闇に閉ざされた部屋

 目を覚ますと周囲が暗闇に包まれていた。


 頭に痛みがあり、触れてみるとぬるりとしていた。血を流しているらしい。顔も触ってみるがざらついている。これは血が固まったもののようだ。


 おれは自分があまりに冷静なことに驚いていた。


 すべては罠だった。


 今思えば、うまい話が早々転がっているわけがないのだ。


 足音が近づいてくる。コツコツという音が、おれの頭上で響いていた。


 ぼんやりとした明かりが次第に強くなっている。


「よお、目を覚ましたかい?」


「やはりあんただったか」


 顔を出したのはたいまつを掲げたガナンだった。


 天井に空いた穴の縁で、しゃがんでこちらを覗き込んでいる。


「いやあ、あんた、まんまとはまってくれたね。へへ、我ながら雑な仕掛けと思ったんだが、うまくいったよ。ま、あれに引っかからなけりゃ、別の手を考えるだけだけどね。あっしは、人をはめる計画を立てる時が一番楽しいんだ」


「ずいぶん寂しい場所だな。どうやっておれをここに入れた? 一人で大変だっただろう」


「おっと、わかるぜえ。あっしから情報を引き出そうったってそうはいかねえ。あっしには手足のように使えるやつらが何人もいる。そいつらを使えばあんたをそこまで降ろすのに苦労はねえ」


「準備の良いこった。ルークとあんたはつながってたんだな」


「へへ、そうだ。あんたが盗みに入ることはわかってたんでね。隠れて見張っているように伝えたわけなのさ。もしかしたら、あんたの盗みの技も知れるかと思ったんだが、流石だね。ルークの旦那もわからないと言っていた。しっかし、それだけ抜け目のないあんたが、どうしてこんなところにきたんだかねえ。へへへ、ルークの旦那の演技が、よほどうまかったのかね?」


「いや、怪しいとは感じてたさ。それよりも、ここに来たらなにか変わると思ってな」


「よくわかんねえけどよお、引っかかってくれた嬉しいぜえ。あっしの立てた策でも一番金のかかんねにえやり方だ。策を考えるのは楽しいが、実行するのに金がかかって仕方ねえからな」


「ルークはなんであんたの言うことなんて聞くんだ? 得なんてねえだろ」


「へへ、気になるかい? それがねえ、あの旦那の羽振りの良さってのは、本人の家の力もあるが、裏であっしの持つ情報を買ってるからなんだ。貴族社会でも賭け事ってのはなかなか儲かるもんでね。そんなわけで、あっしと旦那とは商売仲間でね、今回の話に乗ってもらったってわけさ。あっしの力ってのは、こういう人脈にもあるわけなんでね」


「そりゃすごい。できればおれを罠にはめた理由も教えてもらいたいもんだな」


「へへ、そりゃおめえ、理由は頭領さ」


「マレのことか?」


「あんたは頭領に近づきすぎたのさ。おっと、勘違いしてもらっちゃ困るが、これは頭領の命令じゃないぜ。あのお方はあんたやあっしのような人間に手をかけるような無駄なことはなさらねえ。あっしが勝手にやったことさ。頭領は尊く、偉大なお方だ。それが、あんたが出てきてからというもの、甘さが生まれ始めてた。あっしはずっと頭領のことを見てる。たとえ会えなくても、どんなことをやってるかってのは手に取るように分かるのさ。あっしは組織を守るためにも、今のうちから、危険な芽を摘み取る必要があったのさ」


「……嫉妬だろ」


「は?」


「安心しろよ。おれとマレとの間にゃなんもねえよ。あんたが頭領のことを大切にしてるってことはわかった。こうやって今まで何人ものやつを潰してきたんだろ」


「それは違う。あっしは組のことを思ってるだけで……」


「素直になれよ。お前みたいなやつがいるから、マレの心は休まらないんだ。勝手に人を持ち上げられて、あいつはいろんなものを背負って、自分の立場に苦しめられている。マレことも考えてやれよ」


「あんた、頭領のなにを知ってる」


 ガナンの口調がねばりつくものから、冷たく、鋭いものに変わる。


「なにも知らない。おれに分かるのは、マレが苦しんでるってことだけだ。今思えば、おれが食事に呼ばれていたのも……ああ、前に会ったとき、顔は見ていないと言ったが、あれは嘘だ。おれと飯を食ってる時だけは、なにも考えずいられたはずだ。おれがお前らのように接しなかったからだろうよ」


