第13話 八尺様に振り回される話 (後編)

 日が沈み、辺りが月明かりに照らされ始めたころ、突如として異変が起きた。周囲に漂っている妖力がより濃くなり、無数の怨念の気配が私の肌に染みついてくる。もう時間がない…涼介は準備を終えたのだろうか…



 「…これでいいの?」



 涼介とその祖父である昭次郎は、屋敷の一室にて八尺様を寄せ付けないための準備を進めていた。部屋の中には大量のお札が張られており、涼介のすぐそばには小皿に塩が山のように盛られている。



 「いいか、わしは明日の朝七時にここに来る。それまで何があっても窓や戸を開けるなよ。…じゃあ後は、可能な限りずっと念仏を唱え続けろ」


 「…うん。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」



 一方そのころ、私とさとりは夜の闇の中に奇妙な影を見つけていた。その影はうっすらとしか見えないが、恐らく身長は二メートルを超えており、白いワンピースを着て麦わら帽子を被っている髪の長い女性のような姿をしたものが田んぼのあぜ道を歩いている。



 「覚、あれは…!」


 「はい、恐らく八尺様でしょう・・・何としてでも食い止めますよ。着いてきてください」



 私たちは八尺様と思わしき影の方へと走った。その影は依然動きを止めることはなかったが、私たちがその影から五十メートルほど離れて正面に立った時、突然それは動きを止めた。



 「…?止まった…?」


 「油断しないでください…何か仕掛けてくるかもしれません」



 それからしばらく経つと、その影は突然「ぽぽぽぽ」と奇妙な声を発しだした。それに私たちが身構えた瞬間、まさに電光石火の如き速さで私たちの目の前まで距離を詰めてきた。見上げるほど高い背丈、白いワンピース、麦わら帽子、長い髪…おまけに尋常ではないほどの強い妖力…間違いない、この女が八尺様だ。



 「…!」


 「ゲンヨウさん、危ない!」



 次の瞬間、八尺様はものすごい速さで殴りかかってきた。私は身をよじり、何とかそれをかわした。



 「…くそ、なんて速さ…それにこの体格…シンプルな攻撃だがまともにやり合えば脅威でしかない」


 「ええ、流石にこれは分が悪すぎますね…ですが攻撃方法は単純な物。こちらが妖術で圧倒すればいいのです。神影じんえい封じ!」



 覚は妖術を放つと、無数の影のようなものが伸びて八尺様を拘束した。八尺様は抵抗しようと必死に体を動かすが、拘束が解けることはない。そして私は八尺様に妖術を叩き込む。



 「飛閃風ひせんぷう!」



 無数の針のような風が八尺様に降りかかり、周囲は砂煙に包まれた。



 「…やったか…?」


 「ゲンヨウさん…そういうのフラグっていうんですよ?大体こういう時って…」



 次の瞬間、八尺様は雄叫びをあげながら高速を打ち払うと、悍ましい形相で私たちに殴りかかってきた。ただでさえ高かった妖力だが、今までの数倍にも妖力が高まっている。



 「ぐわっ!」



 私は数メートルほど吹き飛ばされてしまった。再び起き上がり八尺様に攻撃を仕掛けようとしたとき、八尺様は凄まじい速度であぜ道を走って行ってしまった。その方向は涼介たちのいる屋敷の方向だ。



 「まずい、涼介が…!」


 「一応お札で結界を張っているはずなので大丈夫とは思いますけど…今のあれはお札程度でどうにかなるかどうかわかりません…早く追いましょう!」


 「だな」



 私たちは八尺様を追って屋敷へと走った。そのころ屋敷では、涼介が部屋の中で延々と念仏を唱えていた。



 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…流石に疲れてきた…いつまで言い続けなきゃいけないんだ?一晩中とか言ってたっけ。出来るか?それ…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」



 その時、涼介は部屋の窓から強い衝撃を感じた。まるで衝撃波のようなものがぶつかってきたような感覚だ。



 (…!なんだ…?外に何が…?)



