虚ろな希望

 おれはその日まで、確かにうまくやっていた。


 屋敷の人間に姿を見られたことはなかったし、証拠だって残さなかった。壁を抜けるなどという力はそもそも誰も持っていないため、証拠など残りようもなかった。


 だが、仮に大きな失敗がなくとも、約束の日はやってくる。


 これまで何度も経験してきたつもりだったが、おれはその時を予測することができなかった。悪はいずれ裁かれる。教会の言葉を信じるつもりはなかったが、確かに、一理あるのかもしれない。


 おれはその日も壁を抜け、容易く貴族の屋敷に侵入した。もはや取り立てて集中をすることもない。頭を切り替えれば、いつでも、どんな状況でも壁を抜ける技術を身に着けていた。


 屋敷の構造も外観を見ればだいたい予想がついた。仕事をこなす過程で貴金属があるらしい部屋は、手に取るように分かった。


 おれは屋敷の壁を抜け、音を立てずに階段を登る。二階につくと壁を抜けながら言葉の意味の通り、一直線に突き進む。 壁を抜けるときに音はしない。そのため、扉を開けるよりもずっと見つかる可能性が低いためだ。


 目的の部屋はすぐに見つかった。隣の客間らしい部屋の壁を抜け、壁から寝室に侵入する。意図しない場所からの侵入に、人はとことん弱いものだ。


 宝石は、たいてい豪華な鏡の調度品の引き出しに入っている。


 おれは鏡から顔を出し、部屋の人間が寝静まっているのを確認してから逆側から引き出しを開ける。この日の標的は王都で評判の伊達男だ。普通は女の方が宝石をため込んでいることが多いが、この男は違う。金に飽かせて全身を着飾り、王都の歓楽街で、金をばらまくことを生きがいとしていた。


 金払いが良いということは、金銭にも頓着がないということだ。警備も甘いし、引き出しにも乱雑に宝石が詰まっている。


 貴族全員がこれならば、もっと楽に仕事ができるんだがな。


 ある程度めぼしいものをあさり、手の中に宝石を握りこんで隣の部屋に戻る。


 とりあえずはこのくらいでいいだろう。


 おれは宝石を懐にしまい込み、いざ、再び壁を通り抜けようとした。


 その時だ。


「いやはや、どうやったかわからないが、素晴らしい手口だ」


 おれの動きが固まる。そこには燭台を掲げた貴族の男がいた。


 おれは、急いでその場から逃げようとする。


「待ちたまえ、まさか、この屋敷で気づいているのは僕だけと思うまいね?」


 と言われて動きを止めた。


 まずい、ついにやらかしてしまった。


 しかし、一体おれは何をやらかしてしまったというのだろうか。いつもどおり、絶対に見つからない方法で盗みに入ったはずだった。それが、こうも簡単に見られるとは……。


 男は平然として燭台を机の上に置き、椅子に座った。男の顔がぼんやりと浮かび上がる。


「まあ、座りたまえよ。僕も通報なんて真似はしたくないんだ。部屋を他人に探られるのが嫌なんでね」


 男はいやらしい微笑を浮かべておれに正面の椅子を勧めた。


 おれは断ることもできず、男の言うとおりに椅子に座る。逃げることなど考えられなかった。おれは初めてのことに動揺しきり、冷静な判断がつかなくなっていた。


「ふむ、酒でも持ってくればよかったな。僕はシラフで人と喋るのが苦手なんだ。女性ならまだしも、男と喋るなんて退屈で仕方がないだろう? 酒があれば口が回るようになるんだがね」


 べらべらと耳障りな声で喋る男に、おれは何の返答もしなかった。出来るような状況でもなかった。


「そうだ。まずは自己紹介をしよう。いや、実際のところ、自己紹介についてどう思う? 人はみな初めて会うと自己紹介ばかりする。相手と二度と会うこともないかもしれないのにさ。街の人々はどうか知らないがね。貴族なんて会食やパーティーの時にしか会わないことなんてほとんどさ。当然酒が入っているわけだし、すぐに忘れてしまうだろう? 僕と関係がある、あるいは関係を作らなければならない人間は、名の知れた貴族がほとんどだし、だったら形式ばった自己紹介なんて面倒だと思わないか? 僕はそう思うね。僕の名はルークだ。名前なんてどうでもいいんだが、自己紹介をするとしたら、名前だけで十分だろう? どうせすぐに忘れてしまうのだろうが、君の名前も聞いておきたいな。聞いたところですぐに忘れてしまうから、君のような仕事をしてる人間でも安心して言ってくれていいんだよ」


