力の発現
ぼくはレマルとヒルダの隠れ場所から離れ、風による防御壁をまとった。周囲の枯れ葉が舞い、かさかさと音がした。
投石などは防ぐことはできるが、それ以上の攻撃は防げない。けれどないよりはましだ。
次にやることは決まっている。
ぼくは呪文を詠唱し、空を見上げる。
すると、繁茂する木々の枝が揺れ、
ボオオオオオオオ!!
という大きな音を上げる。
風を木々の隙間にぶつけることで大きな音を出す魔術だ。
もとは野生動物などを追い返すために使用するものだが、今はおとりに役に立つ。それに、風を巻き起こすことでレマルの血匂いをかき消すことだってできる。
すぐにギャアギャアとゴブリンたちの騒ぎ声が近づいてきた。
足が震える。でも、ここを動くわけにはいかない。
ヒュ!
ぼくの顔の横を小石が通り過ぎる。
これは威嚇だ。ぼくなどいつでも殺すことができるという合図だ。
相手の知能を見くびってはいけない。やつらは道具も使えば、獲物をなぶりさえする。ぼくが少しでもわかりやすい動きをすれば、おとりだとばれてしまうだろう。
周囲の木の影に、ゴブリンの気配を感じ、ぼくは詠唱を始める。
“大気、対流、上昇、下降。上昇強化、下層固定化、回転、回転、回転。風は地に根付き、あらゆるものを虚空に放つ”
ゴブリンが隙を窺っている。
でも、ぼくはまだ動かない。葉がこすれる音がして、ゴブリンが一斉にとびかかる。
「渦巻く風よ! 地上に舞え!」
ぼくの魔術が発動する。
周囲の円周上に暴風が巻き起こり、数十体のゴブリンをまとめ上げる。ゴブリンの塊が宙を舞い、地面にたたきつけられる。
グゲア!
ゴブリンたちの断末魔が響く。
空気が変わった。ぼくが警戒に値する相手だと気づいたのだろう。ゴブリンたちが茂みの中から出てきて、ぼくを取り囲み、じわじわと間合いを詰めてくる。
ぼくは間髪入れずに次の手を打つ。正面に向かって殺傷能力の高い風の刃を放った。
数体のゴブリンが引き裂かれ、道ができる。ぼくはそこへめがけて走り出した。ゴブリンたちは虚を突かれたことにいら立ち、ぼくを追いかける。
仲間を倒され、やつらの頭には血が上っている。あとはどれだけ二人から引き離すかだ。
ぼくは森の中を走り続けた。
木々の間をすり抜け、葉が足元や顔に当たって痛い。でも、止まるわけにはいかなかった。止まってしまったら、ぼくの大切なものが失われてしまうからだ。
「あっ」
木の根に躓いて転んだ。
顔を地面にこすりつけ、膝も強くぶつけた。
後ろからはゴブリンたちの騒ぐ声が聞こえてくる。
ぼくは慌てて立ち上がる。ひざの痛みが強い。もしかしたら、怪我をしているかもしれない。痛みなのか、恐怖なのか、理由はわからないけれど、ぼくは泣きそうになるのを抑えて、また走りだした。
ぼくは走った。もともと体力のないぼくが走り続けられる時間はたかが知れている。それでもぼくは走らなければならなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
木々が開けた場所に出たのと、ぼくの体力が尽きるのは、ほぼ同時だった。よくぞここまで走り切ったものだと自分をほめてやりたいくらいだった。
ただ、打つ手はもう残されてはいない。
風の防御壁は消え、使える魔術も限られている。
ぼくは開けた場所で、出来るだけ距離を稼いで待ち受けた。
やれて一回、それでもゴブリンたちを吹き飛ばす程度のことだ。
けれど、たった一回で何が変わるというのだろう?
「ははっ」
ぼくは笑った。絶望的じゃないか。生きて戻ると二人には言ったけれど、ぼくの体力と魔力残量、相手の数からして、はじめからこうなることはわかっていた。
そう、普通に考えたら、生きて帰れるわけがない。
「くくっ」
笑いがさらにこみあげてくる。
じゃあどうする? ぼくは死ぬのか?
