第06話:非常事態の取引

「ハハハ!いやぁ、すまんすまん。予想外の展開になっているようだが、無事回収してくれたようで、こちらとしてはひと安心だ」


 モニター越しに映るオヤジ斉藤、斉藤はまるで何事もなかったかのように豪快に笑っていた。


「いや、こっちは無事じゃねぇんだよ」


 シズが苛立ちを隠さずにすぐさま言い返す。


「あそこの下町、悪くなかったんだ。いや、良かったんだぞ? 定食屋の培養フードがやけに美味くてな、生の食感が完璧に再現されてて、歯応えも絶妙で…。それに、せっかく少しは顔馴染みもできたのに、また引っ越しかよ!」


 クロエは腕を組んで、無言で頷いている。だが、彼女の目の奥では、冷静に修理費用の計算が進行しているに違いない。


「責任、取ってもらわないとね」


 斉藤はまだ余裕の表情を崩さず、むしろ、引っ越しの話題に焦点が当たっていることにどこかほっとしているようにも見えた。


「シズちゃんが瞬殺した公安は2人か。いや、殺してないけど、さすがだねぇ」


 と、情報屋のコウが本筋に戻るよう促す。


「そこ、余計な情報挟むなよ」


 シズがジト目でコウを睨む。


「おい、オヤジ斉藤、シャーロットって女、一体何なんだ? 変なもんウチによこすなよ! そもそも、よこすつもりなら事前連絡はどうした⁉︎」


 シズが再び斉藤に怒りの矛先を向けると、斉藤は深呼吸して言葉を選ぶように話し始めた。


「シャーロットは公安の潜入エージェント、本名はブレア・ホークだ。ライフパートナー社の内部情報を集めるために、仮想人格としてシャーロットを植え付けられた。彼女自身はそのことに気づいていないが、無意識に重要な情報を集めるようプログラムされているんだ。そして今回の調査は、かなり限定したメンバーで行われていてな、公安内部のスパイの可能性も否定できず動きが後手になってしまった」


 斉藤の表情はいつもと変わらないが、言葉の重さが感じられる。シズの眉間の皺が一層深くなった。


「内部スパイ? いやいや、いつの時代の話よ? 入社時に徹底的に洗われるでしょ?」


「そうなんだがな。この件に限ったことではないが、内部スパイがいると仮定すると、辻褄が合うようなことがいくつかな」


 そう言って斉藤は苦笑すると、潜入の詳細を話し始めた。


「もう1年ほど前だが彼女に潜入してもらい、シャーロットとして日中の業務を普通にこなし、ブレアが深夜にその情報を整理し、公安に報告していたんだ。ライフパートナーには以前から怪しい噂があってな。一介の研究室にしてはセキュリティが異常に強力だし、心不全という名目で怪しい死亡者も出ている。性格も変わったやつとかな」


 クロエが核心に迫る質問を投げかける。


「ねぇ、斉藤さん。電脳ウイルスが絡んでるんでしょ?」


 斉藤は一瞬驚いたように目を細め、それから静かに頷いた。


「その通りだ。まぁ、それなら話が早いな。ブレアが身の危険を感じたり、深層検査になりそうな場合、シャーロットに人格が統合されるように設定されていた」


 斉藤は言葉を少し間を置いて、静かに続けた。


「……定時連絡が途絶えて3日、緊急用の暗示を促すために広告ハガキを貼ることにしたんだ。公安との繋がりを極力隠すため、シズのところに自然に向かうように工夫したんだが」


 シズはこの説明に疑問を感じ、斉藤に問い詰めた。


「ってことは、あの広告ハガキがその暗示のトリガーか? 変なもん作りやがって、まぁデザインは悪くないけど」


 斉藤は軽く頷き、少し笑みを浮かべながら答えた。


「そうだ。しかし、まさか監視がついているなんてな……その、とりあえず、すまん。人格統合した段階では、そこまで怪しまれる可能性は低いと思っていた」


 クロエが淡々とした表情で、真剣に口を開いた。


「彼女、電脳ウイルスに感染してるわ。逆に泳がされていたみたいね」


 斉藤の顔が一瞬強張った。まるで、。


「何だって⁉︎ 本当か?」


斉藤の驚きを受け止めながら、クロエは淡々と説明を続けた。


「ええ。偽装が可能なウイルスで、電脳接続時には活動を停止するみたい。今は侵食を止めているけど、独自開発のウイルスだから無理に除去しようとすると、どんな影響があるかわからない」


