第2話 トイレの花子さんに振り回される話 (前編)

 私が封印から目覚めて数日が経過した。封天寺に来て以降、私は寺の一室を借りてそこに住まわせてもらっている。こうも簡単に住み込みの職場が見つかるとは、ずいぶんとついているものだ。自然は豊かで、部屋は広々としている。座敷童がやかましいことを除けば最高の職場と言えるだろう。しかし特に覚から仕事がかかることはなく、私は机に本を並べ静かな時を過ごしていた。

現代文化を学ぶためである。



 「…ほう、タピる、タピオカ、ベビタッピ…世にはこんなものが…ん?これ数年前の流行か…」


 「…ごめんくださーい!覚さんはいるかー!」



 私が本を睨みつけていると、玄関の方から図太い声で覚を呼ぶ声が聞こえてきた。



 「はーい!今行きますー!」


 「…覚、誰か呼んだのか?」


 「ええ、今日はお客さんが来るんですよ?言ってませんでしたっけ。今連れてきますので少々お待ちを。」



 そう言って覚は小走りで玄関へ向かっていった。私もそれについていくようにしながら応接間に入り、そこで待っていることにした。しばらく待っていると、わいわいという談笑と共に覚と大柄な男が部屋に入ってきた。どうやらこの男は人間のようである。



 「あ、ゲンヨウさんももう来てたんですね。」


 「ここに客人が来ることあるんだな。今日は座敷童は大丈夫なんだろうな。」


 「ええ、問題ありません。催眠をかけて寝かしつけておりますので。」


 「そうか。…ところで、そちらの人間は?」


 「ああ、紹介が遅れました。この方は…」


 「オカルト情報屋の津多江太郎つたえたろうだ!よろしく頼む!前回来た時には見なかった顔だな。」


 「こちらこそよろしく頼む。私はゲンヨウという者だ。先日覚と行動を共にするようになったばかりなんだ。ところで、オカルト情報屋というのは?」


 「俺は怪奇現象や未確認生物を専門に情報を提供しているんだ。こんな専門職は俺だけだろうな。はっはっは!」



 津多というこの男は実に豪快な男だ。言動の一つ一つが非常に堂々としている。話すときは目の奥を覗くように見つめ、笑う時はわざと部屋に反響させているかのように笑う。



 「ゲンヨウさん、実はこの津多さんは、この寺の住職の一族の末裔なんですよ。」


 「そうなのか?でもこいつは人間ではないのか?」


 「はい、津多さんは人間です。まぁ妖魔とひとくくりにしてもその全てが霊的な物とは限りませんから。確か初代住職は異形の類だったとかで。」


 「そういうことか。どうりで。」


 「ああ、俺の先祖は異形だ。あの大仏がすべてを物語っている。この世の者とは思えない説明のしようがないような姿だ。」


 「では、そろそろ本題に入っていただけると。」



 長話にしびれを切らしたのか、覚は咳払いをしながら津多を見た。



 「そうだった。これを見てくれ。」



 そう言って津多は一枚の大きな地図を広げた。



 「これは、ここより南方に六キロ離れた場所にあるB市のとある一角の地図だ。そして今回の目標はここ、市立第一小学校。ここにかなり大きな妖力の反応を検知した。将門の怨念である可能性が高い。」


