第04話:命知らずの追走劇

「うっ!っく…」


 シズは空中でなんとかバランスをとりつつ、落下の衝撃を和らげるために義体の脚部サスペンションを思考制御した。義体の制御に意識をとらわれすぎないようにバランスを整えている姿は、泳ぎを始めたばかりの人のようだった。


 幸いにもぶつかりそうな建物は進行方向にはなく、ブースターの出力を調整しながら、着地の瞬間を見計らう。


『今だ!』


 思考制御でブースターのプラズマが青白い光を帯びた。着地した瞬間、コンクリートとの摩擦で火花を散らしつつも、サスペンションが悲鳴を上げながら機能した。吸収しきれなかった衝撃が、ビリビリと体を駆け抜け、骨に響く痛みがほんの少し残る。


「ぐぐぐっ…………! ふぅ、危なかった」


 気を抜いたシズに、キキィィィと甲高い音と明かりが目の前に迫ったかと思うと、小型車が激突した。着地した場所が運悪く、ここは道路だった。


 小型車の自動ブレーキが作動したため大事には至らなかったが、シズは踏んづけられたカエルのようにフロントガラスに張り付いてしまった。着地の衝撃で避けることがままならなかった。車が完全に止まると、シズは地面に落ち呻いた。


「い、いてぇ」


 驚愕した運転手は動きを止めていたが、シズのうめき声に反応して、運転手がようやく声を上げた。


「なんで空から人が、いや、人をひいた⁉︎」


 運転手がシートベルトを外し、車を降りようとしたが、シズは手でそれを制し、顔を押さえながら素早く言い放った。


「公安だ! 今、銃撃犯を追っている。車を借りる!」


「え?」


 運転手はひいてしまった相手の心配をする暇もなく、シズによって助手席に押し込まれた。そして、手慣れた様子で手動モードに切り替えると、すぐにアクセルを踏み込み、車を急発進させた。彼の目には駆け寄ってくる追手が見えていたからだ。


 突然の急発進に驚いた運転手は、シズの異様な姿にさらに恐れを抱き、叫び声を上げた。


「う、うわぁぁぁあ!」


 元運転手の絶叫が響く中、シズは冷静に運転を続けた。すでに復元屋の飛行船はかなりの高さまで上昇し、市街地から出ようとしている。


『クロエ、東にある公園の高台わかるか?そこで合流だ!』


『了解! 無事ならもっと早く連絡しなさいよ!』


 クロエからの応答が返ってきた。彼女も慌ただしくしているようだ。

 シズはプロレーサー顔負けの技術で狭い住宅街を疾走し、信号も無視して速度を上げた。


「クソッ、この車飛ばないのか。もっと加速できるか?」


 アクセルを踏み込むが、車のエンジンは悲鳴を上げた。下町で利用されている車は安価で飛ばないことが多いし、地上用の規制や制限がかかっている。


 車内で、元運転手は震えながらあらためてシズの横顔を見つめた。目出し帽にゴーグルをつけた姿は、公安どころか強盗にしか見えなかった。荒事に慣れていない彼の両足は、小刻みに震え、まるで風に揺れる葉のように不安定だった。


「お、おい、本当に公安なのか⁉︎ こんな運転して、大丈夫なのか⁉︎」


 不安げに問いかける元運転手に、シズはバックミラーで後方を確認しながら答えた。


「心配するな」


 シズの冷静な声とは裏腹に、バックミラーには追手の車が映り込んでいた。彼らはシズの車を発見し、猛烈な勢いで追跡を始めた。


「危ないから伏せていろ! あとシートベルトも」


 シズは元運転手にそう言うと、急ハンドルを切って狭い路地に車を滑り込ませた。車は地面すれすれに進み、曲がりくねった道を駆け抜けた後、歩行者用の階段に突っ込んで駆け上がった。


「お、おいぃぃぃぃなんてとこ走ってる⁉︎ しかも、これ、俺たちが追われてるじゃないか!」


 恐怖に震える元運転手の叫びを無視し、シズは運転を続けた。車はまるで生き物のごとく、複雑に入り組んだ街並みを軽やかに駆け抜けた。後方から微かな銃声が響き、追手がシズの車に向けて発砲してきた。なんて過激な奴らだ。


 シズは瞬時に察知し、車を鋭くハンドル操作して急カーブを切りながら、車の動きに合わせて弾道を外させようとした。スマートガンの弾は、狙いを微調整しながら追いかけてくるが、狭い路地や急なカーブを利用し、弾の弾道をかろうじてかわし続けた。


