森の奥の魔法使い

 数日後、ぼくはお父さんに連れられて、西の森の奥にある魔法使いの館に向かった。


 馬車で森の中を少しだけ進んだものの、そこからは木の根に阻まれて歩くほかはなく、ぼくとお父さんは息を切らしながら歩いた。


 道は険しい坂道で、草に覆われてすぐに見失いそうになる。さらに周りは気で囲まれていて同じ風景がずっと続いていた。お父さんはあっちでもないこっちでもないと立ち止まり、商人ギルドからもらった地図を何度も見ていた。


 しばらく歩いていると、ついにお父さんが、


「いかん。この道で合っているのか不安になってきた」


 なんて言い出して、ぼくは不安になった。


「ん?」


 お父さんが近くの大木を見ているのに気づいて、ぼくも同じ方向を見た。


『スララギ・ロギ・ルダネアの館はこちら! 結界を敷いているから危険な野生動物にも魔物にも出くわす心配もなし! 御用の方は念話でどうぞ、強く願えばスララギ宅に直通で届きます!』


 と色とりどりの文字で書いてあった。


「……変わり者だとは聞いていたが、よくわからない御人だな」


 ぼくはずいぶん目立ちたがりの魔法使いもいるものだと思った。


 確かに看板の通り、野生動物の気配もないし、魔物が出てくる様子もなかった。看板に示されたとおりに先へ進むと、大きな屋敷の屋根らしきものが見えてきた。


「おお! あれじゃないか?」


 お父さんが嬉しそうに叫び、ぼくの手を引いて駆け出した。


「ちょっと待ってよ!」


 躓きそうになったぼくは叫ぶ。


 するとお父さんは居ても立っても居られないように、ぼくを抱えて走り出した。


 館についたころには、お父さんは完全に疲れ果てていて、ぼくを降ろして地面に座り込んでいた。


「はあ、はあ、どうだ、なかなかの館じゃないか。高名な魔法使いってのは住んでいる場所も様になっているもんだ」


 ぼくは館を仰ぎ見た。一人で住むには随分と大きな家だった。ぱっと見ただの二階建ての建物だったけれど、魔法使いが住んでいると言われると、なるほどそう見えなくもない。


「ここまで資材を運ぶのはとにかく大変で、大工も苦労したそうだ。とはいえ、その分代金は弾んだようだったがな」


 息を整えて立ち上がったお父さんは、


「さて」


 と大きく息を吐いて、館の扉をたたいた。


「ふぁーい、なんですか?」


 出てきたのは、明らかに部屋着に見える白い部屋着らしいガウンを着た女の人だった。長い髪はぼさぼさで、眼鏡をかけていた。胸元がだらしなくはだけていて、ぼくもお父さんも目を背けた。


「あの……」


 お父さんがおそるおそる女の人に話しかける。


「私シュベルク商会のものですが、商人ギルドから紹介を受け、スララギ様にお会いしたいと伺った次第で……」


 眼鏡の女性は、目を閉じたり開いたりした後、考え込むようにして空を見上げた。


「あ! シュベルクさん! 今日でしたっけ?」


「ええ、本日伺う予定とさせていただいておりました」


「ちょっとお待ちを!」


 眼鏡の女性はそういって、扉を勢いよく閉めた。ぼくとお父さんは顔を見合わせた。


 扉の向こうからは激しい物音が響いて、何かをひっくり返したような音だとか、ガラスか何かがぶつかりあるような音もしていた。家具が倒れるような大きな音とともに「ひゃあ」なんていう声まで聞こえていた。


 物音が収まると、ゆっくりと扉が開いた。


 そこにいたのは、赤いローブを身にまとったいかにも魔法使いといった姿の女性だった。


 ローブの下には裾の短いドレスのようなものを着ていて、見るからに高価そうなロングブーツを履いていた。眼鏡はそのままであるけれど、整えられた髪と冷たさを感じさせる表情から、先ほどのだらしない格好をしていた人とは思えなかった。


 ぼくとお父さんはびっくりして、何も言うことができなかった。


「話は聞いております。頼みがあるのだとか。私は今でこそ隠遁生活を送っておりますが、かつては王都にて人々に魔術を教えていた身であり、王に自らの力を民のために使うと宣誓しております。私ができることであれば力を貸しましょう」


