第07話:人格の復元
斉藤は、焦りを滲ませた表情でシズたちに復元作業を急がせるように言った。
「もちろん、即金で1000万全額は無理だが、まずは300万を今振り込む。残りの700万については契約書がある。サインしてくれ」
「ん?おお、はい。ちょっと待って…」
シズが通信で送られてきた契約を、睨みつけながら読み始めると、
「すまんが急いでくれ。おそらく既にライフパートナーは証拠隠滅の準備をしているはずだ」
シズは押し切られるように、金額が間違いないことを確認すると、勢いでサインをしてしまった。普段の公安が、これほどの額をこんなにスムーズに支払うことは考えにくい。シズの眉間に疑念のしわが寄る。
「おかしいな。公安がすぐに金を出すなんて、特別予算でも下りてるのか?」
斉藤は冷静に答えた。
「今回は特別な案件だ。調査には金がかかる。そして、これは想定以上に深刻な事態だ」
すると、船内のAIが淡々とアナウンスをした。「金額が振り込まれました」
シズとクロエは一瞬、その言葉を聞き流しそうになったが、すぐに現実に引き戻され口座情報を確認すると300万ユニカが入金されていた。契約が完了し、大金が入ってくることが現実味を帯びるにつれて、二人の脳裏には様々な思いが浮かんだ。
「これで借金を返せる…新しい機材も買える、いや、節約しなくちゃ」
「久しぶりに培養じゃない、純正の焼肉を少しくらいは…」
それぞれ妄想が口からダダ漏れしている中、斉藤が急かすように尋ねた。
「確認だが、ブレアの人格を復元する際に、ウイルスを完全に除去することはできないのか?」
クロエは妄想から我に返り、冷静に答えた。
「無理ね。このウイルスは新種だし、無理に移動させようとすると防衛反応が起きるわ。今できる最善は、ウイルスをその場に留めて、強力な隔離障壁を張ること。ウイルスの詳細な情報がわからない限り、安全なやり方はそれだけよ。おそらくライフパートナー側に対策プログラムがあるはずだから、それを適用するのが一番だと思うわ」
斉藤は険しい表情で頷いた。
「そうか。あと、ブレアの人格を完全に復元するためには、公安が保有するアクセスキーが必要になる」
斉藤はあらかじめ準備していたようで、すぐにアクセスキーを取り出した。
「アクセスキーは既に用意してある。これを使ってくれ。シャーロットとしての記憶はどうなる?」
クロエは操作パネルを確認しながら答えた。
「シャーロットの記憶は、別の領域に保存するわ。ブレアが主人格として復元されるけど、シャーロットの記憶は参照可能。ただし、慎重にやらないと記憶に損傷が出るリスクがあるわね」
斉藤は深く息を吐き、決意を固めたように言った。
「ブレアの完全復元を最優先にし、できる限りシャーロットの記憶を抽出してくれ。そこに重要な証拠がある可能性が高い」
クロエは頷き、電脳に直接接続するケーブルを取り出して準備を整えた。
「了解。それじゃあ、まずは電脳にダイブする。シズ、補佐をお願い」
「了解」
シズは操作パネルの前に立ち、モジュールを起動させた。冷静にそして正確に、彼はクロエの動きに合わせてシステムを調整していった。
クロエはブレアの接続ポートに自らのケーブルを接続し、深呼吸をして目を閉じた。その瞬間、彼女の意識はブレアの電脳内にダイブし、データの深層入り口へと潜り込んでいった。
クロエが電脳内を探りながらアクセスキーを入力する様子が、シズの操作するパネルからホログラフィックに投影される。ブレアの脳内データが立体的に浮かび上がり、無数のデータパケットが渦巻く中、シズはパネルを操作し、表示されたデータをモニタリングし、重要なデータのスキャンを行った。
「全体の状況を、把握。システムバス、状態安定。ニューロンマッピング、開始」
クロエの声が電子的に変換され、シズの耳に届く。彼女の集中した様子が伝わり、喋り方はますます機械的になっていった。慎重に電脳内の各データポイントを検査し始めた彼女に応じ、シズもホログラフに投影されたデータを確認し、障壁構築の支援を行った。すでにクロエの額には薄い汗が浮かんでおり、彼女の集中は全て電脳の深淵へと向けられている。
