第四幕 取調室
アリバイ
年は三十前後だろうか。美人だ。きりりと吊りあがった眉毛の下に憂いを含んだ大きな目が輝いている。額は狭く、口が大きく、鷲鼻なのだが、バランスが良い。顔全体を見ると、誰が見ても美人だと思ってしまう。
スラリと背が高く、足も長い。スタイルが良すぎて、ふくよかさに欠ける点が、難点と言えば難点かもしれない。
「わざわざ、こんなところまで、お運び頂き、ありがとうございました」柊の言葉はどこか皮肉っぽい。
群馬県警の取調室で、柊と茂木は飯塚茉莉を相手に事情聴取を行っていた。
「いいえ。仕事で高崎まで来る用事がありましたので、前橋まで足を伸ばしただけです。これから都内に戻らなければなりません。手短にお願いできますか?」
「分かりました」と柊は頷くと、「一昨日、東城秋香社長が殺害されたことはご存知ですよね? あなたが東城社長のことを恨んでいたことは分かっています」と尋ねた。
「知っています。今日、わざわざこんなところにまで来たのは、そのことについて警察が話を聞きたいだろうと思ったからです。確かに、あの女を殺したいほど憎んでいました。父の命を奪った憎っくき仇ですからね。できることなら、私の手で殺してやりたかった。あの女を殺してくれた犯人に感謝したいくらいです。ですが、私ではありません。私のことを疑っているのでしょうが、ムダです。一昨日の夜、私に、あの女を殺すことは出来なかったのですから」
「アリバイがある――と言う意味ですか?」
「ええ、そうです。一昨日の夜、私は日本にいなかったのです」茉莉が高らかに言った。
「日本にいなかった?」
「はい。シンガポールに出張しておりました。一昨日の夜のフライトで日本に戻ったばかりです。東城秋香が殺された時刻、私は空の上でした」これ以上ない完璧なアリバイだ。
「海外出張ですか!? 失礼ですが、どういったお仕事をされているのですか?」
「証券会社に勤めています。外国為替関連の部署に所属しており、アジアの金融センターであるシンガポールには、よく出張に行きます。父親を殺され、残された母親を抱えて、生きて行かなければなりませんからね」
「お父様は自殺だったはずですが?」
「あの女に殺されたも同然です」茉莉は秋香への殺意を隠そうともしない。
「お母様の面倒を見ているのですか? 確か、上にお兄さんが二人いたのでは?」
「あんな役立たずたちに、母の面倒を見る甲斐性なんてありません。はっきり言って、あいつらがもう少ししっかりしていたら、東城秋香の殺害を考える余裕があったのですけどね。ふふ」
母親の面倒を見るためではないだろうが、茉莉は独身で、都内のマンションで母親と二人で暮らしていた。
父親の死後、かろうじて残った遺産を母親と子供たちで分けた。
次男は大学を卒業後に、父親の会社とは関係のない一般企業に就職していた。父親の自殺後も生活に支障はないようだが、家族とは距離を置いていて、係わろうとはしない。長男は会社を継ぐために父親の会社に勤めていた。父親の自殺後、会社が倒産し、職を失い、今はろくに働きもせずに、父親の遺産を食い潰しながら生活している。茉莉にとって、長兄の存在は頭の痛い問題だった。
秋香は憎かったが、恨みを晴らして、服役する余裕などないと言った。
「随分、手厳しいですな。それにしても、海外出張とは・・・」柊が残念そうな顔をした。それを目ざとく見てとった茉莉は、「あら、刑事さん。そんなに残念そうな顔をされては困ります」と朗らかに言った。
「ええ、残念ですね。あなたには立派な動機があるのに、容疑者リストから外さなければなりません」柊は正直だ。
「ふふ」と茉莉は嬉しそうに笑った。
「今度、海外に出張される際は、事前にご連絡頂けますか? 当分、日本に居ていて、もらいたいのです」
「そうですね。仕事次第ですわ」
「あなたが事件当日、空の上にいたことを確認できるものがありますか? 例えばパスポートとか」
