第2話

「泉ちゃん、事件だよ〜」


 綾香は教室に入ってすぐ、とある場所を指差したあと、すぐにそこへ小走りで向かってしまう。そのため、私も慌ててついて行った。

 

 向かった先には、席に座った1人の女子生徒が居た。

 一番後ろの窓際の席で、アンニュイな表情を作り、外を眺めている。

 髪は染めていないが、見た目はギャルっぽい。シンプルなミディアムロングだが、派手な黄色のカーディガンを着、スカートの丈はかなり短そうだ。

 このお嬢様学園にはあまりにもミスマッチな姿であり、正直、浮いて見える。

 

 私はハンカチを取り出すと口に咥え、噛みちぎる勢いで引っ張った。

 私は悔しい。私以外の人間に興味を示し、あまつさえ指を突きつけて貰えるなど! あの女はそれがどれだけ幸福なことか、はたして理解しているのか? 憎い――私は、あの女が憎い!

 だが、ハンカチは中々、噛みちぎれない。一体どうしたと言うのだ。私の苦しみは、この抉るような心の痛みは、この程度のことだとでも言うつもりか!


「泉ちゃん〜、それ、私がこの前プレゼントした奴〜」


 私は我に返った。

 そう言うことだったのか――。

 このハンカチが噛み千切れなかった理由。それは、この苦しみが決して弱かったからじゃない。

 ただ、私と綾香を繋ぐ絆が強すぎたからだ。

 私の目から溢れる一雫の涙を、綾香と私のハンカチで拭った。


「あ〜、やっぱり。少し伸びてるし、ちょっと千切れかかってるかも〜」

「綾香、それは気の所為だから」

「え? でも〜」

「気の所為だから」


 私の目には美しいままのハンカチがそこにあるだけ。

 彼女の肩に両手を乗せ、私は静かに頷いた。


「綾香、大丈夫だから」

「う、うん。泉ちゃんがそう言うのなら、そうなんだね〜、きっとぉ」


 綾香は天使の笑顔で、私を見る。

 私は自分の治まらぬ鼓動に酔いしれた。


「あのさー、悪いんだけど、人の目の前でコントするの止めてくんない?」


 アンニュイに浸っていた女が急に喋りだし、私と綾香の話に割り込んできた。


「コント?」


 綾香は、可愛く首を傾げる。

 

「とにかく、人前で騒ぐなってことよ」

「あ〜、そうだよねぇ、ごめんね〜、許してくれる?」


 可愛らしく両手を合わせ、綾香は謝る。


「いや、謝ってくれるんなら、別にいいんだけどさ」


 別にいい、だと!? 綾香に謝って頂きながら、なんと言う態度か!


 私はアンニュイな女と綾香の前に立ちはだかる。


「綾香、気を付けたほうがいい。アンニュイな女はとんでもない不良だから」

「え〜、そうなの?」


 綾香は私とアンニュイを交互に見比べる。


「いや、違うから。ってか、アンニュイな女って何? 私のことを言ってんのよね?」


 私はアンニュイを無視して、綾香を見つめる。


「いい、綾香。人は普通、入学式から今まで一ヶ月以上も無断で休むような人を、最強の不良と呼ぶの。これ、世界の常識だから」

「凄いわね、最強の不良なの? あたし。ってか、先生なにも言ってなかった?」

「何も言ってなかった。だって、私の記憶にはなにもない」

「あー、だからか。さっきから、妙に避けられている気がしたんだよね」

「え〜? 先生は確か〜仕事で休むって言ってたよ?」

「言ってたんかい!」


 私は首を傾げる。


「そんなことはない。私の記憶にはそのような事実は一切ない」

「あんたの中だけの話でしょ!」


 アンニュイは席から立ち上がる。


「まぁ、いいわ。自己紹介がかなり遅れて申し訳ないけど、あたしは宮田志麻子よ。これでも一応モデルみたいなことをしてるの。だから、時々休むかもしれないけど、よろしくね」


 アンニュイは陽キャオーラを発した。


「そうなんだ~、宮田さん綺麗だもんねぇ」

「そう? ありがとう。あんたも結構、可愛いわね。背は足りないけど、それはそれで需要ありそうだから、あんたが興味あるなら、紹介しようか?」

「え~、そんなの私なんかじゃ無理だよ~」

「そんなことないって、一緒にモデルやろうよ」


 私は耐え切れずに雄たけびを上げてしまう。だって、許せるわけがない。私だけの綾香でなくなることを。


「ちょっと、本気でこいつは何なの? 今すぐにでも病院へ連れていくべきじゃないの?」

「私が綾香を思うこの病気は、決して今の医療ごときで治せるものではないし、治すつもりもない」

「え? こいつなんかどや顔で言ってるけど、本当に頭大丈夫?」


 アンニュイは私を指さし、綾香に尋ねる。


「泉ちゃんはね~、主席で合格したんだよぉ。すっごく頭がいいんだからぁ」


 綾香が自慢げに私のことを語ってくれている。

 やばい、鼻血でそう……。


「こいつが? それはもう世も末ね。ってかこいつ、なんか鼻血でてるんだけど?」

「わー、泉ちゃん大丈夫? は、ハンカチですぐに押さえないと」

「ダメ、このハンカチは私と綾香の絆だから。手で十分」


 私は手で鼻を押さえる。

 

