第五幕 上杉湯

八田親子

 上杉湯の番頭、竹内大地たけうちだいちは五十代だろう。頭が丸く綺麗に禿げ上がっている。薄くなった頭髪とは裏腹に、太い眉毛に、髭の剃り跡が濃い。丸い鼻に黒縁の眼鏡がかかっており、眼鏡の奥で小さな目がせわしなく動いている。中肉中背、印象的な顔なのだが、記憶に残らない顔でもある。

 汗かきなのだろう。この季節に額に汗が浮かんでいる。柊と茂木への説明に四苦八苦していた。

「分かりました。要は宿泊客に宿帳を書いてもらう際に、車に乗って来たかどうか、確認をしているだけですね?」柊が焦れて言う。

「はい。いえ、わたくしどもでは、お客様のお車にまで、責任を持ちきれませんので、乗って来られたお車は、お客様、ご自身で保管をお願いしております。わたくしどもは、お客様の為に駐車場を提供するだけでございまして――」

 柊の嫌いな、持って回った言い方な上に、答えになっていない。「保管と言ったって、金庫に仕舞っておく訳には行かないでしょう!」柊が珍しく冗談を言った。

 茂木には柊がいらいらしていることが、手に取るように分かった。

「何分、このような田舎なものですから。温泉に足を運んでくださるお客様はいらっしゃいますが、観光となると何もないところです。駐車場に停めたお客様のお車にいたずらされたとか、そう言うことは、今まで一度もございませんでした。はい」長々と竹内の言い訳が続く。

「こちらに来た時に、駐車場への車の出入りを記録している機械がないことは確認できました。防犯カメラもないのですね?」

「いえ、はい」

「どっちなんですか?」

「駐車場に防犯カメラはございませんが、昨今は何かと物騒なものですから、こちらに防犯カメラを設置させて頂いております」

「だから、最初からそう聞いていたのです。駐車場に何もないなら、他に防犯カメラがありませんかと!」柊が怒りを爆発させる。

 茂木は竹内が少々、気の毒になった。

 上杉湯の駐車場は、入り口にゲートも料金所もなく、自由に車を停めることが出来た。車から降りて、柊と二人でぐるりと周囲を見回したが、防犯カメラらしきものはなかった。

 田舎のことだ。観光地でもないので、旅館の客以外に、不法に車を停める人間などいないのだろう。対面には小木乃屋という居酒屋があり、そこにも駐車場がある。駐車場に防犯カメラが無くても、他にあるかもしれない。そこで、番頭の竹内を呼び出した。

 柊が早口で、「いやはや、こちらの旅館の駐車場は誰でも泊め放題になっているようですね。ちょっと無用心ではありませんか? 防犯カメラもないようですし。他に何かないのですか?」と尋ねたものだから、警察にとがめられていると勘違いをした竹内の言い訳が長々と始まったのだ。

 随分、遠回りをしたが、受付に防犯カメラがあることが分かった。

「事件当夜の防犯カメラの映像を確認させて下さい」

 田舎の旅館だ。受付を通らなくても、外に出る方法はいくらでもある。庭から回って行けば、そのまま駐車場に出ることが出来る。防犯カメラは受付の目立つ位置に据え付けられていた。旅客を監視する為ではなく、犯罪の抑止効果を狙ってのことだ。

 正直、茂木は(収穫は期待できない)と思っていた。密室を作り上げるような犯人だ。東城社長を殺害するつもりで旅館を出たなら、防犯カメラに写るような初歩的なミスは犯さないはずだ。

 受付の裏が事務所になっており、そこで事件当日の防犯カメラの映像を見せてもらった。

 旅館の仲居は二交代制になっており、日勤の就業時間は夕方、六時までだと言うことだった。六時を過ぎると、旅館を出て行く従業員の姿があった。カメラの向きから、出て行く人間は後ろ姿しか見えない。その中には、近田翔子らしき後ろ姿があった。

 とりあえず死亡推定時刻の三十分前まで早送りしてもらい、夜七時半から再生してもらった。ここから阿房宮まで徒歩で二十分程度、車なら七、八分程度で行くことが出来る。後日、事件当日の前後二、三日分の録画をもらって、再度、確認するつもりだった。

