中森弁護士

 中森は、開口一番、「刑事さん。こちとら暇な訳ではありませんけどね」と皮肉を良いながら取調室に現れた。

「ご多忙中、わざわざお運び頂いてすいません」素直に柊が頭を下げる。

 それを見て、中森が気まずそうに呟く。「いえ、まあ、警察の捜査に協力することは、市民の義務ですから――」

「中森さん、先日、公開に立ち合わせて頂いた東城秋香社長の遺言書について、もう少し話をお伺いしたいのです。東城社長は何時頃、あの遺言書を作成されたのですか?」

「昨年の夏でしたかね。東城社長から連絡があって、遺言書の内容を見直したいという話でした」

「見直す? と言うことは、もともと遺言書は作成されてあったのですね? それを東城社長が書き直した」

「はい。そうです。それが何か?」

「いえ、東城社長はまだお若かったから、遺言書を書いていたなんて、ちょっと意外な気がしただけです」

「そうですか? 自分が苦労して築き上げた財産ですから、相続してもらいたい人に相続してもらうのは当たり前ではありませんか? いつ何時、不慮の事故に巻き込まれるか分かりませんからね。若くても遺言書を作っておきたいと言う方は、いくらでもいらっしゃいます」

「まあ、そうでしょうね。ですが、我々のような、取り立てて資産が無い人間にとっては、遺言書なんて、別世界の話に聞えます」

「いえ、刑事さん。考えてもみて下さい。刑事なんて危険な職業でしょう? 今日、これから銃撃戦に巻き込まれて、殺されるかもしれません。そうなった時に、後々、奥さんやお子さんたちが遺産をめぐって争わないように、遺言書を書き残しておいた方が良いと思いませんか?」

 中森の言葉に、口の悪い柊も露骨に嫌そうな顔をしながら、「私の遺産程度じゃ、争いの種にはなりませんがね」と自嘲気味に言った。

 どうやら、中森が東城秋香に遺言書の作成を強く勧めたのだろう。秋香が若くして遺言書を作成した裏には、中森弁護士の商魂があったようだ。

「まあ、そういう私も、遺言書なんて書いていませんけどね。はっはは~!」中森が愉快そうに笑う。珍しく柊が相手のペースに巻き込まれている。

 柊が話題を変えて言う。「東城社長は何時頃から遺言書を書き残していたのでしょうか?」

「そうですねえ・・・かれこれ十年くらい前から、遺言書を準備されていました。そして、例えば結婚したとか、何かあった時に、折りにふれ、書き直しをされていました」

「それでは、昨年の夏、東城社長に何があったのでしょうか?」

「さあ、存じません。心境の変化があったのでしょうね」

「書き直す前の遺言書はどういう内容だったのですか?」

「刑事さん。そういったことは守秘義務違反になりますので、お教えする訳には参りません」

「中森さん、まあ、そうおっしゃらずに。当事者である東城秋香社長は既に亡くなられている訳ですから――」

「弁護士ですからね。そう言ってお断りしておかねばならないだけですよ。刑事さん、取調の記録を残されるのでしょう? そこに、『殺人事件の捜査に協力して欲しいと、拝み倒して聞き出した』と書いておいて下さいな。ははは」中森が豪快に笑う。

 今日はとことん、中森のペースだ。

「結構です。『伏してお願いした』と、書いておきましょう」

「それはダメですよ。パワハラになってしまう。いえね、書き直す前は近田翔子さんの相続分はありませんでした。会社は息子さんに、個人資産は全て夫の誠一氏に譲るという内容だったと思います」

「近田翔子への遺産相続がなかった!?」

「確か、そうだったと思います。まあ、普通に考えて、旦那と実の息子がいるのに、妹とは言え、あんな巨額の財産を残そうとは思わないでしょう。誠一さんと正春さんは血縁関係がありません。だから、自分の死後に息子さんが困らないよう、なるべく細かく正春さんの相続分を定めておきたかったのでしょう」

「なるほど。よく分かります。誠一は強欲そうですしね。財産を独り占めしかねない。では、何故、突然、それを変えて近田翔子に多額の資産を残したのでしょう?」

「刑事さん。だから、先ほどから知らないと申し上げています。東城さんに、どういう心境の変化があったかなんて、私は知らなくても良いことです」

「失礼しました。では、遺言書の変更によって、相続分が減ったのは、どちらですか? 近田翔子が相続したのは、二人のうち、どちらが相続する予定だった分ですか?」

「はは。なかなかズバリと聞いてきますね。いや、その方が私もありがたい。当然、夫の誠一さんの相続分です。正春さんの相続分はそんなに変わっていないと思います」

「誠一はそのことを知っているのでしょうか?」

「さあ、夫婦間のことまですからね。東城さんが遺言書の中味について、夫の誠一さんに話をしていたのか、いなかったのか、私には分かりません。でも、知らなかったんじゃないですかね」

