはすぐに終わり、以来彼は、一日も休まず修練所通うこととなった。


 初めはぎこちない動きをしていたバルトであったが、材木の運搬で鍛えた体と熱心な態度、そして生来の勘の良さから、すぐに頭角を現した。


 バルトはアレスタの動きを追い、そのすべてを身に着けようとした。


 もちろん、体格の違いはある。がっしりとしたバルトに比べて、アレスタはすらりとした長身で、自らの体に合わせた動きを身に着ける必要があった。


 バルトは別に、剣術がうまくなりたいわけではなかった。ただ、自分のやるべきことを探し、その場で最適だと思ったことを続けたまでだ。


 ひとつのことに熱中するという彼の性格が、さらに技術の向上を速めた。


 ただ、そんなバルトにも、アレスタに及ばない部分があった。


 彼はアレスタのすべてを吸収することを心がけていたが、一点だけ真似できないことがあった。


 それは周りの人々を引き寄せる人徳のようなものだった。


 バルトはその身体能力と飲み込みの良さから生徒からの注目を集めたが、彼に話しかける者は誰もいなかった。はじめこそ、声をかける生徒もなかにはいたが、感情を表に出さない性格と立ち会っても手を抜くことがないために、次第に距離を置かれるようになった。


 一方アレスタは全く違った。


 彼の周りにはいつも人がいた。年上の人間から可愛がられ、年下の生徒の面倒見もよく慕われている。彼は誰からも愛される存在だった。


 だが、バルトはそのことを引け目に感じることはなかった。ただ、そういうものかと、理解して納得するばかりだった。


◆    ◆    ◆    ◆


 バルトは一年という短い期間で、他の生徒を圧倒するようになった。


 古株の上級生ですら、彼の実力に及ばず、試合を組もうものなら一方的に叩きのめした。


 バルトに敵うものがいなくなった時、ついに、アレスタとの練習試合が組まれた。


 修練所の主席の実力を持つアレスタとの試合が組まれたということは、彼がそれだけの評価を受けたということでもあった。


「よろしく。君と手合わせするのは初めてだったね」


 アレスタの笑顔はまぶしかった。


 一方のバルトは、仏頂面で頷いた。


 成長著しいバルトと修練所の実力者であるアレスタの戦いは、生徒たちにとって注目の一戦であり、みな、固唾をのんで見守っていた。


「強いらしいね」


 アレスタが言う。


 バルトはその言葉に返答しない。


 自分が相手に認められるには、噂などではなく、手合わせをするしかないということを知っていたからだ。


 自分はまだ甘い。体格で優っていたとしても、アレスタの身のこなしは才能に満ち溢れ、手の届かないものであることは明らかだった。


「ぼくはさ、ずっと君みたいな人が現れるのを待っていたんだよ。ぼくはみなから強いと言われているけれど、それはあくまでこの村の、この修練所の中だけだ。だから、今、ぼくよりも強いんじゃないかって存在が現れて、とっても嬉しいんだ」


「俺は……」


 バルトが口を開く。


 普段から声を発することのない彼の言葉に、観戦する生徒たちは驚いた。


「全力でやる。あんたも全力でやってほしい」


 それが、バルトの望みだった。


 アレスタを目指し、技術を磨いてきた彼のたった一つの望みは、自分の今いる位置を知ることだった。アレスタに勝つことではない。自分がどこにいて、これからどこを目指せばよいのかを知るために必要なことだったのだ。


「うん、もちろんだ。やろう」


 アレスタの言葉に、バルトは無言で頭を下げた。


 そして、戦いが始まった。


 先に動いたのはバルトであった。一瞬で間合いを詰め、力を込めた一撃を振り下ろす。だが、アレスタはそれを予想していたかのように剣を構えて受け流す。


 初撃は流された、ならば次はどうだ。


 バルトは一歩引き、そこから連撃を繰り出す。


 アレスタは表情を変えた。


 そのどの一撃もが全力のものであったが、受け流していた初撃とは違い、力をいなしながらすべて受け止めた。


 剣がぶつかり合う音が収まると、アレスタは後方に大きく距離をとる。


 修練所には歓声が巻き起こった。十五歳同士の立ち合いとは思えない戦いであった。


「すごい力だ。力だけじゃない。一撃一撃がぼくの急所を狙っている」


 アレスタが言う。


「にしてはすべて防がれてしまった」


 バルトが答えた。


「ぼくは負けるかもね」


 アレスタは正直に言う。


 これまで修練所にいた誰よりも、これほど彼に打ち込める生徒はいなかった。彼はバルトのような相手を求めていたのだ。


「本気で来い」


 バルトは言う。


 先ほどのアレスタが、全力でないことは打ち合ってみて明白だった。


「当然だ」


 今後はアレスタが先に動いた。大きく踏み込み、横薙ぎの一撃を加えようとする。バルトはその一撃をたやすく止めた。


 アレスタの眼が光る。


 バルトが次の行動に移る前に、怒涛の連撃をバルトに向かって放つ。体格では優位を持つ彼が、後ろに下がり、攻撃を受け止めることで精いっぱいだった。


 激しい攻撃が続き、バルトがアレスタを押し返そうとする。


 アレスタはわずかに体制を崩す。


 それを見逃すバルトではなかった。


 剣を振り上げ、全力の一撃がアレスタに迫る。


 だが、それを予測していたように、アレスタが身をひるがえしながら剣を躱す。そのままの動きで、全身を回転させながら、バルトの横腹めがけて一撃を繰り出した。


「ぐう……!!」


 バルトが前かがみに倒れた。


 修練所に静寂が生まれた。


 バルトが頭を上げると、アレスタが手を差し出していた。


「やっぱり強いね。正直危なかった」


「負けた」


「確かに君は負けた。でも次はわからないよ」


 バルトはアレスタの手を取り立ち上がる。


「俺もそう思う」


 アレスタの表情には笑顔が浮かんでいた。


「またやろう」


 それは、二人の間で友情と呼べるものが生まれた瞬間だった。

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