異界と魔素

 この世界における魔術というものは、いかに周囲に満ちた魔素と自らを接続するかどうかにかかっている。魔素とは異界からこの世界に流れ出る力の総称であり、魔術を学ぶとはこの魔素の流れを把握することから始まる。


 魔素は目で見ることも触れることもできない。魔術師は精神により魔素とつながり、その根源である異界から力を取り出すことで、現象を無から発生させる。これが魔術だ。


 魔術師はまず、炎や水や風などの現象を引き起こす魔術の習得を目指す。物質的な形を持っている方が、異界とのつながりを感覚的につかみやすい、ということらしい。


 逆に、現象を発生させないものに関しては習得することは難しい。遠く離れたものを動かす、自らの体を浮かす、あるいは他人の精神に干渉するような、魔術を知らない人間が想像するような魔法使いの力は、とても難度が高いわけだ。


 何故かといえば、それらは感覚的にとらえることが難しいためだ。高位の魔術師であれば魔素を手足のように操り、どんな重い物でも運ぶことができ、自らを浮遊させることも可能なのだという。


 と、怠惰にも横になりながら本を浮かせて読んでいる先生(そう呼べと教えられた)に言われたことがある。


 この辺りが、最初の一年で先生から教わった内容だった。大枠は単純だが、実際に学ぶとなると座学のほかに感覚的に習得すべきことも多い。つまり実践を繰り返す必要があるということだ。


 先生はまず、ぼくにろうそくを渡し、最も基本となる火の魔術を教えてくれた。


 やり方は簡単だ。ろうそくの火を強くすること。ろうそくには触れず、燃えている先端に集中し、火が強くなることを思い描く。


 魔術は人に備わる精神の力によって魔素に接続する。つまり精神の方向性を決定する「意志」が重要になるわけだ。とはいっても、いくら火が強くなるように考えたところで、何も起こることはない。


 充分に精神を統一したところで、ぼくは先生から教えられた呪文を詠唱する。


「炎よ。わが手に宿れ」


 言葉が精神と外部の魔素をつなぐ鍵となり、意志を異界へと導く。ただ呪文を唱えるだけでも、精神を集中するだけでも魔術は発動しない。この二つが完全に一致したとき、魔素を通じて異界とのながりが確立され、魔術が発動する。


 ボッ


 と、ろうそくから火柱が上がる。


 こうやって魔術は理論と実践により習得していくものだった。


 水の入った桶に触れ、なみなみと注がれた水を自在に操る。あるいは、葉のついた枝など風の流れをとらえやすいものを持ったうえで風を起こす。


 ぼくは連日これらの実践に取り組み、呪文を覚えながら日々を過ごしていた。


 ぼくの館での生活は、魔素と自身の接続の方法を学び、時に先生に助言をもらいながら、実際に魔術を使ってみることの繰り返しだった。


 はじめは室内で火をおこし、水を操り、風を起こしていたが、要領を得てからは、野外で規模の大きな魔術を使うようになった。


 先生曰く、


「なかなか覚えるのが早いな。私ほどではないが」


 だそうだ。


 先生から褒められたことが嬉しくてぼくは飽きることなく呪文を唱えた。


 ぼくは魔術に夢中になった。一日中やっても飽きることはなかったが、人が魔術を使用できる回数には上限があった。


 精神と魔素の接続は体に大きな負担をかける。感覚的に言えば、体力と同じように精神が消耗するといった感じだ。


 一度、先生が止めるのを聞かず、限界までやってみたことがあるのだが、その時は気を失い、翌日まで目を覚まさなかった。以来ぼくは自分の限界を知ることとなる。


 先生によれば、これを魔力と呼ぶのだという。


 魔力は生来人に備わっている量が決まっており、繰り返し使用することで魔力の損失を減らし、さらに魔術を使い込むことで魔力の総量は大きくなる。この辺りも体力に似ている。魔力をつぎ込めばそれだけ大きな力を引き出すことができ、上位の魔術を使用することもできるらしい。