 クロエの冷静な声が、室内の空気をさらに冷たくしたような気がした。


「このウイルス、ステルス性能が高くてね、ホストのシナプスを少しずつハックしていくの。今は暫定的に電脳内に隔離障壁を設けているけど、これも完璧とは言えないわ。ライフパートナーに行けば、対ウイルスプログラムがあるのかもしれないけど」


 斉藤は眉間に皺を寄せ、深刻な表情でブレアの状態を心配している。


「無事とはいかなかったわけか…厄介だな。ブレアの人格の復元は可能なのか?」


 通常なら公安の病院で行う手続きを、斉藤は迷いなく復元屋に任せようとしているようだった。それだけ、彼らに対する信頼が強いということだ。クロエは軽く肩をすくめて、自信たっぷりに言った。


「ウチなら公安より早く、確実にできるんじゃない? ただし、これが必要ね」


 クロエは無言で手のひらを軽く上げ、指先でお金のマークを作った。それは、何百年も前から変わらない、共通のジェスチャーだった。

 斉藤は微笑みながら、肩を少しすくめた。


「当初の300万ユニカじゃ足りないってことか?」


「全然たりねぇよ!」「全然たりないわ!」


 シズとクロエが声を揃えて言った。二人の息がぴったりと合っているところが、どこか滑稽だった。


「見ろよこの脚、銃弾受けて凹んでんだぞ」「私の船も穴だらけだし、偽装IDとられたのよ!」「地に足ついた生活してたのに、また探さないとじゃねーか!」


 斉藤は二人の矢継ぎ早の不平不満に、ただ苦笑するしかなかった。まるで駄々をこねる子供を見守る大人のようだ。そしてシズはすかさずクロエに指示を出す。


「クロエ、見積もりを出してさしあげろ」


「はいはい」


 クロエは秘匿回線に切り替え、二人で内緒話を始めた。


『まずは高めに吹っかけろよ』


『もちろんよ。船体に銃痕もついたし、何よりせっかく地に足をつけた場所だったのに、また浮遊生活になっちゃった。あの雑居ビル、テナント料もいらなかったのに』


 うらめしそうにシズとクロエがやり取りを続ける。


『そうだそうだ。最低でも倍の600万はもらわないと割に合わないな』


『600万ユニカじゃ利益が少ないわ。……何とかして1000万ユニカは欲しいわね』


 突然、コウの声が割り込んできた。


『その金額なら、僕への送金も問題なさそうだねぇ』


 シズがぎくっとした表情を見せ、クロエは呆れ顔になる。二人はモニターに映るコウを見ながら、直接口を開いた。壁に耳ありどころか、秘匿回線にコウあり、どこから聞いていたのか、全て筒抜けのような気もする。


「なんでコイツが回線に入ってくるんだよ! 秘匿回線だろ? 締め出せないのか?」


 クロエが諦めの表情で答える。


「ベースのシステム開発にコイツが絡んでるから、抜け道くらい知ってるに決まってるでしょ」


 シズはため息をつき、疲れた声で言った。


「はぁ、ウイルスより厄介なヤツだな」


「ヒドイねぇ、シズちゃん。その言い草はないんじゃない?」


 クロエはシズの例えに大いに同意する。コウの脅威はクロエの方がよく知っているからだ。


「もっとお金と時間をかけて、自分でシステムを構築しないとダメね」


「お前たち、もう内緒話は済んだか? 時間が惜しい。金額を提示してくれ」


 見かねた斉藤が口を挟み、シズは神妙な面持ちで、慎重に答えた。


「……1000万ユニカだ。迷惑料や復元料もろもろ込みで。あくまで元の人格を戻す復元処置までだ」


 斉藤は即答した。


「わかった。では急いで復元に取り掛かってくれ、こっちも時間が惜しい」


 予想以上にあっさりと決まってしまったことで、シズは軽く拍子抜けした。ふと口から漏れた声は、思わず出てしまったものだった。


「あれ?」

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