第13話:記憶の残像
薄暗い路地を全力で駆けながら、シズは血の痕を追っていた。焦りの感情が胸を突き上げ、ただ無事でいてくれることを願いながら、足を速める。
しかし、その一方で、自分が見ている景色をまるで遠くから眺めているかのような、不思議な感覚に囚われていた。まるで魂が体を離れ、上空から自分を見下ろしているかのようだ。
ああ、これは記憶なのかもしれない。
血痕の先には、血を流して倒れている長い銀髪の女性がいた。彼女の顔は、どこかで見たことがあるような気がするが、どうしても思い出せない。
シズはその女性と何かを話している。自分の目から涙がこぼれ落ちるのがわかった。その女性の声は徐々に小さくなり、ついには完全に途絶えた。何か大切なものを託されたような気がする。シズは叫び声を上げた。
そして、後ろから近づく足音が聞こえ、シズは反射的に振り向き、戦闘体制に入る。
そこで夢は終わった。
◆◇◆◇
数日後、公安の施設内にあるガラスで仕切られた部屋で、髭の部長であるヒュージ・ニコラは、斉藤とブレアに厳しく詰め寄られていた。
ブレアやシズ、ニコラや研究員は公安の臨時部隊によって救出されていた。シズの爆破した壁とブレアが蹴り続けたおかげで、旧鉄道側からの位置が特定できたらしい。
シズが回収した研究所のデータに加え、ニコラ自身が取引材料として提供した組織内部でのやり取りの情報と、ウイルスに関する深い知識が、彼の命綱となっていた。
ニコラは部長というマネジメント職にありながら、現場でも一線で活躍していた。彼の自信はその実績に裏付けられていたが、今はその自信が斉藤やブレアに通じるかどうかが試される時だった。
「このウイルスの攻撃性は高くない」
とニコラは冷静な口調で話し始めた。
「そもそも非合法のものだからな、証拠隠滅できるように設計されているんだ。シャーロットの電脳にあるウイルスも、除去しようと本体に触れた瞬間に自壊するようになっている。強力そうに見えて実は弱いものさ。ただ、その偽装の精度は非常に高い。そこら辺の診断ではウイルスと気づくことはまず不可能だろう。周囲の記憶データに化けて、カメレオンのように周囲と同化するタイプだ。国内トップレベルの技術だよ。シャーロット、お前も数年務めていたなら、この技術力の高さは理解しているだろう?」
ニコラは自信たっぷりに話す。その態度は、司法取引が成立し、自身の安全が確保されたことでさらに増長していた。しかし、その自信が斉藤やブレアに通じるかは別の話だ。
「次にその名前を呼んだら殺す」
ブレアの声には殺意がにじんでいた。
「ウイルスの特性はもういい。設計書も確認済みだ。それより本当に会長がやり取りしていた相手はわからないのか?」
と斉藤が冷たく言い放つ。
「……既に話した以上の情報はない」
斉藤はため息をつくと、
「とりあえず、ブレアの電脳は公安の医療機関で対策プログラムを適用する。お前のこれからのことは追って連絡する」
斉藤はそれ以上の言葉を発することなく、ブレアと共に部屋を後にした。
ブレアは、部屋を出る瞬間まで、ニコラに対して鋭い視線を送り続けていた。その目には、彼の存在に対する嫌悪しかなかった。
どうやらニコラは、期間は定かではないが公安の強制労働者となるらしい。彼の持つ技術力は確かであり、普通の刑に処すよりも、社会のために利用することが賢明だと判断されたのだろう。しかし、ニコラにとってそれはどんな気持ちだったのだろうか。彼がこれまで築いてきたキャリアが、今や彼自身の罠となり、彼を拘束する鎖となっていることを感じていたに違いない。
その他、公安に保護された研究員や開発主任がいたが、ニコラよりも情報は持っていなかった。さらに、部長の上司である取締役や会長、専務らも次々と捜査の手が及び拘束されるはずが、恐らく関係していたであろう人物は、軒並みこの世を去っていた。
社長に責任が及ぶのも時間の問題であり、会社の上層部が一新される可能性が高まっていたが、闇の深さから再起できるのかはわからない。企業の闇が暴かれ、次第に光の下に晒されていく様子は、ドラマチックでもあり、すぐに人々に浸透していった。
「死ぬよりははるかにマシか。それに、取引した以上、公安内部にいた方が安全だろう……いや、公安内部にも、もしかすると」
ニコラは心の中で小さな安堵を感じると同時に、どうしようもない不安も感じられた。
◆◇◆◇
一方、その頃シズとクロエは都市にある修理センターにいた。修理センターの無機質な環境の中で、彼らはくつろいでいた。
目の前のモニターには、AIがキュレーションしたであろうニュースが投影され、メインニュースとして「ライフパートナー、違法ウイルス開発か⁉︎」という見出しのニュースが表示されていた。地下研究施設や特殊ウイルス開発といった内容は、どこかB級のサイエンスゴシップのようにも見える。
