第14話 昔日の赫き炎 (前編)

 私たちが涼介たちの乗る車を追い始めたころ、涼介たちの周囲ではすでに異変が起き始めていた。



 「よし、もうすぐ村を出るぞ。涼介、これで安心だ」


 「うん、これでやっと…あ、待って!何か…!」



 あともう少しで村を出ようかという時、体中に鳥肌が立つような異様な空気が車の周囲を包んだ。そしてその直後、突然車は動きを止め、何度エンジンを掛け直しても反応しなくなってしまった。



 「おい嘘だろ…エンジンまで…この気味の悪い空気にこの現象、いや、まさかな…」


 「ねぇ、あなた大丈夫なの…?」



 涼介の母であるさとみが心配そうな表情で夫の俊太郎を見ている。



 「大丈夫だ。落ち着いてくれ。今エンジンを確認するから…」



 俊太郎が車から出た瞬間、周囲は突然闇に包まれた。そしてその闇が晴れた時、そこには一面のひまわり畑が広がっていた。



 「どうなってんだ、これ…こんなひまわり、今までなかったよな…!?」


 「父さん、多分これ…!」



 次の瞬間、涼介たちの頭上を大きな影が覆いつくした。上を見てみると、すぐそばに今までの何十倍もあろうかという大きさの八尺様が怨念を迸らせた恐ろしい形相で見降ろしていた。



 「…うそ…」


 「涼介、すまない。守れなくて…」



 地面から髪の毛のようなものがはってきて涼介たちを飲み込んでしまいそうになっていた時、空中に突然大穴が開き、そこから私たちが飛び出した。覚の手には雲外鏡からもらった帰還用の鏡が握られている。



 「…間に合いましたか!?まだあきらめるには早いですよ!」


 「…!?覚さん!ゲンヨウさん!来てくれたんですか!」


 「雲外鏡の力があったからだ。覚は八尺様が怨念領域を展開してくるだろうと事前に読んでいた。だから雲外鏡の空間転移能力の応用で領域に穴を開けることも事前に用意できていたんだ。…それにしてもこの大きさ…八尺どころか八十尺はあるんじゃないか」


 「はい…なので普通にやっても勝てる確証はありません。ということで、雲外鏡さん、お願いします!」



 覚が鏡を八尺様に向けると、片手に収まるようなサイズの鏡から物理法則を無視して雲外鏡が飛び出してきた。



 「ははは…まさか復帰戦がこのような化け物とはな…だがこの手の妖魔は吾輩の専門分野だ。任せるといい」



 八尺様は雲外鏡の方を振り返ると、髪の毛を針のように伸ばし雲外鏡に襲い掛かった。



 「生きがいいのう…だがそれでは吾輩は仕留められんぞ…?」



 雲外鏡は八尺様の髪の毛を体で吸い込んだ。次の瞬間、吸い込まれたはずの髪の毛は八尺様の背後から出現し、首元辺りを貫いた。八尺様は血を吹き出しながらうめき声をあげる。



 「グワァ!」


 「まだまだこの程度じゃあ終わらんよ。貴様のその強い怨念…先ほどから吾輩を呪い殺そうと必死のようだが、その呪いはそっくりそのまま貴様に返っているぞ?」



 雲外鏡がにやりと笑みを浮かべると、突然八尺様はうめき声を上げ、全身から血を吹き出し倒れこんだ。



 「はははは…どうだ、吾輩の『怨念返し』は。相手のかけてくる呪いや怨念をすべて相手に移すというものだ。貴様にとっては天敵のようなものだろう」


 「…ぽぽぽ…ぽぽぽぽぽぽ!!」



 八尺様はゆっくりと起き上がると、邪悪な妖気を体中から放出しながら恐ろしい形相で雲外鏡を睨みつけた。表情は真顔なのにもかかわらず、激しい怨念のようなものを感じる。そして次の瞬間、周囲に咲き誇るひまわりは一斉に雲外鏡の方の向き、種のような弾丸で攻撃した。しかし遠距離攻撃は雲外鏡には通用せず、鏡を通してすべて八尺様のもとへと返された。雨のように種の弾丸を受けた八尺様は、ついに倒れ動かなくなった。そして怨念領域も閉じ、辺りはいつも通りの田園風景に戻った。



