補修人、相良修司は蚊帳の外
久慈望
第一話 真空
風の魔法が使えた日
ぼくはその日、初めて自力で風の魔法を発動させた。
後で分かったことだけれど、ぼくたち一般の人々が魔法と呼んでいるものは、人に教わるか、もしくは学校で学ばなければ使うことができないらしい。
でもぼくは、風の魔法を使った。
町のはずれの高台で、何もない空間に確かに強風を巻き起こした。
自分のやったことに驚いて、ぼくはしばし茫然としていた。
「やあやあ、こんにちは」
後ろから声がして振り返ると、そこに男が立っていた。
貴族が着ているような白いシャツの上に黒い上着を着ている。ズボンも黒だ。シャツの首元からは細長い布が垂れている。ぼくが父に連れられ王都に行った時に見た貴族の格好とも違う、なんだか奇妙な服装だった。
「えっと……」
急なことで、ぼくの体は動かなかった。
見たことのない人間と、話してもいいのだろうか。商家に生まれ、両親から、知り合いでもない人間は疑ってかかれと注意されていたぼくは、どうするべきか迷っていた。
もしも相手が貴族なら、下手に逃げない方が良いのかもしれない。
「あー、そのままそのまま。実際ほんとうに申し訳ないよ。せっかく新しい力に目覚めた時に、ぼくみたいな人間に邪魔されてさ。まあでもどうかな。ぼくの見たところ……いや、やめておこう。見た目で人を判断してはいけない。結局は力の使い方だからね。とにかく、そんな門出に水を差すようで申し訳ないんだけさ、こっちの事情も分かってもらいたいな」
男の言葉はよくわからない。ぼくは走って逃げるべきだろうか?
「今逃げようとしてるだろ? まあ落ち着いてよ。君のことをどうこうする気はないんだよね。ただ、これだけ受け取ってほしくてさ」
男は懐から手のひらに収まるくらいの、黒い何かを取り出した。ぼくは警戒する。けれど、走って逃げだすことまではしなかった。ぼくはまだ迷っていたのだ。
黒い何かは入れ物だったようで、男はそこから、白い紙らしきものを取り出した。
そして、こちらに近づいてくる。男の動きには音もなく、あまりにも滑らかで、ぼくはとっさに反応することができなかった。
男が小さな紙を両手で差し出し、ぼくはその紙を覗き込む。
そこには――
補修人 相良修司
と書いてあった。
「不思議な感覚だろう? 見たこともない言語で文字を追うこともできないのに、自然に内容が入ってくる。それがぼくの名前と肩書なんだ。こんなもの作る必要もなかったんだけど、肩書が物を言うってこともあるからさ。あくまで形式だよ。それに、名前だけだとちょっと寂しくてね」
ぼくは男から紙を受け取る。
訳の分からないことを言い続ける男に向かって、ぼくは何も言うことができなかった。
「安心してほしい。しっかり記憶は消しておく。その名刺もすぐに消える。もしも君が、その力の使い方を間違ってしまったら、また現れるよ。できれば、そんなことは起こってほしくないけどね」
ぼくは口だけでなく、体も動かすことができなくなっていた。
「君がこれからどんな人生を送るのか見てみたい気もするけど、ぼくも忙しくてさ。まったく、ぼくはいつだって蚊帳の外だ」
ぼくは自分の意識が薄れていくのがわかる。ぼんやりとしていく視界のなかで、手元の紙を見ると、まるで砂が風で飛ばされるように消えていく最中だった。
「じゃあ、縁があればまた会おう」
ぼくの意識はそこで途切れた。
目を開けた時には、男のことはすべて忘れていた。
今まで語ってきたことは、すべて後で思い出したことだ。
これからぼくが話すのは、その男、補修人と名乗る相良修司と再会するまでの話だ。
◆ ◆ ◆ ◆
ぼくは男のことをすっかり忘れたまま、家に帰った。
家に帰ってまずやったことと言えば、両親に自分が魔法を使えるようになったとを報告したことだった。
お父さんはとても驚いて、ぼくが天才だと騒ぎだした。
おじいちゃんとおばあちゃん、おじさんまでやってきて、なんだか大変なことになったと思ったけれど、風を吹かせて見せるとみんなが驚いたのでぼくも楽しくなって、何度も風の魔法を使った。
その間も、おじいちゃんはずっと首を傾げていた。
「家業の商店をやっているだけのうちの一族に、一体どうして魔法を使える子が生まれたんだろうか?」
夕方になって親戚が帰ってしまうと、お父さんが言った。
「おれは昔、冒険者になるのが夢だったんだ。お前の力なら、世のために役立つかもしれない」
お父さんはとても嬉しそうにぼくの体を持ち上げた。その時のぼくはもうずいぶんと大きくなっていて、抱き上げられることなどしばらくなかったから落ち着かない気持ちになった。
「やめてくださいよ! この子に力があるといっても、簡単に行くもんですか。それに、冒険者なんて先が見えない職なんて嫌ですよ」
お母さんが困った顔をしている。お父さんは一度言い出すと聞かないところがあるのだ。
「冒険者の多くは貧しい暮らしをしてるって話だが、それは三流の話だ。この子には才能がある。冒険者として名を挙げれば、王家直属の魔法使いになることだって夢じゃない」
いい加減、抱き上げられているのが恥ずかしくなって、ぼくは身をよじらせた。
「お父さん。降ろしてよ」
するとお父さんは笑顔のままぼくを降ろした。
「知り合いの大工から聞いた話なんだが、数年前に西の森の奥に魔法使いが引っ越してきたらしい。かつては王都の魔法学院で教鞭をとったこともあるという話だ。話をつけて、うちの子を見てもらおう」
お母さんは疑うように顔をしかめ、
「信用できるんですか?」
と口をはさむ。
「当然だ。証書も持っていると聞いている」
「まあ、誰かに一度見てもらうのは良いかもしれませんね。才能がないならないで言ってもらった方が、あなたの目も覚めるでしょうし」
「つまらんことを言うなよ。わが家に現れた天才の未来がかかってるんだ。きっと才能を見出してくれるさ」
「どうだか」
ぼくはなんだかどんどん進んでいく話についていけなくて、目を白黒させていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます