第3話 トイレの花子さんに振り回される話 (後編)
花子はその悍ましい眼で私たちをじっと見つめた。その時トイレ中に妖気が一瞬で広がる。あまりの威圧に私たちはぐっと唾を飲んだ。
「遊びましょ…遊びましょ…」
「ゲンヨウさん、来ます!」
「わかっている。しかしこの妖力、荒いが量だけなら玉藻前にも匹敵するほどだ。覚、一撃でも受ければ魂が壊れかねない。必ず避けつつ応戦するぞ。」
次の瞬間、突如として異変は起きた。強烈な妖力の流れを感じたかと思うと、周囲の空間はゆがみ始め、いくつもの便器がある異様な空間が展開された。その空間は果てしなく続いており、まるで別の空間が突然そこに現れたかのようだ。
「これは…花子の怨念領域か?」
「そうでしょう。強い怨念が具現化した結果、周囲に別の次元を展開するという現象…本来ならあり得ないことなのですが、将門の怨念に支配されてしまった以上起きても仕方がないことです。」
「ああ、そしてこの領域内は領域の主の思うがまま…完全に不利な状況になってしまったな…座敷童の時はどうしたんだ?」
「わらしちゃんの時は、随分と長い間振り回されてしまいましたね。今度ゆっくり話します。ひとまず今は全神経を集中させてください。どこから攻撃が来るかわかりませんよ。」
その時、突然一つの便器が大きな音を立てた。それと同時に、ものすごい量の水が私たちを襲う。
「…水…!?もしかしてこれ、水洗便所ってやつか!?」
「ええ、今の厠は水が流れるんですよ。形も随分と変わりましたけど、学習してきてたんですね。こんな水程度に屈する私たちではないですけど、なんだかあまり気分がいいものではないので早く上に飛んで下さい!」
私たちは上に高く飛び上がった。幽体だと体が自由自在に動いて便利だ。
「今度はこちらから行かせてもらおうか。
沸き起こる水の渦の中にさらに風の渦を起こすと、あれだけ周囲を飲み込んでいた水は一瞬にして弾き飛ばされた。
「今だ、
私が妖術を繰り出そうとしたその時、突然足元に巨大な便器が現れた。その便器は凄まじい水流を発生させ、私を引きずり込もうとする。ふと下を見ると、妖力を迸らせながら花子がニタニタと不気味な笑みを浮かべている。
「…なっ!?まずい…覚!!」
「わかってますよ。この距離なら使えます。」
覚は音もたてずにゆっくりと花子の真後ろに近づくと、そっと花子の頭に手をかざした。次の瞬間、花子は突然気を失うと共に姿も普通の女の子に変化した。そして怨念領域も閉じ、気付けば私たちは元のトイレに立っていた。
「元に戻ったみたいだな…」
「一応沈静化させておいたので、目が覚めた時には怨念は解けているはずです。」
しばらくそのまま待っていると、花子はゆっくりと目を開け、周りをきょろきょろと見回し始めた。
「…ここは…トイレ…?」
「気が付いたか?お前は将門の怨念に支配されて暴走していたんだ。」
「あなたは…誰…?……っていうか!」
花子は私の存在に気が付くと急に顔色を変えて素早く後退りした。
「あんたっ、ここ女子トイレなんだけど!?何が目的なの!?この変態ッ!!」
「おい待て!話聞いてたか!?私たちは暴走したお前を止めるためにわざわざ来たんだよ!」
「…へ?じゃあ、あたし…将門に…最近復活したって聞いて知り合いの幽霊たちも怖がってたけど、まさかあたしが…」
「それとですね…花子さん、この場所に思い入れがあるのを承知で言うのですが、怨念の残骸は依然この学校に漂っています。悪いことは言わないのでこの場所からは離れた方が…」
「ダメっ!!」
覚がこの学校を離れるように勧めると、花子はものすごい剣幕で拒否してきた。
「…だめ…なの…約束…したから。」
「…詳しく聞かせてくれるか?」
「……うん。」
花子は小さくうなずいた。そして細々とした声で語りだした。
……
あたしが妖魔になったのは、今から大体五十年前、とある出来事がきっかけだった。あたしには当時、さっちゃん…真島幸子ちゃんっていう友達がいたの。毎日のように缶蹴りやゴム飛びをして遊んでいたと思う。そんなある日、あたしは隣のクラスの不良に絡まれていじめられてたの。初めてのことじゃないわ。さっちゃんは学校中の人気者だったから、そんなさっちゃんと仲がいいあたしが気に食わなかったのでしょうね。さっちゃんはね、とても正義感が強いんだよ?だからあたしがいじめられるなんて知ったら、きっと無理しちゃう。だからずっと隠してたんだけど、それもずっとは続かなかった。ある日、偶然あたしが殴られてる現場を見られちゃって…
「なにしてるのー!」
やっぱりさっちゃんは不良たちに突っ込んで行っちゃった。でもあたしはその時怖くてずっとトイレに籠ってて…あの不良たち、学校の人気者だろうが何だろうが容赦なく手を出すからさ。ずっとさっちゃんの悲鳴や殴られる音が聞こえてたのに、あたしは何にもできなくて…でもその時、かすれた声で聞こえてきたの。
「そこを出ないで。私を信じてそこにいて。またあとで、遊びましょ。」
