第9話 玉藻前に振り回される話 (前編)
ある日、私が朝目覚め座敷に向かうと、座椅子にあぐらをかいて難しい顔をしている覚の姿があった。顎に手を当て、ずっと何かを考えているようだ。
「覚、起きてたのか…どうしたんだ?そんな将棋で負ける一手前みたいな顔をして。しわが増えるぞ」
「元からしわなんてありません!ほら見てくださいこの若々しい肌を。数百年も生きてきたとは思えないでしょう?…って、そんなことはどうでもいいんです!」
覚は突然顔色を変えた。
「実は、先ほど津多さんから電話が掛かってきまして。何事かと思って出てみたら、殺生石が割れているとのことでした」
「殺生石が!?それって玉藻前の…でも、玉藻前が元の姿に戻ることはもう無いはずだ。それがどうして…」
玉藻前…かつて容姿端麗で博識な女性に化け、当時の上皇の妃になり上皇を原因不明の病で苦しめたという悪妖怪だ。その後陰陽師に正体を見破られ九尾の狐になった玉藻前は那須野にて討伐軍に打ち取られ殺生石と呼ばれる毒石に姿を変え、近づく人々や動物の命を奪い続けたそうだ。
「津多さんは、将門の怨念が影響していると考えているようです。そして私も同じように考えています」
「ああ、間違いないだろう。恐らく将門の怨念によって支配された玉藻前の魂が殺生石を打ち破ったんだ。もしそうなら見過ごせない。早く出発するぞ」
こうして私たちは着替え等の荷物をかばんに詰め、殺生石のある栃木県那須町へ向かった。もちろん周りへの影響を考慮して夜である。移動には飛行機なるものを利用したのだが、今の人間は空も飛べるのかと少し感心した。
「…ここか…今の移動は楽でいいな」
「そうですねー...昔から比べるとすごく便利になりました。あ、それと、これから殺生石に近づきますが、まだ強い妖力が漂っているのでこれを持って行ってください」
そう言って覚は一つの小さな石がついた首飾りを渡してきた。翡翠のような淡い緑色をしている。
「これは?」
「厄除けの石です。殺生石の妖気は人体には猛毒ですから」
「わかった。持っておこう」
私は首飾りを首にかけた。すると不思議なことに、何とも言えない抱擁感に体が包まれていく。確かに邪気を跳ねのけてくれそうな気がする。
「…よし、行くか」
私たちは恐る恐る殺生石の元へ近づいた。見てみると、それは確かに二つに割れており、断面から邪悪な妖力が漏れ出ている。しかし依然として強い妖力がそこに宿っているのも確かだ。まだ割れてそれほど時間が経っていないのだろう。
「まだ割れてからそんなに時間が経ってないみたいだな。津多が情報を仕入れたのはかなり早かったという訳か…」
「ええ、これは不幸中の幸いです。逃げ出した玉藻前の魂もまだ遠くへは行っていないでしょうから」
「ああ、少し探索してみよう。もしかしたら近くに妖力の痕跡があるかもしれない」
私たちは殺生石周辺をざっと探索してみることにした。しばらく歩いていると、私は殺生石から少し離れた場所に大きな妖力を感じ取った。今まで感じたことのないほど大きく、そして邪悪な妖力だ。
「覚。こっちに強い妖力を感じる」
「本当ですか?…あ、確かに…凄まじい妖力ですね。あっちの方に続いているみたいです」
私たちはその妖力をたどり、慎重に進んでいった。しかしあるところを境にその妖力はぷつんと途切れてしまった。
「あれ…おかしいな…確かにこっちのはずなんだが…」
「…妖力がここで途切れています。仕方がないので今日はここらで野宿に…」
そう言ってテントを広げようとする覚を私は全力で止めた。
「おい!待て待て!お前ここで寝るつもりか!?敵がすぐ近くにいるかもしれないんだぞ!?」
「大丈夫ですよ。私たちは妖力の影響を受けませんし、玉藻前もわざわざ私たちを狙っては来ないはずですから」
「いや、だとしてもだな!」
その時、私たちが言い争っているところに割り込んでくるかのごとく、一人の若い女性が声をかけてきた。
「あの、こんな時間にこんなところで何を…」
「あっ!?いや、なんでもないんだ…」
「…そうですか。ここは危険ですので早く離れた方がいいですよ?」
女性はどこか違和感の残る微笑を浮かべ私たちに忠告をしてきた。
「それにしても、あなたこそこんなところで何を?ここはあなたの言う通り危険な場所なので早く離れた方が良いかと思いますが」
