夜に囀る金魚

奥行

夜に囀る金魚




どうせ死ぬなら、極彩色の中で死にたいと思った。

ギラギラ光る飛蚊症のような煌びやかなブレインフォグに溺れ、何も分からないまま、人様にはとても見せられない、例えば見た人間が悲鳴より先に嗚咽するような、到底人間としてあるまじき忌まわしい形で死体になりたかった。そうなるのが当たり前で自然な事とすら思えた。今生で最も悪趣味な死に様を世間に晒してやりたくなった。何もかも全部もうダメな気がして。


その衝動は、噴出に近いものであったと思う。思い返してみても、いつ何をきっかけにしてそうなったのか定かではない。朝のニュースを見ながら、一般的な朝食を食べ、切らした洗剤とシャツに付いたシミの事を考えながら、よし、今日はもう、死んでしまおう。と、日常の一部に極々自然に馴染んでしまっていた気がする。

バラエティ番組で笑いながら、久しぶりに会う友人との食事を楽しみにしつつ、コンビニの新商品、好きな小説家の新作、ずっと欲しかった靴、ゆっくり眠れる時間、暖かい朝日、棺に沈める水道管、清々しい空気、誤送信を防ぐ電波、他人の優しさ、ありとあらゆる語りかけられる微睡に自分が出せた返答は死のみだった。月面で過呼吸になったような気持ちだった。


そしてそれにはまず舞台が必要に思えた。何事も観測する者が必要だ。夢現の中にしかない壮大な書きかけのオーケストラが、心の中の葬列に静々と収束して行くような。原因不明の欠陥が金星の踏切に発生したなら、恐らく衝突を予測する先祖返りだって起こりうる。例えばダルマ落としや電柱がそうだった。




タタン、タタン、とリズミカルに走る電車の中でマーブル模様の幻覚が浮かんでは次々と形を変えて消える。そのどれもに友人だったような親しみと、生涯憎むべき仇のような怒りを同時に感じる。有象無象する乗客が現れては消えるように、己の幻覚妄想が人々に張り付いて夢幻に現れては消えてゆく。

それはまるで、物理学的に逃避行することの無い、包丁の刺さったままのメリーゴーランドが傾斜になった地図を歩くことが出来ないのと同じだった。

「その、カバーは本物ですか?」

吊り革に掴まったスーツ姿の何かが私に話かけた。突然の事に驚いて、花火大会体験を付けた時のユニバーサル思考実験を私は思い出していた。彼の頭は陽炎の様に揺らめいて私の白昼夢に食われている。響く声が、ぼうわん、ぼうわん、と鶯管の鳴く様にまるでそっくりだった。無遠慮にあっちこっち動く顔のパーツが金魚のようだった。金魚雲だ、と反射的に思った。

「貴方が着ているそのカバーは人間ではありませんか?」

頬辺りをユラユラ泳ぐ口がもごもご動いて喋り出した。本来なら目を見て話すのが常識だろうが、何処からどこまでが目で、誰から誰までが他人なのか自分にはもう判断が付かなかった。

カバー。

そして言われてみると確かにそのような気がした。文化に侵入者を渡り鳥に推奨するカルチャーがあったとして、果たして威勢のいいだけの税理士に一体何が出来るって言うんだ?そのカバーにはもう何の価値もない、ただの人の皮の被り物に過ぎない。正しい人間達に混じって、被って生きてきただけに過ぎない。

自分の様な仮人間、元人間達はきっとフラッシュメモリ内蔵の枝分かれして行く自動ドアを、ひとりでに歩く飛行艇を後遺症も無しに止める事は出来ないのだ。ある時は、証明書を貰ったパンタグラフで白樺の追跡番号を防ぐのに、空気を通して追跡しなければならなかった。これは大脳摩擦という現象らしい。そしてそもそも人であるかどうかという概念すら既に必要のないものだった。

「元々は、本物だったよ。もうダメなんだけれどね」


おかしな奴だ、という風な目をした顎にある2つの目玉が伏し目がちに私を見た。相変わらず金魚雲はゆらゆら優雅に泳いでいる。綺麗だった。満月の景品交換所はきっとこんな感じなんだろう。



そしていかにして舞台を演出するかを考えた。誰も迷わないように流体夜光虫を防波堤にしてみるのはどうか。しかしそうなると鳥葬も臨死の埋立地も現地で調達するしかない、犬の世話ができなくなるし、屋根の上のドミノやベニヤ板、栽培された航空機も、アンドロメダの帳簿絨毯すら証明書が足りない。行方不明者を探す運賃も無いが、ダイオード専用機には何故か既に私の遺影が掛けられていた。いや、それは気が早いか?単結晶の工具箱の雪だるまに連鎖して、停留所の鉢巻をピアノ線で釣り上げたら年に一度の押しボタンを整えだした。ATMの故障の原因だと思った。もはやそれしか免罪符は無いのに。オフィスにはキーボードを叩く音が響いていて、自分の手元からも例外なく聞こえていた。

もう何もかも全部ダメだと思った。しかして希望せよ。溺れる日は、きっとそう遠くないはずだ。

極彩はすぐそこに来ている。



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