補修人、相良修司は蚊帳の外

久慈望

真空

風の魔法が使えた日

 ぼくはその日、初めて自力で風の魔法を発動させた。


 後で分かったことだけれど、ぼくたち一般の人々が魔法と呼んでいるものは、人に教わるか、もしくは学校で学ばなければ使うことができないらしい。


 でもぼくは、風の魔法を使った。


 町のはずれの高台で、何もない空間に確かに強風を巻き起こした。


 自分のやったことに驚いて、ぼくはしばし茫然としていた。


「やあやあ、こんにちは」


 後ろから声がして振り返ると、そこに男が立っていた。貴族が着ているような白いシャツの上に黒い上着を着ている。ズボンも黒だ。シャツの首元からは細長い布が垂れている。ぼくが父に連れられ王都に行った時に見た貴族の格好とも違う、なんだか奇妙な服装だった。


「えっと……」


 急なことで、ぼくの体は動かなかった。見たことのない人間と、話してもいいのだろうか。商家に生まれ、両親からは、知り合いでもない人間は疑ってかかれと注意されていたぼくは、どうするべきか迷っていた。


 もしも相手が貴族なら、下手に逃げない方が良いのかもしれない。


「あ、この格好かい? これはねえ、ビジネススーツというんだ。といっても、君たちの言葉の中にビジネスとスーツという言葉はあっても、同じ意味を持つ言葉はないから、言っても分からないだろうけどね」


 男の言葉はよくわからない。ぼくは走って逃げるべきだろうか?


「まあ落ち着いてよ。今はまだ、君のことをどうこうする気はないんだよね。ただ、これだけ受け取ってほしくてさ」


 男は懐から手のひらに収まるくらいの、黒い何かを取り出した。ぼくは警戒する。けれど、走って逃げだすことまではしなかった。ぼくはまだ迷っていたのだ。


 黒い何かは入れ物だったようで、男はそこから、ぼくの手のひらくらいの白い紙らしきものを取り出した。


 そして、こちらに近づいてくる。男の動きには音もなく、あまりにも滑らかで、ぼくはとっさに反応することができなかった。


 男は小さな紙を両手で差し出す。ぼくはその紙を覗き込む。


 そこには――


 世界補修人 相良修司


 と書いてあった。


「不思議な感覚だろう? 見たこともない言語で文字を追うこともできないのに、自然に内容が入ってくる。それはぼくの名前と肩書だよ。別にこんなもの作る必要もなかったんだけどね。肩書が物を言うってこともあるからさ。あくまで形式だよ。それに、名前だけだとちょっと寂しくてね」


 ぼくは男から紙を受け取る。


 訳の分からないことを言い続ける男に向かって、ぼくは何も言うことができなかった。


「安心してほしい。しっかり記憶は消しておく。その名刺もすぐに消える。もしも君が、その力の使い方に目覚めてしまったら、また現れるよ。できれば、そんなことは起こってほしくないけどね」


 ぼくは口だけでなく、体も動かすことができなくなっていた。


「君がこれからどんな人生を送るのか見てみたい気もするけど、ぼくも忙しくてさ。まったく、ぼくはいつだって蚊帳の外だ」


 ぼくは自分の意識が薄れていくのがわかる。ぼんやりとしていく視界のなかで、手元の紙を見ると、まるで砂が風で飛ばされるように消えていく最中だった。


「じゃあ、縁があればまた会おう」


 ぼくの意識はそこで途切れた。


 目を開けた時には、男のことはすべて忘れていた。


 今まで語ってきたことは、すべて後で思い出したことだ。


 これからぼくが話すのは、その男、補修人と名乗る相良修司と再会するまでの話だ。


◆    ◆    ◆    ◆


 ぼくは男のことをすっかり忘れたまま、家に帰った。


 家に帰ってまずやったことと言えば、両親に自分が魔法を使えるようになったとを報告したことだった。


 両親はとても驚いて天才だと騒ぎだした。


 お父さんがおじいちゃんとおばあちゃん、おじさんまで呼んできて、親族の前でもう一度同じように風を吹かせると、みんな大声を上げて喜んだ。


 まわりが嬉しそうにしていると、ぼくも嬉しくなって、何度も風の魔法を使った。


 ぼくの家系には誰も魔法使いがいないらしく、おじいちゃんはずっと首を傾げていた。家業の商店をやっているだけのうちの一族に、一体どうして魔法を使える子が生まれたんだろうか、なんてことをずっと言っていた。


 夕方になって親戚が帰ってしまうと、お父さんが言った。


「おれは昔、冒険者になるのが夢だったんだ。お前の力なら、世のために役立つかもしれない」


 お父さんはとても嬉しそうにぼくの体を持ち上げた。その時のぼくはもうずいぶんと大きくなっていて、抱き上げられることなどしばらくなかったから落ち着かない気持ちになった。


「やめてくださいよ! この子に力があるといっても、簡単に行くもんですか。それに、冒険者なんて先が見えない職なんて嫌ですよ」


「冒険者の多くは貧しい暮らしをしてるって話だが、それは三流の話だ。この子には才能がある。冒険者として名を挙げれば、王家直属の魔法使いになることだって夢じゃない」


 いい加減、抱き上げられているのが恥ずかしくなって、ぼくは身をよじらせた。


「お父さん。降ろしてよ」


 するとお父さんは笑顔のままぼくを降ろした。


「知り合いの大工から聞いた話なんだが、数年前に西の森の奥に魔法使いが引っ越してきたらしい。かつては王都の魔法学院で教鞭をとったこともあるという話だ。話をつけて、うちの子を見てもらおう」


 お母さんは胡散臭そうに、


「信用できるんですか?」


 と口をはさむ。


「当然だ。証書も持っていると聞いている」


「まあ、一度見てもらうのは良いかもしれませんね。才能がないならないでぴしゃりと言ってもらった方が、あなたの目も覚めるでしょうし」


「水を差すようなことを言うなよ。わが家に現れた天才の未来がかかってるんだ。きっと才能を見出してくれるさ」


「どうだか」


 ぼくはなんだかどんどん進んでいく話についていけなくて、目を白黒させていた。

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