間話01:ブレアの休日
ブレア・ホークは自室で悶々としていた。
潜入捜査の任務から解かれ、久々の休暇を迎えたが、どうにも心が晴れない。潜入中は別人格「シャーロット・アシュフォード」として過ごし、彼女としてのライフパートナーとの休日はあったが、ブレア本人としての自分は365日任務に縛られていた。それゆえ、これは1年ぶりのまとまった休暇となる。
「くそっ」
彼女はシャーロットとして過ごした記憶に苛立ちを隠せなかった。本来の自分とはかけ離れた人格で、ブレアはシャーロットを「クソ女」と評していた。そんなクソ女=自分だという現実に、情けなさや、やるせなさを感じずにはいられない。
「なんで私が男に媚びなきゃならないんだ」
ふと、シャーロットという人格を設計した情報部の担当者の顔が浮かんだ。ジェンダーすらよくわからないが、喋り方はオネェっぽく、どこか憎めない人物だ。しかし、シャーロットという人格を構築されたことだけは許せなかった。とはいえ、潜入任務で情報を集められたのはシャーロットのおかげでもあり、表立って文句を言う理由はない。それでも、内心では文句だらけだった。
ブレアは自分の体をペタペタと触りながら、記憶の奥底を探る。体を許した記憶がないことに安心したものの、シャーロットとしての恋愛観や、潜入中に感じたドキドキする感情がふと蘇り、再び悶々とした気持ちに襲われた。
「あー! …トレーニングでも行くか」
ブレアは休日をトレーニングに費やしている。色気も何もない、ただの身体鍛錬。たまにご褒美と称して美味しい食事を摂ることがある程度だ。
ARミラーを起動すると、自分の立体映像が映し出され、続いてシャーロットが好んでいたファッション一覧が表示された。それは、ブレア自身の好みとは大きく異なる服装ばかりだった。
「……」
ブレアは、誰もいないと分かっていながらも、念のため周囲を見渡し、確認してから、シャーロットがよく着ていた服装をARミラーに投影した。
ベージュ色のノースリーブに、タイトなツーピース風のニット、惜しげもなく生足を出したミニスカート――完全にシャーロットのスタイルだ。
『ウォーク』
ブレアが思考で命令を出すと、ARに映し出された自分がゆっくりと歩き始める。
『ランダム』
今度は日常の様々な動作をランダムに行い始めた。ブレアはそれに近づいて、360度ジロジロと自分を観察する。まるで別の生き物を見ているかのように。そして、そいつは何やらあざといポーズを繰り返した後、座った。
「パンツ見えてんじゃねーか!」
またしても悶々とする。潜入中に、あの服装で色々な人に見られたかもしれない事実が頭をよぎる。
「……はぁ、トレーニング、行くか」
ブレアはシャーロットは別人だと自分に言い聞かせ、長袖・長ズボンの防御力高めのトレーニングウェアを選び、スマートファブリックを装着して公安のトレーニングルームに向かった。
◆◇◆◇
「ふっ、ふっ!」
前回はシズという元公安の男に戦闘をほぼ任せてしまった。悔しさが残っている。
「アイツ、結構腕が立つな」
シズの姿を仮想敵として思い浮かべ、ブレアはスパーリングに打ち込む。しばらく機械相手に叩き込むと、次第にストレスも発散された。軽くシャワーを浴び、今夜の夕食はどうしようかと考えながら廊下を歩いていると、前方から背が高く細身でお洒落な雰囲気の人物がブレアに気づき、勢いよく小走りで近づいてきた。
「あ! ブレアちゃん!」
ブレアは心の中でため息をつく。いつもテンションが高いな、この人はと思いながら。
「久しぶり、ミラさん」
ブレアは軽く返事をする。
「聞いたわよ! ウイルスを仕込まれた上に閉じ込められちゃったんでしょ? 無事戻ってきてくれて、あたし本当に嬉しいわぁ!」
言うなり、ミラ――男性だ――はブレアにハグをした。目には若干涙が浮かんでいる。本気で心配していたのだ。
「ちょ、ちょっとミラさん。大袈裟すぎ」
「ブレアちゃんとシャーロットに何かあったら、あたしがライフパートナーを滅ぼしてたところよ」
目が据わっているミラ。冗談にしても、やりかねない。
「ミラさん、シャーロットのことは思い出させないで…」
「どうして? とってもキュートで可愛かったわよ! 男たちはみんなメロメロだったわぁ」