「そ、そんなのいいからぁ、早くハンカチで拭いてよ~」

「ダメ、ダメったらダメだから」

「本当に泉ちゃんは強情なんだから~」


 綾香は自分の両ポケットを探るが、どちらからも何も出てこない。


「わ、忘れちゃったよ~、い、泉ちゃん、今すぐ保健室に〜」

「あーもう、じれったいわね」


 アンニュイはポケットからハンカチを取り出すと、私の鼻に押し付けた。


「これ、使いなさいよ。テイッシュがあれば、それが一番よかったんだけど」

「え? いや、これ――」


 意外と高そうな奴だ。


「いいから気にせず使いなさいよ。ハンカチは使うためにあるんだから」


 彼女が嘘をついているようには見えない。私はそれに少なからず、動揺した。


「もしかして、アンニュイって、いい人?」

「そんなことでいちいちいい人って言われても困るんだけど」

「ありがと、明日洗って返す。しかし――これはもう、落ちないかもしれない」

「それ、あげるから気にしなくていいわよ。ってか、もし感謝してるんなら、そのアンニュイって呼び方止めてよ。泉って、あんたの苗字?」

「違う、名前の方」

「じゃあ、あたしはこれから泉って呼ぶから、あんたはあたしのこと、志摩子って呼びなさい。今度またアンニュイって呼んだら、蹴り入れてやるから」

「わ、わかった」

「なら、いい」


 志摩子は満足げに笑った。


「あんたのことも綾香って呼ぶから、綾香もあたしのことは志摩子って呼んでよ」

「うん、いいよ~。志摩子ちゃん、これからよろしくねぇ」


 綾香と志摩子は手で握手をする。


 いつもなら怒り狂うその行為を見ても、私は毒気が抜かれたため、何の反応もできなかった。


「ところで、何か事件だーって騒いでいたけど、何だったの? あれは」

「えーとねぇ、昨日、私たち探偵団を結成したの〜。その名も泉探偵団!」


 志摩子は首を傾げる。


「それで〜今日から事件がないかぁ、朝からずっと探してたんだけどぉ、志摩子ちゃんを見て、びびっと来たんだよぉ」


 志摩子はさらに首を傾げる。


「昨日、泉ちゃんが言ったんだけどぉ、事件はいつもと違う出来事の中にあるってぇ。だからぁいつもいない志摩子ちゃんがいることに、私は事件の香りを感じたんだよ〜」


 綾香は腕を組み、自慢げに頷いた。

 あ、綾香〜。


「なるほど、よく分からないけど分かったわ。残念だけど、私の周りにはとくに事件はないわね」

「そーなの? モデルなのに?」

「モデルと事件は特に関係ないと思うけど?」


 その言葉を聞き綾香は明らかに落ち込んでしまう。


「志麻子、一体どう言うことなの!?」

「いや、私のセリフでもあるから、それは!」


「え? なになにー君たち、もしかして事件探してんの?」


 いきなり話に割り込んでくる奴が1人。


 島田理恵。中学からの腐れ縁である。黒縁眼鏡で、髪を三つ編みにし、見た目は委員長タイプ。頭よさそうに見えて馬鹿であり、真面目そうに見えて不真面目なタイプである。そして、腐女子。


「そうだよ~、理恵ちゃん。私と泉ちゃんで探偵団を始めたのぉ」

「なるほどねー、全て分かったわ!」

「凄いわね、何故に今の話で理解した」

「え? 何か私、陽キャに話しかけられてる? こわっ!」


 理恵は自分の体を抱きしめる。


「別になにもしないわよ!」

「そう言って、どうせ私のようなオタクから金をむしり取ろうとするのが君たち陽キャなんでしょ!」

「とんだ被害妄想ね。昔、なんかあった?」


 志摩子の言葉に、理恵は鼻で笑った。


「現実ではなにもない。だけど、私は常に漫画で学習をしている。君のような陽キャは、私のようなオタクの尊厳を踏み躙ったあと、お金を毟りとるものなのよ。そして私を裸にし、正の字の烙印を押しつけたあと、それをネットでさらすつもりなんでしょ!」

「し、志摩子ちゃん〜、そんなの駄目だよ〜」


 あ、綾香が悲しげな顔をしている!


「志摩子、どういうつもり!」

「私、何もしてないんだけど!?」

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