第02話:覚えのないハガキが運ぶもの

「裏面はごちゃごちゃしてんな」


 そんなことはさておき、シズはハガキについて考えを巡らせた。病院ではなく、わざわざ復元屋にやってきた客。それだけならまだいいが、問題はハガキを見て来店したということだ。怪しさ満点だ。シズは、あまり想像したくない人物たちを頭の中でリストアップし始めた。


「情報屋、詐欺師、戦闘狂、宣教師…」


 一癖も二癖もある人物が簡単に想像できる人間関係を、シズは少し恨めしく思った。こちらの都合はお構いなしの、コミュニケーションが難しい彼らと「もちつもたれつ」の関係でいるのは、まぁ置いておこう。


「嫌がらせって線は…無いか。手が混みすぎてるし、とりあえず情報屋に、いや、やっぱり来店したシャーロットってやつの詳細を」


 シズが次の行動を思案していると、突然クロエからの思考通信が入った。


『ちょっと、こっちに来てくれる?』


 彼女の真剣な声が、シズを現実に引き戻した。


 呼ばれるままに、シズは重い足取りで奥の部屋へと向かった。そこには、画面を睨んで真剣な表情を浮かべたクロエがおり、彼女がこんな表情をしているのは、シズにとってはいつものことだった。


「なんか出た?このシャーロットってヤツさぁ、とんでもない地雷の可能性…」


 シズがハガキの件を伝えようとすると、クロエは手でそれを制した。彼女の目はすでに脳内インターフェースを通じて何かしらの解析結果に集中している。


「彼女、公安関係者で、それもスパイじゃないかと思う」


 クロエは、画面に投影されたデータを手元で操作することなく、思考だけで情報を引き出しながら冷静に話し続けた。ケーブルに接続され、眠っているシャーロットを横目に、クロエは説明を続けた。相変わらず、仕事が早い。


「ふーん、公安関係者……ってスパイ⁉︎」


 公安というワードから、最悪の事態、つまり戦闘狂や詐欺師が絡まず少し安心したシズだったが、スパイという嫌なワードを聞いたと思い、身を乗り出しホログラフィックに映し出されたシャーロットのプロファイルを凝視した。


 表示されているのは、彼女の勤め先である製薬会社「ライフパートナー」の情報。シズは、その会社の名前をどこかで見た記憶を探りながら口を開いた。


「あっ、これって、『あなたのライフのパートナー』ってCMとかでよく見る大手じゃん」


「ちょっと音程違うわね」


 細かいことが気になるクロエだったが、


「で、スパイってのは、マジ?」


 シズが本題を確認すると、クロエは少し首を傾げながら、思考による操作でさらなるデータを引き出し続け、次々とデータがスクロールされていく。


「彼女の電脳メモリを解析した結果、複数の仮想人格が存在している形跡があったの。今、表に出ているのはダミー人格ね。本来の人格は、電脳メモリの深層領域のさらに隔離された層に、隠されているみたい」


 スラスラと解析結果を流れるように説明したかと思うと、皮肉混じりに捨ておけない情報を続けた。


「複数人格を持つなんてスパイかアイドルやろうとしてる目立ちたがり屋って相場は決まってんのよ。で、産業スパイよりもデータ構造が巧妙だから公安っぽい。でもそれよりも、このシナプス・パターンが…」


 シャーロットの脳内スキャンの結果が拡大され、数値や波形が投影される。


「普通の電脳記憶データだろ?」


 シズは軽く聞き流すように答えた。


「見た目はね。でも、ここの脳波パターン、他のデータと突き合わせると一致しないの。神経リンクの反応時間が微妙にズレてる。極めつけは、占めてる領域に対して、返却される情報量が少なすぎるのよ」


 シズは腕を組み、眉間に皺を寄せながら言った。


「ってまさか、潜入先でバレて、なんか仕掛けられたってことか?」


 シズの推測に対し、クロエは首を横に振った。


「うーん、もし公安にしろ企業スパイにしろ、バレてたらすぐ処分されるはずでしょ?危うくなって自分で仮想人格に統合した線が濃厚だと思うけど…。記憶のフラッシュバックはダミー人格に統合した影響だろうし。統合した後にも必要とされるプログラム?いや公安なら外部バックアップや内部のアクセスキーで管理するよね。やっぱりこのデータは公安のものではない?」


 自問自答するクロエに対し、シズは別の可能性を考えた。


「製薬会社だろ?彼女を新薬の実験台にしようとしたとか?」


「薬って経口接種とか経皮吸収の?電脳に影響を加えるなんて聞いたことないわ」


「まぁ、そうだよな」


 確かに薬物で直接電脳を操作するなんて代物は聞いたことがない。せいぜい精神的な錯覚や幻覚を強制的に見せるのが関の山だ。


 シズは他にヒントはないかと、AR上に浮かび上がるグラフィックを手で操作しながら、別の可能性を探り始めた。彼の指がホログラムを軽くスライドさせるたびに、シャーロットのプロジェクト履歴や勤務記録が次々と表示されていく。当然ライフパートナー社の守秘義務に該当する情報も、クロエの前ではまる裸で、企業スパイなら泣いて喜ぶ情報も多分に含んでいそうだ。


