容疑者九・近田翔子

 柊たちを部屋に案内してくれた仲居が現れた。

「私に用事があるそうですね。私が近田翔子です」仲居が名乗った。

 腹違いの妹だそうだが、似ていない。秋香の妹だと言うので、三十代前半のはずだが、二十代にしか見えなかった秋香より年上に見える。十人並みの容姿だが、僅かに出っ歯で、下顎が張っていて、鼻から下が必要以上に大きく見える。

「何か御用ですか? 何分、仕事中なものでしてね。ご存知の通り、今は大勢の方にご宿泊いただいています。我々、仲居は休み暇無しで働いていますのよ」はっきりとものを言う女性だ。(柊さんとの対決が見ものだな)と茂木は思った。

「お忙しいのは分かりますが、我々は東城秋香さんの殺人事件を捜査しています。東城秋香さん、ご存知ですよね?あなたのお姉さんだそうじゃないですか! 何故、我々にそのことを黙っていたのですか?」へそを曲げた訳ではないだろう。もともと柊は単刀直入だ。

「あ、ああ・・・」翔子が身構える。

「あちらは丘の上の別荘に遊びに来る人。あなたはここで仲居として働いている。姉妹で随分と差がついてしまいましたね。お姉さんは、あなたに何もしてくれなかった。だから、あなたは、お姉さんを恨んでいた。違いますか?」

「嫌だ、刑事さん。姉は姉、私は私です。恨むも何も、姉は子供の頃から、私とはまるで違う人間でした。美人で頭も良い。才色兼備って言うんでしょう?そういうの。私は見ての通り。器量は十人並み、高校を出るのがやっとの頭しか持っていませんでした」

「おや、悟りきったようなことを言いますが、嫉妬も十分、殺人の動機になるのですよ。お姉さんのことを羨ましく思っていたことが丸分かりです」

「はいはい、刑事さん。姉を羨んでいましたよ。それに恨んでもいた。それで良いですか? ついでに姉を殺したのが私なら、刑事さんの仕事も楽で良いのでしょうが、残念ですね~私じゃありません」売り言葉に買い言葉の応酬が続く。

 茂木は(どちらか爆発するのではないか)とはらはらとしながら、緊迫した二人の会話を見守った。

「ほ、ほう~それは面白いですね。あなたはお姉さんを恨んでいた。聞けば、お姉さんが生んだ正春君の里親を巡って、過去に諍いがあったそうじゃないですか?」

「諍いなんて、別にありません。いいですか?あの子を赤子の頃から小学校に上がるまで育てたのは私なんです。それを突然、姉は私から、あの子を取り上げてしまいました。

 大体、姉は昔から、私のことを嫌っていました。私の母は再婚で、姉の実の父親は姉が生まれて直ぐに亡くなっています。事故だったと聞いています。母親はまだ若かったし、こんな辺鄙な村ですから、人手はいくらでも欲しい。夫を亡くし、悲嘆に暮れていた母を、若後家のまま放っておくのは勿体無いと、親戚一同、寄り集まって再婚させました。

 そして生まれた子が私です。父にとって姉は前夫の子、私は実子なのです。普通、血の繋がらない子供は煙たくて、実の子は可愛いいもんじゃありませんか?それがね、あのクソ親父、姉は賢くて可愛くて、私はこんなで、ひねくれているもんだから、姉ばっかり可愛がって、私に冷たかったのです。

 それだけなら、まだしも。妹が父親に虐められていると、普通、姉が庇ってくれるものじゃありません? それが、姉妹ってもんじゃありませんか!? それがね。姉が私を庇ってくれたことなんて、一度もありませんでした。姉は賢いから、あることないこと、父親に言いつけるなんて陰険なことはしません。後でバレると、災いが自分に降りかかって来ることが、ちゃんと分かっていましたからね。

 でもね、私が隠しておいたテストの答案を、拾ったふりして、父の前で渡されたりしました。点数が悪かったことは勿論、隠しておいたことも叱られましたね。はは。どうです? こんな風に育って、姉のこと、好きになれますか?」

「長年の恨みが積み重なって、お姉さんを殺害したのですね?」

 柊の言葉に、翔子はさも可笑しそうに笑うと、「刑事さん。人間、そんなに単純じゃありませんよ。もう少し、人を見る目って言うんですか、それを磨いた方が良いですよ」と強烈なしっぺ返しをお見舞いした。

 柊に負けず劣らず、口が悪い。二人の舌戦は見ていて爽快だ。

「父が姉ばっかり可愛がるものだから、私、高校生になる頃にはいっぱしの不良娘になっていました。姉が早くに家を出て、あっという間にお金持ちになったものだから、何処か負けまいという気持ちがあったのかもしれません。真似して、都会に出て悪い男にひっかかりました。

 二十歳になった時には、子持ちの前科者になっていました。旦那? 旦那なんていません。私生児です。赤子を抱えて、仕事もなくて、どうにもこうにも生きて行けなくなった時に、救いの手を差し伸べてくれたのが姉だったのです」

「えっ! お姉さんが助けてくれたのですか?」

「助けてくれたと言っても、姉らしいやり方でしたね。どうやって調べたのか、突然、姉から電話がありました。私が子供を産んだことも、ちゃんと知っていました。

『私にも子供が出来た。とてもじゃないが、子供を育てる余裕がない。それに、どうやら私には母性というものがないみたい。あなたに育ててもらいたいの。

 一人、育てるのも二人育てるのも同じでしょう。他人に頼むより、ずっと良い。引き受けてもらえるなら、あなたたち親子の面倒は見る。絶対に不自由はさせない』とまあ、そんな風に言われました。こちらに断る余裕なんて、ありませんでしたからね。当然、引き受けました」