 「すごい…雲外鏡ってこんなに強かったのか…?」


 「いやいや、たまたま相性が良かっただけだ。吾輩に大した力はない」



 私が顎に手を置き感心していると、雲外鏡は謙遜するかのようにほほ笑んだ。だがこれだけの力は並の妖魔には無いものだと思う。



 「さてと…まぁそれはさておき、あいつの様子を見ないとな…」



 私は八尺様のもとへ近づいた。先ほどと比べると随分と小さくなってしまったがそれでもやはり高い背丈をしている。



 「えっと…八尺様、だよな…俺の声が聞こえるか…?」



 俺がそっと呼びかけると、八尺様は静かに顔を上げ、私の目をじっと見た。しばらく経って目をそらしたかと思うと、「麦わら帽子…」とぼそっと呟いた。


 「麦わら帽子?…ああ、ここにあるぞ。…ほら」



 私は地面に落ちていた麦わら帽子を軽くはたき、八尺様に手渡した。八尺様はそれを受け取ると大事そうに被り、不格好な笑みを浮かべた。



 「…これ、大事な物…なくすわけにはいかない…」


 「これ、大事な物なんだな…誰かにもらったとかか?」


 「うん…ずっと前、大切な人から…」


 「あの…ゲンヨウさん、八尺様の騒動は解決したわけですけど、これからどうしましょうか。一応依頼は完了しましたけど、この妖魔は少々厄介ものじゃないですか…このままにしておくのも危険だと思うんですよね…」



 覚が困った様子で私に話しかけてきた。



 「あー…確かにそうだな…どうしようか」



 私たちが悩んでいると、八尺様は突然ぬっと立ち上がり私の方をじっと見た。



 「…えっと…?どっ、どうしたのかな…?」


 「私…あなた、好き。なんか好き。着いていく」


 「…は?」


 「あらあら…もしかしてゲンヨウさん、八尺様に魅入られてしまいましたか?」



 焦る私を尻目にころころと覚は笑う。



 「いや、私はどうすればいいんだ!?八尺様に魅入られたらろくなことがないってお前も知ってるだろ!?」


 「大丈夫ですよー!強い妖力を持っているゲンヨウさんなら、多少荒い愛情表現でも耐えられますから」



 そう言って覚は大きな声で笑う。多少とはどれほどのものなのだろうか…私の命が心配になってくる…その後私たちは八尺様が私を追いかけまわしてくるので涼介たちとは割と雑な感じで別れをかわし、休む暇もなく雲外鏡で封天寺へと帰った。



 「えっと…おかえりなさい、二人…いや、三人…いや、四人とも…?」



 私たちが寺の玄関に入ると、困惑した表情の座敷童が床掃除中のメリーの背中にあぐらをかいて乗っていた。



 「ただいま、座敷童。えっと…話すと長くなるんだが…」



 私は今までのことをすべて座敷童に話した。すると座敷童は引きつった笑みを浮かべた後深くため息をつき、メリーの尻に鞭を打って床をきれいにしながら寺の奥へと戻っていった。



 「はぁ、またこの寺が騒がしくなるんだね。わらしも大変だよ…」


 「わらしちゃーん、メリーさんをこき使うのはいいけど魂を壊さないようにねー?」


 「わかってる。まだいける。多分」



 覚はメリーさんを心配しているのかそうでないのか分からないが、表情を一つも変えずに座敷童に注意した。座敷童は適当に返事をすると、再びメリーの尻に鞭を打った。私はそろそろメリーが廃人になってしまうのではないかと心配になりメリーの方を見たが、奇妙なことに彼女からは特にそれといった嫌悪の感情は感じなかった。むしろ喜んでいるようなまである。



 「あー…これ、メリーさん、わらしちゃんに調教されてますね…」



 覚が苦笑いを浮かべて天井を見る。



 「ん?調教?何の話だ…?まぁそれはさておき八尺様、ここが私たちの拠点だ。無駄に広いから空き部屋はいくらでもある。好きな場所を好きに使うといい」


 「うん、ありがとう…それじゃ、お邪魔します」



 八尺様が玄関の段差を踏み越えようとすると、高すぎる身長が邪魔をして、天井に頭がつかえてもう一方の足が上がらず、足を引っかけて倒れてしまった。そしてそこには運悪く私がいたのだ。



 「ゲンヨウ、危ない!」



 とっさに雲外鏡が間に入ったが、八尺様は私と雲外鏡をまとめて押し倒した。そして私はその衝撃で気を失ってしまった。


 …どれくらい経っただろうか。目を覚ますと、私はとある田舎のあぜ道に横たわっていた。この場所にはどこか見覚えがある。…そうだ、ここはかつて私が暮らしていた村だ。周囲の様子をうかがうに、どうやら私は何百年も前の世界に来てしまったらしい。こういうのはタイムスリップというのだったか…恐らくあの時雲外鏡と一緒に押し倒されてしまったからなのだろう。雲外鏡はここにいないようだが…