ミラは自分が構築したシャーロットを絶賛している。ブレアは苦い顔をした。
「そうね、ブレアちゃんはああいうタイプ、嫌いよね。でもね、男性が多い研究職への潜入にはピッタリだったのよ」
その事実を否定できないブレアは、強く言い返すことができなかったが、ひどく渋い表情でミラを見た。
「なるほど、わかったわ。お詫びも兼ねて、とびきり美味しいもの食べに行きましょ! もちろん奢りよ」
「美味しいもの?」
ブレアの耳がピクッと反応する。
「1人だと下町の入りやすい店ばっかりでしょ? たまにはゴージャスな空間で、美味しいコース料理を楽しみましょ!」
「いや、コース料理って堅苦しいし…」
「ダメよ! 今日は下町焼肉なんかに行かせないわ。大丈夫、あたしが完璧にエスコートするから。素敵なお店があるの。まだオープンして半年くらいなんだけど、すでに予約でいっぱいよ」
「予約が埋まってるなら無理じゃない?」
「そこは任せて。昔世話をした子でね、コネがあるのよ。ちょっと待ってて」
強引だな、と思いつつ、ブレアは嫌いじゃない。しばらくしてミラが戻ってきた。
「この後、暇よね? さぁ、行くわよ!」
「どこに? ミラさん、今日仕事は?」
「無理やり席を空けさせたの! 夜ご飯には少し早いけど大丈夫よ。仕事も終わってるし、ブレアちゃんもトレーニングしてお腹空いてるでしょ? さぁ、行くわ!」
そのまま強引にブレアは引っ張られていった。
◆◇◆◇
なんでこんな服を着ることに。ブレアは後悔していた。
「当店のドレスコードでございます。こちらのドレスを着用してください。お連れ様はジェンダールームにてお仕度中です」
着るしかないのか。ミラを待たせるのも悪い。ブレアは悩んだ末、前も背中も大胆に空いたロングドレスを着用した。
個室に案内されると、すでに座っていたミラが中性的で妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「あらー! すっごく綺麗よ、ブレアちゃん! やっぱりこのドレスが似合うと思ったのよ」
「これ、ミラさんが選んだの?」
もう抵抗する気力もなく、適当に返事をするブレア。それでもミラは気にせず、コース料理の説明を始めた。店の人に任せればいいのに、と思いながらも、ミラの楽しそうな様子に少し和む。
「この店のアミューズね、名前が素敵なの。『スターライトジェリー』っていうんだけど、見た目が星空のようにキラキラしていて、小さな宝石みたいなのよ。まるで宇宙をそのまま閉じ込めたかのような美しさ」
ミラは目を輝かせながら続けた。
「ジェリー自体は透明で、銀粉が散りばめられていてね。中には、じっくり低温調理されたトマトとバジルのコンソメが包まれていて、一口食べるとふわっと口の中で広がるの。酸味と甘みが絶妙に絡み合って、まるで星空を飲み込んだみたいな感覚よ」
さらに身を乗り出すミラ。
「そして、スモークしたオリーブオイルの香りが最後に漂ってくるの。これがまた全体を引き締めて、余韻がずっと残るのよ。素敵でしょ?」
その熱弁に、ブレアも次第に興味が湧いてきた。ウェイターがシャンパンを注ぎ、噂のアミューズがテーブルに並べられた。まるでアートのように美しい料理だ。
「さぁ、食べましょ!」
促されるままブレアは一口食べた。
「う、うまい…」
「そこは『美味しい』でしょ? ブレアちゃん」
料理に夢中になっているブレアを見て、ミラは微笑んだ。「やっぱりこの子、可愛いわ」と心の中で思わず感想を漏らす。もうドレスのことなど気にしている様子はなく、ブレアはひたすら料理に集中していた。アミューズからメインディッシュまであっという間に平らげ、その味わいに感動しているのが伝わってくる。顰めっ面が多いブレアにしては、時折柔らかい笑顔を見せていた。
ふと、ブレアは料理に夢中になっている自分の姿に気づく。前も背中も大胆に開いたドレスを着て、優雅にコース料理に舌鼓を打つ姿…まるで潜入任務中のシャーロットそのものだ。
「なんでこうなるんだ…」
軽く溜息をつきながらも、結局料理の誘惑には勝てず、ブレアはまた一口、料理を楽しんだ。葛藤しつつも、彼女の休日は静かに、しかし確実に過ぎていった。
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