魔術師の弟子

 お父さんは魔法使いの館を出ていく時に何度も、ぼくに、お前ならやれるとか、期待しているとか、言っていた。


 部屋に残されたぼくは、向かいに座った魔法使いの言葉を待っていた。目の前に座っている魔法使いはとても厳しい表情をしていて、ぼくは不安になった。


「強引に預かることになってしまったが、嫌ではなかったかな?」


「えっと……まあ……」


 ぼくはあいまいな返事をする。明らかに魔法使いの迫力に押されていた。


「早速だが、単刀直入に言おう」


 ぼくは息をのむ。


「君の力だが、私の手に負えるものではない」


「……へ?」


 ぼくは魔法使いの言葉をうまく理解することができなかった。


「順を追って話そう。まず、君たちは我々のことを魔法使いと呼ぶが、我々は自らを魔法使いと呼ぶことはない。かつて人の理解を超えた力をすべて魔法と呼んでいた時代があったが、今では変わってしまった。我々が使うのは、人が習得可能な技術、魔術だ。そして我々は自らを魔術師と呼ぶ。つまり世間一般に言われている魔法使いのほとんどは魔術師というわけだな。ここまではわかったかな?」


「はあ……なんとなく」


 ぼくは魔法使い、ではなく魔術師の言葉を一生懸命理解しようとしていた。


「我々魔術師の使う魔術には理論があり、それは度重なる試行と実践によって体系づけられてきた技術なんだ。技術であればこそ再現可能で人に教えることができるというわけだ。魔術は人が作り出した自然界を操作する術であり、血筋などは一切関係ない。学ぶ才能なんてものがあるとしたら必要かもしれないけどね。だが、君の力はそれらとは全く違う」


「えっと、 じゃあ、ぼくの力って…… 」


「少なくとも魔術でないことは確かだ。君は風を生み出すために詠唱もしていない。詠唱、魔術式、それらは魔術を使うために開発された技術だ。方法は違えど力を引き出す方法が違うだけで、原理としては何ら変わらない。魔術師はそれらの方法でしか力を得ることができないんだ。君の力は魔法であるかもしれないが、私の専門である魔術ではない。だから手に負えないわけだ」


「そんな……」


 ぼくは不安になる。今まで吹かせてきた風が、なんだか得体のしれないもののように思えて怖くなっていた。


「もしも、このまま君を放っておけば、自分の力でその力を使いこなし、とてつもない魔法を使うことができるかもしれない。だがそれはとても危険だ」


「危険?」


 ぼくは自分の足元が崩れてしまったような感覚になって、茫然とした。何も考えられず、目の前が暗くなったような気がした。


「かつて私は、理外の力に関する書物に触れたことがある。師匠からも力を手に入れたものの話を聞いた」


 そう言って、魔術師は紅茶を飲んだ。


「この世界では時として、世界の理から外れた力を持った者が生まれることがある。人知れず人生を全うした者もいれば、力におぼれて破滅した者、力を利用されて命を落とした者だっている。だが、その詳細の多くは語られておらず、参考になる文献にも残されてはいない。何しろ記録する側の人間が理解できない力なんだからね。いくら資料が残っていようとも、神話や伝説と何も変わらないんだ。トア、私がそのうえで、君を預かったのには訳がある」


「どういうことですか……?」


 ぼくはいろんな言葉が頭に流れ込んできて、今にも破裂しそうだった。ぼくがもっと小さかったら、泣いていたに違いない。


「一つは君に、自分の力がどんなものか知ってもらうことだ。話したように、理を超えた力を得たものの末路は、悲惨であることが多い。君もまた、力に目覚め、さらに力をつければ、増長し、自らを破滅に追いやる可能性もある。力の方向性や性質によっては、周りにも被害を与えることもある。私は師匠から理外の力を持つものの話を聞いたとき、こう言われた。『そのような者たちには手を出すな』とね。だがそれでも、私は君に手を貸したい」


「ぼくはいったい、どうしたらいいんでしょうか?」


 ぼくの声は震えていた。


「さて、そこだ。ここにもう一つの理由がある。君に説明したことで、私の第一の目的はすでに果たした。後はその力について、私にできることは何もない。せいぜい君に気をつけろと言うことくらいだ。このまま才能がなかったと、君を親御さんのところに返してもいいのだが、もしも君が望むのであれば、魔術を教えよう」


「魔術を……?」


「魔術をだ。魔術学院で講師を務めていた経歴は嘘ではない。生徒からも教え方がいいと好評だったんだ」


「でもお父さんは、才能がいるって……」


「言っただろう? 魔術とは技術だと。確かに、私のように最高位の魔術師になれるかどうかは本人の意志と学ぶ才能が必要だ。だが同時に、魔術の技術体系を学びさえすれば、誰にだって習得できるものだ。君はまだ若い。突然大きな力に目覚める前に魔術の基礎を学び、力の正しい使い方を知るんだ。そうすることで、破滅を少しでも回避できるかもしれない」


「ぼくに、できるんでしょうか?」


「ああ、君に学ぶ意思があればね。魔術は魔物と戦う技術であると同時に、この世界の構造を知る知識の泉でもある。魔術と向き合い自分と向き合えば、君はこれからの人生の苦難にも備えることができるはずだ。どうだい? 魔術を学んでみる気になったかい? 大切なのは君の意志なんだ」


「ぼくは……」


 ぼくは必死に魔術師の言葉を頭の中でかみ砕きながら、自分の望むことを考えてみる。ぼくは力が欲しかったのか? それともお父さんの言うように冒険者になりたかったのか? それとも、両親や兄弟との平和な生活を望んでいたのか……?


 ぼくは長い時間考えた。その間、魔術師は、待ってくれていた。


「ぼくは正直に言うと、魔術師とか冒険者とかよくわかんないんです。風を起こしたらみんなが喜んでくれて、嬉しかった。それだけです」


「ふうん。冷静だね」


「なにになりたいとかいうことは特になくて、ぼくはただ、風が使えることが嬉しかったんです。ずっと前から、一人で高いところに立って、風を感じるっていうか、そういうことが好きだったんです。だから風の魔術があるのなら、使えるようになりたいなって思います」


 ぼくは喋り終わって下を向いた。自分でも何を言っているのかわからなかった。


「いいね。つまり君の力は強い想いから生まれたのかもしれないな」


「ごめんなさい。でも他のことはよくわかんないです。先のことなんて考えたこともなかったので……」


「たしかに、君の歳ならば自分の未来に対する決断は重過ぎるかもしれない。風の魔術なら教えてやれる。私が預かる以上、まともな魔術師になることは保証するよ。後は君がどう考えるかだ」


 口を開くのに、こんなにも苦労するとは思わなかった。それくらい、言葉を発することにためらいを感じていた。


「お願いします。うまくできないかもしれないけれど……」


 ぼくは言った。そんなことを言ってしまって良かったのだろうかと、一瞬頭によぎったけれど、後悔はなかった。


「ふーっ!」


 魔術師が大きく息を吐いた。


「よし、先のことも決まったし、服を着替えていいかな? 私は本来、堅苦しいのが苦手なんだ。だからこうやって一人で研究をやるようになったみたいなもんでね」


 魔術師の表情が和らいで、ぼくも緊張が解けたように思った。


「はい。ぼくはどうしたらいいですか?」


「寝床は客用のものがある。後はその時々で説明することにするよ。あー! 疲れた。私がこうであることに失望しないでくれよ。魔術の力は本物なんだ」


「わかりました」


 そして、ぼくの魔術師見習いとしての生活が始まった。

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