第14話 注意散漫、恥の元
これは、45年ほど前に福岡にあった松濤館系の空手道場で実際に起きた話です。登場人物は、A君とB君の二人の大学生であります。二人とも黒帯初段の腕前でしたが、当時A君はB君にどうしても組み手(スパーリング)で勝てませんでした。
A君は長身で廻し蹴りと上段突きが得意なタイプ、B君は中肉・中背で相手の間合いに入り込んでの中段突きと相手の膝への関節蹴りが得意なタイプでした。
本来、B君より長身なA君は、組み手試合ではB君より有利なはずですが、絶妙な呼吸の読みで素早く間合いの中に入って来るA君にどうしても勝つ事ができません。それもその筈、B君は剣道の経験者だったので、間合いの取り方とステップインの技術に関しては、彼に一日の長があったのです。
B君の技術の高さもさることながら、二人の勝敗を分けていたのは、A君の苦手意識のせいでもあったようです。何度やっても組み手で彼に勝てなかったせいで、A君の中にはB君に未来永劫勝てないのではないかという思い込みに近いものが形成されていたのです。
最初から、「どうせコイツには勝てっこない。」と思い込んで相手と組むので、いきおい動きは鈍くなります。動きが鈍くなるので、せっかく勝てるチャンスが来ても、いつもすんでの所でそれを逃してしまいます。また、ちょっと相手に攻め込まれると、まだ逆転のチャンスがあるにも拘らず、すぐ諦めて気を抜いてしまうので、相手に付け入る隙を与えてしまうのでした。
師匠や先輩は、いつもA君に「最初から諦めるな、途中で気を抜くな」と助言してくれましたが、なかなか自分の心と体は言う事を聞いてくれませんでした。「一度でいいからBから一本取りたい。一本取れば、この苦手意識から開放されるのに・・・」といつも稽古が終わって夜空を見上げながら、ひとり物思うA君でありました。悶々とした日々を送っていた彼ですが、そんな彼にも、やがてチャンスが訪れます。
ある晩、A君がいつものように道場で稽古をしていると、見学者がやって来ます。見ると、とても可愛い女の子であります。道場生たちの話から、彼女はB君のガールフレンドだと言う事が分かります。A君は、ここで一計を案じます。
先生の手前、道場で大っぴらに彼女とイチャつけないB君は、不自然なくらいクールに振舞っています。ニッコリ微笑みかける彼女に無表情で頷いてから、後輩の指導を始めました。A君は、そんなB君を尻目に、彼女のところまで行き椅子を勧め、冗談を言って彼女を笑わせ、彼女と話を始めます。B君は、その様子を横目でチラチラ見ながら、「アイツ、俺の彼女と何楽しそうに話してんだ?」と言いたげにイライラした様子を見せ始めます。それに気付いたA君は、「シメシメ、平常心を無くしはじめたぞ。」と内心ほくそ笑みます。
B君が平常心を無くしたのを確認したA君は、彼女から離れ、稽古に戻ります。そして、いつもの自由組み手の時間がやってきます。
何組かの組み手が終わったあと、A君とB君の番が回って来ます。
二人は、いつものように胴を着けて対峙し、いつものように互いに礼をして、構えます。そしてジリジリとお互いに間合いを詰めていきます。二人の間合いが限度まで近づいた時、
「B君ガンバッテー!」
とB君の彼女の声援が聞こえます。その可愛い声につられて、B君が彼女の方をチラッと見た瞬間、
「エ――イッ!」「ドン」
と言う鋭い気合と鈍い音ともに、A君の前蹴りがB君の胴に入り、B君は、道場の端まで吹き飛びます。
「一本!」
と審判をなさっていた先生の声が道場に響きます。
A君は、初めてB君から一本取ったのです。先生は、道場の端から中央にヨロヨロと戻って来たB君に
「組手の最中にヨソ見をしないように。」
と注意なさいます。二人は互いに礼をして、この組手稽古は、終了しました。
実は、A君が彼女に「組み手試合が始まったら『ガンバッテ』とBに声を掛けてやって下さい。」と頼んでいたのです。B君は、A君の策略にまんまと引っ掛かり、彼女の前でカッコイイところを見せるどころか、逆に大恥をかいてしまいました。
不思議な事に、この日以降、A君とB君の関係は、勝つこともあれば、負けることもあるというイーヴンなライバル関係に変わります。
このお話から、二つのことを学ぶことができます。
①強さと言うのは、相対的なものであること。相手が絶対的に強い訳ではなく、自分が相手に強さを与えてしまっている場合もあること。
②どんなことがあっても、実戦や試合の最中にヨソ見をしないこと。
因みに、彼女の声援に気を取られて手痛い敗北を喫してしまったこの可哀想なB君というのは、私の同期の人間で、姑息な手段でB君に勝ったこの卑怯千万なAというのは、何を隠そう若き日の私であります。(><)
B君を蹴っ飛ばすまでは、少年時代に近所のお兄ちゃんにちゃんと剣道を習っておけば良かったとずっと後悔してましたが、何とか悪知恵を働かせて、勝利を収めることが出来ました。もっとも、少年時代に剣道で間合いを取る稽古を本格的にやっていたら、こんな面白い話は書けなかったでしょうけど。
松濤館流の道場を辞めて暫くしてから、テレビで森田健作さんが、剣道の乱捕り稽古でどうしても勝てなかったライバルを私と全く同じ手口で負かしたとお話しになっているのを視聴して、「人間考えることは、皆同じだな」と苦笑したことを覚えています。
次回は、松濤館流系の空手道場で、私が得たことと得られなかったことについて、少しお話させていただきたいと思います。「武道『物語』」と呼べるほどのエピソードは出て来ませんが、その後の物語に続く重要な私の分岐点でもあるお話なので、よろしくお付き合いくださいませ。
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