盗人の矜持

 さて、王都に出たからといって、なんの経験も実績もないおれが、まともに生活できるわけもない。それは当然のことだった。


 おれが持っているものと言えば、服と、屋敷でほんの少しだけ失敬した手に持てるくらいの金貨だけ。もう一つあるとすれば、壁を抜ける力だけだった。


 おれは不思議と、迷うことはなかった。


 罪悪感などなかったし、その時は神も信じていなかった。


 やることは決まっていた。


 盗みだ。


 われながら、なぜもっと早く気付かなかったと思う。


 自由に壁を抜けることができ、証拠も残さないとなれば、盗みのためにあるような力じゃないか。


 おれは大通りをしばらくぶらつき、食事をして初めての宿に泊まった。もちろん安い宿だったが、外で飯を食ってみて、王都での生活の感覚をある程度掴んだところで、おれは初めて盗みに入った。


 金周りの良さそうな屋敷の壁を抜け、金目の物を拝借した。


 領主の屋敷を歩き回っていたことで、家の構造はだいたい把握している。下働きのやつがどういう動きをしているのかも知っている。盗んだのは屋敷を出る前だけだったが、金がどこにしまわれているのか、価値のある宝石がどんなものかも知っていた。


 やり方は簡単だ。


 屋敷に入り、宝石や金を少しだけいただく。夜中に入れば警備の目は躱せるし、盗む量を欲張らなければ誰も気づくことはない。実際、おれが何件かの屋敷に盗みに入った後でも、周辺の屋敷で警備が強化された様子はなかった。


 ここで大切なのは二つ。


 余裕のありそうな家を狙うこと、そして、おれが生きるのに必要な分だけをもらうということだ。おれも馬鹿ではなかったから、派手な動きをすれば目をつけられることはわかっていた。


 だから少しずつ、慎重にやった。


 盗んだ宝石を換金のする時は、拝借した貴族の服でやった。換金の場所も複数持ち、都度服装を変えた。念のため決まった宿を持たず、定期的に何度も変えたし、宿帳に書く名前は宿ごとに変えた。


 実際のところ、それでうまくいった。


 おれは誰にも捕まることなく、それから王都で数年を過ごした。


 しかし、終わりというものは、いつも突然やってくる。


 いつものように換金を終えた後、宿に戻ろうとしたとき、強面の男たちに取り囲まれた。動きは迅速で無駄がなく、おれは有無を言わさず体を拘束され、目隠しをされた。


 おれはひどく動揺したが、それを表には出さなかった。


 いつかは起こると思っていたことだったからだ。


 王都はきれいな場所ではない。おれのように盗みを働く同業者がいて、そいつらが王都に現れた新人の動きに気づいた。要はこんなところだろう。わざわざ小分けに、売る先まで買えたのに、なぜおれが盗品を扱っているのがばれたのか。


 その理由はすぐに分かった。


 ひんやりとした空間で、おれは目隠しをされたまま、椅子に縛り付けられていた。


 目隠しが取られる。


 正面に居たのは、目鼻立ちが整った、しかしやけに体ががっしりしている女だった。地下室らしき薄暗い場所で、ランプの明かりに照らされ、その姿の陰影がくっきりと浮き出ていた。


 装飾のついた豪華な椅子に座り、口の端を吊り上げるような笑いを浮かべていた。女の周りには数人の男たちが直立しており、微動だにもしていなかった。


 おれはこの状況から、今いる場所が王都を牛耳る組織の拠点か何かだろうと踏んだ。


「どうした? こんなことされて驚かないのかい? それとも驚く余裕がないくらいおびえているのかい?」


「まあ、いつかはこうなるかもしれないって思ってたよ」


 本当のことだ。どんなにうまくやろうとしても、終わりの日は必ず来る。


 それは前にも経験していた。


「なんでバレたんだって、不思議に思っているだろう? 簡単なことさ、貴金属を捌くのはあたしたちの役割だからね。いくら場所を変えようったって、長くやってりゃ目に付くのさ」