 こいつの言っていることはわからない。酒でも飲んでいるのだろうか。だが、おれは男を刺激するわけにはいかなかった。


「ミルコ」


 短く答えた。


 名を調べたところでおれにたどり着くことはないはずだ。


 おれは相手の様子をうかがう。


 これまで何人もの貴族を見てきたはずだが、こんなに変なやつは初めてだった。


 いや、それとも……


 おれは壁のなかでやつらの声を聞いたり、寝静まった部屋で顔を見ていたにすぎない。貴族というやつらはそもそも、皆おかしいのかもしれない。


「ミルコね。うん、覚えとくよ。少なくともこの場ではね。僕は、対面した人間の名を間違えるようなことはしないんだ。次に会ったときはわからないけどね。君は僕のことを不審に思っているだろう? 当然のことさ。盗みに入られた屋敷の主人がこんなに落ち着いているなんてね。でも貴族がみんな僕のようだと思ってもらっても困るよ。僕は特別なんだ。自分が特別と思い込むことにかけちゃ、僕の右に出る者はいないだろうね。昔は僕に付き合って、変人のふりをしてくれる友達もいたんだが、みんな年を取ると大人になってしまってね。貴族なんてつまんないものさ。だから僕は貴族がするようなことはあまりしないようにしてる。例えば盗みに入られても大声を出さないとかね。そんな些細なことでも、特別なことに変わりはない。そうだろう? しかし君も厄介な家に入り込んだものだね。まさかこんなことになるなんて思わなかっただろう? 思うものか。でも、起こるんだなあ。人生は驚きの連続さ。この前驚いたことと言えば……」


「おれをどうするつもりだ」


 際限なくしゃべり続けるルークに向かって言葉を投げかける。このままではらちが明かない。男をほおっておけばそのまま朝まで喋っていそうな怖さがあった。おれは何とかしてこの状況を動かそうとしていた。


 場合によっては、これまで一度も試したことのない、手荒な真似をやるべきということも検討する必要がある。


「すまない、話がそれてしまうのは僕の悪い癖なんだ。でもね。素晴らしい女性ってのはこんな僕でも愛してくれて、終わりまで聞いてくれるんだよ。だから僕は今までいろんな女性と付き合ってきたけれど、悪い女に引っかかったことはないんだ。皆いい人さ。ああ、またやってしあった。君は僕の愛しい人ではないからうかつに長話をするものではないね。僕が言いたいことは簡単なことなんだ」


 そしてルークは動き続けていた口をようやく閉じて、おれを見据えた。鋭く、引き込まれそうな目をしていた。


「君に仕事を頼みたい」


 おれは混乱する。いったいこいつは何なんだ。素性も知れない盗みに入ったおれに、何を頼もう問うのだろうか。おれは黙ったまま、ルークの言葉を待っていた。


「なぜ自分に頼む? って顔をしているな。君の疑問はその通りだ。でも僕にもやむにやまれぬ事情があるのさ。といっても、個人的な趣味に他人を巻き込むわけにはいかないという、極めて個人的な理由からだけれどね。君のように素性のしれない人間に頼むしかないんだよ。それに、君には僕の恩情により通報されなかったという貸しがある。僕はねえ、王都の女性のほとんどと知り合いなんだ。もちろん愛させてくれなかった女性もいるけれどね。たとえば、僕が、その令嬢たちにちょっと言ってやる。君が宝石を奪っていることをね。今はまだ気づいていないけれど、彼女たちにそんな助言してやるだけで君の仕事はぐっとやりづらくなるだろうね。僕の依頼を聞かなけれあばならない理由もそこにあるんだな。なあに、悪い話じゃない、見事仕事をやり遂げてくれたら、十分な報酬を払うよ。何なら、今君が持っている宝石を前払いとしてあげたって良い。君は仕事を失敗することなく、新たな仕事にありつけるわけだ。どうかな?」


