遺言

 広い応接室だ。

 真ん中にでんと置かれた長方形のテーブルを、ぐるりとソファーが取り囲んでいる。横長のソファーには四人が楽々、腰を降ろすことができた。

 縦方向には一人掛けのソファーが二つ、並べてある。計十二人が座ることができた。

 一人掛けのソファーに中森が座り、横長のソファーの中森に近い場所に誠一が座った。対面のソファーには翔子と正春が並んで座った。

 柊と茂木は中森の正面のソファーに座った。

 正春は覚えていないようだが、翔子はかつて、育ての親だったことがある。翔子が正春を見る目はまるで母親のようだ。

 中森は隣のソファーにブリーフケースを置くと、中から一通の封書を取り出した。

 東城秋香の遺言書だ。

 中森が厳かに封筒から遺言書を取り出す。

「それでは東城秋香氏の遺言を公開いたします。本遺言書は民法の規定に基づき、作成されたものですので、法的効力を有します。遺言書の作成には、私も立ち合わせて頂きました」

 中森が遺言書を開封した。

「遺言者、東城秋香は本遺言書で次のとおり遺言する。ひとつ、遺言者は遺言者の所有する下記の財産を、遺言者の妹である近田翔子に相続させる。群馬県利根郡湯野沢村に所有する家屋、家財、土地、並びに山林。八重洲銀行品川支店にある遺言者名義の普通預金口座の預貯金」と遺言書を読み上げてから、中森は「このお屋敷と妙仏山のことです。呪い谷に所有する全ての不動産を近田さんにお譲りするということです。それに、昨日時点での八重洲銀行の口座残高ですが、ええっと・・・あった、これだ。五億二千六百十七万三千五百四十六円です。この全額が近田さん、あなたのものになります」とブリーフケースから銀行の取引明細書を取り出して翔子に見せた。

 翔子はあんぐりと口を開けたままだ。驚きの内容に、翔子は勿論、誠一も正春も言葉を失った。誠一は見開いた目から目の玉が零れ落ちそうだった。

 中森が言う。「東城秋香氏より近田翔子さんに遺言があります。こちらは故人の意志を示すもので、法的なものではありません。今、申し上げた遺産を相続するには、ひとつ条件があります」

「条件? やっぱりね。あのお姉さんが私に、沢山、財産を残してくれるはずないもの」

「遺産相続の条件はただひとつ、『お父さん、お母さんを大切にして下さい』とのことです」

「えっ!」翔子が絶句する。次の瞬間、翔子は「お姉ちゃん――!」と悲痛な叫び声を上げると、テーブルに突っ伏して、「あ~!あ~!」と大声を上げながら子供のように泣き出した。

 端で見ていた誠一も正春も、呆気に取られた。姉に対する反発は愛情の裏返しであったのかもしれない。遺言を聞かされて、緊張の糸が切れてしまったようだ。

 翔子は一人、泣き続けた。隣に座っていた正春が見かねて、優しく翔子の背中を撫でた。すると、翔子は益々、激しくむせび泣いた。

 翔子が泣き止むまで、遺言書の公開が中断された。誠一が貧乏ゆすりをしながら、翔子が落ち着くのを待っていた。

 翔子が泣き止むと、「それでは、続きを読み上げます。よろしいですか?」と中森が言った。誠一が「お願いします」と答える。

「ひとつ、遺言者は遺言者の所有する下記の財産を、遺言者の息子である石田正春に相続させる。東城グループの株式全部」また、中森がブリーフケースから別の書類を取り出した。「ええっと・・・東城グループの株式は未公開株ですので、正確に株価を算定することが出来ません。東城秋香氏が大半を所有されており、株式の総額はざっと十億円前後だと思います」

 今度は正春が「十億・・・」と絶句する。

「石田正春さん、あなたにも遺言があります。お母様はあなたに会社を継いでもらいたかったようです。大学で経営学をしっかり勉強してもらい、大学を卒業したら、東城グループに入社してもらいたいそうです。『あなたは八田正剛と私の間に出来た子供なんですもの、きっと良い経営者になれるはず。私があなたに残してあげられるのは、これくらいしかないから』とおっしゃっていました」

