第二幕 上杉湯

容疑者二・佐藤晴彦

 東城誠一の作成したリストのトップに秋香の秘書、佐藤晴彦の名前があった。

 佐藤は死亡推定時刻に秋香を尋ねている。遺体発見時、寝室に鍵がかかっていた。密室だった訳だが、トリックを用いて部屋を密室にすることが出来たなら、最も疑わしい人物と言えた。

 柊と茂木は上杉湯に向かった。

 屋敷の坂を下ると、薄く積もった雪が更に薄くなり、シャーベットのようになっていた。阿房宮の辺りまでは、山頂の雪が吹き飛ばされて来たていたが、村までは届かなかったようだ。

 雪の上に、警察車両が踏み荒らした轍が幾つも残っていた。秋香の死亡推定時刻は、まだ風花現象が起きる前だ。雪は積もっていなかった。

 突然、フロントガラスの前を黒い物体が横切った。ハンドルを握っていた柊が「うわっ!」と驚いてブレーキを踏んだ。

「カラスですね。黒でしたよ」と茂木が言うと、柊は「ふん」と鼻を鳴らして、車をスタートさせた。

 この辺りにはカラスが多いようだ。

 上杉謙信が湯治をしたとうたう上杉湯は創業、四百五十年を公称している。最も、旅館がそこまでは古い訳ではなく、旅館としては創業して六十年が経過している程度だ。上杉謙信が湯治をしたというのは、この辺りで伝わる伝説に過ぎない。

 上杉湯は本館と建て増しされた別館に分かれている。

 呪い谷で最大規模の旅館だが、本館、別館を合わせても部屋数は二十二室しかない。それも公称であって、仲居や料理人の負担を考えると、実質は十五、六室が営業の限界だった。

 仲居や料理人は全て村の人間だ。無闇に人を増やせない。急がしい時期に臨時に、アルバイトを雇い入れることがあったが、それも過疎化の村だ。限界があった。

 冬場の観光シーズンをやや外れていたが、上杉湯は満室の状態だった。そう、東城秋香の関係者が大挙して呪い谷に押し寄せて来ているからだ。

 上杉湯の好意で、事情聴取用に風情溢れる旅館の空き室を一室、借りることが出来た。満室なのだが空き部屋はある。二間続きの部屋で、踏込という靴を脱ぐ土間に当たる部分があり、前室と主室があった。主室には縁側があって、庭を見渡せた。だが、風情は邪魔だ。障子に囲まれた前室で、柊と茂木は宿泊客から事情聴取を行なった。

 真っ先に佐藤晴彦が呼ばれた。

「佐藤さん。社長が亡くなられて、さぞお困りでしょう。これから、色々、大変だと思いますが、事件当夜の様子について、詳しくお聞かせ下さい。今のところ、あなた以外、被害者を殺害できた人間がいないのです」柊が言う。遠慮がない。

「ま、待って下さい。刑事さん。僕じゃありません。僕は社長を殺してなんかいません。嫌だなあ、刑事さん。僕が屋敷に行った時には、寝室には鍵がかかっていて、中に入れなかったのですから」

 佐藤は事件当夜の状況を説明した。

 旅館の門前にある小木乃屋で飲んでいると、誠一がやって来た。秋香が「用事があるから来て欲しい」と言っていると言うので、誠一から車と玄関の鍵を借りて、阿房宮に向かった。寝室の場所は分かっている。玄関から一直線に寝室に向かった。

 寝室の前で、「社長、佐藤です」と声をかけたが反応がなかった。ドアをノックしてみたが同じだった。ドアノブを回してみると鍵がかかっていた。秋香は寝付きが悪い時、睡眠導入剤を服用することがある。きっと薬を飲んで寝たのだろうと思い、屋敷を後にした。

