プロローグ② ルームシェア、始めます。


 手元で伸びたのかバウンドしたのか、はたまた消えたのち再び現れたのか。


 なんにせよ捕球出来ず後逸したボールは加速度を上げて後方の金網に衝突すると、ガシャンと大きな金属音を鳴らした。


 背後でころころと転がるボールを横目に俺は首をかしげる。


 いま美亜田こいつ、「一緒に暮らさない?」って。そう言ったのか?

 ……え。言った、よな?


 いや言った。絶対言った。……と思う。あれ、どうだったかな。


 相も変わらず俺を真剣な目で見つめるのは高校の同窓生美亜田天響だ。


 彼女から視線を一旦外した俺は両腕を大きく使って『T(タイム)』の文字を形作ると、ブルペンに向け歩を進めてゆく。


 ひとまず。なんにせよ。差し当たって。


 まずは状況整理、作戦会議だ。

 (※ここまで全て軟柔しなやくんの脳内イメージです。)


 まず美亜田みあだは今一人暮らしをしている。

 そして主に金銭的な理由により『生活』が苦しいらしい。

 

 一方で俺が今日死にゲーに詰みゲーして外出したのはほんの偶然。

 ということは、ここで彼女に会ったのももちろん偶然そうだ。


 なのに彼女はルームシェア共同生活を提案してきた。

 しかも男である俺に。


 友達の多い彼女のこと。

 つまり現時点に於いて俺以外の全員に断られている。そう考えて間違いないだろう。


 たしかに美亜田みあだと俺は高校時代、練習の補助主にボール拾いや試合のスコアブックなど、多くの苦楽を共にした仲だ。

 付け加えると俺が高校時代に誰よりも触れ合った時間が長いのは彼女だ。そう言っても過言じゃない。


 それでもだ。

 さすがに異性に声を掛けるなんて、どれだけ追い込まれてるんだって話で。


 と、そこで引っかかるのは誘い文句として彼女の発した一言。 

 「リベンジしてみない?」だっけ。


 つまりそれって裏を返せば「リベンジ出来る可能性があるよ」ってことにならないかな? 

 それともお祭りのクジ引きで絶対に当たることのない最新ゲーム機本体が景品として展示されている。みたいなことだったりするんだろうか。


 まあそもそも告白自体が美亜田みあだの勘違いなんだけど。

 それはさておき。


 ……ん? さておいていいのかな。

 ま、いっか。


 少々長考しすぎたのか。

 美亜田みあだの顔に「あ、これ断られるやつだ」の相が浮かんでいる。


「ごめんね急に。もしかして軟柔しなやくん、彼女いるとか? だったら——」


「それは大丈夫。だけど……」


「だけど?」


「いや、やっぱいい」


 ちなみに今の発言。

 美亜田みあだにも彼氏はいないってことだよな。


 結局、岡田とはどうなったんだろう。

 頭の片隅で引っ掛かっていた不安材料が取り除かれたような取り除かれてないような。


 ま、なんにしても美亜田みあだ美人局つつもたせみたいなことをするわけもないしな。だってこいつビーチサンダルだし。

 

 一方でメリットはどうだろうか——。

 まず彼女の家がこの辺りなら駅チカは確定。

 となれば通勤時、自転車で駅まで10分の労力や駐輪場の費用は浮くことになる。


 加えて実は俺も少し憧れていたひとり暮らしな生活を、比較的低コストで手に入れることが出来るわけで。


 とりあえずこんなところか。あれ、意外と少ないな。メリット。


 とはいえ一旦ある程度頭の中は整理できた。

 俺は脳内でブルペンを後にすると、彼女へと向き直る。

 

「あのさ、美亜田みあださん。まず始めに、前向きに検討させてもらおうと思ってるんだけど」


「え、ほんとっ⁉」


 彼女の顔がぱぁっと明るみを帯びる。

 相変わらず喜怒哀楽をおくびにも隠そうとしない彼女に妙な郷愁の念を感じつつ、俺は続けた。


「でもその前に。確認しておきたいことがあるんだ」


「確認? いいけど。どんなこと?」


「えっとさ。何より気になるのは、どうして家に戻らないのかってことなんだけど」


 家庭環境は円満。彼女はそう言った。

 であればそんなにも生活が苦しいのだ、一旦家に戻るべき。そう考えるのが妥当というものじゃないだろうか。


「それはぁ……」


 言いにくいことなのだろうか。両手を組み指先をこねこねし始めると美亜田みあだはちろっと俺に視線を寄越よこしてくる。


「私、実は親の反対を押し切って家を出ちゃったんだよね。なのに半年もしないうちに出戻るのって、なんだか負けた感じがしない?」


 やっぱりな。どうせそんな理由だと思った。

 だったら家賃が高過ぎるのか、贅沢しすぎなのか。はたまたどっちもか。

 というかこいつ、学生時代よりちょっと太ったんじゃないか?

