第08話:狂犬の覚醒

 寝台でブレアが目を覚まし、頭を押さえながら前方を見つめた。


「お、起きたぞ」


シズが少し覗き込むように起き上がるブレアを見た。二重に見えた景色の焦点があってくると、そこにはボサボサの髪を持つ長身の男、シズがブレアの目の前に見えた。


「誰だ? テメェ……研究員か⁉︎」


 突然、ブレアの目が鋭く光り、彼女は瞬時に逆立ちで回転し、シズに向かって連続蹴りを繰り出した。カポエイラ独特の格闘術だ。シャーロットだった時のお淑やかさのカケラもない、まるで昔のヤンキーのような迫力を持っている。一言で言うとガサツだった。


「うわっ、くっ、ぐっ!」


 油断していたシズはガードしながらも、数発の蹴りを受けて後ろの壁に吹っ飛ばされ、段ボールの山に突っ込んだ。その蹴りの重さから、彼女の足が義体である可能性を感じ取った。

 ブレアはバランスを崩し地面に片膝をついて、苦しげにうずくまった。復元したばかりで、電脳酔いを起こしているようだ。意識が戻ると、目の前にちらつくブレアの記憶の断片が不安を煽る。彼女の中で混乱が渦巻き、人格が揺れ動いているかのようだった。

 クロエは戸惑いながらブレアを指差し、モニター越しの斉藤に不安そうに尋ねた。


「……あれは、失敗?」


 斉藤は考え込み、慎重に答えた。


「いや、大丈夫だ。これがブレアだ。落ち着け、ブレア!」


「あは〜、噂通り」


 とニヤニヤする情報屋コウ。

 複数人の気配を感じたことでさらなる行動に出ようとしていたブレアは、ピタっと動きを止めた。


「斉藤……か。ここは……アタシは失敗したのか……?」


 ブレアは深く息を吐き、目を閉じて記憶を整理しようとしたが、シャーロットの記憶が混ざり込み、自分が誰なのか、その境界が若干曖昧になっていく。

 彼女は戸惑いながらも、懸命に記憶を辿り、自分を取り戻そうとした。しかし、手の震えに気づいた彼女は、感情を抑えきれずに近くの椅子を殴り飛ばした。椅子はシズの方に吹っ飛び、起き上がりかけていた彼の胸に直撃した。


「グエェ」という呻き声がシズから漏れたが、ブレアは気づかなかった。


「ちくしょう! シャーロットなんかに成り下がったのに……」


 シズは起き上がり、ボサボサになった髪を整えながら、ズカズカと彼女に近づいていった。


「なんだこの狂犬は⁉︎」


 鼻息を荒くしたシズを見て、クロエは「どうどう」と彼を宥める。

 ブレアは睨み返したが、斉藤がため息をついて声を張り上げた。


「ブレア! シャーロットはどこまで情報を手に入れた? 定期報告が途絶えた後にも情報はあるか?」


 ブレアはシズを警戒しつつも、斉藤に向き直り、情報を整理するために目を閉じた。しかし、ブレアの記憶とシャーロットの記憶が混ざり合い、彼女は混乱しながらも何とか状況を理解しようとした。


「……シャーロットの人格に統合される前、ライフパートナー社の内部情報はある程度手に入れた。あそこ、地下に大規模な施設がある」


「上司に敬語も使えねぇのか、この狂犬め」


 シズが横からぼそぼそと言っているが、ブレアは聞き流し、再び頭を押さえながら、記憶を辿るように話し始めた。


「そうだ。新型ウイルスの開発だけじゃなく、やはり人体実験も。ちょっと待て、記憶を整理する」


 ブレアはシャーロットとしての記憶に触れるたびに違和感を感じ、戸惑いを隠せなかった。彼女の表情が赤く染まり、何度か瞬きを繰り返しながら記憶の断片を紐解いた。


「グゥぅぅ、ミニスカ、なんてことだ」


 ブレアの小さな呟きが室内に響いた。


「ん? なんか、電脳内に障壁が張られてるな?」


 ブレアは自身の電脳の異変に気づき、シズが入れたハーブティーを一瞥した。


「アンタの電脳内にウイルスがいたんだよ」


 シズが言うと、ブレアは信じられないという表情を浮かべた。シズは問題を早送りするように結論を述べた。


「結局のところ、潜入して証拠品を確保するなり、ウイルス対策プログラムを手に入れるしかないんじゃない?」


「…結論、やはりそれしかなさそうだな」


 斉藤も同意した。

 ブレアは状況を察し、ため息をついて、少し疲れた表情で呟いた。


「地下への潜入方法は二つある。生成部門の会長派閥の部長クラスのマスター権限を使うか、開発主任のゲート権限を使うかだ。開発主任の社員IDのデータと生体認証の複製があるが、もちろん同時入館はできない」


