芝居

「結局、西城俊一が動き出すのを待つしかないようですね」ハンドルを握る茂木が言った。スペード探偵事務所を出た柊と茂木は、群馬県警へ向かっていた。

「ふん。お前のつまらない小細工なんかに期待していない。地道に捜査を続けるだけだ」柊が吐き捨てる。

「すいません。つならない小細工で・・・」茂木が申し訳なさそうに呟いた時、ビリビリとマナーモードにしてあった携帯電話が震えた。「すいません」と胸ポケットにあった携帯電話を渡すと、「うむ」と柊がスピーカーにして電話を取った。

 警察官だ。ハンドルを握りながらの運転は厳禁だ。

「茂木君か?」係長の直江からだった。

「はい。係長、何かありましたか?」

「西城俊一が動いた。こちらに向かっている。きっと、別荘に行くのだろう。至急、戻って来てくれ」

「分かりました。丁度、丸田孝昌からの事情聴取を終えて、そちらに向かっているところです。ひょっとしたら、近くを西城俊一の車が走っているかもしれません」

「何か収穫はあったかい?」

「種市結衣が西城俊一の周辺を嗅ぎまわっていたことは分かりました。ですが、詳しいことは何も・・・」

「そうか。分かった。とにかく、やつに気付かれないように注意して戻って来てくれ」

「分かりました」

「これでやっと、事件のカタを付けることができるかもしれないな。君の作戦が図に当たったようだ。とにかく、人手が足りない。なるべく早く戻って来てくれ」

「分かりました」茂木の代わりに柊が電話を切った。

 茂木が「西城俊一が我々の期待通り、動いてくれると良いんですけどね」と声をかけると、「ふん。あれだけ凝った罠を仕掛けたんだ。少しは成果があってもらわないと困る。いいから急げ。大捕り物になるぞ! 間に合わないと、後悔する」と柊が答えた。

「そうですね。久々、気合が入ります」茂木は鼻息を荒くした。

 刑事部総出の大掛かりな捕り物となるはずだ。人目につかないように行動しなければならない。難しい張り込みになりそうだ。


 西城俊一は別荘の庭に車を停めたまま動かなかった。

 遺言により、別荘は既に春禰の妹である今田良子の所有物となっている。良子は「うちだけだと住むには広すぎる」と別荘を改装し、両親を引き取って二世帯住宅にしたいと言っていた。但し、遺言の内容について、俊一は遺留分侵害額請求を行うことを良子に通知していた。遺言の内容に納得が行かない場合、民法では相続人が最低限、相続できる財産を請求できる権利が認められている。

 俊一の相続分は良子より明らかに少なく、遺留分侵害額請求を行う権利があった。だが、この遺留分侵害額請求は家庭裁判所に申し立てて初めて権利を主張することができる。元来、世知に疎い俊一が裁判所への申し立てのような専門性の高い事務をてきぱきとこなせる訳がない。弁護士に頼むことさえ面倒だと、一日伸ばしにしている状況だった。

 今月中に、一旦、別荘は良子へ引き渡されることになっていた。

――早く何とかしないと、時間がない。

 ということを俊一は分かっていた。そう思ってやって来たのだが、もう少し辺りが暗くなってから、動きたかった。

 ここは辛抱だ。人に見られては、元も子もない。

 まだ、別荘の鍵を持っている。それも今月までだ。来月には良子に返さなければならない。別荘に入るのは気が引けた。夜まで車の中で待つつもりだったが、狭い社内に、直ぐに根を上げてしまった。

(ここに車が停まっているのを見られたら、どの道、別荘に来たことはバレてしまう)その程度のことは、俊一にも分かった。

 係争中の別荘に良子が顔を出す可能性は低い。それに、別荘は村はずれの人目につかない場所にある。別荘に車が停まっているところを見られる可能性は低いと判断した。見られたとしても、(名残を惜しむ為に来た)とか何とか言って、誤魔化すことができるだろう。

 俊一は車を出ると、別荘に向かった。

 薄暗くなってから別荘を出るつもりだったが、秋の気配が濃厚になり、落日が思ったよりも早かった。別荘を出た時には、既に辺りは真っ暗だった。

 俊一は庭に停めた車に戻ると、別荘の前の道を更に奥へと進んだ。暫く行くと、道は突然、金属製の柵によって、行き止まりとなっていた。

 妙法山の入り口だ。

「私有地につき、立ち入り禁止」と言う立て看板が柵にかけられている。

 俊一は車を降りた。車の後ろに回ると、トランクから長い棒のようなものを取り出した。

 スコップだ。俊一は肩にスコップを担いだ。

 辺りは墨で塗りこめたように真っ暗だったが、大丈夫だ。ちゃんと懐中電灯を用意して来た。時間がかかることを想定して、代えの電池まで用意して来た。準備の良さを誰かに自慢したい気分だった。