 「市立第一小学校…以前からいわくつきの場所として目をつけていた場所ですね…廃屋と来てからの学校…怨念の籠る場所が二連続ですか。」


 「廃屋?以前にも何か仕事をしたのか?」


 「ええ、わらしちゃんの時ですよ。あの時は荒廃した古民家を探索したんですよね。」


 「ああ、あいつもそうだったのか。…まぁ、それはいいとして、学校となると、やはり怨念がより一層たまりやすいだろう。どんな妖魔がいるんだ?」


 「今回のターゲットは学校の心霊の定番、『トイレの花子さん』だ!」


 ……………


 「…って感じでやってきたわけだが、これ夜じゃなきゃダメだったか?」


 「今のあなたは仮にも人間なんですよ?誰かに見つかったら確実に通報されますって。それに、夜の方が妖魔の動きは活発になるって、あなたも知っているでしょう?」


 「うむ…まあ、そうか。とりあえず、中に入ろう。」


 「その前に、いったん幽体離脱ですよ。簡単に幽体になれる私は良いですけど、あなたはこのままだと中に入れないでしょう?鍵もかかってますし。」


 「そうだったな。よし、頼む。」



 私は近くの草むらに隠れ、そこに横たわった。そして目をつぶると、覚は幽体離脱の呪文を唱え始めた。


 「沙羅仏沙羅仏しゃらぶつしゃらぶつ、天に昇れ、地に沈め、マガツヒの狭間で往生せよ。」



 徐々に体が浮遊感に包まれるのを感じる。気付けば私は自分を上から見下ろしていた。



 「はい、これで準備万端ですね。では、霊道を展開しているので、そこから中に入りましょう。」



 私と覚は霊道を通って中へと侵入した。霊道とは、霊だけが通ることのできる、いわば霊の通り道なのである。これを使うことでありとあらゆる障害物を無視することが出来るのだ。


 中に入ると、見た目は普通の学校といった感じであった。江戸の寺子屋に慣れている私からすると随分と異質な建物ではあるが。本で見たことがあったのでこれが一般的な校舎であることは理解できる。しかし、津多が怨念の溜まっている場所と言っていただけあって、強烈な妖気を放っている。



 「ここに花子さんとやらがいるんだな。」


 「まぁ津多さんがそう言っていただけなので、本当に花子さんとは限りませんけど。そう言えば、ゲンヨウさんは花子さんに会うのは初めてですよね。」


 「ああ。最近の妖魔なのか?」


 「はい。現代の人間の間ではかなり有名な妖魔です。夜中に学校の女子トイレの三番目の個室に向かって「はーなこさん!遊びましょー」と呼びかけると「はーい」と帰ってくるらしいです。その時扉を開けてしまうと花子さんにひどい目に遭わされるんだとかそうでないとか…」


 「結構あやふやだな…」



 私たちはその後も妖気を頼りに校舎中を歩き回った。そしてついに一つの場所にたどり着く。



 「…ここだな。」



 そこは本館四階にある女子トイレだ。ここからは明らかに異質な気配がする。普通の妖気ではない、尋常ならざる邪悪な妖気だ。私たちは中へ入り、三番目の個室の前に立った。そして例の言葉を呼び掛けてみる。



 「…はーなこさん、遊びましょー…」



 辺りには沈黙が流れる。ジーという電灯の音と虫の音だけがかすかに聞こえてくる。



 「もう、違いますよ。もっと元気よく言わなきゃです。」



 覚は大きく深呼吸すると、意を決したような表情をして、いつもよりワントーン高く大きな声で叫んだ。



 「はーなこさん!!遊びましょーーー!!☆」



 辺りには再び沈黙が流れる。ジーという電灯の音と虫の音、それに顔を赤らめじたばたと飛び跳ねる覚の足音だけが聞こえてくる。しばらく面白がって見ていたが、特にこれ以上用事もないのでトイレを出ようと思っていると、突然個室の中から「はーい」という声が聞こえてきた。


 「…!もしかして、お前が花子か!?」


 「…はーい…はーい…はーい…はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいーーーーー!!!!!」



 突如狂い始めたかと思った次の瞬間、花子は個室の扉をバラバラに破壊してその狂気に満ちた姿を現した。一昔前の女の子が着ていそうな服を着ているが、その衣服は所々邪悪な妖気で穢れており、髪はぼさぼさで逆立ち、表情はまるでこの間座敷童が見せてきたなんとかきらーのような悍ましい形相をしている。



 「!!…こいつが…花子さん...!?物理的な干渉…将門の力はこれほどまでに…!覚!…おい、覚!いつまで恥ずかしがってるんだ!応戦するぞ!」


 「はっ、はい!応戦します!」


 「さて、久々に暴れるとしよう。少しは楽しませてくれよ。」



 私は体中に妖力を込めた。封印前と比べると随分妖力は低下しているようだが、これだけあれば十分だろう。これより、私の復帰戦であり、人間としての初めての仕事が始まる。

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