貴族と民衆
新しい生活が始まって、おれは一人で自分が生きる方法を作り上げていった。
おれは焦らなかった。
食料はたくさんあるし、欲張らなければ見つかることもない。
まずやったのは寝床の確保だ。
置かれた木箱などの荷物を移動させ、壁際に隠れ場所を作った。これで、突然扉が開いたとしても、ある程度の時間を稼ぐことができる。見つかるまでに壁を抜けてしまえば、おれがいたことなど絶対にわからない。
居場所ができたところで、次にやったのは屋敷の人間を知ることだった。
目指したのは足音だけで誰が歩いているのか判断できること。
そこまで完璧でなくても、食糧庫を開けそうなやつかそうでないやつかを判断できることは重要だった。
太陽の位置を確認し、食糧庫を通りかかる人間の足音を聞き分け、おれは日の傾きと音から屋敷の情報を手に入れていった。
身の安全を確保するだけでは、おれの気はすまなかった。
おれの目的は野菜と塩辛い食料だけがある狭い寝床に居るためではなく、屋敷の中で生活することだったからだ。
はじめは夜、屋敷の人間が寝静まってから移動した。
ひとまず各階の部屋の役割と場所を覚え、そこからさらに移動する際の導線や時間帯を調べた。
屋敷の部屋のほとんどは、使用人か、守衛の部屋に割り当てられている。
つまり意外と人が多いというわけだ。
おれは建物の構造と配置された人員を把握し、少しずつ屋敷での生活に慣れていった。
慣れてしまえば何も怖くない。
おれは窮屈な食糧庫から解放され、厨房に忍び込むようにもなった。
貴族の食う美味い飯の残り。野菜だの干した肉だのをかじって暮らしていたおれにとって、それは体が震えるほどうまかった。
足音が立たない歩き方。感情を操作して即座に壁を抜ける方法。
その頃には、おれの技術はかなりのものになっていた。
厨房だけでは飽き足らず、おれはさらに行動範囲を広げた。
そこで目をつけたのが子ども部屋だった。
部屋に物が多く、身を隠す場所に困らなかったというのもあるが、大人の部屋に忍び込む勇気がなかったというのが本音だ。見つかった場合、子どもならまだしも大人から逃げ切れる自信はなかった。
焦らず油断はしない。
それが屋敷で生活するために重要なことだった。
寝床である食糧庫と子ども部屋を往復する日が続き、やがておれは貴族の息子に興味を持つようになった。
名前はユリアン。
年齢はおれより下だろう。幼さが顔や仕草にも出ていた。
青白い顔をして、体の線も細い。親の言うことをよく聞き、そして、いつもつまらなそうな顔をしていた。
確かにユリアンの生活はつまらないの一言に尽きた。
いつも机に向かって、まとめられた紙の束を見て、そしてインクの付いたペンで紙に文字を書いている。
初めて見た時には何をやっているのかわからなかったが、ユリアンは家庭教師と呼ばれる男から、優秀な貴族になるための教育を受けていた。
もちろん村にも教会はある。おれのような子どもたちは何日かに一回、聖職者から教えを聞くことになっていた。
だが、教会では本はもちろん、ペンや紙も与えられなかった。
おれと貴族ではここまで違うものかと驚き、それ以来、昼間にも身を隠せる場所を見つけユリアンの動きを追うようになった。
ユリアンは朝起きると使用人の手を借りて服を着替え、食堂に向かう。そして戻ってくるとすぐに机に向かう。
机には本と紙の束が置かれ、ユリアンはそれをつまらなそうに見ている。
そこに現れるのがいかにも貴族といった格好をした家庭教師だ。
教師はユリアンに向かって喋り続ける。
休憩の間に食事を済ませ、また机に向かう。
こんなことを一日中続けていた。
はじめは行っていることが全く分からなかったが、おれは少しずつ言葉を理解する。
そして、ユリアンが毎日机に向かう理由を知った。
貴族の息子はある程度の歳になると王都の学校と呼ばれる場所に入らなくてはならない。学校では民衆を管理する方法を学び、地元に戻り親の領地を継ぎ、あるいは王都での仕事に就くらしい。
ユリアンはそのために勉強していたのだ。
なんだつまらない。
貴族はもっと自由で、毎日を適当に生きているものだと思っていた。
だが、そんなつまらない日常を観察するなかでも収穫はあった。
おれはユリアンの部屋で本というものに出会えたからだ。
子ども部屋には天井まで伸びる巨大な本棚があった。
当然、文字は読めない。
だが、教師の言葉を聞いてから、おれは本を読めるようになりたいと思えるようになった。
教師は言った。
「書物とは先人の積み重ねた知恵を後世に残し、技術、ひいては文明を発展させてきました。本には人が必要とするあらゆるものが詰まっている。知識とは力。すなわち文字を読む力を持つことは、生きるための力を得ることと同義なのです」