 とろころが、再生を始めて直ぐに、旅館を出て行く者の姿があった。

「柊さん、これ!」茂木の声が高くなる。録画に映っていたのは、一人ではなかった。

「ああ、八田親子だな」柊が呟く。

 時刻は七時四十三分だった。若い男の後を女性がついて行く。顔は映っていなかったが、後ろ姿から八田親子であることが分かった。二人は受付を通り、旅館を出て行った。

「八田さんは車でこちらへ来られたのですか?」柊が録画を再生する竹内に尋ねた。

「はい。いえ、八田様は何時もお車でいらっしゃいます。この度もお車のはすでございます」

「要は、車で来たかどうか、はっきりとしないと言うことですね」

「はい。いえ、何時も息子さんがお車を運転して来られます。今回もきっと、息子さんがお車を運転して来られたのだと思います」

 柊がうんざりした顔をする。車で来たかどうか、受付で確認することになっていると言っていたが、それもろくにやっていないようだ。

 二人が車で来たとすると、甚大はまるっきりの引き篭もりと言う訳ではないようだ。運転免許も持っていて、母親を乗せて呪い谷までやって来たことになる。

 暫く録画を早送りしてもらうと、八時八分に二人が旅館に戻って来た。今度はカメラの向きから、二人の顔がはっきりと映っていた。

「二人が戻ってきました!ちょっと早くないですか?」茂木がまた声を上げる。

「そう喚くな。確かに往復する時間を考えると、車だとしても、屋敷に行って、東城社長を殺害して戻って来たとしては、時間が短いな。だが、不可能な訳ではないぞ――」柊は頭の中で時間を計算していたようで、「十分ある!往復する時間を差し引いて、屋敷で十分の時間があるぞ。人を殺すには充分な時間だ」と言った。

「十分ですか・・・人を殺すだけなら、出来るかもしれませんが、殺害後に密室を作り上げるとなると、ちょっと短いような気がします」

「だから、それは合鍵を使ったんだ。であれば、部屋に鍵をかけるだけだ。東城社長を殺害して、十分あれば大丈夫だ」

「・・・」茂木が黙り込む。

 その後、早送りで映像を確認したが、十時過ぎに仕事を終えた板長や番頭の竹内が旅館を出て行く姿が記録されていただけだった。

「ご苦労様です」と茂木が言うと、「はい。いえ、今は一年で一番、忙しい時期ですから。でもまあ、お客様の少ない時期は仕事が無くて困るくらいです。忙しい方が、張り合いがあって助かります」と竹内が答えた。

 東城社長が客を招待する今時分が、旅館の最も急がしい時期だと言うことだ。稼ぎ時だ。

 死亡推定時刻の十一時までの映像の確認が終わると、「八田親子は今、部屋にいますか?」と柊が尋ねた。

「いえ、はい。お部屋の方にいらっしゃると思います。何処にも出かけられてはいないはずです」竹内の言葉を最後まで聞かずに、柊がずんずんと歩き始めた。

 慌てて、茂木が「すいません。八田さん親子はどちらの部屋にお泊りですか?」と尋ねた。事情聴取の折は部屋に来てもらった。柊は八田親子がどの部屋に宿泊しているか知らないはずだ。

「いえ、はい。八田さん親子は一階の『色部』の間にお泊りです」と竹内が言う。

「色部の間?」と茂木が聞くと、竹内が「いえ、はい。こちらの旅館のお部屋には上杉謙信にちなみまして、謙信配下の武将のお名前がつけられています。色部の間は、そちらの廊下を真っ直ぐ進まれて、奥から二番目、左手のお部屋です」と教えてくれた。

