第13話 フルコン空手vs我流格闘術 7
若者は、いろんなことにぶつかりながら成長していきます。私も、この試合を通じて、格闘技というものが、ルールの上に成り立っているものだということを体で学びました。そして、A君もO君もこの経験を通じて、己の強さに抱いていた幻想に気付いたようです。もし、あのまま試合を続けていれば、閉め落とされていたのはA君の方だったでしょうし、立ち技の勝負に戻って、O君がもう一回A君の回し蹴りを顔面に受けていれば、ノックアウトされていたのは、O君の方だったでしょう。二人とも、口には出しませんでしたが、その事はよく分かっていたと思います。
ルールの無い実戦だったら、勝っていたのは、間違いなくO君です。その後、1990年代に空手家や打撃系の選手が、グレイシー柔術の使い手にマウントポジションを取られてボコボコにされたり、締め落とされたりして惨敗することになりました。あの光景を目の当たりにしたA君は、一体どんな思いを抱いてたんでしょうか?この試合以降、彼と会う事は二度となかったし、これからも会う事は無いでしょうから、私には、それを知る術はありません。
A君が、この手痛い敗北を喫した事で自分自身の足りない部分をしっかり認識していれば、そして、その後、正統な古式の空手や拳法を学んでいれば、更に強くなれたとは思いますが、フルコン空手が最強だと信じていた彼が、他の流派に目を向ける事は無かったようです。
A君は、この試合以降、Y会の試合にもあまり出なくなり、大学を卒業した後、郷里に帰りY会の支部道場を開き、その後、Y会から独立して自分の流派を立てたそうです。彼の道場に通っていた私の後輩の話によると、随分と丸い人になっていたとのことです。
O君の方も、これ以降、格闘技の話をすることも、自分の格闘能力を吹聴することも、一切しなくなり、他人の話によく耳を傾ける人に変わりました。
自分の得意分野に安住していれば、そのままずっと自分の強さに幻想を抱いていれたにもかかわらず、敢えて格闘技の異分野にチャレンジした二人の若者の勇気に心より拍手を送りたいと思います。
プロレスラーのアントニオ猪木と極真空手のウィリー・ウィリアムスが異種格闘技戦をやる一年前の出来事でした。
なお、極真空手のK君とは、その後、九州大教養学部があった六本松の路上で一度再会して、少し世間話をして分かれました。Yさんは、中国拳法に美し過ぎる幻想を抱いていた反動で、過酷な実戦の現実に耐え切れず、老師に「中国捨てる、拳法やめる」と捨て台詞を吐いて、郷里に帰って行きました。この二人とも、その後、二度と会うことはありませんでした。この世の出来事は、まるでドラマのようです。
次回は、某松濤館流系の道場で起きた抱腹絶倒のお話をお送りいたします。では、次回のエピソード「注意散漫、恥の元」でお会いしましょう。
(終り)
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