第5章:心の扉を開く
秋の夕暮れ時、河原に紅い夕日が映り込む。紅葉は、いつもより少し男性的なシャツとジーンズ姿で、心臓の鼓動を抑えきれずにいた。首元の真珠のペンダントを握りしめ、深呼吸を繰り返す。
やがて、達樹の姿が見えた。いつもの爽やかな笑顔で近づいてくる達樹を見て、紅葉の心が激しく揺れる。
「もみじ、どうしたんだ? 急に呼び出して」
達樹の声に、紅葉は一瞬たじろぐ。しかし、両親との対話や雫先輩の言葉を思い出し、勇気を振り絞る。
「達樹、私、いや、僕には話さなきゃいけないことがある」
紅葉の声は震えていたが、瞳には強い決意の色が宿っていた。達樹は真剣な表情で紅葉を見つめる。
「僕は男なんだ。でも、君のことが好きだ」
言葉が口から零れ落ちる。長年抱え続けてきた思いが、一気に溢れ出す。達樹の表情が凍りつく。
「どういうこと?」
達樹の声には、混乱と戸惑いが滲んでいた。
紅葉は震える声で説明を続ける。
「僕の心は男なんだ。でも、体は……女のままなんだ。小さい頃から、自分の体に違和感があって。でも、みんなが当たり前のように女の子として扱うから、自分がおかしいんだと思って……」
紅葉の言葉に、達樹の表情が次第に変化していく。驚き、戸惑い、そして何か言いようのない感情が入り混じっている。
「冗談……だろ?」
達樹は言葉を絞り出すように言った。しかし、紅葉の真剣な表情に、それが冗談でないことを悟る。
紅葉は深呼吸を何度か繰り返し、言葉を紡ぎ始めた。声は震えていたが、瞳には強い決意が宿っていた。
「達樹、覚えてる? 小学校の運動会で、僕たち二人で徒競走に出たとき」
達樹はゆっくりと頷いた。紅葉は続ける。
「あのとき、僕は男子と一緒に走りたくて。でも、女子の列に並ばされて。すごく悔しかったんだ」
紅葉の声には、過去の苦しみが滲んでいた。
「中学に入って、制服がスカートになったとき、毎日が地獄みたいだった。ズボンが履きたくて仕方なかった。でも、そんなこと誰にも言えなくて」
紅葉は自分の腕を抱きしめるように組んだ。達樹は黙って聞いていた。
「小学校の頃から達樹のことはずっと好きだった。でも高校のとき、達樹に対する『好き』は他の子に対する『好き』とは違うことに初めて気がついたんだ。特別な『好き』だったんだ。でもね、女の子として好きになったんじゃないんだ。男として、君のことが好きになったんだよ」
紅葉の目から涙が溢れ出す。それは長年の苦しみの涙であると同時に、ようやく本当の自分を表現できた解放感の涙でもあった。
「ずっと言えなかった。自分が何者なのか、どう説明していいのか分からなくて。でも、もう隠すのは嫌なんだ。僕は男なんだ。心も、魂も、全部男なんだ、変えようがないんだ」
紅葉は達樹の目をまっすぐ見つめた。
「達樹を騙すつもりはなかった。ただ、本当の自分を受け入れるのに時間がかかっただけなんだ。今の僕は、偽りのない本当の皇紅葉なんだ」
最後の言葉を発した瞬間、紅葉の体から力が抜けた。全てを吐き出し、心が軽くなったような、しかし同時に不安も募るような複雑な感情が紅葉を包み込む。
紅葉は達樹の反応を待ちながら、自分の人生が大きく変わる瞬間を静かに受け止めていた。希望と不安、解放感と恐れ、そして何より、ようやく本当の自分を受け入れてもらえるかもしれないという期待が、紅葉の心を満たしていた。
達樹は黙って聞いていたが、その表情には複雑な感情が交錯していた。驚き、戸惑い、そして何か言いようのない感情。
「ごめん、整理がつかない。少し時間をくれ」
達樹の声は、混乱と戸惑いに満ちていた。彼は紅葉から少し離れ、河原の石を無意識に蹴りながら、ゆっくりと歩き始めた。その背中には、今まで見たことのない重さが乗っているように見えた。肩が少し震え、手は握りしめられ、歩み方にも迷いが感じられた。
紅葉は、その背中を見つめながら、胸が締め付けられるような痛みを感じていた。告白の重みと、達樹の反応への不安が、一気に押し寄せてくる。しかし同時に、長年隠してきた真実を伝えられたという解放感も、紅葉の心の中で渦巻いていた。
達樹の姿が遠ざかっていく中、紅葉は小さな声でつぶやいた。
「待ってるよ、達樹。きっと、また会えると信じてる」
その言葉には、不安と希望が混ざり合っていた。紅葉の声は震え、目には涙が浮かんでいたが、その瞳には決意の光も宿っていた。
河原に一人残された紅葉は、ゆっくりと地面に腰を下ろした。夕日が水面に映り、オレンジ色の光が紅葉を包み込む。その暖かな光の中で、紅葉は静かに涙を流し始めた。頬を伝う涙は、全てを告白した解放感と、これからの不安が混ざり合った複雑な感情の表れだった。
紅葉は膝を抱え、深呼吸を繰り返した。心臓の鼓動が少しずつ落ち着いていく。そして、ふと空を見上げると、夕焼け空に一筋の光が差し込んでいるのが見えた。その光を見つめながら、紅葉の心に新たな決意が芽生えた。
(これが、新しい僕の人生の始まりなんだ)
その思いは、不安と期待が入り混じった複雑なものだったが、確かな強さを持っていた。紅葉はゆっくりと立ち上がり、河原の砂を払いながら、静かに家路についた。
歩みながら、紅葉は達樹のことを考えていた。彼の返事を待つ日々が始まる。その待っている時間が、どれほど長く感じられるかは想像もつかなかった。しかし、紅葉の心の中には、小さいながらも確かな希望の灯がともっていた。
家に向かう道すがら、紅葉は街灯の明かりを見つめながら、自分の新しい人生について思いを巡らせた。不安と期待が交錯する中、紅葉の新しい人生が、確実に動き出そうとしていた。その一歩一歩が、紅葉にとって大きな勇気を必要とするものだったが、同時に自由への道でもあった。
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