あたしはその言葉の通りさっちゃんを信じて待ってた。でもいつまで経ってもさっちゃんは来なかった。日も暮れ始めたころ、誰の声もしないことを確認して外に出てみたら、そこにはさっちゃんが血まみれで倒れてたの。…もう息も脈もなかったわ。
「…さっちゃん…?」
一瞬目の前が真っ白になって、何も考えられなくなった。何度もこれは夢なんじゃないかって壁に頭を打ち付けた。血が出るまでやったけど、でもやっぱり痛くて…あたしは絶望した。そして同時にさっちゃんがたまらなく憎くなった。
「嘘つき…うそつきうそつきうそつきうそつき!!」
そのあとは、なんでこんなことしたのかわからないけど、あたしはさっちゃんの可愛い顔が原形をとどめなくなるまで殴った。泣きながら、何度も、何度も…でもそのうち、やっぱりさっちゃんはあたしに嘘をつくはずがないって思った。だから幽霊になったさっちゃんに会えるようにあたしも幽霊になろうと思って、トイレにあった洗剤を一気飲みして自殺した。それからは…あなたたちも知っての通りよ。あたしを訪ねてきた子に八つ当たりして、体中壊れちゃうまで一緒に遊んでもらった。あたしは、さっちゃんが迎えに来てくれたんじゃないかっていつも淡い期待を抱いて扉を開けるけどさ、そこにいるのは常に別人。今考えたら、その中にさっちゃんの生まれ変わりもいたのかな、どうなんだろうね?
……
「…話してくれてありがとう、花子。お前の気持ち、心中察する。ちなみにさっきの質問だが、死んだら必ずしも人間に生まれ変わるわけじゃないから、可能性は低いと思うぞ。」
「ゲンヨウさん、空気読んでくださいよ…」
「…まぁいいわ。なんにせよ、あなたたちにあたしの気持ちなんかわかるわけない…あたしにとってさっちゃんがどんなに大事な人だったかわかる?何の取り柄もないあたしのことを、誰よりも大切にしてくれたんだよ!?」
「…わかった、これ以上その幸子という人間の話はしないようにする。ここの怨念の残骸もなんとかするから、もうここを離れる必要はない。だが、もしも何か困ったことがあれば、俺たちを頼ってくれていい。俺たちの仕事は妖魔を解放することだ。これも解放に入るよな。」
そう言って私は封天寺の地図を手渡す。
「…まぁ、一応受け取っておくわ。多分行くことはないと思うけど…あ、そうだ。その、本当にあたしを助けてくれるんなら、一つ頼みを聞いてほしいの。…さっちゃんを、探してくれない?もしかしたら幽霊になってまだこの世にいるかもしれないから。」
「ああ、任せろ。」
「仕方ありませんね。私たちの仕事は正確には将門の怨念から妖魔を解放することなのですが、この際硬いことは言ってられませんから、引き受けましょう。津多さんにも伝えておきますね。」
「ん…ありがと。」
花子はこちらから目をそらしぼそっと礼を言った。その後なぜか傷一つなく再生している個室に戻り、一言も発することはなかった。
「それじゃあ、今回の任務も終わったことですし、帰りましょうか。ここの怨念の残骸に関しては、後日個人的に札を貼っておきますのでご安心を」
「そうか。...それじゃ、帰ろう」
私は再び自分の体に戻り、覚と共に寺への帰路についた。数時間ぶりに人間の体に入ったが、随分と重く感じる。こうして、私の初任務は何とか幕を下ろした。このようなことをずっと続けることは少し億劫にも感じるが、あのような未練を残した妖魔がこの世に蔓延っている以上、無視することはできない。これからも妖魔の大将として妖魔を解放していこうと私は心に誓うのだった。
深夜、封天寺・トイレ前
「トイレトイレ…」
ガチャ…
「…あ、」
私がトイレの戸を開けると、本来そこにあるはずのない顔と目が合った。
「…へ?…ぎゃあーーーーー!」
「うわぁーーーーー!!びっくりした!お前の声にびっくりした!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた覚が目をこすりながらやって来た。
「…ん…どうかされたんですか…?」
「ああ、覚!いや、どういうわけかトイレの戸を開けたらさっきの学校のトイレにつながってて!…覚!?なんでそんな目をしてるんだ!?違うからな?俺はこんなことしないし出来ないからな!?…そうだ!きっと花子の妖力を強く浴びすぎたんだ!花子もなんとか言ってやってくれ!」
「…最低…こんな妖術を使ってまであたしのトイレを覗くなんて!死ね!!」
「ゲンヨウさん…見損ないましたよ…私たちの大将ともあろう者が、こんなセクハラ野郎だっただなんて…しかもロリコン…」
「せくはら?ろりこん?なんだそれ、その言葉はまだ知らない…じゃなくて!意味は分からないが今ものすごい勘違いをされてるよな!?…ちょ、待ってくれ!覚ー!」
この後日が昇るまで説明して何とか信じてもらえた。
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