「何故、そう思うのです?」

「だって、刑事さん。遺言書の公開で、あんなに驚いていたじゃないですか!? (おや? 誠一さん、何も聞かされていなかったんだ)と思いましたよ、あの時」

「ああ、なるほど。他の人物はどうです。近田翔子は遺言書の内容を知っていたと思いますか?」

「だから、刑事さん。私には分かりませんって――! 東城さんが妹さんに話したかもしれないし、話していなかったかもしれない。ですが、あの日の様子から見て、誠一さん同様、知らなかったんじゃないですかね。これで良いですか?」中森は別に腹を立てている訳ではない。むしろ、柊との会話を楽しんでいるかのようだ。

 それが分かっているようで、柊はしつこく聞く。「遺言書の内容は東城社長自らが話さない限り、誰も知らなかった。間違いありませんか?」

「そうですよ。私が遺言書の内容を漏らしたとでも言うのですか?」

「東城誠一、石田正春、近田翔子、この三人の中に東城社長を殺害した犯人がいると思いますか?」

「はは、それは刑事さんの仕事でしょう。しかし、誠一さんが犯人だとすると、随分、間の悪い時期に東城さんを殺したことになりますね」

「何故です?」

「だって、刑事さん。もっと早く殺しておけば、遺産が減ることはなかったじゃないですか。おっと、そう言う言い方は不謹慎ですな」

「おっしゃる通り、かなり不謹慎ですね」

 二人で会話を楽しんでいるようにしか見えない。近田翔子以外に、柊と話が合う毒舌家がいるとは思わなかった。

「石田正春、近田翔子はどうです?」

「正春君は無いでしょう。まだ子供です。近田さんはどうですかね? 社長が殺されたのは、彼女の地元でしょう。屋敷や周りの様子をよく知っていたに違いありません。膨大な財産を相続できることが分かって、東城さんの気が変わらない内に、えいやっと、殺した――なんて、あるかもしれませんね」

「でも、彼女、遺言書の内容は知らなかったのではなかったでしたっけ?」

「さあ、そう思っただけですよ。予めお姉さんから聞いて知っていたのかもしれません。あの場では、聞いて驚いた振りをしただけだった。ねえ、刑事さん。私の意見なんて聞いていないで、捜査をしたらどうです。もう良いですかね?そろそろ帰って仕事に戻らないと――」流石に、中森は柊との会話に飽きてきたようだ。

 中森は「また、お話をお伺いするかもしれませんので、よろしくお願いします」と言う柊の言葉を背中で聞きながら、取調室を出て行った。

 それを見送りながら、「ちっ! 時間の無駄だったな」と柊が吐き捨てた。忌々しそうだが、中森との会話を楽しんでいたようにしか見えなかった。

「そうでもないと思います。昨年の夏に、東城社長の心境が変わるような何かがあったということだと思います」

「ああ、そうだったな。それで、遺言書を書き直した」

「東城誠一の相続分が減り、近田翔子の相続分が増えた。と言うことは、誠一の遺産を減らすか、翔子の遺産を増やすか、そのどちらかの理由があったと考えられます」

「或いは、その両方のな。昨年の夏か、ちと面倒だが、調べてみる価値はありそうだな」

「そう言えば、東城社長の携帯電話がまだ見つかっていません。東城社長の携帯電話を調べれば、ひょっとしたら、昨年の夏に何があったのか、分かるかもしれませんね」

「ああ。誠一は犯人が持ち去ったのだと言っていたな」

「犯人が現場から持ち去ったのだとすると、事件関係者が全員、上杉湯にいる以上、携帯電話はまだ上杉湯にある可能性が高い訳ですね。これから上杉湯に行ってみましょうか? 例の駐車場の件も確かめておきたいので――」

 柊が顔色を変える。「おい!駐車場の件、まだ確認していなかったのか!?」

「す、すいません。電話をかけたのですが、埒が明かなくて・・・行って確認してみるしかなかったもので・・・」

「携帯電話は小島と益田に探させろ!そう言っただろう。何をちんたらやっているんだ‼」柊の怒号が飛ぶ。

「すいません」と謝ったが、茂木から同僚の刑事に、「ああしろ、こうしろ」と指図など出来るはずがない。(参ったな)と思った。

「まあ、良い。よし、今から、上杉湯に向かうぞ」

「分かりました。ああ、そうだ。柊さん。鑑識から連絡があって、例の東城社長宛に届いた脅迫状ですが、市販のプリンターを使って印刷したもので、そこから脅迫者を特定することは難しいそうです。それと、脅迫状からは、東城誠一の指紋しか検出できなかったそうです」

「何だと!東城誠一の指紋しか出なかっただと――! 変だな?」

「脅迫者は指紋を残さないように、手袋をしていたのでしょう」

「違う!変なのはそこじゃない。東城誠一の指紋しかなかったとすると、東城社長は脅迫状を読んでいなかったことになる!」

「あっ!」と茂木が叫んだ時には、柊はもう取調室のドアノブを握っていた。

 茂木が慌てて後を追う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る