「結構うまくやったと思ったんだけどな」


 おれは半ばやけになって、目の前の女に言ってやる。


 すると女は嬉しそうに笑った。


「ああ、確かにうまいことやっていた。だがあまりにうますぎた。あれだけの額の取引、普通なら放っておくさ。どの道いずれ失敗するもんだ。だがあんたは違う。あんたは抜け目がない。貴族の間じゃ盗まれたなんて話題は聞こえてこないし、売られた店の間でも噂になっていなかった。あんたの動きがわかるのは、帳簿に目を光らせているあたしぐらいのもんさ」


「へえ、そりゃあどうも、褒められるってのは悪くないね」


「あんたは有能だよ。前にいったい何をしていたのか知らないが、学もありそうだ」


「そんなの見た目でわかるか?」


「わかるさ。あたしは人を見る目だけは確かだって自負がある。有能で学があり、察するところいかれた思想も持ってない。あんたは一体何で盗みなんてやってるんだい?」


「そりゃおれのこと買い被りすぎだ。おれはついこの間、王都に出てきた田舎者さ。経歴なんてどうでもいいじゃねえか。ま、生きてりゃいろいろあるわな」


 おれは内心ひやひやしながらそんなことを言う。足元を見られてはならない。当然、壁を抜けることができるなど、絶対に言ってはならない。


「いいねえ。あんた、名前はなんてんだい?」


「……ミルコ」


 名前などどうでも良かった。この名は4番目に使った宿の宿帳に書いた名前だ。


「ミルコね。あたしの名前も言っとこうかな。あたしはね、マレってんだ。裏では名が通ってるらしいけど、そんなことを自慢するつもりはない。あたしは自分のやりたいようにやってるだけでね。気づいたらこうなっちまってた」


「聞いたことねえ名だ」


「そりゃそうだ。コソ泥にまで名が知れ渡ってちゃ、この稼業はやっていけないよ」


「そのコソ泥を潰すには、少し手が込みすぎてやしないか?」


 そこで女はニヤリと笑った。


「察しが良いね。早速本題に入ろうか。あんたには、あたしたちの仕事を手伝ってもらいたいのさ。ミルコ、あんたの盗みの腕は大したもんだ。あたしはあんたがどんな技術を持っているかには興味がないし、聞く気もない。気になるのはただ一つ、あたしの役に立つかどうかってことだけだ。どうだい?」


 おれは黙っていた。頭のなかでいろいろなことを考える。


「……選択肢はないんだろう?」


 マレは地下室に響き渡る大声で笑った。


「その通り! 話が早いね! 断ったら、この場で死んでもらうつもりだった。あんたみたいな抜け目のない奴は放っておくとろくなことにはならないからね。勝手に捕まって牢屋に入れられるのならいいが、王都のごろつきどもに利用されても困る。あたしらにも敵が多いんでね」


「どうせ汚ねえ仕事なんだろ」


「まあそうなるね。嫌かい?」


「ああ、おれは自分が生きて行けるだけの金があればよかった。しかし、そうもいかなそうだ」


「やはりあたしの目を正しかったようだ。後であんたに指示を出す。ここですべて話してしまうなんてことはしない。うちはその辺しっかりしてるからね。情報の取り扱いは慎重に。これが裏で生きるための鉄則だよ」


「やるよ。おれのやり方でやらせてくれるならな」


「うちは実力主義なんでね。やり方は何でもいいさ。報酬も悪くはないはずだ。あたしは仕事のできるやつを粗末に扱ったりはしない。だが、失敗したら……」


「自分で責任を取れってことか。横暴なやり方だ」


「ハハ! つくづく面白い奴だ。あんたのことを知りたくなったよ。もっとお近づきになりたいくらいだね」


「遠慮するよ。おれは一人が好きなんでね」


 女はまた大きな口をあけて笑い、そのあとすぐにおれは解放された。地下室に連れてこられた時と同じように目隠しをされ、明るくなったと思ったら、強面の男たちはすでにおれの周りに居なかった。


 大通りの裏路地で解放されたおれは、誰もいないことを確認して崩れ落ちた。


 必死に余裕のあるふりをしていたが、おれは怖くて仕方がなかったのだ。


 死ぬか生きるかの状況で、おれは何とかマレという女からの信頼を得た。あの時言ったことはすべて本音だった。盗みなどできればやりたくないし、生きるためのやむを得ない手段だった。


 だが、とにかくおれは犯罪組織の下請けになってしまったわけだ。

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