 正春が顔を歪める。「俺は泣かないよ」と言いながらも、目が真っ赤だった。今度は翔子が正春の背中に手をやる。正春は必死に涙が零れ落ちるのを我慢していた。

 誠一の貧乏ゆすりが止まらない。秋香が遺言を残しているなんて、思いもしなかったのだろう。当然、秋香の遺産は実子である正春と折半になるものと思っていたはずだ。

 それが近田翔子に五億を持って行かれてしまった。呪い谷の屋敷や山には正直、興味がなかったが、現金は痛かった。

 それに、東城グループの株式を全て正春に譲られてしまうと、残った遺産など、たかが知れたものだ。

 中森が残りの遺言内容を読み上げる。「ひとつ、遺言者は、上記の財産を除く、遺言者の所有する全ての財産を東城誠一に相続させる。ひとつ、遺言者は、この遺言の遺言執行者として、中森昭市を指定する。遺言執行者は、相続人の同意を得ることなく、不動産の登記手続き、預貯金債権の払戻し又は名義の書換え、その他、本遺言執行のために必要な全ての行為を行う権限を有するものとする」

「中森さん。これだと、僕が相続できるものなんて、何もないじゃないですか!」溜まりかねて誠一が叫ぶ。

「そんなことはありません。現在、お住まいの品川のマンションやマンションに越して来られるまでにお住まいだった東城秋香氏名義の世田谷のご邸宅があります。世田谷のご邸宅の評価額がざっと三億、品川のマンションが二億と言ったところでしょう。これだけで五億あります。それに東城秋香氏がお持ちだった宝飾類があるはずです。こちらが一体、幾らくらいの評価になるのか私には分かりませんが、庶民の感覚では、もう、それこそ膨大な額の遺産だと思います。ねえ、そうでしょう? 刑事さん」

 いきなり中森に話を振られて、柊は「えっ!?」と戸惑った様子だった。だが、そこは柊だ。「我々にとっては膨大な遺産であっても、そこは相対的なものですからね。自分の取り分が人より少ないと、腹立たしいのではありませんか?」とズバリと言った。

 あまりに露骨過ぎて、「別に、そんな・・・」と誠一が黙り込んだ。

「まあ、そうお考えにならずに、故人の意志を尊重して頂きたいものですな」そう言って、中森は遺言書の公開の場を締めくくった。

「刑事さん、今日は上杉湯に泊まって行きなよ」帰り際に、翔子が柊に声をかけた。

 ウマが合うようで、柊のことが気に入っているのだ。

「温泉も良いですが、仕事中なのでね。事件が片付いたら、寄らせてもらいますよ。その時はよろしく」意外だ。世辞など言える性格ではない。事件が片付いたら、また来たいと本気で思っているのだ。

「是非、遊びに来てね」翔子は愛想よく言うと、正春と並んで応接間を出て行った。

 秋香の残した遺産は、この先、二人の人生を大きく変えてしまうだろう。(二人にとって、良い方向に変われば良いのだけど・・・)と茂木は二人の背中を見ていて思った。

 中森が「お部屋で一休みさせて頂きますよ」と応接間を出て行くと、誠一と柊、茂木の三人になった。

「さあ、刑事さんたちも、もう良いでしょう」誠一から追い立てられた。そして、「そう言えば、刑事さん、おっしゃっていましたよね。秋香の死によって、最も利益を得る人間が疑わしいって。少なくても僕ではありませんでしたね。はは」と自嘲気味に笑った。

「東城さん、先ほど、話が途中になってしまいましたが、あなたが作ったリストについて、もう少し、お話をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「今からですか!?なんだか疲れてしまって、一休みしたい気分です。できれば、日を変えてもらうと助かるんですけどね」遺言書の内容がショックだったようだ。

「お時間は取らせませんよ。嫌なことは早めに片付けておいた方が良いでしょう。我々もこちらを往復するのは、結構、大変なんでね」

「はは。そうですね。良いですよ。何か、他人の秘密を洗いざらい暴露して、すっきりしたい気分です。刑事さん、何でも聞いて下さい」

 誠一がソファーに座りなおす。面白くなってきた。

「さて、あなたから頂きましたリストですが――」と言って、茂木がテーブルの上にリストを置いた。茂木が秋香との関係性や秋香を恨んでいた理由などを書き加えてある。


 佐藤晴彦~秘書。実家が東城グループに買収。

 古市卓巳~妻が雑誌記者。秋香のスクープを狙っていたが行方不明。

 八田楓~八田正剛の娘。秋香を恨んでいた。

 石田正春~八田正剛と秋香の間の子供。

 関口忠明・真奈~正春の二番目の里親。幼児虐待容疑で里親をクビになる。

 近田翔子~秋香の異父妹。秋香を羨んでいた?

