容疑者七&八・関口忠明&真奈

 ひと目見るなり、(ああ、これは――)と茂木は思ってしまった。

 人を見た目で判断してはいけないが、部屋にやってきた関口夫婦は、夫婦揃って、いかにも小悪党と言った風貌をしていた。

 どちらも五十代だろう。忠明のほうは中肉中背、これと言った特徴のない顔だが、小さいのに白目勝ちの目、結んだへの字口が、どこか嫌味な性格を思わせた。

 真奈は小柄で肉付きの良い体形だ。離れた目に鷲鼻、こちらも口角の下がった富士山のような唇が、生意気そうな女に見せていた。

 静寂の海に沈んで行くような静けさだったが、関口夫婦の登場と共に、風が出て来たようだ。隣の正室からガタガタと窓枠が音を立てる音が聞こえてきた。

 波乱を予感させた。

 呪い谷は谷底にある。妙法山が屏風のようになっていて、日本海を渡って来る強い風を防いでくれている。この風も直ぐに止むだろう。

「我々に何かご用事でしょうか?」伺うように忠明が尋ねる。

「昨夜、東城社長が殺害されたことは、既にご存知ですよね?」柊が問うと、二人して「ええっ、東城社長が亡くなったなんて、本当ですか!」と大仰に驚いて見せた。芝居臭い。

「ああ、良いです。そういうの。旅館でこれだけ噂になっているのです。あなた方が知らないはずはない」こういうところ、柊は遠慮会釈ない。端で見ていて気持ち良いほどだ。

「そんな~そうですか~いや~全然、知りませんでした。東城社長が殺されたなんて、驚きました」忠明が弁解がましく言う隣で、真奈が激しく頷く。

「さて、昨晩、八時から十一時の間、どちらにいらっしゃいましたか?」

「昨日ですか? こちらで夕食を頂いてから、温泉を頂戴して寝ました。家内も一緒です」

「まあ、アリバイはない訳ですね。さて、あなた方、東城社長とどういったご関係ですか?」

「昔ね、ちょっと親しくさせて頂いておりました。東城さんは、私どもを何かと頼りにして下さって、色々、相談頂きましてね。」

「おや、そうですか。あなた方は東城社長と八田正剛との間に出来た隠し子の最初の里親だったとお聞きしましたよ。何でも、幼児虐待がバレて、社長の逆鱗に触れたとか。違いますか?」

「い、嫌だな~刑事さん。誰がそんなことを言ったのですか? 確かにね、社長のお子さんを一時期、お預かりしていたことがありますよ。私どもがちょっと目を話した隙に、坊ちゃんが怪我をしてしまいましてね。やんちゃな盛りでしたから。それで、社長との間がぎくしゃくした時期がありました。でも、今じゃあ、こうして温泉に招かれるくらいに、関係は修復しています」

 正春の話では、秋香は自分で正春を育てようとはしなかったが、里親には随分と気を使ったようだ。正春が怪我をして病院に運ばれたと報告を受けた後、秋香は、即刻、正春を関口夫婦から取り上げている。

 正春の背中と二の腕に青あざが見られた。幼児虐待が疑われたが、関口夫婦は否定した。二階で遊んでいて、階段から転落し、その時についたものだと主張した。

「ここからの話は、あの女と今の義理の父が話しているのを耳にした」と正春は言った。

 秋香は関口夫妻を訴えようとした。だが、夫婦は「隠し子のことが世間に知れると、困るのはあなたの方でしょう」と逆に秋香を脅し、金をせしめようとした。困った秋香は八田正剛に相談した。裏社会に通じていた八田は、伝を使って夫婦を黙らせ、その代わり、秋香も裁判沙汰にすることをあきらめた。