 鉄柵を鍵で開く。ここの鍵も来月には良子に返却しなければならない。俊一は懐中電灯の灯りを頼りに、真っ暗な山道をとぼとぼと歩き始めた。

 あれから、二年、経っている。目印はうろ覚えだ。

 俊一は何度も立ち止まりながら、先へ進んだ。やがて、一本の大樹の前で足を止めると、幹に触って確かめた。特徴的な節を見つけると、「ああ、ここだ・・・」と満足そうに呟いた。

 そこから斜面を登り始めた。

 悪知恵は働く。普通なら、目印を見つけると、そこから山裾へ斜面を下るものだ。何か重たいものを山に埋めようと思ったなら、抱え上げるより、引き摺り下ろす方が楽だからだ。

 俊一は独特の感で、斜面を登る方を選んだ。本能が斜面を登れと訴えたのだ。野生の感だ。そのことが、今日まで俊一を救ってくれた。暫く登って行くと、斜面がやや穏やかになった。更に進むと、逆になだらかな下り坂になった。そして、坂の向こうには急斜面が立ち上がっていた。

――ここだ!

 俊一は確信した。山道から峰側に何かを埋めるとしたら、考えなければならないのが崖崩れだ。崖崩れで埋めたものが露呈してしまうかもしれない。それを避ける為に、峰側のくぼ地を探した。ここならば、がけ崩れがあっても、地中に埋めたものが露呈することは無いだろう。

 体力には自信があった。

 俊一は懐中電灯で地面の様子を観察した。そして、ここだと見当をつけると、近くの木の枝に手元を照らすことが出来るように懐中電灯を固定した。

「うむっ!」と力を込めて、スコップを地面に突き立てた。後は体力にものを言わせて、ざくざくと、一気呵成に掘り進めた。

 夜気が山を蓋っていたが、俊一の額に大粒の汗が浮かび上がってきた。俊一は着ていた上着を脱ぎ捨てた。そして、シャツの袖をたくし上げ、腕まくりすると、再び、スコップを振るい始めた。

 小一時間、俊一は地面を掘り続けた。

 二年の月日は俊一の記憶を曖昧にしていた。見当をつけて掘り始めたが、微妙に位置が違っていたようだ。なかなかお目当てのものを掘り当てることが出来なかった。俊一の洒落たシャツは汗と泥でどす黒く変色していた。

 俊一の掘る穴はどんどん広く深くなって行った。穴底で俊一はスコップを振るい続けた。

 やがて、スコップの先に微かな手ごたえを感じた。俊一は、「あった!」と小さく叫んだ。スコップを放り出すと、蹲って、手で泥を払いのけた。

 地面から白い物体が徐々に形を現して行く。

「ほ、ほ、ほ。これだ、これだ。あった、あった」俊一が嬉しそうに呟く。小躍りしそうだ。

――と、その時、昼間のような明るさが辺りを包んだ。

「な、なんだ! なんだ?」あまりの眩しさに目がくらみながら、俊一が叫ぶ。

 俊一がいる辺りを、投光器が照らしていた。それも一台ではない。幾つもの方向から光の筋が俊一を狙い撃つかのように放たれていた。

 光をバックに、わらわらと男たちが沸いてきた。あっという間に、十名近い男たちが、俊一の周りに殺到した。

 俊一は穴の中にいた。自分で掘った穴だ。逃げるには、穴から這い出なければならない。俊一がどうにかこうにか、穴から這い出ると、「確保だ~! 西城俊一を確保しろ!」と言う怒号が聞え、屈強な男たちに地面に押さえつけられた。

「西城俊一を確保しました――!」

「遺体発見――!白骨遺体です」

 怒鳴り声が飛び交う。

 俊一の行動は見張られていた。俊一が遺体を掘り出すのを、十名近い捜査員が、今や遅しと待ち構えていたのだ。粛々と、周囲を包囲し、投光器を設置しながら、無線で連絡を取り合いながら俊一を監視していた。俊一は地面を掘るのに夢中になって、周囲を警戒するのを怠っていた。野生の感も、今回は俊一に味方してくれなかった。