まあ、死ぬだろう。あとは二人が助かってくれることを祈るのみだ。
ぼくは地面に座り込んで、考えることをやめた。
……と、
"この世界では時として、世界の理から外れた力を持った者が生まれることがある"
突然、先生の声が聞こえた気がした。
もちろんそんなことはなく、言葉が頭に浮かんだだけだ。
懐かしい。ぼくは先生の言葉で、魔術を学ぶことになった。
"理を超えた力を得たものの末路は、悲惨であることが多い。君もまた、力に目覚め、さらに力をつければ、増長し、自らを破滅に追いやる可能性もある。力の方向性や性質によっては、周りにも被害を与えることもある"
先生の言葉が頭のなかで響いている。
遠くから、ゴブリンたちの甲高い鳴き声が聞こえる。
どうせ死んでしまうのなら、やってみても良いかもしれない。
ぼくはその場に腰を下ろし、目をつぶった。
幼いころの記憶を頼りに、自分の内側に深く潜るような様を思い浮かべる。
答えはきっとそこにある。
魔術ではないぼくに備わっている力。
その力を使うことができれば、この状況をひっくり返すことだってできるかもしれない。
仮定の上に乗っかった仮定。けれど、今のぼくが生き残るためには、そんな頼りないものに縋るほかなかった。
ぼくは考える。
あの頃のぼくは、一体どうやって風を起こしていたのだろう。
ふわっ。
目を閉じたぼくの頬を風が撫でる。
そうだ。これだ。ぼくはまだあの時の事を覚えている。
でもまだだ、こんなものではゴブリンたちを倒すことはできない。
風が強くなる。木々がガサガサと揺れる。
まだ足りない。
葉や枝がこすれる音が強くなる。
これで十分か? いや――もっと力が必要だ。
あと少し、あと少しで、ぼくの力の根源にたどり着けるはずだった。
"その力の使い方に目覚めてしまったら、また現れるよ"
声が聞こえた。これは、誰の言葉だっただろうか。
先生に魔術を習う前、もっと前に、誰かから聞いたいたような――
だが、ぼくは声の主のことを思い出すことはなく、さらに奥。力の根源へと近づいて行った。
◆ ◆ ◆ ◆
つまりは簡単なことだったのだ。
魔術とは、周囲に満ちる魔素と接続し、現象を生み出すもの。
接続には精神力が必要で、それを魔力と呼ぶ。
幼いころのぼくは、魔術も魔力も魔素の存在も知らずに風を起こした。魔術を学んだ今ならわかる。何の知識もない状態から、魔術を使用することは不可能だ。
では、魔術とは別の不思議な力があったとして、ぼくはどうやって風を生み出していたのだろう。
風は気温の変化により生まれる。暖かい空気は上昇し、冷たい空気は下降する。基本的にはこれらの現象と地形などにより風は発生する。自然現象は専門外のことではあるけれど、風を扱う以上、これくらいのことは知っている。
例えば、空気を温めたり、冷やしたりできるとする。ぼくの力とはそのようなものだったのか? なにもないところに熱源を発生させるような力であれば、納得できなくても理解はできる。
しかし……
それにしては、ずいぶんとうまく方向制御できていたし、強弱も調整できていた。さらに言えば、幼い頃ではあるけれど、吹かせた風は周囲の気温と変わらなかったはずで、特別温かかったりした記憶はない。
ならば、ぼくの力とはなんだ?
ゴブリンたちがなだれ込んでくる。
ぼくは座って眼を閉じたままだ。
魔物の群れが、開けた場所の縁をなぞるように広がり、こちらの様子をうかがっている。
ぼくは一つの仮説を立てる。
例えば、突然、目の前のものが一部がなくなったとしよう。
すると、なくなった場所を埋めるため、周囲のものが流れ込む。
その時、風が生まれる。
仮説が確信に変わり、ぼくは立ち上がる。
その動作に反応して、ゴブリンたちが襲いかかる。相手は力を使い果たした人間。もう用心する必要もない。集団で一塊となった暴力の濁流が、ぼくに迫る。
詠唱の必要はない。ただ一言、きっかけとなる言葉さえ呟けば、ぼくの力は発動する。
そして――
「無よ、顕現せよ」
木々が開けた場所の中心に、無が生まれた。
地面から、ぼくの腰の高さに浮かんだ拳大の黒い点。
それが無だった。
これがぼくの風の正体だった。
無はすべてを飲み込む。ぼくは任意の場所に"空白"を作り、そこに流れ込む空気を操作して風を生み出していたのだ。
ぼくが生み出した無は、周囲のあらゆるものを取り込もうとする。
空気だけではなく、存在するものすべてだ。
無が大きさを変え、ぼくの頭ほどの大きさになる。
拡大とともに、中心に向かって強風が吹き荒れる。
ゴブリンたちも異変に気付き始めたようだったが、もう遅い。
ギャアアアア!
数十匹のゴブリンが、強風に巻き込まれ、中心の無に吸い込まれた。無の先にあるものは、ぼくにだってわからない。
ゴブリンたちは次々と、無に吸い込まれていく。
ぼくは近くの木々の間に杖を引っかけ、吸い込まれないように体を固定し、その光景を眺めていた。
これが、ぼくに備わっていた力だ。
もっと早く気づいていたなら、ゴブリンなど、相手にならなかったかもしれない。
……とはいえ。
気が付くのが遅すぎた。発動だけはできたこの力は、止め方がわからない。無はどこまでも大きくなっている。このままでは、ぼくも、ゴブリンのように――
ゴブリンたちを吸い尽くした無はさらに拡大し、地面の土を吸い込み始めている。無の拡大とともに、風はさらに荒れ狂った。
ぼくは杖を強く握りしめ、木の肌に体を押し付けた。
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