容疑者一・東城誠一

 通報を受け、群馬県警から柊正義ひいらぎまさよしが駆けつけて来た。柊は捜査一課きっての敏腕刑事だ。年は四十代後半、額が抜けるように広い。頭の良さを象徴しているかのようだ。鼻筋がすっと通り、横長の大きな目の目尻が垂れ下がっている。日本人離れした顔立ちだ。顔に比べて、胴が長く、脚が短いことが日本人であることを強調していた。

 柊は相棒の茂木輝基もぎてるもとを引き連れて、阿房宮に乗り込んで来た。茂木は三十代、柊と組んで六年になる。頭脳派の柊に対して、学生時代、柔道で鳴らした茂木は角張った顔に角張った体の肉体派だ。性格は穏やかで、柊の毒舌に一向に動じる気配がない。その点が、長くパートナーを組まされる原因になっている。少々、図太くないと、柊の相手は神経をすり減らしてしまう。茂木が相棒を勤めるまで、柊の相棒はいずれも短命だった。

 早朝に舞った雪が阿房宮の周りを白く染めていた。陰鬱な空を背景に、阿房宮はまるで古城のように干からびて見えた。

 阿房宮に乗り込んだ二人を、飯島が迎えた。

「刑事さん。赤い雪が降ったりするもんだから、お嬢様が殺されてしまいました。庭にお山の使いの白いカラスが来ていたし、不吉なことばかりですわ」と飯島は震えていた。

「赤い雪?」

 今朝、村に赤い雪が降りました――と飯島が説明する。風花という自然現象なのだが、赤い雪が降ると、不吉なことが起きるという言い伝えが村にはあった。

「ははん。単なる自然現象ですな。迷信でしょう」柊は興味が無さそうだった。

 茂木が「白いカラスのお使いというのは何ですか?」と柊に代わって尋ねた。

「お屋敷に白いカラスがやって来ますの。雪のように真っ白なカラスです。見たことがないでしょう? きっとお山のお使いだって、お嬢様がおっしゃってましたの」

「白いカラス? へえ、珍しいですね。見たことありません」と茂木が答えると、柊は「アルビノだ。珍しいが、いない訳じゃない」と言下に否定し、「現場を見せて下さい」と事務的な口調で言った。

 二階への階段を上がろうとした時、ピキっと奇妙な音がした。屋敷の何処か、天井か壁から電気が走ったかのような音が聞こえてきた。飯島の言葉を否定したはずの柊が「うわっ!」と悲鳴を上げた。

 実は一番、気にしていたのは柊かもしれない。

「ラップ現象でしょう。建築に使っている木材が乾燥して割れる時に音を立てたりします。ここは洋館ですので、配管かな?」

「床板は木材を使用しています。柱もそうでしす。何でしょうね。時々、ああやって、屋敷の何処からか変な音が聞こえてくるんですの」飯島がさらりという。

 柊は無言で階段を上がって行った。

 先ずは遺体発見現場となった寝室の確認から始めた。

 遺体は既に司法解剖の為に運び出されている。先ずはベッドの様子を確認した。サイド・テーブルには、水差しとコップ、それにトレイに載せられた厚切りのトースト、ベーコンとスクランブル・エッグ、オレンジジュースにホット・コーヒーが置かれていた。

 加湿器付きの電灯があったが、本や携帯電話などは置かれていない。

 しかし、広い。寝室だけで、普通の住宅のリビング以上の広さがある。二十畳はあるだろう。巨大なベッドがどんと居座っているが、部屋が広いので大きさが目立たない。日頃、使っていない屋敷とあって、家具が少なく、閑散としたイメージだ。

 寝室に入って左手に事務デスクのような鏡台があり、右手にはクローゼットがある。奥はホテルのように洗面所・浴室・トイレがひとつになっている。

 右手の壁は一面、窓になっている。日当たりが良い。

 窓は開閉式になっていて、クレセント錠という半円形の金具を回して施錠するタイプの鍵だ。機密性と防音性に優れているが、窓を割られると簡単に開けられてしまう。

 鍵はきっちり掛けられていたし、窓は割られていなかった。

 窓から外を見る。一面の雪景色だが、山に積もった雪が風に煽られて舞い降りただけなので、薄く積もっただけだった。銀世界と言うより、灰色にくすんだ景色が広がっていた。恐らく今日は陽が差さないだろうから、雪は解けずに残るだろう。

 天井の高い洋館とあって、二階だが、飛び降りるには高すぎる。窓に鍵さえ掛かっていなければ、装飾の多い洋館の外壁なので、よじ登ることができそうだ。

 寝室の観察が終わると、応接間を借りて、遺体の第一発見者の飯島から話を聞いた。前夜、彼女が屋敷を後にする時、秋香はまだ生きていた。

「昨夜は七時半に寝室にお水を持って上がり、それから帰り支度をしてお屋敷を出ました。八時前だったと思います」

 柊が尋ねる。「水を持って上がった? 頭痛薬を飲むためですか?」

「いいえ、奥様がお休みになる時は何時も、枕元にお水をおいておきますの。就寝前にお水を飲むと、寝つきがよくなるそうです。まあ、お忙しい方でしたから、頭を使うことが多いのでしょうね。眠れないと、よくおっしゃっていました。それに、頭が痛いとおっしゃることが多かったですね。

