容疑者十一・堀口久典

 金井によれば、怪しい人物の名前は堀口久典ほりぐちひさのりと言い、東城秋香の幼馴染だと言う。秋香は学業成績が良かったので、ここ呪い谷から麓の町の進学校に通うことができた。僻村だ。ただでさえ少ない秋香の同級生の中で、同じ高校に進学できたのは、一人だけだったと言う。

 それが堀口だ。

 秋香と堀口は小学校から高校までずっと一緒だった。

 高校卒業後、秋香が都会に出て会社を興すと、地元の信用金庫に就職していた堀口は秋香を頼って都会に出た。

 そして、十年以上、東城グループの社員として秋香を支えてきた。だが、昨年、突如、会社をクビになり、呪い谷に戻って来た。

 金井にとって、堀口もかつての教え子だ。堀口が呪い谷に戻り、荒んだ生活をしていると聞いて心配になった。そして、昨日、様子を見に行ってきたらしい。

「実家にいると聞いたので、会いに行ってきました。部屋に引き篭もっていて、結局、会ってもらえませんでした。参りましたよ。ドア越しに高校時代の話なんかしただけで、帰ってきました。荒んでいるとは聞いていましたが、ここまでとは・・・私が知っている堀口君ではありませんでした。『十年以上、尽くしたのに、ぼろきれのように捨てやがって――!』と彼、東城さんのことを、随分、恨んでいる様子でした。『今に見ていろ。痛い目に遭わせてやる!』なんて、物騒なことを言っていました。今度、東城さんに会ったら、忠告しておかなければいけないなと思っていた矢先でした。彼女が殺されたと聞いて、彼のことが真っ先に頭に浮かびました」金井はそう言った。

 柊は仲居の近田翔子を呼んだ。

 似たもの同士、端で聞いていると、お互い、中傷し合っているようにしか見えないが、柊は翔子のことが気に入ったようだ。

「この村に堀口久典という人物がいると聞きました。原住民である、あなたなら、彼がどこに住んでいるのかご存知でしょう。話を聞きたいので、呼んできてもらえませんか?」柊は「この村の住人」と言いたかったのを、「原住民」と言い間違えたようだ。

 案の定、「あら、嫌だ、刑事さん。原住民だなんて失礼な。こう見えて、私だって、忙しいんですけどね。ああ、堀口さんね。お姉さんと同級生だった」と文句を言ってから、翔子は嬉々として出て行った。

 どうやら捜査に協力しているつもりなのだ。

 翔子が出て行くと、柊が「色々、勉強になったな」と言った。先ほどの金井からの事情聴取のことを言っているらしい。てっきり退屈していると思っていたが、意外に、金井の話に興味を抱いていたようだ。

 待たされると思ったが、小半時もしない内に、「さあ、刑事さん。堀口さんを連れて来たわよ!」と翔子が堀口を引きずるようにして部屋に表れた。

「まったく、この人、部屋に閉じこもって、『行きたくない』と子供みたいにゴネるもんだから、苦労したわよ。部屋から出ないのなら、刑事さんに来てもらって、逮捕してもらうと言ったら、やっとドアを開けてくれたの。そして、ここまで引っ張って来たのよ」翔子は得意そうだ。

「ああ、ご苦労様でした。いやあ、助かります。あなた、良い刑事になれますよ。もう少し、頭が良かったらね」余計なお世話だ。

 堀口久典は秋香と同い年、三十代後半だ。頭頂部が薄くなっている上に、でっぷりと肥満している。ここまで引っ張ってくるのは、かなりの力作業だったことだろう。歯並びが悪く、煙草を吸うのか、歯が黄色く濁っている。色の濃い縁のある眼鏡をかけていて、眼鏡の奥の、白め勝ちの目がきょろきょろとよく動く。気が小さいようだ。

 柊たちの視線を避けるかのようにして、テーブルの向いに腰を降ろした。

「堀口久典さんですね?東城秋香さんと同級生の――」柊の質問が始まった。

「ええ、まあ――」

「まあ? まあ――とは、どういう意味ですか?東城社長が殺されたことはご存知ですよね?」

「ええ、知っています。僕が知っているくらいだから、もう、この村で知らない人間なんて、いないと思いますよ」

「ほ、ほう~それは面白い。どうやって東城社長が殺されたことを知ったのですか?まだ、ニュースになっていないはずですけどね」

「母親が何処からか聞き込んできました。朝から叩き起こされて聞かされましたよ。まあ、驚きましたね、びっくりです」

「驚いた? ほ、ほう~あなたは東城社長の幼馴染だそうですよね。彼女が成功すると、自分もその恩恵に預かりたいと考え、彼女を頼って上京した。そして、東城グループに雇われた。十年以上、そこで働いたそうですね? そして、会社を突然、クビになった。そのことで、東城社長を恨んでいた。違いますか!?」