「私は…道に迷ったのです。今帰ろうとしていたところなのですよ」
やはりこの女性にはどこか違和感がある。喋り方や表情もそうだが、まとっている気配が普通ではない。言うなれば、自身の存在に対して、違和感が無いよう上書きをしているような…
「しかしもう夜遅くになってしまいましたし、ここには宿もありませんし、どうしましょう…あ、そうだ…あなたたち、テントを持っていましたよね。私も入れてくれませんか?」
女性は私たちに、一緒にテントに入れるように頼んできた。常識のある人間ならこのようなことは言わないと思うが…第一、こんな怪しい人間をテントに入れようとする人がいるのだろうか。…私はふと解放戦線の最年少を思い浮かべてしまった。あいつなら入れかねない…
「は…?いや、すまないが、いきなり知らない人と一緒に寝るのはどうかと」
「そうですね。見るからに怪しいですし」
「そうですか…」
私たちがテントに入れることを断ると、女性は悲しそうな表情を見せた。しかしすぐに表情を変え、意味深な笑みを浮かべたかと思うと、どこからか扇子を取り出した。それと同時に女性は、今まで全く感じなかった妖気を体中から放ち始めた。凄まじい力だ。
「なら仕方ありません…本当はあなたたちが寝てからと思っていたのですが…ここでやってしまいましょう」
女性が扇子を振るうと、香のような香りと共に赤い煙が私たちの目の前を覆った。そして段々と意識が遠のいていく。
(なんだ…これ…意識が…覚は…?)
もうほとんど何も考えられなくなってきた。しかし薄れゆく意識の中、私は煙の向こう側に最近見たような影が見えた。
(…あれ…は…)
…それからのことは覚えていない。気が付くと私たちはどこかの洞窟で横になっていた。
(ここは…どこだ…?どうなった?…あ、そうだ、覚は?)
覚を探そうと周りを見渡すと、誰かが炊いたのであろう焚火の側に覚は横になっていた。安心しながら起き上がると、そこにはもう一つ、見覚えのある顔があった。
「ああ、起きたか?これだからお前たちは甘いと言ったんだ」
「お前は…天野…クラマ…?」
そこにはつい先日知り合った天野クラマという半妖がいた。私たちとは水と油のような関係だ。あの場所にこの男がいたのには大方見当がつくが、一つ疑問に思うことがある。
「なぜ俺たちを助けた。俺はともかく、覚を助ける義理はないはずだ」
「…別に。俺の使命はあくまで暴走した妖魔を祓うことだ。それ以外の存在に危害を加えるつもりはない。だが勘違いするな。俺の邪魔をするならば、お前たちは容赦なく殺す」
「そうか。なら俺たちもお前が除霊するのを全力で阻止する」
「…勝手にするといい」
すると、そうこうしているうちに覚ものそっと起き上がった。私同様、困惑している様子だったが、すぐに状況を飲み込むと、座ったまま少し後退りして天野クラマを睨みつけた。
「…!どうしてあなたが!…何の目的ですか…場合によってはあなたをこの場で!」
「落ち着け覚。こいつに敵意はない。あの女性から俺たちを助けてくれたんだ」
「そう…なのですか?まぁ、ゲンヨウさんが言うなら信じますけど…」
覚は若干警戒しつつもやっと肩の力を抜いて焚火の近くに体を寄せてきた。
「…あ、そうだ!あの女性は…!?」
私はふとあの女性のことを思い出した。あの後どうなったのだろうか...天野クラマに祓われてしまったのだろうか...
「お前、あんなことされておいて、まだあいつが人間だと信じているのか?」
「あっ…ああ…そうか…流石に分かる。あれは人間なんかじゃない。元々怪しいとは思っていたが、さっきので確信が付いた。…あれが玉藻前…そうだろう?」
「ああ、そうだ。ちなみに、安心していいぞ。俺はあいつを取り逃がした。今もどこかをさまよっているだろう」
「じゃあ、まだ解放の余地はあるってことか…」
「そうだな。じゃあ急いだほうがいいぞ。あれからもう三時間は経ってるからな」
「…!覚、急ごう」
「はい!」
「…天野クラマ…今回のことは礼を言う。だが今この瞬間からは敵だ。お前が玉藻前を見つけるよりも先に俺たちが玉藻前を見つけて、解放、保護する」
洞窟には眩しく朝日が照りつけてきていた。もう時間が少ない。私たちは天野クラマを背に洞窟を駆け出していった。
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