「まあ、ゆっくりやることだな。魔力は魔素との接続回数によって増加することがわかっている。しかし、飛躍的に向上させる技法は確立されていない。時間をかけて地道に魔術を身に着け、自身の成長を待つほかないわけだ」


 ぼくは魔術を学び初めてから、魔力の絶対量を上げるための精神修養の訓練を毎日行っていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 魔術を学ぶことのほかに、ぼくにはもう一つの仕事があった。自分の服の洗濯や食事を作ることのは別として、とても厄介な大きな仕事があった。


「先生。またこんなに散らかして、いい加減にしてくださいよ」


 机にかぶりついて書類と格闘している先生の周りには、紙の束がうずたかく積み上げられていた。


 数日前に片づけたばかりだというのに、ちょっと目を離した隙にすぐにこれだ。


 ぼくは慣れた手つきで先生から離れた場所に置かれた書類から片付けていく。ここで重要なのは近くのものに手を付けないということだ。手を出してしまうと「まだ読んでるの!」といわれて面倒くさい。


「毎回やってくれるのはありがたいけどさあ、いよいよ身動きが取れなくなったら魔術でちゃっちゃとやっちゃうからいいって」


 初めて先生を見た時と同じ、頭がぼさぼさで、だらしなく胸のはだけた服を着た姿で、ぼくに言う。


 先生がまともな格好にしていたのは初日ぼくに説明したときだけで、あとはずっとこの格好だ。そのことを聞くと、「だって面倒じゃん」とのこと。魔術のことは聞けば応えてくれるし、良い先生なのは間違いないけれど、とにかくだらしがない。


「そうは言いますけれどね。先生。魔術で適当な棚に押し込んで、後で、どこにやったって騒ぐのは誰なんですか」


「いや、それは確かにそうだが……」


「日によっては朝から晩まで書類を探してるじゃないですか。だからぼくがわかりやすいように棚に並べておくべきだって言ってるんですよ」


 そういって、ぼくはてきぱきと、書類を分類していく。最初はどうしたものかと手を付けられなかったが、魔術を学び、書いてある言葉がある程度理解できるようになってからは分類も楽になった。


「君は私の親か何かか? 私にはやることがあるのだ。だから片付けなんかに時間を取られるわけにはいかんのだよ」


 まったく反省の色が見えない。ぼくも言っても無駄だとは思っているけれど、少しは痛いことも言ってやりたくなる。


「先生が良いって言うならやめてもいいんですけどね。そうなると、その偉大なる仕事も、ずいぶん遅くなるでしょうけどね」


「ぐ……すまない。確かにありがたいとは思っている」


 こうなると先生は素直に謝るので、ぼくも深くは追及しない。先生ができるだけ仕事がしやすいように資料をまとめていく。


 先生は自分のやっている仕事について、特別ぼくに話してはくれないが、資料の表題を見るに、どうやら世界や魔術の歴史について調べているようだった。


 魔術学院の教授という仕事を捨て、たった一人で森にこもっている先生がやりたいことというのは何かを本に記すためなのかもしれないとぼくは考えていた。


 そういうわけで、ぼくは魔術のことだけでなく、家事も随分うまくなった。掃除をやるのは当然のこととして、先生の用意する食事があんまりにもあんまりだったので、ぼくが作るようになったし、そのために日用品の注文だってやるようになった。


 ただ、洗濯だけは自分でやるようにお願いしている。お願いしているのだが……


「先生」


「なんだ」


 先生は机に向かったまま答えた。


「ここにある服の塊は何ですか?」


「しまった!」


「なにがしまったなんですか」


「いや、これから洗おうと思ってな」


「だったらいいんですけどね。ぼくは洗いませんよ。それより、もう何日も体洗ってないですよね」


「ん? なんのことだ?」


「いやとぼけないで下さいよ。先生めんどくさがりだから、体洗うついでに服を洗ってるの知ってるんですから。この前みたいに前にいつ洗ったか覚えてないっていうのはやめてくださいね。魔術でごまかしてもいつか病気になっちゃいますよ」