「貴様。嘘をついたのか」


「ああそうだ。ただ言ったように、おれとマレとの間には何もない。これは本当だ」


 沈黙が続く。ガナンの体からは怒りが溢れ、ぎりぎりと歯を食いしばっているさまが暗闇の中からも伝わってきていた。


「……まあいい。あんたはどの道ここで死ぬ。ここはあっしの縄張りでね。昔の地下室を改造しているのさ。仮にあんたがどんな技術を持っていたとしても、ここからは逃げ出せない。せいぜい苦しんで死ぬこったね」


「お前のようなやつに使われたと知ったら、ここに住んでた貴族たちも悲しむだろうよ」


「言ってな。じゃ、数日後に死体を確認しにくるよ。ここはあんたのためにだけ用意したんじゃないからね。自慢の技を使って脱出してみるかい? やってみなよ、無駄だから」


 そして、天井の蓋が閉じられた。


◆    ◆    ◆    ◆


 光が完全に閉ざされた空間のなかで、おれは立っていた。しばらく天井を見つめていたが、それが無駄だとあきらめ、おれはひとまず、この場所を調べてみることにした。両手を前に出し、壁に向かって歩いてみる。


 足元に、乾燥したなにかがかさかさとぶつかるのがわかる。


 あまり考えたくないことだが、かつてここで閉じ込められた人間の骨かもしれない。


 頭の痛みは治まっている。きっと血も乾いていることだろう。


 すこし歩くと、壁に手が触れた。石で埋められた壁は固く、冷たい。足の感触からしても、この部屋全体が石を敷き詰めたものであることは想像できた。


 おれは片手を壁に触れたまま歩いてみる。十数歩で角につき、それを繰り返す。出口は当然のように無く、壁で覆われた四角い箱のようになっているようだ。


 ここから脱出留守にはどうすればよいか、おれは考える。


 天井までは高いうえに、掴むことができるようなでっぱりも少ない。さらには、上に向かって斜めになっているような気配もする。


 おれは早々に壁を登ることをあきらめた。無駄なことで体力を消耗する気はなかったためだ。


 壁は作り直したものらしく、崩れているところもない。さすがに手の込んでいる。ガナンの罠に感心するおれは、この時点ではまだ余裕があった。


 そう、おれにはもうひとつだけ手が残されている。


 ガナンは知らないおれの力。壁を抜ければ、この部屋からは抜け出すことができる。


「しかし……」


 おれは呟く。


 仮に壁を抜けたところで、その先に部屋なり道がなければ外に出ることはできない。おれの力では、壁を一直線に通過することはできても、登って上に上がることはできないのだ。


 いや、できないと思っているだけで、やってみればできる可能性も?


 どこかの方向に向かって一直線に歩き続ければ、低くなっている崖から外に出られるかもしれない。


 しかし、どちらにせよ危険は付きまとう。


 おれは壁を抜けるとき、いつも息を止めている。


 息ができないのではなく、習慣からそうしているというのが正しいが、壁のなかで、どれだけの活動ができるかも、試したことはないのだ。


 おれは長い間、この力とともに生きてきたが、踏み出せない領域がある。その先へ行ってはならないと、心のどこかから警告があるからだ。


「さて……」


 こんなはずではなかった。


 ルークから裏切られることまでは想定していたが、ガナンのことまでは頭になかった。


 おれはあまりにも人と関わることを避け、それゆえに、人が何を考えているかを想像することができなかった。


 その結果がこれだ。


 焦燥感がおれを襲う。


 おれに残されていた余裕が一瞬で消える。


 このままおれは死ぬのか。


 今まで必死に抑えてきた恐怖が、現実を確認していくにつれ、おれの体をじわじわと蝕んでいった。


 駄目だ。次に何をすべきか考えろ。行動を起こし、思考を途絶えさせるな。


 でなければ……このまま、おれは、恐怖にとらわれ、死と向き合わなくてはならなくなる。


 思考が止まり、時間が止まった。


 …………………………………………

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………


 いったいどれくらい、ここにいるのか、もうわからない。


 体の感覚が闇に溶けていく。


 恐怖がじわりと頭を覆い、全身に広がっていく。


 さむい。


 壁から、地面から染み出すさむけがおれを侵し、かき回しているようだ。


 考えることをやめてはいけない。行動することをやめてはいけない。


 しかし、肝心の体が動いてくれなかった。


 全身が震え始める。絶叫したくてたまらない。


 このままでは、おれは、くるってしまう!!


「うわああああああああああああああ!!」


 おれは壁に向かって走り出した。何か考えがあってのことではない。


 そうしなければおかしくなってしまいそうだった。


 おれの体は壁を通り抜け、地面に潜る。


 すると、そこには、新たな闇があった。


 おれの体は浮遊感に包まれ、そして、下へと、落ちていった。

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