「ええ」茉莉はパスポートを持参して来ていた。パスポートには、事件の日の翌日の入国スタンプが押されていた。鉄壁のアリバイと言えた。
登場した航空機の便名を聞き、飯島茉莉からの事情聴取は、呆気ないほどに簡単に終わってしまった。
茉莉の後ろ姿を見送ってから、柊が茂木に尋ねた。「どうだ、あの女は?」
「東城社長への殺意を隠そうとしないのは、鉄壁のアリバイがあるからでしょう。しかし、飛行機となると、アリバイを偽装するのは不可能ですね」
「そうか? 誰かに代わりに飛行機に乗ってもらう方法がないか?」
「無理でしょう。税関がありますから、本人に成りすますなんて、とてもとても――」
「ああ、そうだな」柊はあっさり自説を捨てた。「そう言えば、飯塚茉莉の他に、もう二名、アリバイを調べる必要がある人物がいたな。係長はちゃんと調べてくれたのか?」
まったく、どちらが上司だか分からない。
「八田楓と西岡工ですね。大丈夫です。係長の指示で、小島さんと益田さんが調べてくれたみたいです」
小島も益田も一課の同僚だ。
「ほ、ほう~それで、どうだった?」柊の性格だ。職場に親しい人間などいない。同僚や上司から情報を仕入れるのは、もっぱら茂木の仕事だ。
茂木は懐から手帳を取り出した。
「先ずは八田楓です。都内の大手都銀に勤務しています。期末間近のこの時期ですから、普通の会社員だと、まとまって休みなんか取れません。ましてや銀行マン、いや銀行ウーマンだと忙しい時期でしょう。犯行当日は何時も通り出勤しています。事件当夜は残業で遅くなったようです。夜、八時過ぎに退勤しています。出退勤記録がちゃんと残っていました」
「死亡推定時刻は夜八時から十一時の間だ。都内で八時に会社を出たのなら、車を飛ばせば、ぎりぎり死亡推定時刻の十一時に間に合うかもしれないぞ。その辺、ちゃんと調べたのか?」
「八田楓は都内のマンションで一人暮らしをしていますが、男がいます。その晩は男と会って食事をしてから、一緒にマンションに戻っています。東城社長を殺しに行くことは不可能でした」
「ふん。どうせ、相手の男の証言だろう? そんなもの、あてになるか! 男と飯を食ったレストランまで行って、ちゃんと確認したのか?」
「はい。確認を取ったようです。ですが、店側も一々、客の顔など覚えていないと言うことで・・・」
「ほれ見ろ! やつらの捜査なんて、どうせそんなものだ。やつらにレストランの周辺の防犯カメラを探させろ。そうすれば男が嘘をついているのかどうか、直ぐに分かる」
「はい。分かりました」と答えながら、茂木は小島と益田の二人にどう伝えようか考えていた。
益田は後輩だが、小島は年上だ。自分たちの捜査にケチをつけられたら面白くないだろう。激怒するかもしれない。
(益田にうまく伝えるしかないな)と茂木は思っていた。
「それで、西岡工のアリバイはどうだったんだ?」
他人の苦労も知らずに、良い気なものだ。
「はい。そちらも聞いています。西岡工についてはアリバイがあります。東城社長に経営していたパン屋を乗っ取られてから、杉並に新しいパン屋を開いています。なかなか評判が良いようで、早朝から深夜まで働き詰めです。事件当夜も、夜の十時までパン屋で働いていました。一緒に残業をしていた従業員の証言があります」
「ふん、従業員なんて、同じ穴の狢だ。利害関係が一致しているから、店長に頼まれたら、嘘の証言だってするだろう。店長が捕まると、失業して困るのは自分だからな。ダメだな。これもちゃんと証明できるものが必要だ。やつらにパン屋の近くの防犯カメラを当たらせろ。
ああ、もうひとつ。被害者が使っていた携帯電話が、まだ見つかっていない。やつらにもっと一生懸命、探させろ。」
「は、はい・・・」と頷いたが、こうなると流石に益田には頼み辛い。八田楓の件と合わせて、係長に相談するしかない。