「恨んでいた・・・まあ、それは否定しません。十年以上、粉骨砕身、会社のために身を捧げてきたのに、いきなりクビですからね。ですが、僕は彼女を殺してなんていませんよ」

「おや? 誰もあなたの仕業だとは言っていませんよ。何か、後ろめたいことがあるのではないですか?」

「嫌だな~刑事さん。言葉尻を取るような真似をされては困ります」

「昨晩はどこで何をしていましたか?」

「ほら、結局、僕のことを疑っているんじゃないですか! 昨日の夜ですか? 家にいましたよ。昨日も一昨日もその前も、もう、ずっと部屋にいます。出歩くことなんて、ほとんどありません。引き篭もり状態ですからね」

「十年以上、働いた会社を何故、クビになったのですか?」

「そ、それは刑事さん。何故、クビになったのか、僕の方が知りたいくらいです。突然、理由もなくクビですからね。納得なんて出来るはずないじゃありませんか!」

「突然、クビになったのですか? 変ですねえ。労働契約法に、解雇をする際には、客観的で合理的な理由が必要だと定められています。もし、合理的な理由が無ければ解雇権濫用と言って、解雇は無効になるのですよ」柊は労働法にも詳しいようだ。

「はあ~そうなのですか。じゃあ、僕が訴え出れば、解雇は無効になると言うことですね?」

「合理的な理由が無ければの話です。解雇理由を聞かなかったのですか?」

「解雇理由? ああ、そうだ。リストラですよ。確か、そうだった」

「リストラ? ほ、ほう~東城社長の会社はそんなに経営状態が良くなかったのですか?」

「知りません。私は単なる平社員でしたからね。会社の経営状態なんて、分かるはずないじゃありませんか?」

「アリバイはない。東城社長に恨みを持っていた。これでは、あなたの容疑は晴れませんねえ~堀口さん、あなたがやったのではないですか?」

「冗談じゃない!僕なんか疑っても時間のムダです。僕が犯人じゃないことは、僕が一番、よく知っていますから――」

「そりゃあ、そうでしょう」どういう理屈だ。

 怪しい人物には違いないが、「刑事さん。僕は、あの女が戻って来ていることすら、知らなかったのですよ。一体、どうやってあの女を殺すことができるというのです?」と言われてしまうと、確かにその通りだ。

「情報通のあなたのお母さんから東城社長が戻って来ていることを聞いたのでは?」と柊が食い下がる。すると、堀口は「はは。うちの母親はスパイじゃありませんからね。東城社長のスケジュールまでは分かりません。刑事さん。疑うのなら佐藤さんを疑ったらどうです?」と言いだした。

 堂々巡りで一周、回ってしまった。

「佐藤ですか?」

「佐藤晴彦、社長の秘書をやっている人物です。彼はね、実家を乗っ取られたと、社長を恨んでいましたからね。『本当なら、俺は会社の社長になっていた人間だ。それが、今じゃあ、こんな秘書のような仕事をやらされている』と、よく不平を口にしていました。

 彼、今、この旅館に泊まっていますよ。ここに連れて来られる時、旅館のフロントにいたのを見ました。彼、チェックアウトしていたみたいですよ。首尾よく、社長を殺すことが出来たので、慌ててここから逃げ出そうとしているんじゃありませんか?」

 堀口の言葉に、「おいっ!」と柊が茂木を見た。茂木が部屋を飛び出して行く。

(しまった! まさか、こんなに早く、旅館を出て行こうとする人間が現れるとは思っていなかった)旅館を離れないように、伝えることを忘れていたことを茂木は後悔しながら走った。

 柊は堀口に向き直ると言った。「さて、堀口さん。あなたには東城社長を殺害する動機がある。アリバイもない。現時点では、有力な容疑者です。当分の間、我々の許可なく、勝手にこの村を離れたりしないようにお願いします」