 涼介が外の様子をうかがおうとカーテンをめくろうとしたとき、知らない男の声がどこからか「やめろ、奴がいる…死ぬぞ」と忠告をしてきた。涼介は驚きつつもすぐに元居た場所に戻り再び念仏を唱え始めた。


 その後しばらく経ち、辺りに何も気配を感じなくなっていた頃、今度は部屋の戸を叩く音が聞こえてきた。



 「…!なんだ!?」


 「おーい、涼介。わしじゃよ。もう八尺様はおらん。出てきてもいいぞ」


 それはまさしく祖父の声だった。八尺様は祓われた、もう解放される…安心感からドアノブに手を伸ばしたその時、涼介は祖父に言われた言葉を思い出した。「明日の七時に来る。それまで何があっても窓や戸を開けるな」という言葉を。寸前で踏みとどまりまた元居た位置に戻ると、ドアの向こうから舌打ちのような音が聞こえてきた。危なかった。もし涼介が祖父の言葉を思い出さなければ今頃涼介は…考えただけでぞっとする。…そう、ここまでで分かったと思うが、八尺様はもう屋敷の周りにいるのだ。そしてそこには、ちょうど今到着した私たちもいた。



 「覚、見ろ、あれ!」


 「あれは…なんだかますます大きくなってません?それにあの妖力…ものの数分でここまで…」



 そこにはより一層巨大な姿になった八尺様が、屋敷にしがみつくようにしながら「ぽぽぽぽ」という奇妙な声を発していた。



 「まずい…結界が破られかけてる…いくぞ覚、手早く終わらせよう」


 「はい!じゃあ…一応試してみますか…神影封じ!」



 覚は先ほどと同じ妖術で八尺様を拘束しようと試みたが、今度は軽くあしらわれるかのように打ち消されてしまった。そして八尺様はぎょろりとした目でこちらを振り向くと、先ほど戦った時には見せなかった妖術を使って私たちに襲い掛かってきた。黒く禍々しい何かが津波のように押し寄せてくる。



 「なんだこれ!?」


 「わかりません!とにかくやばそうなものは全部避けてください!」



 私たちはタイミングを合わせて空中に飛び上がった。すると、地面に沼のように広がった黒い何かから無数の手のようなものが伸びてきて私たちを捕らえた。強く締め付けてきて逃れようにも逃れられない。



 「ぐあっ!」


 「くっ…ゲンヨウさん…この状況まずくないですか?」


 「ああ、すごくな…だからちょっと待て。何とかする…!」



 私はありったけの妖力を体に込め、さらに上空へと飛び出した。そして八尺様の頭上から妖術を叩き込む。



 「竜巻!」



 繰り出された妖術は八尺様の足元に巨大な竜巻を作り出し、八尺様をはるか彼方へと吹き飛ばした。



 「…はあ…はあ…一旦これでなんとかなったか?」


 「ええ、ありがとうございます。おかげであの黒いのも消えましたし…ですがまだ根本的な解決には至っていませんよ。いつまた戻ってくるかもわかりませんから。…夜明けまではここで屋敷を見張っておきましょう」



 私たちは眠気で重たくなってくるまぶたを必死に上げながら朝までその場にいることにした。そして何時間か経ち、日が昇り、時刻は七時を迎えた。この頃涼介はというと、眠気に耐えられず寝てしまっていた。私たちがいなければとっくに八尺様に連れ去られていたのだろうか。



 「…ん?…はっ!?今何時!?」



 目を覚ました涼介が時計を確認すると、部屋の掛け時計の時刻は七時ちょうどを挿していた。



 「七時…俺…助かった、のか?」



 その時、部屋の戸を軽くノックする音が聞こえてきた。そして向こう側からは疲れ切った声が細々と涼介に話しかけてきた。



 「…涼介、生きてるか?」


 「…!おじいちゃん!?本当におじいちゃんなの!?」


 「ああ、わしだ。…その反応、どうやら昨晩奴にたぶらかされそうになったようだな」



 涼介は急いで戸を開いた。するとそこにいたのは紛れもなく、祖父の昭次郎であった。



 「おじいちゃん!俺、もうだめかと…あ、そうだ、俺昨日の夜うっかり窓を開けそうになっちゃって…でもその時、知らない男の人の声が聞こえてきて、開けるなって言ってくれたんだ」



