平穏で不安定な生活
その日からのことは、あまり思い返したくはない。
おれはマレの部下から与えられた指示のままに豪邸に忍び込み、宝を盗み出す。それは大きな宝石であることもあったし、絵画であることもあった。
手順はいつもとさほど変わらない。壁を抜け、部屋に入って物を盗む。ただモノがでかくなると多少手間がかかる。壁抜けで持ち運ぶ物は、おれの肌に接していなければならないからだ。
この接するという条件が意外と厳しく、手に包み込めるものならほとんどの場合問題ないが、でかくなると欠損の可能性があり、それでは物の価値が下がる。
おれの体感で言うと大体八割。となる大型の絵画などを運ぶことは難しい。いくら手を広げてみたところで、服が邪魔になるし完全に密着などできるわけがないからだ。
とはいえあまり苦労はしなかった。
絵の大きさにもよるが、部屋に窓さえあれば、どこかの部屋からシーツなどの大きな布を折りたたんで持ち出し、絵画をくるむ。そして窓から放り投げ、素早く屋敷を脱出する。何度か危ない橋を渡ったこともあったが、これで大抵のことは乗り越えることができた。
盗むことは苦にならない。
あまり自分でも言いたくないことだが、おれにとっての天職ともいえる。
にもかかわらず、おれは仕事に嫌気がさしていた。
いくら神を信じていないおれでも、少なからず罪の意識ってのは芽生えてくる。これまでは生きるためと自分に言い訳することもできたが、数を重ねるにつれ、それも効かなくなってきた。
おれは罪の意識に苛まれていたのだ。
ユリアンの棚にあった神の教えが書かれている本にあった悪徳と罪という言葉。善い行いをすれば天国に導かれ、悪い行いをすれば地獄に落とされる。
そんな、鼻で笑っていた言葉が、いつしかおれを悩ませ、苦しめるようになっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
仕事の終わりには、なぜかマレに呼び出された。
はじめは、おれの力に関して探りを入れているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
場所は毎回違った。
これが最初に連れ込まれた地下の拠点のような場所だったら、おれを監視し、圧力をかけたいという意図がわかる。しかし、たいていの場合は、大通りに面する高級な飲食店の個室だった。
おれはいつもそこで、マレから飯を食わされた。これまでろくなものを食べてこなかったおれにとってはありがたい話であったが、それでも、相手の意図がわからず困惑するばかりだった。
その日は、肉料理の店だった。おれの前には巨大な鳥の丸焼きが置かれていた。
「おう、今日も良くやってくれた。まあ食ってくれ」
おれは黙って肉を食う。
「……前々から思ってるんだが、コソ泥のくせに食い方をよく知ってるねえ。あんたは育ちの悪さからくる下品さがない。今じゃ叩き直してまともになったけど、あたしの周りに集まるやつなんて食い方が悪くて見てらんないんだ」
「まあな」
「どこで習った?」
「……」
おれは沈黙で答えた。
これで怒り出すのならまだいい。しかしマレは、そのことにも意を介さず、
「ここの鳥はうまいだろう。ほかの料理は普通だが、店主にこだわりがあってね。王都近くの農場と専属契約をしている。味がほかの店と段違いだ。これも才能というものかな?」
など言ってくるからたちが悪い。おれにはまったくマレの考えがわからなかった。
分からないことと言えば、おれとマレのほかに個室には誰もいないということだった。
仮にもならず者の頭を張っているようなこの女が、どういうわけで、護衛もつけず、おれのような得体のしれない男と対面で飯を食っているのだろう? それもまた一つの謎だった。
「今日あんたが盗みに入った屋敷はね、いつもとは違うんだ。わかったかい?」
「あんなに警備がしっかりした屋敷は久しぶりだった」
マレは笑う。
「はは、そうだろう。実はね、事前に盗みに入ると伝えていたんだ」
「何故そんなことをする?」
「脅しのためさ。あたしの話に耳を貸さなかった報復に、ちょっとね。あいつ、いまごろ震えてるだろうさ。なにしろ、守りを固めてたにもかかわらず、予告通りに盗んじまうんだからね」
「仕事が面倒になるからやめてくれよ」
「ハハ! すまなかったね」
まったくすまなそうにしていないが、おれは強く言う気にもなれない。
「あの宝石はどうなる?」
おれは話を変える。盗んだものがどうなるのか、それが知りたかった。
「しばらくはあたしが持って目の肥やしにでもするさ。その先は……気になるかい?」
「ああ、おれが盗んだものだしな」
するとマレの表情が鋭くなった。おれは気圧され、それだけで背筋に汗が伝う。
「やめときな。あんたには報酬を払っているだろう。その先のことを詮索するなら覚悟が要るよ」
個室の時間だけが止まったようだった。
「……すまなかった。余計なことを聞いた」
するとマレの表情は和らぎ、豪快に笑った。
「ハハハ、それでいい。さ、仕事の話はやめにして、このうまい鳥を食べようじゃないか。ほかにも食べたいものはあるかい?」
「いや、これで十分だ」
「ふうん、あんたも謙虚だねえ」
おれは一息つき、気取られないように深く息を吐いた。
「そうだ、レベッカの令嬢なんだけれどね。知ってるかい。この王都で一、二を争う美人なんだけどさ」
「知らないな」
「あんたってホントに世情に疎いんだねえ。あたしが情報屋なら、あんたにそういうことを調べさせるんだけどね。ま、いいや。レベッカ嬢が屋敷の下男に手を出したって噂さ。今のところ、どこにもバレちゃいないらしいが、これが表ざたになったら、レベッカもただじゃすまないだろうね。あの屋敷の主人は、そりゃもう、娘をかわいがっていたからね」
「ああ、ゴザの屋敷か。そこなら王都に来たばかりの時にやったことがある」
「へえ! やるねえ、あんたも」
「盗る量は抑えたから気づかれてねえはずだ。そこの娘のことは……覚えてねえな」
「ほんとうかい?」
「ああ。金とは関係がないからな」
「あんたって女に興味ないんだね。その年なら、もっと遊びまわってもいいだろうに」
「おれにはわからん」
痛いところを突かれて声を抑える。本当は売春宿に行けるほどの金を持っているが、値段を見て驚いて以来、行く気になれなかった。それに、おれはそういう場所が怖かったのだ。
マレを見ると、ニヤニヤしてこちらを見ていた。
「ま、いいさ、女で身を持ち崩すやつを嫌というほど見てるからね。これからもお堅く頼むよ」
「馬鹿にするのはやめてくれ。仕事はやる」
「おっと口が滑った。気を悪くしないでくれよ」
このようにして、だいたいは、王都のどうでもいいような噂を聞かされるのがほとんどだった。仕事の話はほぼなく、おれの力を探るようなこともしない。
一体なぜ、マレはおれにこのような扱いをするのだろうか。わからないまま、おれは仕事をして、終われば彼女の相手をした。それは、ある意味では、平和な時間だとも言えた。
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