 「これからどうしようか…あ、そうだ、私の姿は…」



 体中を触ってみると、私の姿は現代のままのようだった。これは良くも悪くもある。人間と関わりやすいという利点もあるが、当時の私の生活を送ることが出来ないという欠点もあるのだ。当時の私は人を洗脳してその人の家に居候して暮らしていた。だがその能力が使えないとなると、衣食住が賄えなくなってしまう。途方に暮れて私は再びその場に寝そべった。いっそのこと誰かが拾ってくれないだろうか。そうすればまだ望みはあるのだが…



 「…あの、大丈夫ですか…?」



 しばらく経ってから、本当に誰かが私に声をかけてきた。鍬を背負った薄汚れた青年だ。どこかで見覚えがあるのだがよく思い出せない。



 「お前は…すまない、旅の者なのだが、道に迷ってしまったんだ。助けてくれないのだろうか」


 「旅人…妙な服装…それに荷物を一つも持ってない…どう見ても怪しいけど、まあ、いっか…わかりました、僕の家に案内しましょう」



 青年は疑いつつも親切に私を自分の家へと案内した。連れていかれた先は近くの集落だった。といっても田畑の周辺に数軒の小さな家が立ち並ぶものだが。


彼の家は何とも質素なもので、現代のものとは天と地ほど差があるものだった。木でできた屋根には所々補修した跡がある。



 「どうぞ、狭いところですが…」


 「ああ、失礼する…」



 …中に入ってみてようやく思い出した。ここは私が住み着いていた場所だ。そしてこの青年はかつて私と共に暮らしていた者だ。少し不思議な友人のような間柄で、毎日一緒に畑仕事をしていた。名前は確か…「早太郎さたろう」…だったか…



 「お前、名前は…?」


 「僕は早太郎です。農家やってます」


 「私はゲンヨウだ。…早太郎は、ここに一人で暮らしているのか?」


 「ええ…少し前まで同居人がいたんですけどね。いつの間にかいなくなってしまいました」


 「そうか…(やはりここは私の家のようだな…)」


 「…外が暗くなってきましね。ちょっと待っててくださいね、今お茶と夜ご飯を用意しますから」


 「ああ、ありがたく頂こう」



 しばらくして、早太郎はお茶と一緒に何種類かの野菜が入った煮物を用意してきた。砂糖や醤油がふんだんに使われている。こんなものはよほどのことがないと出してこなかった贅沢なものだ。一応歓迎してくれているらしい。私はそれらを一つ残らず平らげた。



 「ごちそうさま。なかなかうまかった」


 「そうですか。それならなによりです。寝るときは同居人の布団でよければそこに敷いてありますから、それを使ってください」


 「わかった。もう少ししたら寝るとしよう。今日はなんだか疲れた…」



 私は寝る前に少しだけ家の中を見渡してみた。すると至る所に私が確かに生活していた痕跡があった。すぐ隣にあるのは私が日ごろ使っていたカビだらけの粗末で薄い布団、土間の端っこにひっそりと置かれているのは私が使っていた安物のわらじ、壁にかかっている二本の釣り竿は早太郎と川辺で釣りをしていた時のものだ。どれも大切な思い出だが、当の昔に無くしてしまった。



 (…そろそろ寝ようか…ああ…なんだかすごく疲労がたまっている気がする…)



 私は静かに布団に入った。明日からどうしようか…このまま早太郎のもとで世話になるわけにもいかない。私は元の時代に戻らなくてはならないのだ。…いや、今は考えるのはよそう。私はそっと目を閉じ、早太郎が朝食の準備か何かで野菜を切っている音を子守唄代わりにしながら眠りについた。


 …深夜、私は人々の喧騒で目を覚ました。微かだが火が燃え盛るような音も聞こえてくる。私はすぐに布団から飛び出て辺りを見回すと、窓から外の様子を不安そうな顔でうかがう早太郎の姿が見えた。



 「早太郎!これは、なんだ!?」


 「…ゲンヨウさん、今すぐ逃げてください。つい最近、この辺りで大きな戦があって、僕たちが暮らす土地を治める領主様が討ち死にされたそうです。これは恐らく敵軍による侵略、いえ、横暴というべきでしょうか…このままでは恐らく良くても奴隷、最悪もてあそばれた挙句残酷に殺されるでしょう」


 (敵軍の侵略だと…?…待て、これは……っ!?そうだ、思い出した、この時だ!)



 私はこの瞬間、当時あった出来事を鮮明に思い出した。



 (この敵襲は、私が早太郎と別れるきっかけになったものだ。…そしてこの襲撃で早太郎は…死ぬ…!) 

 

 

 

 

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