しかし、その記事の一次情報を見ると、「ハーディ・スコル」と顔と写真が掲載されていた。
「ああ、コイツのことすっかり忘れてた」
シズは呟いた。その言葉には少しの安堵が含まれていた。もちろん、彼の車のことは完全に忘れているに違いない。
「ようやく、私の船が帰ってくる!」
と、クロエは楽しそうに声を上げた。その表情には、全てがうまく運んだことに対する満足感が滲んでいた。もちろん契約金である700万ユニカは既に送金され、彼女が管理している。
「あれ俺の船だぞ、名義も俺、出資も俺なんだけど」
シズは軽く抗議したが、クロエはその言葉を無視して話を続けた。
「お金も入ったことだし、ちょっとくらい機材買ってもバチはあたらないわよね! でも節約はちゃんとしないとね…」
彼女はウキウキしたり真剣だったり忙しい表情で、未来の計画を思い描いているようだった。
すでに斉藤から契約した報酬は送金済みで、陰険なメガネの情報屋への返済も全て終わり、新たな偽装ID代を支払ってもなお結構な利益が出ている状態だった。というのも、修理代がかさむと思っていたシズの義体は、見た目こそボロボロだったが、コアの部分には何の異常も見られなかったのだ。
「ちょっとボロボロに見えるかもだけど、レトロな感じでいいじゃない」
クロエは振り向き、長い銀髪を揺らしながら言った。その言葉には、シズへの軽い皮肉と、現実的な会計感覚が含まれていた。彼女は次の計画に向けて抜かりなく準備を進めていた。
「これがレトロか? まぁ、短パン履かなければわかんないけど」
シズがズボンの裾をめくりながら呟いた。その時、通信でAIアナウンスが届いた。
『お待たせいたしました。機体番号RE-002、登録名『オモカゲ』の引き渡し準備が整いました』
アナウンスが流れると、シズとクロエは立ち上がり、手続きを済ませるためにカウンターへ向かった。二人は船の修理が無事完了したことに安堵した。船でもあり家でもあるからである。
「しばらくのんびりできるな」
シズが言うと、クロエは頷いて同意した。彼らは都市部にある有料の駐船場に船を停め、充電をしつつ、その日の疲れを癒すために船内でゆっくりと過ごすことにした。
「はぁ〜何はともあれお疲れ。とりあえず今回のおさらいするか? あのやつ」
シズが提案すると、クロエはニヤリと笑って答えた。
「あたしのことをとやかく言ったのは誰だったかしら?」
クロエの秘蔵データを管理されているであろう金庫は、既に棚からは消えていた。
「まあ、あのブレアっていう狂犬には苦労させられたから。これで鬱憤を晴らすのもいいかと」
二人は船内に色々持ち込み乾杯し、打ち上げとばかりにそれぞれの好きな飲み物を手にした。
「「乾杯!」」
シズはビールを、クロエは紫っぽい飲み物を手に取り、静かな夜に乾杯の音が響いた。つまみといえば、やはりブレアの記憶だった。
もちろん、外部に漏れれば守秘義務違反となるが、二人だけで見る分には、問題はない。人格復元時にあれだけ動揺していたブレアだ、きっと面白いものが見れるに違いない。
アナログな大きなスクリーンに映し出されたのは、髭部長であるニコラや、ウイルスの開発主任、そして他の関係者たちの映像だった。昔の映写機を利用しシャーロットの視覚情報と音声を投影した。
「あなたのお名前と志望動機は何ですか?」
という質問に、シャーロットと名乗る女性が答えるシーンが映し出された。やはり同じ外観でも人格が違うとだいぶ違う。
「はい、シャーロット・アシュフォードと申します。御社を希望したのは、人に寄り添い、個人を大事にするという理念に共感したからです」
映像の中のシャーロットは、淑女のようでありながら、どこかあざとさを感じさせる装いで、しかし、しっかりとした口調で答えていた。それは彼女が潜入する前の入社面接の記憶だった。潜入中に演じた恋愛ごっこや、任務の過程で記録されたデータが映像として次々と映し出され、二人はその記憶をつまみに、しばらくのんびりと時間を過ごすことにした。
時折クロエの舌打ちが聞こえたり、真剣に観察しては「へぇ……」というように新しい知識を得たような様子が伺えた。この動画も彼女のコレクションに加えられるだろうな、シズはそんなことも考えながら、ニヤニヤしながらシャーロットの痴態とも言えるシャーロットの記憶を見ていた。
過去の記憶を鑑賞する二人は、時が止まっているような、ゆったりとした時間を楽しんだ。
◆◇◆◇
青い光の中、空間に映し出された様々な図や文字を見ながらつぶやいた。
「コレが自己改変ウイルスの設計図か〜、こんな危険なもの、僕も管理しないとねぇ」
陰険メガネは不吉なことを呟いていた。
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