「ふぅ」


 シズは軽く息を吐きながらも、動揺せずに運転を続けた。スマートガンの弾を完全に避けることはできないが、複雑な運転操作によって弾が命中する可能性を大幅に減らしていた。追手たちは数台の車でシズの車を取り囲もうとしたが、シズの鋭い判断力と反射神経でそれを阻止した。


 元運転手は気が休まる間もなくヒィヒィ叫んでいる。


 ふと、シズは隣の彼に気さくに声をかけた。


「この車、保険に入ってる?」


 突然の質問に、戸惑いながら答えた。


「そんなこと聞いてどうするつもりだよ⁉︎」


「いや、いい車だからもったいないと思って」


 シズは冷酷な笑みを浮かべたが、目出し帽のせいでその表情はわからないままだ。そして、無言でアクセルを全開に踏み込んだ。


 車はまるでロケットのように勢いよく坂を駆け上がり、頂上に達した瞬間、空中へ飛び出した。さらにシズは手元のEMP装置を拡散モードに設定し、崖上に向かって目を向けることなく投げつけた。

 元運転手は、シズの無謀な行動に目を見開き、驚きの声を上げた。その瞬間、目の前には復元屋の空中船が現れた。


「よし!ドンピシャ!」


 シズは即座に元運転手を小脇に抱え込み、車を踏み台がわりにして船へ向かい飛んだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあ!」


 義体の脚力で踏みつけられた車は、勢いよく崖下に落下し、爆発音と共に無惨に燃え始めた。


「お、俺の愛車が……2030年の復刻モデルが……!」


 一瞬の空中浮遊の後、シズは目を見開いて狼狽えている元運転手と共に、開いていたハッチから無事船内に転がり込み、すぐさまハッチを閉じた。


「出せ出せ!」


 シズの命令にクロエが応じ、船は急加速して高度を上げ始めた。崖上でギリギリ車を止めた追手たちは、一瞬驚いたがすぐに銃を乱射してきた。その内の一台がモードを変更して飛行し、こちらに向かってこようとしていた。しかし、EMPが放たれると追手の車の飛行モジュールが一瞬停止し、慌てて制御を取り戻そうとするが、その間にシズの船が加速した。


 燃え盛った車を思い出しているのか、呆然としている元運転手。そんな折、ガンガンと船体に弾丸が命中する音が響き渡る。

 クロエは船の速度をさらに引き上げ、追手たちの攻撃を旋回しながらかわしつつ、高度を上げ続けた。船内がかなり斜めになり、シズはうなりながら倒れそうになってる棚を抑えた。


「んぐっ…ぐぐぐぐ」


 徐々に追手たちの姿は小さくなり、船はついに安全圏に達した。シズは息を整え、元運転手に向き直って安堵の表情を浮かべた。


「ふぅ……なんとか逃げ切ったか」


 シズは元運転手に微笑みかけたが、彼はまだ恐怖に震えていた。シズもどうしたら良いか分からず真顔で、彼の肩を叩いた。


「ついてなかったな」


 だが、シズの表情は元運転手には伝わらない。元運転手は呆然としたまま、ただうなずくことしかできなかった。強盗さながらの格好のシズを見て、再度彼の頭には「この男は何者だ?」という疑問が渦巻いていたが、今はそれを確かめる余裕はなかった。

 船は徐々に速度を緩め、安定した飛行に移行した。シズは深く腰を下ろし、一息ついた。クロエが操作する船は、静かに上空を滑るように進んでいく。シズは再び状況確認を行った。


『クロエ、追手はどうなってる?シャーロットは無事か?』


 クロエの声が通信越しに響いた。


『振り切ったわ。周辺に怪しい飛行船もないわね。衛星も誤魔化してるし、もう安全圏にいるけど、一応油断は禁物よ。スキャナー室はシャーロットさんと機材共に固定したから平気だけど、応接間は見たら分かるとおりごちゃごちゃね』


「ん?…あー!俺のゆるキャラシリーズが…!」


 シズは自身のコレクションが床に転がり、一部壊れている惨状を見て悲しい声を上げた。クロエが呆れた表情でシズたちがいるごちゃごちゃした応接間に入ってきた。


「ってゆーか!この呆然としてる人、誰よ?」


 シズは軽く肩をすくめ、少しばつが悪そうに答えた。


「あー、そうそう。ちょっと危なそうだったから連れてきたんだけど、どうする?」


 クロエは相変わらずの適当さに、盛大にため息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る