「ブレア、人格データ、無事。ウイルスの場所、特定。複数、存在確認。まずは、これを隔離」
シズは即座に反応した。
「了解。周囲に隔離障壁を展開。障壁安定…。うっ!気をつけろ!」
ウイルスの周囲に強固な隔離障壁が構築される様子が映し出され、障壁が展開されるとウイルスが障壁に向かって侵食するような動きを見せた。直接見ているクロエはビクっとなりながらも冷静さは失わない。
シズはすかさず障壁を二重構造にするが、ウイルスは一層目の障壁を破れないと確認するとまた元の状態に戻った。
「ふぅ」
シズはさらに障壁を重ね、防御壁のようにウイルスを完全に封じ込めた。
「ウイルス、封じ込め、確認。暴走の危険性、考慮。フェイルセーフ、設定完了。障壁破壊時、システム一時凍結、準備」
クロエは次に、ブレアの記憶を別領域に分離する作業を始めた。彼女の視界には、ブレアの記憶データが輝く球体のように映し出され、それを慎重に別の領域へと移していく。シズはその作業をサポートし、データが損なわれないようリアルタイムでモニタリングを続けた。
「フフ、フフフフ。シャーロットの記、別領域に移動中…20%…50%…完了。次は、ブレアの人格データ、スキャン中。フフフ、プロトコル…正常…確認」
クロエが不気味に笑い出した。シズや現在モニター越しに繋がってる奴らにはもう見慣れた光景だが、初めて見る人ならやばい人だと思うだろう。電脳ハイってやつだ。シズは操作パネルで最終確認を行い、すべてのプロトコルが正常であることを確認した。
「こちらも問題なしだ。やってくれ」
クロエが最後のコマンドを入力すると、ブレアの人格データが慎重かつ着実に復元され始めた。ホログラフには、ブレアのデータがメインシステムに統合されていく様子が映し出され、その過程はスムーズに進行していた。
「フフフ!フフフフフ。リストアレイション、開始。シナプス、結合確認。復元…完了。脳波安定、ウイルス、異常なし」
クロエは目を開け、大きく息を吐いた。少し息が乱れている様子は100mを全力疾走した後のようだ。クロエは鉛のような疲労感を落ち着けつつ、結果を報告した。
「フフ、処置完了。ふぅ…結合状態は問題なしよ。あとは目覚めた後に記憶欠落や異常がないか、しばらく観察が必要」
クロエは作業を終えた後、無言で後ろ向きに寝転がり、体を伸ばした。疲労からか、口元にはヨダレの跡が残っている。彼女の無防備な姿は、電脳の世界での緻密な作業とは対照的だった。コウが、そんなクロエを見て笑いを漏らす。
「ふっ、相変わらず早いし不気味だねぇ、超優秀な電脳医師になれるよ」
「シズの悪影響を受ける前に公安にスカウトしたいがなぁ」
2人の感想に、シズがすかさず反論する。
「いやいや、俺のサポートがあってこそでしょ?」
コウは、メガネの奥の目を細めてシズを見た。
「いや〜、ぶっちゃけシズちゃんのサポート無しでもいけるよね?」
「いやいや、あの不気味な笑いを見てみろ。自我が喪失しそうな時のために、俺が必要なんだよ」
冗談めかして言い合いながらも、どこか冷静な空気が漂う。三人の会話は、どこか軽やかだが、その裏にはそれぞれの役割や立場に対する自覚が垣間見える。そのまま談笑はしばらく続いた。
「クロエはまぁ、黙ってればただの美少女なんだけどな、全体的に残念なんだよ」
シズが総括するようにそう言うと、
「確かに変わってる気もするけど、そのくらいの方がいいんじゃない? 完璧すぎると人間味がないしねぇ?」
「シズの影響のせいなんじゃないか?」
少し休んでいたクロエも、回復したのか口を開いた。
「好き勝手言ってくれるわね…」
その時、ブレアがゆっくりと目を開け、困惑した表情で周囲を見渡した。そしてゆっくりと、錆びついた歯車が無理に回されるように上半身だけ起こした。
「アタシは?なンだ、ここは?家…じゃない?」
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