 金井明~秋香の高校時代の教師。セクハラ疑惑で高校をクビになる。

 堀口久典~秋香の幼馴染。東城グループ元社員。公金横領で会社をクビ。

 飯塚茉莉~競争相手会社社長の娘。父親が首吊り自殺。呪い谷に不在。


 柊が口を切る。「佐藤秘書と八田楓さん、飯塚茉莉さんについては、先ほど、お聞きしました。残りの方についても、何故、名前を書かれたのか、お伺いしたいのですが」

「構いませんよ」と誠一が頷く。

「では、先ずは古市さんから行きましょう。彼の奥さんが東城社長と八田正剛の間の不倫ネタを追っていて、行方不明になったと聞きました。奥さんが行方不明になった時期に、東城社長は裏山を購入しているそうですね?彼、奥さんは殺されていて、裏山に埋められているのではないかと疑っていました。二年の間、遺体を捜して、山を歩き回ったと言っていました」

「はは! 二年の間、奥さんの遺体を捜して山を歩き回ったと言ったんですか!? あの男。そりゃあ、一度や二度は、山を歩き回ったことはあるでしょうが、それだけですよ。私有地ですので、立ち入りの際は、連絡をもらっていましたからね。私の知っている限り、二年間で一回か二回くらいだったと思います。それも半日程度、ざっと見ただけです。そんなもんです。

 秋香が奥さんを殺して山に埋めた? はん!馬鹿らしい。奥さん、あの男に愛想をつかして逃げ出しただけですよ。秋香が人を殺す訳ない。

 大体ね。あの奥さんからして、秋香と八田正剛のスクープを狙って取材していたことは間違いありませんが、取材ノートを秋香に持ち込んで、『これを買ってくれ』と売り込みに来たような女です。秋香からそう聞きました。

 過去の話ですからね。秋香は(表に出ても構わない)と思ったそうですが、それでも、八田正剛に迷惑がかかると嫌だからと、取材ノートを買い取ったそうです。代金として、百万、払ったと言っていました」

「ああ、確かに古市さんは、雑誌社に売るより金になったと言っていましたね」

「そうでしょう。きっとその金が原因で夫婦喧嘩でもして、あいつ、奥さんを殺したんですよ。そして、どこかに遺体を隠した。そうに違いない。そして、金を使い果たし、生活に困ったもんだから、奥さんが行方不明になったことにして、秋香からまた金を搾り取ろうとした。それを断られて、逆上し、秋香を殺した。いや、或いは奥さんを殺害したことを、秋香に悟られて、口封じで殺したのかもしれませんね」

「東城さん。一体、どこからどこまでが、東城社長から聞いた話なのですか? あなたの想像を交えて話されては困りますね」柊の言う通りだ。

「すいません。でも、百万払ったことまでは事実です。ああ、その後も、十万円が二回くらい、秋香から奥さんに払われています。確かです。秋香の銀行明細を見たことがありますから。きっと、口止め料として、秋香を恐喝していたのだと思います」

「それも、また想像ですね」

「ええ、まあ。でも、当たらずといえども遠からず、僕は、あの男が怪しいと思っています。きっと隠し事があるに決まっています」

「人は誰でも人に言えないことがあるものです。あなたもそうでしょう? さて、古市さん以外で他に怪しい人物はいますか?」時々、真っ当なことを言う。

「正春君は、そもそも秋香に対して母親の愛情など、感じていなかったでしょう。彼女が死ねば、膨大な遺産を相続することが分かっていたはずです。だから、名前を書いておきました。刑事さん、聞いたでしょう。先ほどの遺言書の内容を。きっと彼の想像以上だったと思いますよ。秋香が死んで最も得をした人物です」

「ええ、それはあなたも同じだと思います」

「嫌だな~刑事さん。僕の取り分なんて、想像より全然、少なかった。むしろ損をしたくらいだ」

「損をした? そうですか? この先、東城社長に離縁され、放り出されていたら、あなたの取り分は慰謝料になっていたかもしれませんよ」

「刑事さん。失礼だなあ。夫婦仲はいたって円満で、僕と秋香の関係は良好でした。離婚なんて――そうそう、夫婦といえば関口夫婦、彼らも怪しいと思います。彼ら、ここに来た理由をどう説明していました?」