 あの夜は私がお暇を頂いてから、旦那様に頭が痛いと告げられて、薬を飲んで寝たそうです。きっと旦那様は嬉々として飲みに行ったのでしょうね。でも、帰ってみると、寝室には鍵がかかっていて、閉め出されてしまったようです。

 お加減の悪い奥様を放って飲みに行った罰です。まあ、お部屋はたくさんございます。空いている部屋でお休みになられたようです」遠まわしに誠一のことを批判していた。

 誠一のことを、好ましく思っていないのだろう。

「ほ、ほう~そうですか。私も頭を使うことが多い仕事ですが、頭が痛くなったことは、ほとんどありませんがね」柊の言葉に、「奥様は繊細な方でしたから」と飯塚は軽く反論した。

「翌朝、東城社長の遺体を発見したのは、あなたですね?」

「ええ、もうびっくりしました。旦那様に奥様が起きてこないと言われて、合鍵を持って二階に上がりました。ええ、お部屋には鍵がちゃんとかかっていました。

 お部屋に入ると、ベッドの上に奥様が横になっていらっしゃるのが見えました。寝相の良い方ですのに、布団が乱れていて、変だなと思ったのです。近づいてみると、手足が変な具合に広がっていて、(お加減が悪いのでは――?)と思いました。その時、きらりと奥様の目が光ったような気がしました。(目が開いている? 何か変だ!)と頭の中で声がしました。ベッドに駆け寄って、『奥様!』と声をおかけしましたが、瞬きひとつしません。(もしかして、死んでいるのでは――!?)と、その時、思いました。私が悲鳴を上げたのを聞きつけたのでしょう。直ぐに旦那様がかけつけて来て下さいました」

 飯塚は寝室で冷たくなった秋香を発見した。寝室には鍵がかかっていた。合鍵を使って入ったので間違いない。窓も全て施錠されていた。

 部屋は完全に密室状態だった。

 玄関の鍵は秋香、誠一、それに飯島がひとつずつ所有している。だが、部屋の鍵は全て応接間にあるキーボックスに仕舞ってあった。室内から鍵をかけることはあっても、外から鍵を掛ける必要がなかったからだ。キーボックスの鍵は飯島しか持っておらず、飯島以外、外から寝室の鍵を開け閉めすることが出来る者はいなかったことになる。

 寝室の鍵は、室内から秋香自身が施錠したに違いない。

 部屋の様子を見て、茂木は違和感を覚えた。だが、それが何なのか、分からなかった。(何かが変だ!)と刑事としての直感が物語っていた。

「合鍵を仕舞ってあるキーボックスを見せてもらえますか?」

 柊と茂木は応接間にあるキーボックスを見せてもらった。異常はなさそうだった。飯島は寝室の鍵を持ち出した後に、ちゃんと鍵をかけていた。

 三人は席に戻り、柊の尋問が続く。「東城社長が死んでいたことが、よく分かりましたね?」

「えっ!?」と飯島が驚いた顔をした。

「いえね。家で人が倒れていると、普通は救急車を呼ぶものです。ところが、あなたは百十番に電話をしている。まるで、東城社長が殺されたことを、知っていたみたいだ」

 多少、変わったところがあるが、柊は優秀な刑事だ。

「あら、そうでしたか?警察に電話を・・・どうしてかしら?百十番と百十九番を間違えたのかしら・・・旦那様に、『早く電話を?』と急かされて、焦って間違えたのです。きっと。でも、百十番に電話しても、ちゃんと救急に繋がるのではなかったでしたっけ?」

「ええ、まあ。警察と消防は連携していますので、怪我人がいれば、ちゃんと救急車を呼んでくれます。まあ、それでなくても、百十九番と間違えて、百十番を回す人がいますがね」

「すいません」

「別に謝って頂かなくて結構です。それで、あなたが東城社長の遺体を発見して、東城誠一氏を呼んだのですか?」

「いえ、私の悲鳴を聞いて、旦那様が駆けつけてくれました。いきなり、後ろから声をかけられて、びっくりしました。直ぐに、奥様の異常な様子に気がつかれたようで、旦那様は『秋香!』と叫んで、私を押しのけて奥様に駆け寄られました。

 そして、奥様を抱き起こしながら、『早く電話を――!』とおっしゃった――と思います。すいません。私、気が動転していたのか、あまり、はっきりと覚えていないのです」

「年齢と共に記憶力は衰えるものです。それから、どうしました?」一言多い。

「私、慌てて階段を駆け下りました。途中、階段から転げ落ちそうになりました。何とか踏みとどまりました。私まで救急車で運ばれるところでした。ああ、すいません。一階の電話から電話をかけました。電話をかけた先が警察だったのですね。ごめんなさい」