 それから十年以上、秋香と関口夫婦は没交渉だった。それが突然、今年になって秋香から連絡があり、上杉湯に招かれたという。その理由は、秋香にしか分からない。

「俺はね、今の石田夫妻を本当の両親だと思っている。子供のいなかった二人は、俺を本当の子供のように育ててくれた。優しいだけじゃない。二人は違うんだ。悪いことをすれば、叱り飛ばされる。そりゃあ、腹は立つが、二人が本当に俺のことを心配していることが分かるんだ」

 正春はしみじみと、二人に対する感謝を述べた後、「正直、事件のことは覚えていない。まだ、小学生だったからな。警察官やら、色んな人が来て、話を聞かれたことを覚えているくらいだ。関口夫妻については、怖い人というイメージしかない。何だろう? あの頃、あの二人が怖かった。子供心に、二人が悪い人間だと分かっていたんじゃないかと思う」と忌々しそうに言った。

 柊が関口夫婦に言う。「今となっては、真相は闇の中ですからね。まあ、何とでも言えるでしょう。何故、あなたたちを東城社長は里親に選んだのでしょうね。一体、東城社長とどんな関係だったのですか?」なかなか失礼な言い方だ。

 忠明はむっとした表情で、「こう見えてもね。昔は関口電気って言う電気屋を経営する社長だったのですよ。町の電気屋として、お得意さんが沢山いました。それが、近所に家電量販店が出来てから、商売が上手く行かなくなってね。

 そんな時、東城社長が現れました。店の敷地を譲ってくれるなら、借金を含めて、一切合財、全部、引き受けてくれると言われました。跡地に美容サロンを作りたいと言うことでね。わたしども、店の二階に住んでいましたが、新しい家も用意してくれるって言う。

 仕事がなくなるのが不安なら、子供の里親になってくれれば、毎月、十分な養育費を支払うとまで言って下さいました。わたしどもは子供がいませんでしたので、こいつとも相談の上でね。親の真似事をやってみるのも悪くないと思い、全て、東城社長にお任せしました」と言い返した。

 秘書の佐藤の両親同様、店を乗っ取りにあったが、十分な補償を受け取ったと言うことだ。

「あくせく働くのを止めて、東城社長の息子に縋って生きて行くことを選んだ訳ですね。でも、結局は切られた。さぞかし、東城社長を恨んだことでしょうね。関口さん、あなた、よくここに顔を出せましたね?」単刀直入を通り越して、失礼だ。

「東城さんを恨んだことなど、一度もありません。刑事さん。こちらに来たのは、今年が初めてです。わたしどもが正春君を預かっていた頃は、東城さん、まだこちらの別荘をお持ちではありませんでしたからね。何にもないところだとは聞いておりましたが、本当に何もないところですね。でも、まあ、温泉は最高です」

「ほ、ほう~初めてですか。では、先ほど、東城社長との関係を修復したとおっしゃられていましたが、どうやって関係を修復したのですか?」

「どうやっても、何も・・・今年のお正月に東城社長に年賀状を差し上げたのです。どうせ反応はないだろうと期待していませんでしたけど、思いもよらず、お返事を頂きました。お返事を頂いた上に、こうして、こちらに招待して頂き、本当にありがたく思っています」

「ほ、ほう~年賀状を出したら、温泉に呼ばれたと言うことですか? そりゃあ、また、景気の良い話ですね。ひょっとしたら、東城社長に金の無心をしたのではありませんか? ここには、東城社長から金を毟り取ろうとする、ハイエナのような連中が集まっていますからね」

「え? わ、わたしたちは別に・・・お金なんて・・・そりゃあ、金には困っていますけど・・・」忠明がしどろもどろになる。

 柊の発言は見事、核心を突いていたようだ。口は悪いが、優秀な刑事だ。

「この人が愚図愚図と決断できずにいたもんだから!」忠明の横で黙って頷いていた真奈が突然、口を開いた。

「決断できなかったとは、どういう意味です?」

「株ですよ。会社を畳んだ時と坊ちゃんを預かっていた時に、東城さんから頂いたお金で、太平洋家具という会社の株を買ったのです。昔はね、配当って言うんですか。それを毎年、頂いたりして、良かったんですよ~。