「ああ、確か、年賀状を出したら、返事が来て、上杉湯に招待されたと言っていました。株で失敗して金に困っていたようです」

 柊の言葉に、誠一は「ははん!」と笑って言った。「年賀状!? とんでもない! あいつらの方から秋香に接触して来たのです。やつら、八田正剛が死んで、もう脅される心配がないと思ったのでしょうね。金に困って、秋香を再び、強請って来たのです。ところが、秋香にしてみれば、八田正剛が死んでしまえば、不倫の事実が公になっても、困らなかった。

 先ほども良いましたが、彼女、八田正剛に義理立てして、二人の関係が公にならないようにしていただけですからね。実際、二人の関係を知っている人間は大勢います。関口夫婦は思惑が外れた訳です」

 誠一は「けっけっ!」と笑い続ける。遺言の内容がよほどショックだったようだ。「それにね――」と嬉々として話を続ける。「秋香は、いざとなったら、あの夫婦を黙らせる手段をちゃんと確保していたのです」

「ほ、ほう~それは面白い。一体、どういう方法で関口夫婦を黙らせるつもりだったのですか?」

「はは。人の口を塞ぐ、一番、良い方法は何だか分かりますか? 刑事さん」

「そりゃあ、勿論、殺害して黙らせることでしょう」

「ああ、確かに。でも、殺すのはダメでしょう。じゃあ、二番目に良い方法は何です?」

「二番目? 相手の弱みを握ることですかね?」

「正解! 秋香はあの通り、目先の聞く女ですからね。何時かまた、あの夫婦が強請ってくることくらい、ちゃんと予想していました。そこでね。人を雇って、あの夫婦の状況を絶えず調べていたのです。あの夫婦、このところ相当、金に困っていたみたいですね」誠一は楽しそうだ。

「最近、株で失敗したと言っていました。違うのですか?」

「株で失敗したのは事実でしょう。でもね、他にもあるのです。秋香に里親失格の烙印を押され、正春君を取り上げられてから、あの夫婦、生活の糧を失ってしまいました。電気屋を廃業した時や、里親をやっていた時に、秋香からせしめた金があったはずですが、流石に、それだけでは先行きが不安だったのでしょうね。

 あの親父、電気屋をやっていた経験を生かして、近所の家電量販店に働きに出ていました。派遣ですから、給料は良くなかったみたいです。まあ、奥さんもパートに出たりしていましたから、二人で生きて行くだけなら何とかなったのでしょう」

「ほ、ほう~詳しいですね」

「言ったでしょう。秋香が人を雇って調べていたのです。あの親父、たちの悪いやつなのですが、所詮、小悪党でね。電気屋時代には、免許もないのに電気工事をやったり、近所の飲み屋の女と不倫関係になったりしていました。その辺の証拠もちゃんと揃えてあります。電気屋時代の犯罪なんて、もう時効でしょうし、不倫も犯罪ではありませんからね。決定的な弱みとはいえませんでした。

 それがね、刑事さん。聞いて下さい。ついに決定的な犯罪の証拠を掴んだのです。あの親父ね、最近、金に困ったからでしょう。留守宅や空き家から、エアコンの室外機を盗み出していたのです。エアコンの室外機なんて、売れるのですかねぇ~」

「ほ、ほう~それは面白い。窃盗ですか。立派な犯罪ですね。エアコンの室外機には銅やアルミニウムなどの金属が使われていますからね。金属の廃材市場で売れます。海外に持って行けば高く売れます。カバーだけを使って、メイド・イン・ジャパンのダミー商品を作るのに使われたりもするようですね」

「へえ、そうなんですか。それにね、あの親父。家電量販店に勤めていますからね。室外機を盗まれると、当然、エアコンを買い替えなければならなくなりますよね。そうすると、お店の売上が伸びる。しかも、室内機だけ持っていても仕方ありませんから、これを『無料で廃棄しておきます』と引き取って、会社に黙って室内機も売り払っていました」

「ほ、ほう~それはあくどい。しかし、証拠はあるのですか?」

「無論、証拠があるから、弱みになるのです。あの親父が室外機を盗む様子を撮影した動画があります。それもね、三件。どうです?常習犯ですよ。きっと、余罪がもっとありますよ」

「ほ、ほう~それは面白い。その動画、頂けますか?地元の警察署に連絡して調べてもらいましょう」

「ああ、良いですよ。DVDに焼いてありますので、後でお渡しします」

「ご協力、感謝いたします」柊が律儀に言う。

 警察官だ。捻じ曲がった性格だが、人一倍、正義感は強い。

 誠一が話を続ける。「さて、残りを片付けておきましょう。次は・・・近田翔子、秋香の妹さんですね」

「ええ、何故、彼女の名前を書いたのですか?」多少、批難がましい口調なのは、柊が翔子のことを気に入っているからかもしれない。

「姉妹仲が悪いことは、秋香から聞いていたのですがね。まさか、秋香があの妹に、こんな莫大な財産を残すとは思いもしませんでした。私の相続分は大半、彼女に持って行かれてしまいました。このままでは・・・」はたと誠一が口をつぐんだ。口が滑ったようだ。