「生体認証の複製を用意って、主人格が動けるのは深夜だけだろ? それってつまり…」


 シズが疑問を口にすると、ブレアがすごい目でこちら睨んだ。潜入方法を共有されると、斉藤は不安げに言った。


「施設内部に潜入するとなると、令状がなければ法的に厳しい。だが、今はそんな悠長なことを言っている時間はないな」


 ブレアは即答した。ブレアはかなりの正義感の持ち主らしい。


「斉藤、今は令状を待つ余裕なんてない。ライフパートナー社でウイルスに感染してる社員も、アタシを含めおそらく数名いる。生活しながらウイルスの様子を観察する第2フェーズなんだろう。アタシを見事選抜されたわけだ。さらに被害が拡大する前に行動を起こさなければならない」


 さらにこめかみを抑えながら、


「このウイルスはやばい、感染期間は経過していても3日ほどのはずだろ? それにもかかわらず、シャーロットの記憶を見るとライフパートナーに対して異常なまでに入れ込んでいる。命さえ投げ出せそうなくらいに」


 シズも同意しながら、足を組んでいつの間にか入れていた緑茶を飲んだ。


「証拠品やプログラムを確保できれば、後で法的に正当化できる。リスクはあるが、今は動くしかない。大変そうだな」


 斉藤は苦笑しながら、納得したように頷いた。


「確かに……。証拠隠滅される前に動かなければならないな。令状がなくても、後で説明すれば何とかなるだろう」


 ブレアは決意を固めた表情で頷いた。


「そういうこと。今は一刻を争う。開発主任のIDを使って突入し、証拠を確保し、被験者を救出する」


 シズも肩をすくめながら微笑んだ。


「セキュリティは厳重だろうし、用心棒もいるだろうから、気をつけろよ」


 その言葉に、斉藤は尋ねた。


「さっきから何を言ってるんだ、シズ?まるで他人事のように聞こえるが」


 シズは肩をすくめ、軽く笑って答えた。


「いやいや、こちとら復元屋だ。そっちの狂犬が復活した時点で、こっちの仕事は終わってる。あ、あとお金の送金はなるべく早めに頼む」


 クロエも同意し、微笑みながら言った。


「そうね。船体のチェックもしたいし、とりあえず近場の公安の支部にでも、ブレアさんを送って行くわよ?あ、でもその前にこのハーディとかいう記者も引き取ってって欲しいわね」


 斉藤はその様子を見ながら、静かに契約書をホログラムに投影し、ゆっくりと話し始めた。


「第1条(目的)

甲は乙に対し、ブレアの記憶の復元を依頼し、乙はこれを受諾するものとする。乙は、ブレアの記憶を完全な状態で復元し、記憶の欠落、損傷、または改変が生じないよう努める。

第8条(品質保証)

乙は、ブレアの記憶復元が最善の状態で実施されたことを保証する。復元後において、記憶や機能に何らかの影響が生じる場合、その対処と全体的な調和を保つよう努めるものとする」


 斉藤が契約を読み上げると、クロエのこめかみがピクピクっと反応した。


「つまり、この契約書には、ウイルスがない状態に復元するまでが仕事ということだ。第1条の改変が生じないように、第8条の品質保証の解釈が該当する」


「ウイルスがない状態…?」


 シズが呟き、クロエとお互いに顔を見合わせ一瞬時が止まった後、クロエがダムが決壊したように攻め出した。


「ちょっとシズ⁉︎ どういうことよ! 契約する時は気をつけろっていつも言ってるでしょ!」


「こんな細かい解釈、わかるかよ! 無効だ、無効! ………そうだった公安ってやつはこういう悪どい手を使っては、契約内容に違反すると同行させようとしたりする奴らだった」


「アンタ元公安でしょ!」


 シズとクロエが言い合っている中、斉藤は軽くため息をついて言った。


「無効にしたら、金は送金されんがな…。契約違反の罰金条項を記載してない分良心的だと思ってくれ」

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