 150センチそこそこの小柄な部類に入る美亜田みあだ。元々『痩せ』にはほど遠い。とは言え、妙に肉付きがいいというか……。特に胸のあたりが。


 と、ふと鋭い視線を察知した俺は気付いたら膝を少し折り曲げ、まるでお辞儀をするかのように両手で大地お母さんに触れかけていた。

 はっと我に帰る。

 

「なるほど。でもだったらもう少し家賃の安い住居とこに引っ越せばいいんじゃないの?」

 

「やっぱりそう思うよね。でも、それも出来ないんだ……」


「なんで?」


「だって引っ越しするにも手元資金が必要だし、あと敷金を返さなくちゃいけないじゃない。それにまた引っ越し先に対して礼金もいるでしょ? そんなお金、今は無いもの」


「そういうことか。でも礼金のない物件だって多いって聞くし。あと、敷金って何も破損がなければ全額返ってくるって聞いたことがあるけどな」


 と、美亜田みあだがばつが悪そうに視線を外したことに気付く。


「破損、あるのか?」


 黙って頷く美亜田みあだ。そうか、あるのか……。


「そっち系の仕事をしてる友達に相談してみたんだけど、相場だと敷金プラス数万円は掛かっちゃうみたいで。もう少し小さな穴だったらちょっとは敷金が返ってきたかもねって言われちゃった」


 そうか、あるのか。大きな穴。


 ほんと相変わらずそそっかしいことやってるなぁ。

 ふとクス笑いがこみあげる。


「どうして笑うのよ。こっちは真剣なんだよ?」


「ごめん。美亜田みあださんがあんまりにも昔と変わらないもんだから」


「それはそうかもだけど。でもそういう軟柔しなやくんだって、そんなに変わってる風には見えないけどな」


 美亜田みあだは納得いかないとばかり、ツンと唇を尖らせる。


「で、どう? 納得してくれた?」


「まあ……そうだなぁ。あっ、あと最後の質問。部屋の間取りはどうなってるの? もしかしてワンルーム……ってことはないよね?」


 友達とはいえ男女なのだ。まさか同じ部屋で寝るなんてことはさすがにマズイだろう。


 でもこいつなら言いかねない。

 そんな面持ちで恐る恐る美亜田みあだを見遣る。


 するとバカにしないでよと言わんばかり、美亜田みあだは肩を竦めてみせた。


「ルームシェアしようって言ってるのにそんなことあるわけないでしょ?」


「だよね、ごめんっ。でも良かったよ。じゃあ1L(1部屋とリビング)ってとこ?」


「ううん。3Lだよ。あとDKもあるけど」


「えっ?! つまり3LDKってこと?!」


 自分でも驚くほど素っ頓狂な声を挙げていた。


「そうだよ? だからちょ~~っと高いんだよねぇ。家賃が」


 そう言うと、美亜田みあだは指を三本、顔の真横に突き立てる。

 いや、なに余裕でピースみたいな感じ出してるのさ。


 悪びれる様子もない。

 そんな様子の彼女にため息交じり「だろうね」とだけ返しておくことにした。


 なんでそんな間取りを選んだのか。

 どうせ聞いたところでくだらない理由なんだろう。


 なるほど。全て繋がった気がしたよ。



△▼



 美亜田みあだのマンションは今いる場所から徒歩3分だという。


 グラウンドを後にした俺たちは、少しだけ遠回りをし海岸沿いの歩道をふたり肩を並べ歩いていた。


 潮風が美亜田みあだの肩越しまで伸びたさらさらの髪や薄手のロングスカートを柔らかに揺らす。

 

 海辺へと静かに寄せる波。

 真っ青な空にモクモクとそびえる入道雲。

 そして相変わらずワシワシとつんざくようなクマゼミの合唱。


 どこを切り取っても夏だ。


「ここ。よく走ったよね」


 視線を海に置きながら。

 なびく髪をそっと耳に掛けると美亜田みあだは懐かし気に目を細めた。


 急速に蘇ってくるのは俺たちの青春を捧げた1コマだ。


「練習は頑張ったんだけどなぁ」


 結局、最後までベンチウォーマーだったけど。

 そんなことを考えていたら自虐的な空笑いがこぼれていた。


 すると何を思ったのか、美亜田みあだは俺より大きく一歩前に踏み出るとくるりと反転。

 片方の手を背中に廻し、もう一方の手の人差し指を顔の高さあたりで得意げにピンと突き立てた。


「それは結果にしか過ぎないのですよ軟柔しなやくん。安心しなさい、君の努力はしっかりと私たちの記憶に、そして誰よりも君自身がそれを知っているのですから」


「あの、それ誰の真似……?」


 と、そこでふと思い浮かんだのは初老の優し気な顔。


「あ、(顧問の)藤原ふじはら先生か!」


「当ったりー。さすが軟柔しなやくん。相変わらず私たちの思い出は色褪せないね」


 嬉しそうにニタリと笑った美亜田みあだ

 屈託のない笑顔も健在だな。


 社会人一年目。

 今後もドタバタの毎日が続く中、彼女と一緒に暮らしたらさぞ和ませてくれるんだろうな。


 ふとそんなことを思った。



 その後、ほどなくして美亜田みあだのマンションに到着し、 


「ここいいじゃんっ」


 緑豊かなエントランス。

 リビングから覗く広大な海。

 そして無駄に余った寂しげな部屋部屋へやべや


 全部にロマンが詰まっていて。


 そしてなにより駅まで徒歩2分圏内だなんて。

 もう最高じゃないかっ。


 と、ついついはしゃいでしまった俺に「でしょう? だから言ったじゃん」そう言って美亜田みあだがなぜか自慢げに鼻を鳴らす。


 言っとくけど、君は失敗した側の人だから。そういうのやめた方がいいと思うよ?



 まあ、現実面で詰めなきゃいけない問題は山積みなんだけど……。


 でも不思議と自分の中でもう心は決まっていて——。



 そう。つまりはこの瞬間をもって、


 美亜田天響みあだてぃなと俺の不思議な共同生活が始まりを告げたのだった。





<プロローグ了>




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