それで、おれは文字を学ぶことを決めた。
おれは一人でも生きて行ける力が欲しかった。
教師の話を聞いて言葉を知り、実際に本を読むことで、音と文字を結びつける。
おれは文字を学ぶことと並行して、教師がユリアンに教える言葉から世の中の歴史を知り、数の概念を知り、基本的な物事の仕組みを知った。
この時に手に入れた知識が、後のおれを作り上げたといっても過言ではないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
歴史の授業で、記憶に残っていることがある。
「――つまり、われわれと魔物というものは、持ちつ持たれつというわけですな」
教師が言う。やつの教えることはためになるが、喋り方が気に入らない。いつも偉そうで、世の中の何もかもを見下しているようだった。
「魔物は悪いわけじゃないの?」
「そう、魔物は我々を常に追い詰める脅威の存在ではあります。ですが、魔物から取れる素材、そして何より、ダンジョンの存在が、我が王都の発展に寄与してきたのです」
「素材って何に使うの?」
「われわれの生活に欠かせないさまざまな日用品で利用されています。例えば馬車の車軸周辺の部品です。かつては人が乗ることなど困難なほど柔軟性がなく、道の凹凸に影響を受けていましたが、魔物からとれる骨を使用することで格段に乗りやすくなりました。このように、さまざまな場所で、魔物の素材が利用されています。魔素を含むため耐用年数が長く、劣化もしにくい。まことに素晴らしい素材なのです」
「ふうん。あんまりわかんないや」
「あなたも王都へ行けば、その技術力に驚くことでしょう。魔物の素材はあらゆる場所で使われています」
「王都かあ、また行きたいなあ」
「あなたが、勉学に励み、優秀であると認められれば、王都からお声がかかることでしょう。王は公平なお方です。あなたはいずれ、王都の宿舎に入ります。そこで優秀だと認められれば、より多くの領地が与えられるのも夢ではありません」
「また勉強?」
ユリアンが不満そうに言う。
「そうです。学びはこれから先もずっと続きます。初代ファルス王もまた、勉学に優れたお方でした」
「ねえ、また王様の話を聞かせてよ」
「よろしい。あなたも参考にされるべきです」
そして、教師は本を置き、演説でもするかのように話し始めた。
「初代ファルス王の功績は、軍をまとめ上げ、当時乱立していた国々を併呑したこともさることながら、先ほどお話した魔物の供給を掌握したことにあります。冒険者ギルドを立ち上げ、領地内にはびこる魔物の素材を集約しました」
「冒険者!」
ユリアンの声が弾む。
「冒険者が強いからこそ、国家に必要な素材も集まりやすくなったというわけです。まずはここを抑えておく必要があります。冒険者ギルドの発展により、我が国はより豊かになりました。魔物は村を襲い、人々の命を奪う凶悪な存在ではありますが、魔物がいなければ、王都の繁栄もなかったと言えるでしょう」
「うーん。冒険者ってかっこいいよね。魔物を倒したりできるんでしょ? 憧れるなあ」
すると教師は鋭い口調になった。
「そのようなことをおっしゃってはなりませぬ。冒険者は所詮労働者。我々貴族が支配してこそ、彼らは豊かな生活を得られるのです。あなた様も、これから領地を収めるようになられるのでしたら、憧れではなく、その者たちを使う立場として物を考えなくては」
「でもなあ、剣を振ったり、魔法を使ったりしてみたいよ」
「王都の三男、四男で継承権のないものは、騎士であったり、魔術師の道を進む者がいるようですがね。それは王道とは言えませぬ。どのような時代であっても、人の上に立つ者こそが必要とされる存在なのです。その地位を掴むために武力を行使することもありますが、決して自分では手を下さない。支配者に求められるのは、力でも、ましてや魔術でもない。支配者とは物事をはるか先まで見通し、民を導く者。そのために勉学が必要なのです。わかりましたかな?」
「はーい」
ユリアンはわかっているようなわかっていないような返事をする。
「では続きをやりましょう」
おれが教師の話を聞いて思ったのは、おれたち領民と貴族は絶対に分かり合えないということだった。
幼いころから貴族は人の上に立つものだと教え込まれ、そのまま大人になっていく。こんな教育を受けていれば、農民のことなどまともに考えられるわけがない。
おれは納得しながらも、同時に落胆もした。
貴族とおれとは根本的なところで違っていたからだ。
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