「ははは、刑事さん。最初に言いましたが、僕は引き篭もり状態です。村どころか、家からも出たくない。当分の間がどれくらいの期間か分かりませんが、多分、ご満足頂けるぐらいの間、村から出ないと思います」そう言うと、堀口は部屋を出て行った。


 入れ違いに、茂木が佐藤を連れて戻って来た。

「佐藤さん。逃亡を図られては困ります」佐藤の顔を見るなり、柊が批難した。

「そ、そんな、刑事さん。逃亡だなんて――私は犯人じゃありませんよ。いいですか、刑事さん。社長が亡くなったのです。会社はもう上へ下への大騒ぎです。至急、後任の社長を決めなければなりませんしね、やることは山ほどあるのです。私はね、忙しいのです。こんなところで、油を売っている訳には行きません」

「あなたが次の社長を決める訳ではないでしょう」

「そりゃあ、まあ、そうですけど・・・」

「なにも今、旅館をチェックアウトしなくて良いでしょう」

「今、都内に戻れば、明日は朝から出社できます」

「一刻も早く、新しい社長に取り入って、あわよくば昇進したいと言う気持ちは分からなくはないですけどね」

「ひどいな、刑事さん。そんなつもりでは、ありませんよ」

「もう、暫くここに居て下さい。でないと、逃亡の恐れがあると判断して、あなたを緊急逮捕します」

「そんなあ~」佐藤が悲鳴を上げる。

「ところで佐藤さん。堀口久典さん、ご存知ですよね? 東城グループで働いていた」佐藤が頷く。「彼の退社理由を知りませんか? 堀口さんの話では、リストラでクビになったと言うことですが、東城グループは経営難だったのですか?」

「リストラ!? あいつ、そんなこと言ったのですか? 会社の経営は順調です。リストラなんて、やっていません」

「ほ、ほう~それは面白い。――では、何故、彼は会社をクビになったのですか?」

「遣い込みです。あいつはね、会社のお金を遣い込んだのがバレて、クビになったのです。もともとね、営業職で出張が多いのを幸いに、個人的に飲み食いした領収書を、出張精算で処理しているという噂が、前々からあったのです。最初はね、そうやって小金をせこせこ処理していた。それで、バレないものだから、段々、大胆になって行った。

 今度はね、お客様から要求されたと言って、ブランド物のバッグやパソコンなんかを、会社の費用で処理しようとした。流石に、『これはちょっと怪しい』という話になってね。調べてみると、お客様のもとに渡っていない。あいつ、バレないと思ったんですかね」

「公金横領ですか。刑事事件として処理しなかったのですか? 最寄りの警察署に被害届を出せば良いのです」

「ええ、まあ、会社の体面に係わりますからね。しかも、お客様に差し上げるという名目で接待費を要求していたので、表沙汰になれば、お客様に迷惑がかかってしまうかもしれない。それで、あいつをクビにして、幕引きを図ったという訳です。

 会社をクビになってから、実家に戻って来ていたのですね。そうか、あいつ、社長と同郷で幼馴染でしたから、ここにいても不思議ではない。

 よくもまあ、リストラでクビにされたなんて、刑事さんに言えたものだ。刑事さん、あいつですよ。あいつが社長を殺したに決まっています。社長のことを、逆恨みしたのでしょう」

「無論、彼が犯人であることを示す証拠が見つかったら、直ぐにでも逮捕します。現時点では容疑者の一人に過ぎません。彼には村から出ないように言ってあります。あなたのように、逃亡を図ってくれれば、犯行を自供するようなものですから、緊急逮捕できるのですけどね」

「か、勘弁して下さいよ~刑事さん。黙って立ち去ろうとしたことは謝ります。でもね、本当に会社は今、大変なことになっているのです。そこのところ、分かって下さい」

「会社が大変なことは理解できますが、逃亡を図られては困ります」取り付く島もない。

 見かねて茂木が助け舟を出す。「柊さん。東城誠一さんに作成してもらったリストも残り一名ですが、どうやら、その人物はここにはいないようです」

「ほう。誰です? どれどれ――」佐藤が身を乗り出してリストを覗き込む。

「あっ! 勝手に見てもらっては困ります」茂木が慌ててリストを隠す。リストの筆頭には佐藤の名前がある。見ればきっと心証を害すだろう。

「名前を教えてもらえませんか? 社長の関係者だったら、大抵、分かると思います」

「おい」と柊が頷いたので、茂木は「飯塚茉莉いいづかまりと言う人物です。ご存知ですか?」と尋ねた。

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