 小木乃屋に戻り、車と鍵を誠一に返して、後は二人で飲んだ。その時、誠一から秋香が「頭が痛い」と言っていたという話を聞いた。

「頭痛薬を飲んで寝ていたのだろう――とその時は、思いました」

 佐藤の話を聞いて、開口一番、柊は「あなた、飲酒運転をしたのですか⁉」と言った。

「えっ?」

「だって、居酒屋で飲んでいるところに東城誠一さんが来て、彼から車と鍵を借りて阿房宮に向かったのでしょう」

「ああ、いえ。そう言いましたが、酔ってなんかいませんでした」

「飲酒運転は困りますね~」

「すいません」

「本当に寝室に鍵がかかっていたのですか?」やっと本題だ。

「かかっていました! 翌朝、飯島さんが鍵を開けて中に入ったと聞きました。鍵がかかっていなかったのなら、一体、どうやって鍵をかけたと言うんです? 僕は寝室の鍵なんて、持っていませんよ」

「ふむ。それをあなたにお聞きしたかったんですけどね。お分かりにならない? まあ、いい。ところで、あなた、東城社長とはうまく行ってなかったのですか?」

「いいえ、とんでもない。うまく行っていましたよ」

「へえ、そうですか。では、何故、東城誠一さんに作ってもらった“東城社長を恨んでいる人間のリスト”のトップに、あなたの名前があるのでしょうね?」

「えっ! 誠一さんが社長のことを恨んでいる人間として、僕の名前を真っ先に挙げたというのですか!? ま、全く、余計なことを・・・それは、多分、私の実家のことを言っているのでしょう。ですがね、刑事さん。そのことで、私は社長を恨んでなんかいませんでした」

「実家のこと? 詳しくお聞かせ願えますか」

 佐藤はひとつ大きくため息をつくと話し始めた。「私の実家は都内の下町で小さな工場を経営していました。ネジやナットなんかを作る小さな工場です。親父とお袋が、それこそ朝から晩まで真っ黒になって働いて、二人いた従業員を食わせて行くのがやっとの状況でした。正直、私にあの町工場を継げ――なんて言われたら、どうしようと思っていたのです。私は親父みたいになりたくなかった。

 私が大学生の時ですかね。そろそろ、町工場の跡取りが現実味を帯びて来た頃です。不景気でね。親父の会社、資金繰りが行き詰まったのです。銀行を当たってみたのですが、貸してくれるところがなくて、親父は頭を抱えていました。その時、現れたのが社長です」

「東城社長が? 確か、美容関係の会社を経営していたのではないですか? ネジを作っている町工場とどういう関係があるのですか?」

「そこが社長の凄いところなのです。社長はね、親父に融資を持ちかけたのです。銀行の借金を全部、肩代わりして、更にお金を貸してくれると言う。夢のような話に、親父は喜びました。それで、会社は持ち直したのですが、その後がいけません。安い外国製品に押されて、直ぐにまた首が回らなくなりました。

 返済が滞ると、直ぐに工場と家屋敷を差し押さえられ、あっという間に工場は更地になってしまいました。そして、その後には、洒落た美容院が建ちました。本当に、あれよあれよと言う間でした」

「社長に騙された訳ですね。それで、あなたは社長を恨んでいた」

「いやいや、刑事さん。そう先回りされては困ります。別に社長は何も法に触れることなんてしていませんよ。借りた金を返せなかった親父が悪いのです。そのことは親父もちゃんと分かっていました。

 身ぐるみ剥がされて放り出されても、文句は言えなかったのです。ですが、社長のお慈悲で、うちの親は東城グループの社宅に住まわせてもらっています。私なんぞも、ろくな大学を出ていないのに、東城グループで採用して頂き、こうして働かせてもらっています。

 正直、町工場の社長をやるより、楽して稼がせてもらっています。私が社長を恨んでいたなんて、とんでもない言いがかりです。恩こそあれ、恨みなんて抱くはずがないじゃありませんか! 息子の件でも社長には、大変お世話になりました。ご恩は一生、忘れません」

「息子さんの件?」

「はい。恥を晒すようですが、うちの息子、もう大学生なのですが、私の育て方が悪かったのでしょうね。わがままに育ってしまいました。遊ぶ金が欲しくて、ファミレスでバイトを始めたのは良いのですが、最近はね、動画をインターネットにアップして、閲覧数を稼ぐようなことが流行っているでしょう?」