 当然シャーロットとの秘密保持契約で外部に漏れることもなく、検査後には消される内容ではあるが。


「あ!」


 クロエが声を出した瞬間、シズの目の前に現れたのは、大量のシャーロットのプライベート情報だった。


「お?…おぉぉ。髭の中年とプライベート重力シミュレーションデートに”」


 一面に表示されたシャーロットの恋愛事情に、クロエはすぐに反応し、強めのチョップをシズに食らわせた。語尾が乱れたシズを華麗にスルーし、クロエがささっと思考操作すると、すぐに画面からは、最初からなかったかのように消え去った。


「ほほほ、なんでしょうねこれは…」


「うぐっ…お前、深層検査ってもプライバシーくらいあんだろ⁉︎」


 シズが額を抑えつつ責めると、クロエははぐらかすように言い返した。


「…ほら『真実は、あらゆるものの中にひそんでいる』っていうでしょ?一見遠いような彼女のプライベートの中に一番近い真実があったりするものよ」


「どんな真実を探ってんだよ。恋愛の真実か?」


「そうそう、…この女の毒牙にかかるような間抜けな生物のね」


「……」


 険しい顔になるクロエに対し、シズがこの女は歪んでいると呆れていると、クロエは切り替えたような態度で、


「真面目な話…彼女が自分で人格をさらに深層に隠蔽した可能性が高いけど、この怪しい電脳データは何なのかってことになる。感染経路の特定が必須条件で、彼女と接触した人物と挙動を記憶から探るのはプライベートも範囲内ね。巧妙に隠してるようだけど、電脳ウイルスの可能性も捨てきれないし、どうせ公安にも情報共有必要だろうし」


「まぁ、もっともらしいことを言ってるけど。どうせ趣味で恋愛データコレクションしてんだろ?」


「データ?何の話?」


「2段目の棚の奥、昔の金庫みたいのなやつ」


「⁉︎ ……中、見たの?」


 クロエがギクッとし、真剣な表情で目を見開いた。


「俺はプライバシーを尊重できる男だ、金庫は開けたが、データの中まで見ちゃいない。ってかそんなデータ絶対流出させんなよ?問題になる」


「そ…」


 クロエが何か言いかけた時、データ分析をしていた画面に突然警告が表示された。その警告音は、シズの心臓を跳ね上がらせた。クロエはさらに跳ね上がった。


 ビー!ビー!警告。ビー!ビー!警告。


 クロエは反射的にシステムのセキュリティモードを切り替え、状況を確認し始めた。彼女は一瞬たりとも手を止めず、冷静にデータを解析し続けていた。その手際はまるで芸術家が筆を走らせるようだった。


「何かにアクセスされて…防御システムが作動してる…。これ、シャーロットが引き金⁉︎ 今すぐ遮断しないと!」


 クロエはシャーロットに接続していたケーブルを抜き、さらに進行状況を確認した。


「どうなってる⁉︎」


 シズが問うと、クロエは画面を睨み、まま答えた。


「あー!待っ…………偽装ID情報が引き抜かれたわ。最悪!」


 クロエが机をバンと叩いてうなだれ、悔しげに呟いた。さっきまでの強気な態度とは裏腹に、シューンと電力がなくなったドローンのようにフラフラ降下していき、伏せて動かなくなった。


 今回のようなきな臭い仕事も稀にある職業だ、自衛のためには偽装IDは欠かせない。


「偽装データがいくらすると思ってんのよ…。100万ユニカは飛びそう」


 お金に影響があるとみて、本気で凹んでいるのかもしれない。その様子を横目に、シズは胸騒ぎを覚えた。窓の外を覗いてみると、見慣れない車が建物の周囲に止まっているのが目に入った。そして、あからさまにこの建物をじっと見つめる男の姿も確認できた。こちらを監視し、周囲を探っている。


 シズは自身の記憶が、『この店は狙われているぞ』と、語りかけてくるような感覚だ。この感覚は…元公安としての経験からくるカンだった。


「あのークロエ?どうやらシャーロットに最初から監視がついてたみたいよ?」


 シズは焦ることなく、冷静に言ったが、その言葉の裏には自分の迂闊さへの苛立ちがあった。公安時代だったら問診中に察して事前対処ができていたかもしれない。


 ダミーしか情報を取られていないと思っていたクロエは、まだ状況がよくわかっていない。


「これじゃ完全に後手だ。せっかく地に足をつけた生活を始めたのに…」


 シズは口をへの字にし、鼻頭を抑えて悲しそうに呟いた。下町に住み始めて1年、かなり馴染んで過ごしてきた。テナント料が無料で、借金返済も順調に進んでいたところだった。


 シズは眠りから覚めたばかりのような半目をしながらクロエに確認を求めた。


「シャーロットはいつ目を覚ます?」


 クロエはクロエでまだお金のことを考えていたようで、さながら気の抜けた炭酸みたく、気怠そうに答えた。


「えぇ?シャーロット?そうね、あと1時間は寝てるはずよ…」


 シズはその答えに納得し、軽く頷くと、次の行動を決めた。


「なら、少し騒がしくても問題ないな。久しぶりに店を飛ばす準備をしておいてくれ。それまで時間を稼ぐ」


 いつもより雑すぎるこの状況に、本当に公安が絡んでいるのか?もしそうなら、許せん……と苛立ちを覚えながらも、シズは冷静に行動を始めた。


 ようやくクロエも状況を理解し、慌てて動き出した。


「え⁉︎ なになに⁉︎ やばい状況なの⁉︎」

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