 最後に、柊は飯島のアリバイを確かめた。

 飯島は屋敷を後にした後、自宅に戻った。秋香の死亡推定時刻には、家族の証言だがアリバイがあった。しかも帰り道、村にただ一軒あるスーパーに駆け込んで買い物をしている。閉店間際だったので、店員が覚えていた。

 飯島の次に、被害者の夫、東城誠一から事情を聞いた。現時点で、最も有力な容疑者だ。

 また、屋敷の何処かでパキっという音がした。ソファーに座っていた柊がびくりと体を震わせた。それを見て、茂木は笑いを堪えるのに必死だった。

 阿房宮の応接間に、誠一と柊、茂木が向かい合って座る。

「こんな田舎とは言え、立派なお屋敷ですね」柊が口を切る。田舎は余計だ。

「はあ、ここは家内の故郷ですから。錦を飾るつもりで、こんな馬鹿でかい屋敷を建てたのだと思います。見栄っ張りな面がありましたから。それこそ村の人たちが驚くような、でっかい屋敷を建てたかったのでしょう」

「阿房宮と呼ばれているそうでね。変な名前ですね」

「ああ、それも家内がつけました。何でも秦の始皇帝が建てた宮殿の名前から取ったとか」

 中国で史上初めて天下を統一した秦の始皇帝が建てた宮殿を阿房宮という。巨大な宮殿で、在世中に完成せず、始皇帝没後も工事が続いた。やがて都に攻め入った項羽により焼き払われている。宮殿を焼く炎は三ヶ月、燃え続けたという。

「なるほど。中国の宮殿に例えた訳ですか。気宇壮大と言うか、身の程知らずと言うか。奥さんは有名な実業家だそうですが、その様子だと、敵が多かったのではありませんか?」死者に対しても容赦がない。

 誠一は少々、むっとした様子で、「ええ、まあ」とだけ答えた。

「奥さんを恨んでいた人間が大勢いたと言うことですね?」

「いましたね。それこそ、リストになるくらい」

「ほ、ほう~それは面白い。では、後ほど、リストにして提出して下さい。こちらで虱潰しに当たってみます。リストを作る前に、先ずは、あなたから始めましょうか?」

「私ですか!?」誠一が大仰に驚いて見せる。少々、わざとらしい。

「そうですよ。被害者の最も近くにいたのがあなただ。奥さんが殺された場合、真っ先に疑うのは旦那なのです」

「そ、そんな。僕に家内を殺すことは出来ませんでした」

 誠一は事件当夜の状況を説明した。飯島が帰宅した後、頭が痛いと秋香が言い出した。薬を飲んで先に休むように言うと、佐藤を呼んできてくれと言う。そこで、居酒屋に佐藤を呼びに行った。佐藤が戻って来るまで、ずっと居酒屋にいた。佐藤が戻ってからは、二人で飲んでいた。死亡推定時刻にアリバイがあった。「家内が殺された時間、僕は家にいなかったのです」と誠一は言う。

「寝室は密室であった上に、あなたには犯行時のアリバイがあるという訳ですね」

「そうです。大体、僕が秋香を殺すはずがない。僕は彼女のことを愛していたのですから」

「あなたが奥さんを愛していたかどうかは、主観的な話ですから、我々には分かりません。それに愛していたからといって、殺さないとは限りません。ところで、あなたのご職業は?」身も蓋もない言い方だ。

「僕ですか。ご存知かどうか分かりませんが、俳優をやっています」

「ほう。役者さんですか。私、あまりテレビとか見ないもので、存じ上げません。おい、君は知っているか?」突然、柊に話を振られ、「すいません。僕も芸能界には詳しくないので、存じ上げません」と茂木は慌てて答えた。

 実は茂木はテレビを見るのが好きで、芸能界に詳しかった。だが、誠一の顔は見た記憶がなかった。売れない役者だと分かっていたので、(話題が自分に来なければ良いのに)と思っていたところ、まるで、柊に見透かされたかのように話を振られてしまった。

「結婚されて、どれくらいになるのです?」

「六年になります。仕事で一緒になったのが縁で、恋に落ちて、結婚しました」

「こちらには、何時から滞在されているのですか?」

「はあ、僕はちょっと前からここに来て、色々、彼女を迎える支度をしていました。まあ、彼女と違って、時間に余裕がありますからね」と誠一は自嘲気味に笑った。「準備が終わってから、一旦、都内に戻って、彼女を迎え、車に乗せて、昨日の昼過ぎに、こちらに到着しました」

「ほ、ほう~では、こちらに到着された晩に、東城社長は殺害された訳ですね」

「そうなりますね・・・」

「なるほど、分かりました。――では、リストをお願いします。東城社長を恨んでいた人間のリストです。リストの人物を一人、一人、当たって見ます。後ほど、またお尋ねしたいことが出て来るかもしれませんので、当面、ここから動かないで下さい」

 柊が言うと、「刑事さん、ついてますよ。一人、一人、訪ね歩く手間が省けると思います。だって、秋香を殺したいほど憎んでいるやつらは、今、ほとんど、この村に集まって来ているのですから。あいつら、上杉湯に泊まっています。それも秋香の金でね」と言って、誠一は「いひひ」と笑った。

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