「はあ……」


 お父さんは気の抜けた声を出して、でもすぐにここに来た理由を思い出したようで、


「うちの息子がつい先日、魔法の力に目覚めまして、誰に教えられたわけでもないのに風を起こしたのです。そこで、高名なスララギ様に、その才能を見極めてもらいたく……」


 といった。すると魔法使いは驚いた顔をした。


「ほう、誰に教わってもいないのにですか」


「そうなのです。私の息子ながらこの子は天才なのではないかと考えておりまして」


「では、詳しくはなかで伺いましょう」


 そう言って魔法使いは扉を開き、ぼくたちを部屋のなかへと案内した。その動きには威厳があり、ぼくが想像する魔法使いの姿そのままだった。


 魔法使いに案内されて、ぼくたちは燭台の置かれたテーブルのある部屋に通された。


 あれだけ物音がしていたのに、部屋のなかは案外整頓されていて、魔法関連と思われる書物が棚に整然と並べられていた。


 ぼくとお父さんが椅子に座ると、魔法使いは、色のついた、おそらく紅茶らしき飲み物をテーブルに置いた。


「先ほどの話だが、あなたのご子息は本当に教育を受けていないのですね?」


 魔法使いが向かいの椅子に座って訊いた。


「は、はい! ですから私たち親族一同も驚いておりまして。私の父に聞いても、先祖に魔法を使う者がおらず、一体どいうことかと……」


 緊張した様子のお父さんはぎこちなく答えた。


「なるほど」


 そう言って、魔法使いはぼくの方を見た。


「名前は?」


「えっと、トアと言います」


「その魔法というのは今ここで見せることができるかな?」


 ぼくは不安になってお父さんの方を見る。するとお父さんはうなずいた。


「わかりました」


 ぼくは席を立ち、テーブルの横の広い空間の中心に立った。そして、目を閉じる。


 ぼくが風を起こすとき、ぼくはぼくのなかの深いところに行くイメージを心に浮かべる。そうすることで、自分が思い描く風を生み出すことができた。


 ぼくは部屋が散らからないように、けれども人が見てわかるくらいの風を吹かせた。


「ほう」


 魔法使いが声を上げる。ぼくはその声を聞いて、ちょっと得意な気持ちになった。


「うん、わかった。椅子に戻っていいよ」


 魔法使いに言われてぼくは席に戻る。


「シュベルクさん。どうでしょう。この子の力を見るのは少し時間がかかりそうだ。しばらく私に預けてみませんか?」


「ということはやはり、この子に才能が……?」


 お父さんが身を乗り出して言った。


「いえ、断定するのは早いでしょう。まずは彼がどのような力を持っているのか見極める必要がある。あなたはご子息の将来についてお考えがあるのですか?」


「ええ、私は昔、冒険者に憧れたものですから、この子に才能があるのなら、人の役に立つ存在になってもらえたらと考えております」


「ではなおさらだ。魔法、いえ、私共の言葉では魔術ですが、仮に才能があったとしても、本格的に学ぶには長い時間がかかるうえ、苦難もともなう。魔術を学ぶということがどのようなものなのかまず知ったうえで、本人の覚悟を問いたいわけです。そのために、少し私に預けてはいただけないでしょうか?」


「え!? 今日からですか?」


「ええ、あなたも、早い方が良いでしょう?」


「確かに、冒険者になるつもりなら、準備は早いに越したことはないと思いますが、さすがにそこまでは考えておりませんでした」


「才がない、あるいは、本人が魔術を学ぶことに耐えられなかった場合は、ご子息はすぐにお返しします。本人に意欲がないのに、続けても仕方がないですからね」


「しかし……うちの妻にも、本日は見てもらうだけど伝えておりますし……」


 不安そうな父をしり目に、魔法使いは懐から折りたたまれた紙を取り出した。


「こちらが王都の魔術学院の証書です。必要であれば写しも差し上げますよ。不安であればここには定期的に生活用品を届けに来る者もおりますので、その者に様子を聞けばいい」


「はあ……なるほど」


「ここは不便な場所ですし、何度も足を運ぶのは大変でしょう。ここで一つ、ご子息のために決断されてはいかがでしょうか?」


 魔法使いの言葉に、お父さんは圧倒されていた。けれど覚悟を決めるように、


「分かりました。お預けしましょう。家の者には私から説明します。トア、それでいいか?」


 急に話を振られて、ぼくは驚いた。いったい何と答えたらいいのかと迷っていると、


「トアと言ったね。君にはいろいろと話したいことがある。まずは私の説明を聞き、無理だと判断したらすぐに家に戻っていい。要は君の力を調べるために、少しだけ預かるだけさ。君の意思は尊重する」


 と魔法使いは言う。


「だったら……」


 ぼくが最後まで言葉を言い切ってしまう前に、お父さんは、


「そうか! さすが私の息子だ! 後で着替えは届けさせよう、よろしいですかな?」


「ええ、ひとまず数日分で構いません、服はこちらで用意することもできますし、洗濯場も近くにあります」


「わかりました。となれば、私はすぐに家に戻ります。トア、やれるな?」


「うん……」


 お父さんは立ち上がって、ハッとしたように魔法使いを見る。


「ところでスララギ様、教えていただくにあたり、その……お礼のほうは……」


 言いにくそうに父親が口ごもる。


「ああ、私は生活するだけの資金は持っていますが、そうですね。ご子息の分の食料は送っていただくことにしましょうか。ほかは今のところ必要ありません」


「ありがとうございます。そのお話は後々させていただくとして、ひとまず、帰らせていただきます。トアを頼みました」


「ええ、状況は手紙などでも報告いたしますのでご安心ください」

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