仲間との出会い
それから、ぼくはギルドの酒場に毎日のように居座るようになった。
初日に一度も声をかけられなかったぼくは、ひとまず王都の宿に泊まった。両親からもらったお金はまだ十分にある。とにかく酒場で様子を見つつ、仲間を探そうと考えていた。
次の日も、ぼくは酒場に向かった。
けれど、どうしていいのかわからない。誰に声を掛けたらいいのかわからないのはもちろん、そもそもぼくと同じような駆け出しの冒険者の姿が見えなかった。皆ベテランらしい風貌で、使い古された武器だったり鎧だったり、ローブだったりを身にまとっている。さらにはみな険しい顔をしていて、ぼくのようなひよっこなど歯牙にもかけていないようだった。
たまにギルドの扉が開き、若い冒険者が入ってくる。
今日初めて登録しに来たと思われる人もいた。
けれど、彼らはみな、仲間を引き連れていた。受付で仕事をもらい、目をキラキラさせながらギルドを出る姿や、登録するとすぐに、仲間で集まりこれからの作戦を練っている姿などを見ると、ぼくは心が痛んだ。
ぼくができることと言ったら、おどおどしながら周囲を見回すことだけだ。
夜になって、ギルドが酒場としての役割が濃くなると、仕事終わりの冒険者たちでにぎわった。仲間で笑いあったり、喧嘩が始まったりするなかで、ぼくはただ一人、隅っこの席で頼んだ安い夕食をぼそぼそ食べていた。
時折、大声が響き、喧嘩が始まると、ぼくの体はそのたびにびくっとして、食事ものどを通らなくなる。
ぼくはそこに確かにいるのに、まるでいないかのようなどうでもいい存在だった。誰もぼくに気づくことも、声をかけることもなかった。
これではだめだと思っていても、ぼくにはどうすることもできなかった。
何もできないまま数日が過ぎた。
ぼくはその日も、たった一人で酒場の隅で黙って座っていた。
夕方になって、冒険者たちでにぎわうようになっても、ぼくは周囲を眺めることしかできず、おなかがすいたので、肉と野菜をパンで挟んだサンドを頼んで、同じ席に戻った。最近では、カウンターの男の人からの視線が痛い。何も思っていないのかもしれないけれど、どうしてお前はここにいるんだと言われている気になる。
にぎやかな酒場では、いたるところで武勇伝が語られている。あの魔物は強かったが俺の剣技の前では大したことがなかったとか、お前の魔術のおかげで仲間が救われたとか、そんな前向きな言葉であふれていた。
ぼくはそれをうらやましいと思いながら、もそもそと、皿の上のサンドを食べていた。
すると、酒瓶を持った魔術師らしき男が近づいてきた。顔が赤らんでいて、すでに出来上がっているようだった。
「おう、若いの、あんたも魔術師か」
ぼくは突然のことで、思わずのどを詰まらせそうになった。慌てて水を飲んで呼吸を整える。
「はい、そうです……」
「最近ここでよく見るが、仲間でも探してるのかい?」
「そうなんです」
ぼくは声の出し方を忘れてしまったように、かすれた声で答えた。すると彼はぼくの前の椅子に乱雑に腰を下ろした。
「あんたどこで魔術を学んだ? ここで仕事を探してるってことは、王都の魔術学院だろ。にしてはその若さで仲間を探してるってのはおかしな話だな。卒業前に仲間を作る機会なんていくらでもあっただろうに」
「えっと、それが、魔術学院じゃなくて、故郷の先生に教えてもらったんです」
魔術師は酒瓶を机に置き、怪訝な顔でぼくのほうを見た。
「はあ? あんたそりゃ無理だよ」
「無理というと?」
「一昔前なら、その辺のはぐれ魔術師に習ったってやつはギルドにもいたが、今では魔術学院出じゃねえと相手にしてもらえねえぜ。紋章術師だの錬金術師だのよほど特殊技能じゃなけりゃな。ま、最近じゃ学院でもそっちの学部ができて、専門外の領域にも手を伸ばしているそうだがな」
「でも、ぼくはちゃんと魔術が使えます!」