 廊下で柊がいらいらとしながら、茂木を待っていた。

「柊さん。その廊下を真っ直ぐ進んで、奥から二番目の左手の部屋です」

 まるで容疑者を確保する勢いで、廊下を歩いて行く。そして、「失礼しますよ!」と柊は八田親子の部屋に押し入った。

 八田親子は部屋にいた。所在なげにテレビを見ていた二人は、突然、部屋に押し入って来た闖入者に目を見張った。

 二人が批難の矛先を向ける前に、柊が言った。「八田さん! 困りますねえ~嘘をつかれては。嘘の証言をされると、偽証罪で罰せられますよ。東城社長が殺害された夜、あなたがた二人は車に乗って、お屋敷に行っていますね? ダメですよ、誤魔化そうとしても。防犯カメラの映像に、あなた方二人が旅館を出て行く姿がはっきりと映っていました。七時四十三分に旅館を出ていますね。こんなところだ。夜中に、遊びに行くところなんてない。屋敷に向かったのですね? 東城社長が殺害された時刻に、あなた方は屋敷にいた訳だ!」

 柊が一気に喋る。その剣幕に、呆気に取られた八田親子だが、言葉の意味が分かってくると、動揺を見せ始めた。

「ち、違います。わたくしどもは――」と言いかけた八田美鈴の言葉を遮って、甚大が言った。「ああ、確かに、あの夜、あの女に会いにいったよ。だが、それだけだ。会えずに帰って来た。あの女を殺したのは、俺たちじゃない!」

「東城社長に会いにいったんだな? 約束があったのか?」

「無いよ。こんなところに何時までも閉じ込められたくないからな。さっさと用事を済ませて、家に戻りたかった。あの女が屋敷に着いたと聞いたので、会いにいっただけだ」

 甚大によると、あの夜、食事の後、浴場で一緒になった男から東城秋香が阿房宮に到着したという話を聞いた。「あの女の自己満足の為に、こんなところに閉じ込められるのは嫌だ」と浴場を後にすると、部屋に戻り、母親を説得して、阿房宮に向かった。

「屋敷に着いて、呼び鈴を鳴らした。いくら呼び鈴を鳴らしても、誰も出て来なかった。それで、あきらめて旅館に戻った。ただ、それだけのことだ。屋敷に入っていないし、あの女にも会ってもいない!」

「では何故、屋敷に行ったことを黙っていたのですか?」

「それは、こうして、屋敷に行ったことがバレると、疑われるに決まっているからだ!あの女が殺されたことと、俺たちは関係がない。つまらないことに巻き込まれたくなかったんだ」

「つまらないこと!? 人一人、殺されているのですよ! つまらないことなんかじゃありません。困りますねえ~正直に話してもらわないと」

「ふん!」と甚大が鼻を鳴らす。

「あなたがたが犯人でないとすると、他に誰か屋敷にいませんでしたか?」

「知らないよ。言っただろう、屋敷には入っていない」

「車はどうです? 屋敷に車が停まっていませんでしたか?」

「いいや、無かったな。そう言えば、屋敷に行く途中に、車とすれ違ったよ。それだけだ」

「ああ・・・」恐らく東城誠一が運転する車だ。秋香の指示で佐藤を呼びに行ったのだ。

 屋敷には行ったが、中に入っていないと主張されると、それ以上、追及することができなかった。

「八田さん。退屈でしょうが、暫くの間、ここから動かないでもらえますか?」

 柊と茂木は色部の間を後にした。

「柊さん。どう見ます? 八田親子が東城社長を殺害したのでしょうか?」駐車場に戻る道々、今度は茂木が尋ねた。

「ふん。あの親子に、そんな度胸があるものか。東城誠一もそう言っていた。お前はあいつらが怪しいと思っているのか?」

「いいえ。ただ、何時も柊さんに言われている通り、証拠が全てですから、先入観を抱かないようにしています」

「じゃあ、聞くな」柊が吐き捨てた。

 言葉は悪いが、その通りだ。だが次の瞬間、人を批判しておきながら、驚くべきことを言った。「大体、犯人の目星なんて、最初からついている」

「えっ! 柊さんは、誰が東城社長を殺害したのか、目星がついているのですか!?」

「当たり前だろう。事件からどれだけ経ったと思っているんだ?目星はついているが、そんなことは重要じゃない。証拠だ。俺たちの仕事は証拠を見つけることだ」

「その、後学のために、柊さんが怪しいと睨んでいる人間を教えてもらう訳には行きませんか? 勉強させて下さい」

 茂木が自尊心をくすぐってやると、柊は「仕方ないな」と言う顔をした。

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