「このままでは――何です? 東城さん、あなた、まさか、よからぬことを考えているのではないでしょうね?」すかさず、柊が釘を刺す。

「違いますよ、刑事さん。彼女が遺産相続のことを知っていたとしたら、秋香殺害の動機になりませんか?」巧に話題を逸らす。

「知っていたのですか?」

「さあ、分かりません。そうそう、彼女の名前を書いた理由でしたね。もう二、三年前になりますかね。秋香と彼女が大喧嘩をしましてね。その時、彼女、『煩い! 黙れ!ぶっ殺すぞ!!』と秋香に怒鳴っていました」

「姉妹喧嘩ですか? 激昂して、つい物騒な台詞を口走ってしまうこともあるのではないですか? 身内ですから」

「まあ、そうでしょうね。でも、その時の記憶が強烈だったものですからね。名前を書きました」

「分かりました。さて、残りは金井明と堀口久典の二人です。堀口が秋香社長を逆恨みしていたことは分かりましたが、金井明はどうです?彼の話によれば、セクハラ騒動は事実ではなく、二人はプラトニックな関係だったということです。例え、セクハラが事実だったとしても、恨んでいるのは東城社長のはずで、彼ではないのではありませんか?」

「はは。あの男が、刑事さんに何て言ったのか知りませんけどね、学生時代のセクハラ騒動以外にも、問題がありました。あの男、秋香に異常に執着していたのです」

「それは最近の話ですか?」

「そうですねえ、かれこれ、一年くらいになるかと思います。秋香が雑誌のインタビューで漢籍に詳しいことを聞かれ、『学生時代に、漢文の先生から色々、教えてもらって興味を持ちました』と答えたのです。そしたら、刑事さん、あの男から秋香に手紙が来たのです。それも、自宅宛にですよ。きっと、昔のつてを辿って、秋香の住所を同級生から聞いたのでしょう。執念深いやつです。

 秋香も『気持ち悪い』って言って、返事を出しませんでした。あの男、それを逆恨みしたのかもしれません。可愛さ余って憎さ百倍、そう言ったストーカー被害は、世の中、枚挙に暇がありませんからね」

「ほ、ほう~それは面白い。金井さん、その話は言っていませんでしたね」

 リストにある容疑者たちが、事情聴取で全て正直に話してくれた訳ではない。みな、他にも人に言えない秘密を抱えているのかもしれない。

「もうひとつだけ――」と柊が前置きして尋ねた。「寝室に東城秋香さんの携帯電話がありませんでしたけど、何処にあるのがご存じありませんか? お忙しい人でしたので、携帯電話は肌身離さずお持ちだったのではありませんか? 寝室に無いのは変ですね」

(ああ、そうか!)と茂木は思った。寝室を調べた時に感じた違和感の正体が分かった。携帯電話が無かったのだ。(流石は柊さんだ)と素直に思った。

 誠一は首をひねりながら答えた。「寝室に無かったのですか⁉ 変だなあ~おっしゃる通り、秋香は携帯電話を肌身離さず持っていました。無いなんておかしいですね。きっと秋香を殺した犯人が持ち去ったのですよ!」

 東城誠一からの事情聴取を終えて、屋敷を出た。

「柊さん。あれ!」茂木が庭の隅の木を指さす。

「うん」と茂木の指さす方向を見て、柊は「くえっ!」と妙なうなり声を上げた。

 昨日、朝方に舞った雪が木の枝に多少、残っていて、保護色になっていたが、よく見ると鳥が止まっていた。真っ白だ。結構、大きい。

「あれ、噂の白いカラスじゃないですか! 本当にいるんだ。真っ白ですね。とてもカラスに見えない」茂木が言うと、「おい、よせ」と柊が返事をした。

 何をよせと言っているのか分からなかったが、柊は「いいから、早く車を出せ」と茂木をあおった。どうやら、この場から逃げ出したいようだ。

 車に乗り込み、スタートさせると、ほっとしたように柊が言った。「ああゆうのは見ない方が良い。禍のもとだ」

 よほど怖かったようだ。

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