ぼくは自分でも驚くくらいの声で言い返してしまった。
「まあ、落ち着けよ。俺は事実を言ったまでだ。じっさいな、昔のギルドってのは素性も知れねえ魔術師が大勢居て、仲間集めにも苦労したらしい。剣士の強さはすぐにわかるが、魔術の質は同職でもなけりゃわからんもんだからな。んで、魔術学院が力をつけ始めたのもその頃ってわけさ。魔術師なんていう、よくわからん存在に魔術学院出っつう肩書をきれいに張り付けたってわけよ。だから、あんたもよほど頑張るこったな。ここに魔術師探しに来る奴らは、肩書か、後は実績で見てくるからな」
「肩書ですか……」
「まあ落ち込むなよ。認められて名をあげさえすりゃ、魔術師なんて引く手あまたなんだからよ。学院出でも使えねえ奴は多い、良い魔術師ってのは常に不足してるからな。ま、がんばれや」
そういって魔術師の男は席を立ち、仲間のところへ戻っていった。残されたぼくは、残りのサンドをゆっくりと口に入れる。
もう、味はしなくなっていた。
ギルドはどこに何者とも知れない人間を受け入れるほど、優しい場所ではなかった。
そりゃそうだ。皆命を懸けているのだ。依頼する側だって、本当に困っているからお金を出してギルドに依頼を出すのだ。ぼくは浅はかだった。
何度目かの一人の宿で、ぼくは消えてなくなってしまいたいと考えていた。もう無理かもしれない。いっそ家に帰ったほうがいいかもしれない。父は悲しむかもしれないが、母は喜んでくれるだろう。
ぼくの心は限界に近づいていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その日もぼくは、ギルドの酒場の隅に座ってぼんやりしていた。
もはや動く気力もなく、自分の対外的な能力の低さと、うまくいかないこの状況を呪っていた。自分で声をかければいいことなのはわかっている。でも駄目だった。声をかける前から断られることを先回りして考えて、勝手に落ち込んでしまっていた。結局は毎日同じことの繰り返しだ。いつも宿に帰っては、自分の不甲斐なさに絶望する。
ぼくは完全に腐っていた。両親からもらった活動資金もいずれなくなってしまう。ぼくは、そのことについても追い詰められていて、もはや物事を正常には考えられなくなりつつあった。
冒険者ギルドの扉が開く。
現れたのは、若い男女の二人組だった。受付のお姉さんと何やら話し合った後、二人は酒場のほうに向かって歩いてきた。
ぼくは、その姿をただ単にうらやましいとだけ思った。
きっと、仲間と待ち合わせをしているのだろう。彼らは酒場の中央の席に座って、何やら相談し始めた。
いいな、きっとこれから何の依頼を受けるのか、話し合っているのだろうな。
ぼくは自分に仲間がいるところを想像する。魔術師として頼られ、ともに魔物を倒す姿。いや、やめよう、自分がみじめになるだけだ。
気が付くと、二人組のうちの男のほうが立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。ぼくはぽかんとその姿を眺めている。
「君は魔術師だろ?」
あまりの突然のことで、ぼくは口をパクパクさせた。話しかけられたのはいつ振りだったろうか。ぼくは相手の顔を見上げる。短髪で長身の彼は、鈍く光る鎧を身に着け、腰に剣を下げていた。おそらく剣士職だろう。
「あの……えっと……」
「前に組んでた魔術師が抜けちゃってね。良い人材がいないかここに探しに来たんだ。その格好からして君は魔術師だろう? 何が専門なんだい?」
ぼくの動揺に気づいていないとでもいうように剣士が続ける。
「ぼくは……風です」
「風! ってことは攻撃主体か。どれくらい使えるの?」
「風の魔術なら大体は……あとは基本的な魔術は一応使えます」
「へえ! おれは魔術のことはあまり知らないけど、だいたいって言うくらいだから自信があるってことか。どうだろう、差し支えなければ、試しにうちのパーティーに入ってみないか?」