 それを聞いた昭次郎は目を見開いて言った。



 「何だと!?…ああ、涼介、それはきっとわしの弟だ。お前に同じ思いをさせまいと助けてくれたのやもしれん」


 「…じゃあ、俺、親戚の人に助けてもらったの?ってことは俺、もう大丈夫なの?」


 「ああ、ひとまずな。寺の住職が言うには、昼間は八尺様の活動が鈍るらしい。あとは急いでこの村を離れるのみだ。お前の両親ももう帰ってきている。そして…寂しいが、もう二度とここには来るな」


 「!…そんな…これでこの場所とはお別れだなんて…」



 涼介は寂しげな表情を浮かべ昭次郎の方を見る。



 「ははは…そんな顔をするな。まだわしとは別れるわけじゃない。ここの様子が知りたければいつでもわしが教えてやる。今は昔と違って便利なものがあるじゃないか」



 そう言って昭次郎はスマホを取り出す。この間覚に教えてもらった「ラクラクホン」というものだ。私のようなタイプの存在にも良心的なスマホだと思う。



 「…そうだね、分かった。でも俺、絶対ここのこと忘れないから!」


 「…ああ、来年の夏はわしがそっちへ行こう」



 二人は互いに約束をかわし、涼介は涼介の両親と共に車で村を出ることにした。



 「…すまない父さん。涼介がこんなことになっているのに帰ってこられなくて…」



 涼介が乗る大きな車には涼介の父である俊太郎とその妻のさとみが乗っている。



 「ああ、いいんだ。結果的に今こうして何とかなっている。お前とさとみさんもこっちの友達との付き合いがあったのだろうし…それじゃあ、任せたぞ。涼介を村の外まで送り届けてこい。そこまで行けばあいつはもう追って来ないはずだ」


 「わかった。…じゃあ、また」



 こうして、涼介たち一家は屋敷を後にした。そしてそこにやつれた表情の私たちも合流した。



 「…終わった…か?」


 「ああ、おかげさまで。報酬はわしの方から渡しておきましょう」



 私と昭次郎は一件落着ムードであったが、覚だけは違った。どこかまだ緊張が抜けていない表情をしているのだ。



 「ゲンヨウさん、昭次郎さん、まだです…」


 「?なんでだ?確かに八尺様はまだどうにかなったわけじゃないが…村の外なら安全なんだろ?それに、俺たちの仕事は妖魔の解放であって妖魔を祓うことじゃない。俺たちの役目はここまでじゃないか」


 「違うんです!」


 「違うって…何が?」


 「あの八尺様は普通じゃありません。恐らく、将門の怨念に支配されています」


 「は!?八尺様が!?あり得ないだろ、だってあいつは元から悪霊のはずだ…暴走の仕様がないだろ!?」


 「いえ、…私は相手の感情を読むことが出来る妖怪です。なので八尺様が本当に思っていることだってわかります。今は強い怨念によって本当の気持ちが隠されていますが、そこにあったのは確かに、純愛そのものでした。…私、悟ったんです。八尺様はいわゆるメンヘラなんだって。その人に対する愛が強すぎるあまり、相手を束縛したりして自分だけのものにしようとしてしまうってやつです。なのでその感情が将門の怨念によって完全なる悪感情に変わってしまうこともあり得るわけですよ」


 「そっ、それじゃあ、涼介はどうなるんですか?」



 昭次郎が不安そうな表情で覚を見る。



 「恐らく昼間だろうが関係なしに追ってくるはずです。…でも心配しないでください。ここからは、私たちの専門ですから!」



 私たちは身体強化の妖術を使い、涼介たちが乗る車を追った。…そして覚はこの時すでに八尺様に対抗するための秘策を用意してあるのだった。

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