 こうして西城俊一は逮捕された。


 茂木が思い描いた通りの結果となった。

 事の発端は脚本家の永田が茂木にインタビューを申し込んだことだった。当然、現在、捜査中の事件についてコメントなどできない。茂木は断ったが、永田が「呪い谷に降る雪は赤い」という脚本を書いていることを知り、捜査の参考までに読ませてもらった。永田は綿密に事件関係者から取材を行い、世間を騒がせている西城春禰の殺人事件を実に要領よくまとめていた。そして、その結末をどうするか迷っていた。永田なりの結末を書いてあったが、しっくりと来ていない様子だった。

 そこに茂木は目をつけた。脚本は既に永田の知り合いの映画プロデューサー、内のもとに持ち込まれており、結末が出来次第、映画化の話が動き始めることになっていた。

 実際の事件はまだ解決していない。世に出すには早過ぎる作品だ。だが、生き馬の目を抜く世界だ。事件が解決するのを待っていては、誰かに出し抜かれてしまう。動き出すのは早い方が良い。内はそう考えたようだ。

 現時点で、犯人はまだ捕まっていないが、映画化して世に出すには、誰かを犯人にしなければならない。迂闊に世に出してしまうと、犯人に指名された人間から名誉棄損で訴えられかねなかった。二人は頭を抱えていた。

 永田の脚本を読んだ茂木は、ある計画を思いついた。

 西城俊一を追い詰める証拠として期待したバスローブは結局、見つからなかった。事件後に俊一が処分してしまったのだろう。物証が見つからず、捜査が停滞してしまっている。現状を打破するには、奇策が必要だった。

 柊に相談すると、「くだらん!」と言下に却下されたが、「俺は知らん。係長と相談してみろ」と逃げ道を残してくれた。言葉とは裏腹に(面白い!)と思ってくれたのかもしれない。

 直江に相談すると、「いいよ~責任は僕が取るから、好きなようにやってみたら~」と影の薄い笑顔で言った。

「全体を舞台劇の形にして、お尻の部分、謎解きに当たる分をカットしてもらいたいのです。そして、謎解きの部分の代わりに、舞台裏としてスポンサーと演出家が事件の犯人を推理する場面を書き加えてもらいたいのです」と永田に頼んだ。

(それは名案だ!)と永田は思った。

 実際の事件を舞台で表し、それを見た舞台関係者が無責任に犯人について語り合う。その手法なら、煩わしい訴訟ごとから免れることが出来るかもしれない。

「そして――」と茂木は付け加えた。「舞台裏の関係者の会話で、犯人を西城、いや、脚本の名前で言いますね。東城誠一と古市卓巳に絞ってもらいたいのです。そして、古市卓巳を犯人だと断定するには、彼の動機を証明する為に、妻、結子の遺体が必要だということを、脚本の中でほのめかしてもらいたいのです」

「どういう意味でしょう?」永田が尋ねると、茂木は「今のままでは、例え犯人の目星がついたとしても、証拠不十分で検挙することが難しいかもしれません。決定的な証拠が欲しいのです。

 東城誠一こと、西城俊一氏は映画監督ですから、監督を頼みたいと言って、脚本を持って行けば、きっと目を通すでしょう。そして、脚本を読んで、(自分が犯人だと思われない為に、古市卓巳を犯人にする為にも、古市結子の遺体が必要だ)と思ってくれれば、しめたものです。もし、もし、ですよ、彼が遺体を掘り起こしている現場を取り押さえることが出来れば、この事件は過去の事件や動機まで含めて、一気に解決することが出来るのです」

 茂木の言わんとしていることが、理解できた。

 先ずは、俊一に自分が疑われていることを認識させる。そして、警察の疑いを晴らす為には、嫌疑を種市巧に向けさせる必要がある。そして、その為には、種市結衣の遺体が必要だと言うことを、俊一の脳裏に刷り込まなければならない――そう言っているのだ。