「ああ、そのようですね」と柊は頷いたが、詳しくない。

「あいつ、調子に乗ってね、夜中に、誰もいない調理場で裸踊りをして、それを友人に撮影してもらって、インターネットにアップしたみたいなのです。調理場の調理器具を使って、いかにうまく、その、あの、大事な箇所を隠すかと言うような裸踊りで・・・」

 バイト・テロと呼ばれる卑劣な行為だ。こうしたバイトを雇ってしまったレストランは「あんな不衛生なレストランには行きたくない」と深刻な風評被害にあってしまう。

「ははあ、その手の話はよく聞きますね。立派な犯罪行為です」

「はい。全て息子が悪いのです。ですが、まあ、若気の至りで、楽しければ良いみたいに、深く考えなかったようです。ネットに乗せてから批判が嵐のように押し寄せて来て、初めて自分がやったことの重大さに気がついたようです」

「若者は愚かなものです。かと言って、皆が皆、愚かな訳ではありません」

 柊の言葉に佐藤は「すいません」と謝るしかなかった。

「レストラン側が損害賠償を請求すると言うことになって、私もね、(これで、終わった)と思ったのです。いくらになるか、数千万円になったら、払いきれるか、会社をクビになったら、どうやって返済すれば良いのだろうかとか、色々、考えました。息子も自分のしでかした事の重大さに青くなっていました。そんな時、社長が助け舟を出してくれたのです」

「ほ、ほう~あなたに代わって、賠償金を払ってくれたのですか?」

「まさか。そんなこと、社長に頼めませんよ。社長がね、レストランの経営者と旧知の仲でして、話をつけてくれたのです。東城グループと提携して、コラボ商品を出すことを提案したのです。うちが考案したダイエット・メニューをレストランで提供してもらって、うちの美容クラブの会員にレストランを紹介すると言うアイデアです。流石は社長です。

 衛生面でも東城グループが全面サポートをすると大々的に宣伝することで、不衛生なイメージを払拭しました。

 東城グループがバックアップするのですから、ダイエット食は売れましたね。会員以外のお客さんにも好評でした。今ではレストランの定番メニューになっています。

 結局、レストランの方でも損害賠償の件はうやむやにしてくれました。社長のお陰です。社長が言っていました。『死中に活を求めたのよ。禍を転じて福と為すってやつね』ってね。『死中に活』も『禍を転じて福と為す』も、どちらも中国の諺らしいですよ。社長がそう言っていました」秋香は漢籍が好きだったようだ。

「ほ、ほう~そんなことがあったのですね。面白い」

「そうですよ。私がいかに社長に恩を感じていたか、これで分かったでしょう? 大体、誠一さんには、困ったものだ。あの人こそ、飼い殺しにされていて、社長を恨んでいたんじゃありませんか? あの人こそ、社長を恨んでいた人間、ナンバーワンです」

「飼い殺し? どういうことです」

「役者だなんて言っていますが、実質、開店休業状態でした。社長はね、東城グループの総帥ですから、テレビ局にも顔が効く。いくつかの番組のスポンサーをやっていますからね。だから、社長が口を利いてくれさえすれば、大根役者にだって、仕事が舞い込んで来ますよ」

「ほ、ほう~それは面白い。東城さんは大根役者で干されていたが、社長は何もしてくれなかった。そのことで恨んでいたということですね?」

「はあ、まあ、端的に言うと、そういうことです。でもね、刑事さん。誠一さんも怪しいが、他にもっと怪しい人物がいますよ。社長を殺したのは、あいつに間違いありません」

「あなたより怪しい人物がいるのですか? 誰です?」

 柊の言葉に、佐藤は顔をしかめながら言った。「古市卓巳ふるいちたくみという男です。やつもこの旅館に宿泊しています。あいつは、社長が奥さんを殺したと信じているのです」

「東城社長が人を殺した!?」

 古市卓巳の名前は東城誠一が作成した容疑者リストの二番目に乗っていた。

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