「はい?」
相手の言っている言葉の意味を理解できなかった。パーティーの意味は分かる。自分たちの仲間に加わらないかと言われているのだ。
「いやだから、ほかに仲間がいるってわけじゃないんだろ? 気が合うかどうかもわからないし、ひとまず試しに入ってみてくれよ」
間違いない。彼は、このぼくを、誘ってくれているのだ。
「いいんですか?」
「いいんですかもなにも、そのためにここに居るんだろう? 最初の仕事は、そうだな魔物退治にしよう。さっき受付で聞いたら、村を襲うゴブリン退治のちょうどいい仕事があったんだ。数も少ないみたいだし、お互いの実力を見るにはちょうどいいんじゃないか」
そう言って彼は笑顔を見せた。とても自然な笑顔で、ぼくの心がいくらか和らいだ。
「えっと……」
とはいえ、何と答えていいのかわからない。ほんとうにこの人は、ぼくみたいな人間を誘おうとしているのだろうか。何もできないまま、ギルドに居座り続けているようなこのぼくに。
「どう? 乗ってくれそう?」
顔を出したのは、髪の長い女性だった。背はぼくと同じくらいで、服装から見ても間違いなく聖職者だと思われた。
「うん、今誘ってるとこさ」
剣士が言うと、聖職者が体を乗り出し、
「ごめんね突然。あたしたち、駆け出しの冒険者なんだけど、組んだばっかりなのに魔術師が抜けちゃってね。これからだってのに。パーティーって相性があるでしょ。それで、とにかく誰にでも声をかけみようってわけ。だからって、年季の入った冒険者はうちみたいなところに入ってくれないし、あんたも見たところ駆け出しでしょ? 理由は知らないけど一人だし、だから気楽に入ってほしいのよ。合わないってなったら抜けてもらっていいし、私たちも選びたいから、抜けてもらうこともあるかもしれないけど……でもそこはお互い様でしょ?」
と一息でまくし立てた。
「おいおい言い過ぎだろう。もっと丁寧に勧誘しないと。なあ、仕事仲間になるかもって相手に失礼じゃないか」
剣士は困った顔をしていた。
「でもそれで、あんなハズレ引いたんでしょ。プライドばっかり高くて、リーダーの言うことも聞かない。あんたが言わないのも悪いのよ」
「……まあ、これで分かってくれたと思うが、この聖職者は気が強すぎるところがあってね。それで喧嘩別れしてしまったんだ。だからいやだって思ったらいつでも言ってくれていい」
剣士がこちらを見て苦笑いする。
「ほら! あんたがそんなんだから調子に乗るのよ!」
「あの……!」
ぼくは勇気を出して立ち上がった。
「なんだい?」
「パーティーに入れてもらっていいですか? ぼくも一緒に依頼を受ける人を探していたんです」
言ってしまった。もう後戻りはできない。
「おお! そう言ってくれるとありがたい。良いかな? 聖職者様は」
剣士は嬉しそうに聖職者に話を振った。
「何も悪いって言ってないですけど。あたしヒルダ。よろしくね」
「ぼくはレマルだ。剣士をやってる。受けてくれて助かるよ。君は……」
ぼくは、このギルドという場所で、はじめて他人の名前を知った。たったそれだけのことでぼくは泣き出してしまいそうだった。
「トアです。魔術師です。よろしくお願いします」
ぼくは涙をこらえて言葉を切るようにして言う。
「よろしく。まあ、お互いに駆け出しのようだし、助け合っていこうじゃないか。そして、うちでやっていけると思ってくれるなら、引き続き一緒に仕事を受けてくれたらいい」
そういって、レマルは立ち上がり、ぼくに向かって手を差し出した。
「わかりました」
ぼくはできる限りの笑顔で相手の握手を受けた。とても嬉しかった。これでぼくの冒険者としての人生がようやく始まるのだと思った。
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