「……わかったよ」


 実際のところ、この人が魔術学院の教授なんてほんとやってたんだろうか……たまにそんなことも考えたりはするけれど、一応教えてくれるのはまともなので、ぼくは先生のことを尊敬していた。


◆    ◆    ◆    ◆


 ぼくはたまに両親に手紙を出した。


 先生から学んだことや、今日はこんな魔法を覚えたという話を書いていると、自分の成長を実感できる気がした。


 もちろん、先生のことや魔術のことは細かく書いていない。両親からしたら先生は偉大な魔法使いで、大して礼金ももらわず、ぼくに懇切丁寧に魔法を教える聖人のように映っていただろう。


 ぼくは手紙に、とても楽しくやっていると書いた。


 事実、魔術を学ぶうえで、最初に先生に脅かされたような苦しさを感じることはなかった。確かに魔術を学ぶのは大変だったし、疲れすぎて倒れたこともあった。


 でも、それ以上に楽しかった。


 先生に言わせると、


「楽しいと思えるのなら、学ぶ才能はあるようだな。それに、家事の才能もある」


 らしい。最後の一言は余計だ。


 まあ、家事は苦でなかったからいいんだけど。限られた時間で効率的に作業をを終わらせるということを学べたのは、家事のおかげだと思っている。


 ぼくは魔術を学べば学ぶほど、かつて使っていた力が何なのかわからなくなっていた。いったい、魔素を介さずに風を起こすなどということが、ほんとうに可能なのだろうか。いや実際にできていたわけだから、疑問の余地はないわけだけど……


 先生の言う「理外の力」について、ぼくは先生とあの日以来、一度も話さなかった。触れてはならない漠然とした空気があった。


 ぼくは、自分の内にある未知の力を恐れ、同時に心の底から惹かれてもいた。だからこそ、ぼくは風の力を求めた。座学を終え、野外に出て実践を行うようになると、風の魔術の習得により多くの時間をかけた。


 炎や水と違って、姿こそ見えないけれど、周囲に影響を与える風の力。地面の枯葉や枝を巻き上げ、精密な動きを高めていく。この過程がぼくの心を捉えて離さなかった。


「様になってきたな」


 枯葉を舞い上がらせていたぼくに先生が声をかけた。


 ぼくは基本的に一人で魔術の練習をしていた。先生は自分の部屋からはあまり出てこないし、たまに出てきても、ぶつぶつ独り言を言いながらまた部屋に戻ってしまう。


 先生は外で練習をするようになったぼくに、


「魔術とは知識であり、感覚でもある。知識は教えることができるが、感覚のほうは自分で掴むしかないんだ。聞きたいことがあれば教えてやるが、あとは勝手にやると良い」


 と言った。


 はじめは、先生のやる気がないだけなのでは? と疑っていたけれど、やっているうちに理由がわかった。魔素を捉え、異界とのつながりを得ることは、言葉では説明できないものだ。


 とはいえ先生は、魔術によって引き起こされた「結果」については厳しかった。定期的に野外の練習場所にやってきて、ぼくの呪文の詠唱や魔術の威力を確かめたあと、いくつかの助言をくれた。


 例えば、「呪文の詠唱の間が悪い」だとか、「起きる現象への意識が足りないために威力が弱くなっている」だとか、普段の姿からは想像できない的確なことを言う。


 その日先生は、ぼくの魔術を見て、


「君は風が上手い。形が無い分、ほかの魔術よりも習得が困難なはずなんだがな。やはり本人の趣向が、技術の向上にも影響を与えるのだろうな」


 と言った。褒められたのは久しぶりだった。


 ぼくは自分がこれまでやってきたことが間違ってはいなかったと思った。


 ぼくは風が好きだ。


 それは、幼い頃、家の近くの丘で風を受けていたころから変わってはいない。理由はわからないし、そもそも理由なんてないのかもしれない。でも風は、常にぼくのなかに大きな存在としてあり、切っても切り離せないものだった。


 そうしてぼくは、魔術によって再び風を操ることができるようになった。

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