「話は聞こう」


 おれは短く答えた。そうするしかなかった。


「話“は”って言い方は素直じゃないなあ。君は聞くしかないんだよ。ま、どうでもいいや。要件“は”手短に話すよ。僕は貴族みたいな生き方が嫌だって話はしたと思うけど、奇妙な話や面白い話に目がないんだよね。この息苦しい人間関係のなかで苦しんでいる僕の心の拠り所さ。それで僕は先日、面白い話を聞いたんだ。なんでも、王都のはずれにある、今は廃墟と化した古城にお宝が眠ってるらしいんだよね。王都を立ち上げたファルス王が、他国を併合する過程でほろぼした国の王が建てた城だよ。ファルス王の恩情で一族根絶やしを免れたついでに、城もとり壊されずに済んだわけなんだけれど、そこの地下に、元住んでいた王が、お宝を隠していたらしいんだよね。しかし僕に言わせれば、ファルス王はひどく性格が悪いね。ひと思いに一族の痕跡を消し去ってしまえばよかったものを、半端に生き永らえさせて、ほろびゆく城を残し続けたんだからね。陰湿なやり方さ。これも余計な情報だったかな。とにかく、初代の王の威光もあって、城は手つかずのまま残っている。周囲に魔物ははびこっているし、城は崩れているところもあるが依然として堅牢で、ちょっとやそっとじゃ侵入できるものじゃない。君には城から宝物を取ってきてもらいたいんだ。僕は別に金が欲しいわけじゃないから、持ってきたら全部上げてもいいよ。僕はあの城にロマンを感じているんだよね。今や滅びて久しい一族の宝なんてワクワクするだろう? 僕は一握りでもそのお宝を見れたらそれでいいのさ。君の技を直接見たわけじゃないけれど、まったく気づかれず侵入するなんて大したもんだよ。その力を僕の依頼に役立ててほしいってわけさ。もちろん宝がなくたって報酬は払うよ。ロマンってのはそういうものだからね。手ぶらってのもなんだから、城の中に何があったくらいは聞きたいけどね。さて、僕の依頼はわかったかな」


「ああ」


「ということは引き受けてくれるね?」


「断る選択肢はないんだろう?」


「分かってるじゃないか。宝を見つけたらすぐに連絡してくれよ。出来るだけ早い方が良いな。何しろ僕は飽き性なんでね。さっさとやってもらわないと忘れてしまうからね。頼んだよ」


 そう言って、ルークはいやらしく笑みを浮かべて懐から折りたたまれた紙を取り出し、机に置いた。


「これが古城までの地図だ。調べればすぐにわかることだけれど、一応渡しておくね。優しいだろう。僕は仕事をしてくれる人に雑な扱いなんてしないのさ。さて、これで僕の言いたいことは終わりだ。男とこんなに話したのは久々だよ。聞き手が良いんだろうな。君だったらまた話してみてもいいな」


 ルークは燭台を手にして立ち上がった。


 おれに背を向けてドアに向かう。


「君がどうやって部屋に入ったのか知らないが、来た時と同じように、出来るだけ音を立てないでくれよ。メイドたちを起こしたくはないんだ。じゃあ、楽しみにしてるよ」


 ドアは閉められ、部屋が暗闇に包まれた。


 おれはそこで大きく息を吐く。


 速やかに立ち上がり、壁を抜ける準備をする。こんな場所、一刻も早く抜け出したかった。


 考えることはたくさんある。果たしてルークの言っていることは信用できるものだろうか。


 やつの言っていたことは全て嘘で、屋敷の外はすでに警備兵に囲まれているのではないか。


 壁を抜け、周囲の様子をうかがいながら外に出る。


 だが、警戒されている様子はなかった。


 はやる気持ちを抑えながら、植え込みの陰に隠れて様子をうかがう。


 ルークの言っていた宝のことを考える。本当であれば、おれの懐にはとてつもない金が転がり込み、こんな生活ともおさらばできるかもしれない。


 やつは宝があるかどうかが分かればいいと言った。


 報酬がもらえるのなら、それを機に、これまでの仕事から足を洗えるかもしれない。


 こみ上げる期待を抑えながら、おれは敷地の外に走った。

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