「ところで、お前、どいつが東城社長を殺害した犯人だと思っている?」唐突に柊が尋ねた。
他人の話を聞かない男だが、最近、何故か茂木の意見を聞きたがる。
(ひょっとして、柊さんに認められているのかも・・・)と思えなくも無い。こういう時、持って回った答え方をすると、大火傷をしてしまう。単刀直入が良い。
「先ず、遺言に名前が出た三人は外せないと思います。普通に考えて、この三人は東城社長が亡くなったことより、莫大な利益を得ました」
「東城誠一、石田正春、そして近田翔子の三人だな。そうか、やっぱり近田翔子を容疑者から外す訳には行かないか・・・」どうも柊は翔子がお気に入りのようだ。
「遺言により、最も利益を得た人間が近田翔子と言えます。現時点で、彼女を容疑者から外すことは出来ませんね。もし、彼女が遺言の内容を知っていたならば、動機として、十分過ぎるほどの動機があったことになります」
「あの弁護士とやらに確認しておく必要があるな。遺言書の内容を、一体、どれだけの人間が知っていたのか――」
「そうですね。名刺をもらってありますので、連絡を取ってみます」
「ああ、頼んだ。で、他のやつらはどうだ?」と柊が言うので、「ちょっと待って下さい」と茂木は誠一が作ったリストに自ら加筆した容疑者リストをテーブルの上に広げた。
東城誠一~秋香の夫。
佐藤晴彦~秘書。実家が東城グループに買収。
古市卓巳~妻が雑誌記者。秋香のスクープを狙っていたが行方不明。
八田美鈴・甚大~八田正剛の妻と息子。正剛の愛人が秋香。
八田楓~美鈴の娘。都内の銀行勤務。アリバイあり。
石田正春~八田正剛と秋香の間の子供。
関口忠明・真奈~正春の二番目の里親。幼児虐待容疑で里親をクビになる。
近田翔子~秋香の異父妹。秋香を羨んでいた?
金井明~秋香の高校時代の教師。セクハラ疑惑で高校をクビになる。
堀口久典~秋香の幼馴染。東城グループ元社員。公金横領で会社をクビ。
飯塚茉莉~競争相手会社社長の娘。父親が首吊り自殺。呪い谷に不在。
西岡工~杉並でパン屋を経営。アリバイあり。
謎の脅迫者?
「多いな。ふう」柊がため息をつきながら言う。「前にお前、東城社長に死なれて困る人物、経済的に東城社長にすがっている者として、夫の誠一、佐藤、八田親子、正春、関口夫婦が除外できるようなことを言っていたな。だが、誠一と正春は東城社長の死により、利益を得るものとして除外できなくなった。それに佐藤はリストラ寸前で金銭面以外に動機があった。結局、除外できそうなのは八田親子と関口夫婦だけか?」
「そうですね。関口夫婦が東城社長に弱みを握られていたとすると、彼らも容疑者リストから外すことは出来ませんね。ここはやはり、物理的に東城社長を殺害することが出来た人物を特定してはいかがでしょうか?」
「物理的に東城社長を殺害することが出来た人物? どういうことだ?」
「上杉湯に宿泊していた人物は大抵、部屋にいたと証言しています。アリバイがありません。死亡推定時刻に旅館にいなかったことが分かれば、その人物が怪しいことになります」
「当然そうだ。だから、それをどうやって調べるのだ!?」茂木の悪い癖だ。持って回った言い方をしてしまった。見る見る柊の機嫌が悪くなる。
茂木が慌てて言った。「上杉湯から東城社長の屋敷、阿房宮まで上り坂が続き、少々、距離があります。歩いて行けないことはありませんが、二十分、いやひょっとしたら三十分くらい、かかるかもしれません。実際、誠一も佐藤も、車で旅館と屋敷の間を往復しています。犯人も車で往復した可能性があります。上杉湯の駐車場の車の入出場記録が残っていれば、誰があの夜、外出したか分かるかもしれません」
「おおっ、それだ! 直ぐに調べろ!!」柊が怒鳴る。
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