 この人も、『どうだ、銀行に預けておくより、良かっただろう。俺のお陰だ』なんて、偉そうなことを言っていたんです。それが、太平洋家具の先代社長が亡くなってから、息子さんと娘さんの間でお家騒動があったりして、株価がどんどん下がり始めまして・・・私ね、『早く売ったら』って、何度も言ったんです。でも、この人が『もうちょっと待て、株価が上がったら、直ぐに売る』、『今売ると大損だ。少しでも取り返してから売るんだ』なんて言っている内に、ずるずると株価が下がってしまいました。何時までも売らずに持っているものだから・・・」真奈が恨めしげに忠明を睨む。

 こういった経済関連の話に、柊は疎い。「太平洋家具と言うと、昨年末に倒産した、あの家具屋ですね」と横から茂木が救いの手を入れた。

「はい。この人の言うことを聞いていたものですから、株券は全部、紙切れになってしまいました。老後の蓄えにしようと思っていたお金でしたのに・・・」

「ほ、ほう~それは面白い。なるほど、なるほど。それで、東城社長に金の無心ができないかと、年賀状を出して、ここにやって来た訳ですね」柊だ。相変わらず遠慮がない。

 言われっぱなしだった忠明が反撃する。「わたしどもは東城社長に誘われたから、来ただけです。そりゃあね。お会いすることがあれば、愚痴を聞いていただいて、相談に乗ってもらえればとは思っていましたよ。どうやら、わたしどもをお疑いのようですが、東城社長を殺して、わたしどもに一体、何の得があるって言うんです?」

 確かに忠明の言う通りだ。だが、東城社長との間で、柊たちが知らないトラブルを抱えていた可能性は否定できない。

「まあ、おっしゃる通りかもしれませんがね、まだ我々に話していないことがあるのではありませんか?例えば、東城社長から過去の件を蒸し返されて、恨んでいたとか――」

「馬鹿らしい。今更、昔の話を蒸し返して、お互い、何になるって言うんです?わたしどもを疑うよりも、他に東城社長のことを恨んでいた人間がいます。そちらを疑ってはいかがですか?」

 また被害者を恨んでいた人間が現れた。

「ほ、ほう~それは面白い。その人物とは?」

「東城社長の実の妹さんですよ。わたしどもも、こちらに来て知りましたが、ここで仲居をしています。坊ちゃんの最初の里親です。坊ちゃんを預かる時に、そう聞きました。詳しいことは知りませんが、やはり坊ちゃんを巡って、東城社長との間で色々あったみたいです。それで、わたしどもに里親の話が回って来ました」

「東城社長の妹――!?」

「よく知りませんが、東城社長のご実家、なかなか複雑なようです。確か、腹違いの妹さんじゃなかったかな。近田さんと言う名前だったと思います。名前は翔子さん」よく知らないと言いながら、やけに詳しい。

 誠一のリストに近田翔子ちかだしょうこの名前があった。

「そうですか! それは是非、彼女から話を聞きたいものです。あなた方はもう、これで結構です。誰でも結構です。仲居さん会ったら、直ぐにここに来て欲しいと伝えてもらえませんか?」と伝言を頼むと、関口夫婦は「やれやれ」と実際に口で言いながら、いそいそと部屋を出て行った。

「どうだ? 今の夫婦」と柊が茂木に確かめる。

 今回は、茂木の意見を聴く気があるようだ。

「はい。今の話からでは、あの夫婦に東城社長を殺害する動機が見当たりません。まあ、彼らに限らず、みな、我々の知らない秘密を抱えているような気がしてしまいます。この閉鎖的な温泉街の雰囲気のせいでしょうか」

「くだらん! 周りの空気に流されていては、刑事は勤まらないぞ!」柊の𠮟責が飛んだ。

 その時、びゅうと風が吹いて、隣の主室からガタガタと物音がした。縁側の窓枠が揺れたのだろう。柊がびくりと隣の部屋の障子を見た。

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