 種市結衣は既に殺害されていて、遺体は何処かに埋められている。そして、種市結衣を殺害したのは、俊一だ――と茂木は推理しているのだ。

 話を聞いて、永田は興奮した。

「ぜ、是非、やらせて下さい。捜査に協力させて下さい!」

 内に相談すると、「それは面白い!」ともろ手を挙げて賛成してくれた。

 どういう結末になろうと、その結末に基づいて脚本を修正すれば、永田が準備した結末より、数倍、面白いものになるだろう。映画は大ヒット間違いなしだ。

 永田は自分と内を作品に登場させ、舞台裏で誰が犯人なのかを話し合わせた。それは、楽しい作業だった。僅か一日で脚本の修正を終えた。

 後は内の仕事だ。

 永田が脚本を書き終えると、「是非、監督してもらいたい作品がある」と言って、西城俊一に連絡を取った。売れない映画監督である俊一は直ぐに餌に食いついた。

 映画会社の応接間に俊一に招き入れると、「この場で脚本を読んで、監督するかどうか決めてもらいたい」と言って脚本を渡した。

 こうして、悪知恵は働くが、深い洞察は苦手な俊一の脳裏に、種市結衣の遺体が必要だということを刷り込ませることに成功した。

 後は俊一が動き出すのを待つだけだ。

 俊一は映画の監督をやりたかった。その為に、種市巧には、とっとと犯人として逮捕されてもらいたかった。

 こうして、うまうまと西城誠一は茂木の策略に引っ掛かった。茂木に導かれるように遺体を掘り起こしに行き、その場で逮捕された。

 白骨遺体を掘り起こしていたところを逮捕された俊一は、言い逃れが出来ないはずだった。ところが、俊一は「春禰の依頼で種市結衣を殺害し、遺体を山に埋めた」と主張した。

 罪を亡き西城春禰に押し付けようとしたのだ。

「春禰は八木正大との関係を種市結衣に捕まれ、記事にすると強請られていました。一度、金を払いましたが、暫くするとまた金を要求して来ました。『あの女を始末して――』と春禰に頼まれて、仕方なく殺害したのです。悪いのは春禰です」と罪を春禰になすりつけ、「どうです? これで、春禰を殺したのは種市巧だと言うことがはっきりしたでしょう。やつは奥さんを殺され、その復讐の為に春禰を殺害したのです」と春禰殺しの罪を種市になすりつけようとした。

 これには柊も呆れて、「じゃあ、種市巧はどうやって奥さんが殺されたことを知ったんだ!? お前がやつに教えたってことか?」と吐き捨てた。

「それは・・・そうだ!春禰が、春禰が彼に言ったんだ」

「ほ、ほう~じゃあ、何故、西城春禰は種市にわざわざ妻の結衣を殺害して山に埋めたことを教えたんだ? 彼女に一体、何の得がある?」

「し、知らないよ。そんなこと。とにかく、春禰を殺したのは種市だ。そうに違いない。だって、奥さんの遺体が見つかっただろう?」

 西城俊一は罪を認めようとはしなかった。

 西城春禰の殺害に関して、新たな事実が浮かび上がって来た。俊一の逮捕を受けて、八木親子が「実は――」と警察に出頭して来たのだ。

 事件の夜、八木親子は別荘に向かった。春禰に会いに行ったのだが、玄関でいくら呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこなかったと証言している。

 八木美里は言う。「あの夜、別荘の前で俊一さんに会いました。それも玄関ではなく、庭の方から回って来ました。玄関先にいる私どもを見て、大層、驚いた様子でした」

「何故、そのことを今まで黙っていたのですか?」という捜査員の問いかけに、「俊一さんから誰にも言わないで欲しいと頼まれましたもので――」と美里は答えたが、どうやら俊一から「黙っていてくれれば一千万円払う」と言われたらしかった。

「俊一さん、警察に捕まって、お約束のお金を頂けるかどうか分からなくなってしまったものですから、娘や息子と相談しまして、これは警察に行って、打ち明けた方が良いのではないかということになりました。それで、こちらにまかり越しました」と美里がぬけぬけと言った。

 口止め料がもらえなくなったので、俊一を売ったと言うことだ。八木親子を買収したことから、俊一が春禰を殺害したことは疑いようが無かった。

 あの夜、俊一は春禰を殺害し、寝室のドアに鍵をかけて、窓から壁を伝って外に出た。そして、居酒屋に向かおうとして、玄関先で八木親子と鉢合わせしてしまったのだ。

 俊一は、「馬鹿な。玄関から外に出たら、庭で物音がしたので、確認に回っただけですよ」と主張した。「じゃあ、何故、八木さん親子を買収しようとしたのだ!?」という尋問には、「余計な疑いを持たれたく無かっただけです。金で解決できるなら、それで良いと思ったから、そう言っただけです」と開き直った。

 取調が続いたが、俊一は無実を主張し続けていた。

 だが、白骨遺体から驚天動地の事実が浮かび上がってきた。

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