「おや、東城社長は、あなたのことを気にかけてくれていたみたいですね」

「どうでしょうね・・・」と言いながら、翔子は嬉しそうに笑った。

「ところが、ある日突然、苦労して育てた子供、正春を取り上げられた。一体、何があったのです? あなたは、それで東城社長を恨んでいた?」

「正春君を引き取って、随分、楽をさせてもらいましたよ。姉は約束したことは、きちんと守りますから、貧しい暮らしとは無縁な生活でした。三人で住むには広すぎる一軒屋を借りてもらって、毎月、使いきれないほどの生活費をもらいました。でもね、その代わり、姉の正春君に対する子育ての指示は、細かすぎるほど細かかったのです。やれ、三歳になったら英語を習わせろだとか、箸の持ち方が悪いだとか。正春君、ちょっと引っ込み思案なところがあって、姉はそれが気にいらなかったみたい。『もっと活発で積極的な性格に変えて頂戴!』なんて、無茶苦茶なことを言われました。

 正直、うんざりしていた頃に、姉から『里親が見つかったから、正春をそちらに預けたい』と連絡がありました。当然、腹を立てましたよ。『そんなに私が信用できないのか!』ってね」

「ほ、ほう~それで、どうしたのですか?」柊は嬉しそうだ。

「刑事さん。それで姉妹喧嘩になったと思ったでしょう。まだまだねえ~へへ。姉が言ったの。『これ以上、あなたと仲が悪くなりたくないから――』って。正春君の養育を私に任せていると、身内の気軽さから、ついつい言い方がきつくなってしまうって。

 確かに、もう耐えられないって思う時が何度もありました。正春君、これから、どんどん難しい年齢になって行くから、このまま私に預けていると、お互い、いがみ合うようになる。それが嫌だから、新しい里親を探したのだって姉が言ったの。

 その通りだと思ったね。姉はね、引き続き私たちの面倒を見てくれようとしたけど、私の方から断ったの。このまま、姉に縋って生きていたら、私、どんどんダメになると思ったから。丁度、両親が老いて、心配になっていたから、ここに戻ろうと決めたの。

 そしたらね、ド田舎で女不足なものだから、こんな私でも一緒になりたいって言う、物好きな男が現れたの。これ幸いと、子供ごと引き取ってもらったわ。

 ここの仲居の仕事もね。姉の名前を出したら、直ぐに採用されたの。姉のこと、とことん、利用しなくっちゃね」翔子は軽口を叩いていたが、突然、両目からぽろぽろと涙を流し始めた。

 自分が泣いていることを認めたくないのか、「あら、嫌だ。私、泣いているのかしら。そんなことない。嫌いで、嫌いで、どうしようもなかった姉が亡くなったんですもの。嬉しいに決まっている。せいせいしたはずなのよ。あら・・・でも、変ね、涙が止まらない。私、悲しくなんてないのよ。全然・・・・」と言って俯いた。

「人間、そんなに単純なものではありません。特に身内に対する感情は複雑です。愛憎、入り混じって、自分でも分からないことがあるものです」茂木は柊が慰めの言葉を口にしたことに驚いた。こんな柊、見たことない。

 翔子の涙は柊の胸に響いたのだろうか? 二人は似たもの同士だ。共感できるものがあったのかもしれない。

 暫し、俯いたままだった翔子は、ぐっと涙を堪え、顔を上げた時には笑顔に戻っていた。

「あら、刑事さん。優しいところがあるのね。気持ち悪い。私なんぞより、よほど、怪しいやつがここに来ているのよ。そいつを調べてみたらどう?」

 容疑者が次から次に湧いて出て来る。

「ほ、ほう~それは面白い。怪しいやつ?誰でしょうか?」

金井明かないあきらっていう男よ。あいつの姿を現したのを見た時、びっくりした。よくもまあ、図々しくやって来られたものだってね」

「金井明? どういう人物です?」

「姉が通っていた高校の教師なの。私は、姉が通った高校には受からなかったけどね」

「お姉さんが通った高校の教師? あなた、勉強には興味がないと言っていたのに、よその高校の教師のことまで、よく覚えていましたね?」余計なお世話だ。

 案の定、翔子は「余計なお世話よ」と言ってから、「あんなことがあったから、覚えていたのよ」と言い返した。

「あんなこと? 焦らさずに教えて下さい」

「そうそう、刑事さん。人生、時にそうやって下手に出ることが大事よ」

 茂木は(その通りだ)と思ったが、同時に(人のことは言えないだろう)とも思った。

 翔子が続ける。「当時、高校生だった姉を無理矢理、手篭めにした卑劣な男よ。今ならセクハラ教師として新聞沙汰になっているわね。まあ、当時でも、そこそこ問題になって、あの男、学校をクビになったはずよ」

「ほ、ほう~手篭めですか!? そりゃまた、言い方が古い。当時、高校生だった東城秋香さんを強姦したと言うことですね」

「デリカシーがないわね。刑事さん。繰り返さなくても良いでしょう」

「ほ、ほう~デリカシー!? 英語は得意だったのですか?」

 幼稚な言い争いが続く。似たもの同士、お互い、格好の話し相手を見つけて、喜んでいるように見えた。茂木はうんざりした。

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